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「平和の根拠地」平澤・大秋小学校を死守         かけはし2006.4.3号

ノ・ムヒョン政府と対決する米軍基地拡張阻止闘争

米帝国主義の執達吏!

 ソン・ヨンミン氏(トゥレ・プンムル館長、大秋小学校居住)を退去させるための執行官、そして執達吏(?)を支援するために雇われた40人の作業員、さらにこの40人の作業員を支援するための千人を超える公権力による平澤・大秋初等学校(小学校)の侵奪は結局、水泡に帰した。
 この日の侵奪は夜明けの静けさに乗じたやり方ではなかった。法的根拠は二の次にし、「韓米同盟レベルの挙国的かつ戦略的代執行!」という「偉業」を夜陰に乗じた「どろぼう」のやり方をするには、対国民的名分が余りにも貧弱だったのだろう!特に、大秋小学校を暴力的なやり方で接収したときに発生しかねない良からぬ事態(?)や、それに伴なう抵抗の局面を、親米・親資本・反民衆の政策によって支持率が急降下しているノ・ムヒョン政権としては堪えがたかったのであろう!だが、国防部(省)の所有だとしつつ法執行をするとして大秋小学校の正門に現れた執行官や雇われ作業員、警察、国防部関係者らの行動は、「挙国的偉業」とは程遠い、「帝国に雇われた土地どろぼう」にすぎなかった。
 第1に、平澤への米軍基地移転それ自体、これまで国民、住民らの意思を全く無視しながら進められた非民主的過程だったという点。
 第2に、平澤米軍基地の拡張は、それ自体が地域住民らの生活共同体を徹底して破壊した土地の上に作られるという反民衆性を持っているという点。
 第3に、平澤への基地拡張移転の目的が米帝国主義の政治的・経済的覇権戦略の一環として、韓(朝鮮)半島を超えて東北アジアに戦争の危機を呼び起こす戦争基地の役割をするという点において、彼らは「基地予定地の買収を追求する米帝国主義の執達吏」、あるいは「武力以外には用いることのできない反民衆的政府の公権力」としての己の姿をさらけ出したのだ。

広がる民衆勢力の連帯

 「危機に直面した平和の地、大秋里に駆けつけよ!」というムン・ジョンヒョン神父の緊急アピールや、全身に鉄鎖を巻いた人権活動家たちの抵抗が始まった。「ただの1坪も渡すことはできない」という住民らの絶叫に満ちた身悶えと闘いは、米軍基地予定地を接収しようとする奴らに対する明確な回答だった。一方、午前・午後にわたって数回、進入を試みた警察などは、侵奪の知らせを聞いて駆けつけた労働者・民衆、住民らの頑強な抵抗によって、そのたびに進入に失敗した。
 当日の闘争に結合したすべての同志たちは、今年の農作業をできなくさせようとしている者たちの執行を阻止しぬかなければならないとの決意と、戦争基地建設の指揮所の役割に転落しかねない反戦・反基地闘争の空間を奪われてはならないとの切迫感で満ち満ちていた。そうであればこそ、比較的少人数の3〜400人の人員でも千人を超える公権力の侵奪を全身で阻止しぬくことができた。

政府の最初の試みは失敗

 この日の闘争は「平和の地」285万坪を守り抜こうと550日間、ロウソクを灯してきた住民らと、「平和の根拠地」大秋小学校を死守しようとしていた多くの民衆陣営は、平澤米軍基地拡張阻止汎国民対策委員会を中心に、文字通り全体が1つになって全身で抵抗し、この日の闘いに勝利した。
 反面、米国や政府側の試図はつぶれ、つまずきをもたらすところとなった。政府は基地拡張の障害物となる2006年の農作業を阻むための好機だとの判断、2番目には時間が経過すればするほど韓米FTA反対闘争などによって基地構築に困難が生じるだろうとの情勢判断、3番目には米国の圧力(予定通りでは2005年末までに土地接収の予定、戦略的柔軟性と海外米軍体系の変化の完了など)を根拠に法の執行を伴って鎮圧を試みたように思われる。だが住民らの生活空間に対する公権力の強制執行、人権活動家らに対する暴力や連行、そして何よりも時が経過すればするほど米国への政治的軍事的、経済的屈従外交で一貫している中で展開された米軍基地予定地の強制接収の試図と失敗は、それに伴った世論の悪化だけを生むところとなった。

反基地闘争の全国化へ

 大秋小学校の侵奪に失敗した政府(そのような意味では、この闘争は政権との闘争であり、明らかに反政府闘争の性格を持っていると言えよう。だが「ノ・ムヒョン政権は退陣せよ」というスローガンは一向に好んで叫ばれてはいない。当然ながらも、「米国の奴らを追いだして今年も農業をやろう!」とともに「米軍基地強制執行、ノ・ムヒョン政府は退陣せよ!」のスローガンが中心とならなければならない)は、ファンセウルの広野など田んぼを中心に鉄条網の設置や、農作業を阻む執行にとりかかることもありえる。けれども平和闘争の求心的役割や住民闘争の空間である大秋小学校は「基地建設現場の指揮所」という自分たちの必要性のためにも、優先的に接収しようとするものと予想される。
 住民らの孤立化や汎対委との分離、闘争拠点を接収して反基地闘争を弛緩させたり分散させるための目的で楯や棍棒で武装した電撃的な侵奪という強引な手段を用いることもありえる。そのため、第1次闘争の勝利はそれなりに大切にしつつ、現在の大秋里の状況を全民衆の運命がかかった問題として宣伝し闘争を組織し、予想される公権力の代執行の攻勢に対応しなければならない。
 そして、このような闘争の組織化の過程自体は、これからの反基地闘争の全国的広がりや、反基地を超えて反帝反戦反グローバリゼーション闘争へと結びつけていかなければならない。そうではなくて、労働者・民衆陣営が生存権確保だけに自分たちの闘争領域を限定し、反帝反基地闘争を放棄したり、この闘争を拡大させていく考えを持たずに選挙自体に埋没し地方選運動にオール・インするのであれば、この闘争は政権の意図する通りに、ある程度の抵抗はがまんするというレベルで強制接収される事態を迎えかねない。

反帝反戦平和闘争に

 公権力が引き下った状況ではあるものの、「基地予定地の強制接収」対「平和と命の地、ただの1坪も渡すことはできない」は両集団の間の激しい対立と緊張が連続する局面だ。
 したがって第1に、「大秋小学校死守」という当面のスローガンを中心に、東北アジアの平和の危機、戦略的柔軟性、米帝国主義の覇権戦略に対する暴露とともに反(米)帝反戦闘争を全国化させなければならない。
 第2に、各民衆勢力はこの闘争に対する自らの立場と態度を明確にするとともに、「危機に直面した大秋小学校を守り抜こう」という訴えに実践的に結合していかなければならない。
 第3に、スクリーン・クォータ縮小の閣議通過など、本格的に推進されている韓米FTAに対決する反帝反グローバリゼーション闘争の広がりに結合するレベルで反基地闘争を配置・結合させていかなければならない。米帝国主義の政治的、経済的、軍事的戦略、そして支配階級間の強固な韓米同盟を誇示する中で、執拗に基地移転が推進されている。そうであればこそ帝国の軍隊を相手とする有力な闘争として断定もされ、また現実闘争において副次的な問題として受けとられもする。
 だが大秋小学校の正門を突破しようとしている公権力に立ち向かい、破られた鉄条網に全身をまかせて阻んでいる人権活動家たちの抵抗こそは、反戦反帝国主義の闘争が遥かな所での抽象的なレベルではなく、まさに目の前で展開されているという事実をしっかりと示している。そして、戦略的レベルであれ、強固な韓米同盟であれ、あれこれの名分を押しつけて小学校の垣根の犬くぐり穴から入ってこようとした「挙国的大執行」の計画は全国的な恥さらしになるとともに、支配階級の指揮体系の虚弱性をさらけ出させた。
 「人権活動家たちは住民らにカネを要求しつつことを代行するんだって、と知りあいのアジュモニ(おばさん)が聞きます。バスの運転手から聞いたんだって……そうです。奴らは、そう言います。奴らがどんな話を作りあげようとも、われわれは揺らぐことなく、われわれの道を歩めばいいのです」(キャンドル552日目、軍隊で疑問死したホ・ウォングン1等兵のお父さんの発言から)。
 今日も間違いなく、大秋小学校ではキャンドル集会を通じて闘争の決意を高め続けている。型にはまった表情、決まりきった発言ではなく、さまざまな闘争の主体たちが織りなす反帝反戦平和闘争の気運を高め続けている。ほかならぬ、ここが反戦反帝闘争の現場なのだ。(「労働者の力」第98号、06年3月10日付、キム・ドンス/会員)



コラム

管理組合と漏水騒動

                    

 夜十時ごろのことだ。家族で食事から帰り、ソファでくつろいでいると天井からシュルシュルという音。「何だ。何だ」とあたりを見回していた瞬間、天井と壁の隙間から大量の水が落ち始めた。そして、何事が起こったかと考える間もなく停電。連れ合いも、自分も暗闇の中、ただ呆然と立ちつくすだけだった。
 まぎれもなく上階の配管からの漏水だと気が付ついた時はすでにリビングは水浸し状態。すぐに管理組合の理事に電話をし、応急処置のために管理会社やら、保険会社やらに緊急手配を頼んだことは言うまでもない。
 その間にも漏水は雨のように続いた。懐中電灯を探し出し、あたりを見回すと壁を伝わった水が、壁紙の穴から勢いよく噴き出ている。まるでそれは、小便小僧そっくりの光景だった。
 私の住む十一階建てのマンションは築十七年。数年前に購入したときは管理組合もなかった。そのため大規模修繕や点検などもあまりされていなかったらしい。購入時、管理組合の有無などまったく関心がなかったし、そもそも修繕積立金の使い道も知らなかったのだ。
 入居して一年くらい経ったころのこと。私の携帯電話に管理会社から、今度管理組合をつくるから理事になってほしいと依頼があった。何で自分がと訝しく思ったが、管理人の推薦だという。どうやら管理人が、比較的時間があると見込んだ数人の名前を管理会社に挙げたらしい。よく訳も分からぬままに承諾。設立に向けた準備会の日時が告げられた。
 初めての顔合わせはマンション一階の集会室で行われた。こういうための部屋だったのかと思わず納得。ふーん物置じゃなかったんだ。集められたのは中年の男たち五人。名刺を交換しながら職業を見ると、カメラマン、保険代理業、ホテルの専務、ダンス教室のオーナー、そして私。確かに暇そうに見える面々である。私たちを招集した管理会社が口火を切った。「非常階段が腐食し、緊急に修繕しないと使い物にならなくなる。そのためには、管理組合を再建して、総会を開いてほしい」。いちばん最初に分譲したころは、組合があったが引き受け手がいないので、いつの間にか消滅してしまったということだ。いろいろと説明を聞いているうちに全員納得し、組合は再建された。しかし、ここで問題なのは役員人事である。誰も理事長などやりたくない。そこで、あみだくじで決めることになった。運良く私は会計のポストに。カメラマン氏が理事長のくじを引き、「俺ってくじ運がないんだよな」とこぼすことしきり。保険代理業氏が副理事長におさまった。あとは平の理事である。
 それからというもの月一回の理事会、年一回の総会、そして持ち込まれるさまざまな苦情、要求に応え、紛れもない管理組合に成長した。
 そして、この漏水騒ぎである。上階の住人は損害保険に入っていなかったが、保険代理業氏がしっかりマンション全体に保険をかけていたのだ。おかげさまで約二週間のホテル住まいのうち、部屋は新築同然にリフォームされた。家財の補償交渉もやってもらった。理事会で漏水が私の部屋で良かったというオチがついたが、組合がなかったら今ごろどうなっていたか分からない。  (雨)


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