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沖縄戦「住民強制集団死」書き換えの圧力         かけはし2006.6.26号

歴史の歪曲をはねかえそう

大江・岩波「沖縄戦裁判」第4回公判

「つくる会」らの攻撃に立ち向かい裁判支援連絡会を結成

手元に残るの
は一日八百円

 【大阪】二〇〇五年八月五日、大江健三郎氏と岩波書店を被告とした、沖縄戦集団死(「集団自決」)訴訟が大阪地裁に提訴された。六月九日には、第四回公判があり、傍聴者は被告側が六割近くになり、初めて半分を少し超えた。原告側は、裁判の内容のわからない者まで動員しているようである。この訴訟については以前「かけはし」で報告したが(06年4月10日号)、改めて訴訟の事実関係を、大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会のニュース準備号に基づいて整理しておきたい。
 原告は、梅沢裕氏(元座間味島の第1戦隊長・元少佐)と赤松秀一氏(元渡嘉敷島の第3戦隊長で元大尉であった赤松嘉次の弟)。原告側が問題にした書籍は、岩波書店発行の『太平洋戦争』(家永三郎著)、『沖縄問題二十年』(中野良夫・新崎盛暉著)、『沖縄ノート』(大江健三郎著)の三冊。原告の請求は、@これらの図書の出版、販売、頒布の禁止 A謝罪広告 B慰謝料岩波書店に各千万円、大江健三郎氏に各五百万円 を支払えというもの。
 請求理由は、右三点の書籍が、一九四五年の沖縄戦の初期に慶良間列島で発生した住民の「集団自決」は、守備隊長であった梅沢裕、赤松嘉次が命じたと記述しているが、これは事実に反し、名誉を毀損、あるいは個人に対する敬愛追慕の情を侵害する、というものである。
 この裁判を支援するためと称して、提訴とほぼ同時に「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」が結成されている。会の代表の南木隆治は、大阪府立高校の教員で、右派教職員組織の大阪教育連盟(全日教連傘下)に所属している。支援する会の顧問には、藤岡正勝(「新しい歴史教科書をつくる会」会長補佐)などが名を連ねている。同会の事務局は、小泉首相靖国参拝違憲訴訟に反対して活動している「靖国応援団」の構成と同じ。弁護団も「靖国応援団」の弁護士で、「本多勝一名誉毀損裁判」(百人斬り裁判)の原告弁護士とほとんど重なっている。
 この裁判は、軍命令による「集団自決」はなかったとすることによって、日本軍による住民虐殺の事実を抹殺し、沖縄戦の事実を歪め、日本軍の残虐性を「捏造されたウソ」にし、「軍隊は住民を守らない」という認識からの転換をねらうものである。

沖縄線の真実を
曲げてはならぬ

 六月九日の夕刻から、エルおおさかで支援連絡会の結成集会が開かれ、太田隆徳弁護士と東谷敏雄さん(子どもと教科書大阪ネット21代表委員)を代表世話人に、小牧薫さん(大阪歴史教育者協議会委員長)を事務局長に、他七人の事務局員を選んだ。小牧さんは、大江さんと連帯し、公判ごとにきちんと学習会をやっていきたいと述べ、参加者全員で、会員・事務局・運営方針など支援連絡会の申し合わせ事項を確認した。
 岩波書店から参加した大塚さん(岩波現代文庫編集長)は、社員の七〇%を集め社内説明会を開いたことを報告し、「この裁判はおかしな裁判だ。重大な事実誤認なら岩波に抗議するはずだがなにもない。今回の裁判は、名誉毀損ではプロ中のプロである秋山幹男弁護士にお願いしてしっかりした論理構成をし、資料については沖縄の人に大変お世話になった。沖縄戦の真実を曲げることを許さないという共通の目的のために闘いたい」と述べた。そして主任弁護人の秋山弁護士は、あらゆる資料を調べて臨んでいるといい、第四回公判の概略を説明した。

援護法に内在
した「靖国思想」

 原告・被告とも第三準備書面を提出し、双方ともほぼ主張は出そろった。座間味島での梅沢裕の命令については、本人が健在だから被告側に立証責任があり、渡嘉敷島での赤松嘉次の命令については本人が亡くなっているので原告側に立証責任がある。
 一九八八年、座間味島「集団自決」の件で梅沢裕が沖縄タイムスに抗議をし、沖縄タイムスが座間味島当局に照会したときも、当局は命令はあったとはっきり証言している。座間味島で援護法の担当であった宮村氏が、「命令があったといったのはウソだった」との念書を書かされ押印した件でも、「梅沢裕がやってきて家族に見せるだけだからと頼まれてウソのことを書いた」が今でも座間味島当局の公式見解だ。
 当時女子青年団長だった宮城初枝さんが、梅沢隊長のところに行ったとき、「その場では命令はなかった」と述べていたという件でも、多くの人があったといっている。また別のところでは、軍曹から手榴弾で自決せよといわれている。
 裁判は予断を許さないが、あったかなかったかではなく、本質は当時の住民がどのような状況に置かれていたかだ。村の外には行けない。捕虜になることも許されない。「自決」のみが残されていた。秋山弁護士は、「この全体構造の主張をきちんとしていきたい」と述べた。
 金城実さんが、「『ある神話の背景』(曾野綾子著)を原告側は証拠として完璧だといっている。沖縄復帰直前にやってきて自分の都合のいいところだけつまみ食いして書いたこの本と、記者が長期にわたって取材し一九五〇年に出版された沖縄タイムスの『鉄の暴風』とどちらが真実なのか。ことをはっきりさせるべきだ」と要望した。
 この後、石原昌家さん(沖縄国際大教授)が「軍民一体を意味する住民の集団自決」と題する講演をした。石原さんは、「沖縄戦における住民の集団自決という用語に内在している問題の核心は、日本政府・皇軍(旧日本軍)の戦争責任が免責されるという点にある。集団自決という『援護法』の用語は、沖縄戦が『靖国思想』に立脚した『軍民一体の戦闘』だったという認識に立つものだ。『援護法』適用のための用語である集団自決と『強制集団死』(軍事的他殺)を明確に区別しないと、沖縄戦における住民被害の本質を見誤る」と述べ。以下のように語った。

「集団自決」表現
のあいまいさ

 一九五三年、米国の統治下にあった沖縄にも、「援護法」という日本の法律の適用が旧軍人軍属に認められ、さらに一九五八年から「日本で唯一地上戦になった沖縄の特殊事情」という理由で、一般住民にも適用された。ただし一般住民の場合、遺族の申請による「申立書」と現認証明書が必要であった。いかに日本軍に積極的戦闘協力をしたかが、「援護法」適格者として認定される分岐点になった。
 このようにして一九五八年以降の沖縄全域で、日本政府とその事務を代行する琉球政府援護課の行政主導によって、住民の「沖縄戦争体験記述」が推進されていった。申請しても、「消極的協力」などを理由に不適用になった事例も多い。一九八一年以降は、「援護法」の適用を六歳未満の戦没者にも拡大した。「避難壕から追い出」された場合でも、日本軍の作戦・戦闘に協力して「壕を提供」したと書き換えが行われてきた。
 沖縄戦当時、住民の一大避難所と化していた首里以南の南部一帯に、日本軍が撤退し持久戦をとったので、軍民混在地域になり、「避難壕からの追い出し」は日常的に行われていた。壕から追い出され、砲弾にたおれて死んだものは、準軍属扱いにされ、靖国神社に合祀された。「援護法」適用を受けるための「沖縄戦体験記述」は、沖縄戦の真実を歪曲して「靖国思想」に適したものに仕立てあげられなければならなかった。親子友人知人同士の殺し合いである住民の「集団自決」は、積極的戦闘協力のために「殉国死」と位置づけられた。公的機関に提出された「沖縄戦争体験記述」は一般には読むことができない。援護業務が開始された一九五三年以降、沖縄の戦争遺族の靖国参拝が認められた。
 一九六九年、「沖縄県史」第九巻に住民の沖縄体験記録を収録するため、聞き取り調査が開始された。この課程で、「崇高なる犠牲的精神」による住民の「集団自決」は、日本軍の作戦のために指導・強制・誘導・説得・命令などによる住民同士の殺し合いによる死であることが理解されていった。しかしこの段階では、「援護法」用語の「集団自決」という表現の意味は十分理解されていず、曖昧に使用されていた。「集団自決」という言葉を最初に使用したのは一九五〇年発行の「鉄の暴風」(沖縄タイムス取材班)だが、そのことを著者の一人は悔やんでいる。

「沖縄戦体験記
録」の二重構造

 「沖縄県史」第九巻の作成に携わった石原さんたちは、この用語をそのまま踏襲してしまい、誤りに気づいたのは第三次家永教科書裁判だったという。家永さんは一九八三年改訂検定のとき「日本軍のために殺された人も少なくなかった」という「住民虐殺」の記述を脚注に付け加えた。旧文部省は集団自決を書き加えるよう修正意見をつけた。これが第三次家永教科書裁判が提起された発端である。集団自決は「日本軍のために殺された」ことを意味せず、「自ら命を絶った」ことを意味する。
 日本軍は、沖縄県民を信用しておらず、軍事的思想に乏しい住民たちだと考えていた。一九四四年十一月に「軍官民共生共死の一体化」の県民指導方針はこのような背景で出される。このような前門のトラ(「鬼畜米英」)と後門のオオカミ(絶対に投降を許さない日本軍)の間の絶体絶命状況の中で、集団死事件は発生したのである。
 国は、「援護法」申請で提出された申立書が一級資料であり、「沖縄県史」は一級資料の内容を書き換えたものである、との立場をとっている。石原さんは、これを「沖縄戦体験記録の二重構造」と呼んでいる。まさにこの点が、いま大江・岩波沖縄戦裁判の争点になっているのである。最近の沖縄の動向として、沖縄県平和祈念資料館運営協議会に一委員が、二〇〇五年夏頃からの本土における歴史修正主義の動きに合わせて、「強制集団死」とあらためたものをもう一度「集団自決」に戻すよう精力的な投稿活動を続けているという。石原さんは、「第三の資料館展示改ざん事件 」の始まる可能性があるとのべ、「小泉首相靖国参拝違憲訴訟」の意義はますます高くなっていると述べた。 (T・T)


「九条の会」が初の全国交流集会
結成から二年--大きく発展する草の根の活動


九百の会から
千五百五十人

 六月十日、東京の日本青年館大ホールで「九条の会」は、初の全国交流集会を行った。「九条の会」発足からこの日でちょうど二年、すでに各地域、職場、分野別に作られた「九条の会」は五千百七十四にもなっている。この日の交流集会には北海道から沖縄まで九百にのぼる会から千五百五十人が参加し、ホールは満席となった。
 午前十一時からの全体集会では、呼びかけ人から三木睦子さん、鶴見俊輔さん、澤地久枝さん、加藤周一さん、小田実さん、大江健三郎さんの六人が発言した。九十歳になる三木さんは「年寄りは若い人たちに戦争の苦しみを味あわせてはならない。楽しく暮らせる世界のを作ろう」と訴えた。鶴見さんは「『戦争は文明の母』という標語がかつて唱えられたが、戦争を生み出す文明を問題にする必要がある」と語りかけた。
 澤地さんは、市民の力を結び合う中から新しい曙を見いだそうと述べ、あわせて戦争と改憲に棹さす報道を担当する人びとの責任を問いただした。加藤さんは「九条を変えたい」という国会多数派の意見とそれにあらがう国民の意見の乖離が進行しているが、この間、憲法九条を守ろうとする国民の声は上昇局面にあり、「この上り坂を上りきろう」と述べた。小田さんは「現実主義」に見せかけた改憲の条件つき支持論を批判し、「最も理想主義的なものこそが最も現実主義的なのだ」と強調した。大江さんは、憲法と教育基本法に表現されているものは戦争の否定と平和に向けた再出発の宣言だと述べ、教育基本法改悪案の中で「教育の力」という言葉が消されてしまったことに異議を唱えた。

生き生きとした
地域活動の報告

 各地・各界からの発言では、新潟・九条を守る阿賀野の会の川上寿造さん、千葉・小金沢憲法9条の会の西宮香代子さん、沖縄・大学人九条の会の高良鉄美さん、大阪・府立夕陽丘高校九条の会の長尾ゆりさん、神奈川・横須賀市民9条の会の岸牧子さんの5人が発言した。この中で九条を守る阿賀野の会の川上さんは、合併して阿賀野市ができる以前の旧町村の町村長や教育長などの役職者のほとんどが会の呼びかけ人となり、「水を得た魚」のように活動していることを報告して注目された。ちなみに川上さんも元教育長。
 午後からは十一の分散会に分かれて午後四時半まで熱心な報告が行われた。「九条の会」としての初の全国交流会は盛況だった。各地で活動スタイルや構成に多様性があるが、この多様性を生かした交流と広がりの必要性が実感される報告だった。今後は、@「九条の会アピールに賛同する過半数の国民世論の結集」A「大小無数の学習会を開催して憲法九条の意義を一人一人がつかみとっていくこと」B「ポスター、署名、意見広告、メールなどを通じて会の活動を拡大していくこと」C「相互の活動の共有、ネットワーク化を強化し、来年2回目の全国交流集会を準備すること」などが確認された。  (K)


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