もどる

狭山事件第3次再審闘争開始               かけはし2006.6.5号

石川さんは無実だ! 再審実現を

世論の力で裁判所の扉をこじあけ無念をはらそう

第二次再審請求
棄却の不当性

 昨年三月十六日、最高裁は石川一雄さんの無実を実現するための第二次再審請求を突然棄却する暴挙を行った。十九年間にわたる第二次再審で、弁護団は万年筆、脅迫状の筆跡など数々の新証拠を提出し、事実審理を求めた。しかし、裁判所は一回の事実調べも行わなかった。さらに、東京高検は二〜三メートルにもなる証拠を開示することもしなかった。
 こうした不当な再審請求棄却という決定に対して、石川さんと弁護団は一年をかけて、第三次再審に向けた闘いを準備してきた。五月二十三日、東京高裁に対して、石川さんと弁護団は再審請求を行った。石川さんは依然として「無期懲役・仮釈放」の身に置かれている。石川さんの無実を絶対に勝ちとろうと全国から部落解放同盟、解放共闘、労組、市民などの仲間が日比谷野音を埋めつくした。

ぜひ一度は現地
調査してほしい

 五月二十三日、日比谷野外音楽堂で「狭山事件の再審を求める市民集会―第3次再審請求へ〜43年目の決意」が狭山事件の再審を求める市民集会実行委の主催で開催された。
 ソプラノ歌手の渡辺千賀子さんが「人権・差別のない社会、平和」のメッセージを歌にのせて伝える前段コンサートを行った。本集会で石坂啓さん(漫画家)が「国家権力をメチャクチャに使われたらたまらない」と小泉政権の戦争に向かう政策を批判し、「市民の側が希望をもって運動を進めよう」と開会のあいさつをした。組坂繁之さん(部落解放同盟中央本部委員長)が「本日、第三次再審請求を行う。短ければ三年、長くとも五年後には結果が出るだろう。再審無罪を勝ちとるために全力をつくす」と主催者あいさつをした。
 民主党、社民党の連帯のあいさつの後、石川一雄さんが「四十三年目の今日、不当逮捕され、取り調べられていたことを思い出すと本当に無念に思う。自白がいかに偽造されたものか、一度現地調査に来れば分かることだ。裁判所にはぜひ現地調査をやってほしい。有罪を下し、再審を認めない司法の府に対して怒りをもって断固糾弾する。第三次再審請求は何としても最後にしたい。私は一生懸命闘っていく」と四十三年目の決意を行った。連れ合いの早智子さんは「第二次再審運動は十九年もかかり、棄却はされたが運動の裾野は広がっている。裁判所を逃さない包囲網が出来ている。私は決してあきらめない。裁判所を必ず動かせる」と訴えた。
 中山武敏さん(狭山弁護団主任弁護人)と中北龍太郎さん(狭山弁護団事務局長)が弁護団を十二人増やし総勢二十三人の体制を組んだこと、筆跡、筆記能力が違う、筆記用具、警察が二度の捜索で鴨居の万年筆を見落すはずがないと指摘する新証拠などを提出することなど、第三次再審請求の中味の報告を行った。

えん罪被害者が
石川さんを激励

 次に、死刑囚として、初めて再審が認められ、無罪を勝ちとった免田栄さん、甲山事件で無罪を勝ちとった山田悦子さんが激励の連帯アピールを行った。
 免田さんは「私は再審三回目の熊本地裁で再審決定がなされたにもかかわらず、検察は証拠を隠し証人を偽造して、再審決定を取り消させる司法犯罪ともいうべきことを行い、裁判もそれを認めた。拷問によるデッチあげの自白調書を突き崩すためにあらゆる努力をした。最後には日弁連の支援があり、第六次で再審無罪を勝ちとった。実に逮捕から三十四年目だった。しかし、再審で無罪になっても、一審の判決は消えない。だから、私は今でも死刑囚であり、身元は拘置所にある。『日本は個人の人権が認められず、冤罪事件が後をたたない、ヨーロッパに比べて五百年遅れている。冤罪事件がなくなるように闘ってほしい』と、ヨーロッパの人権活動家に言われた。私は八十歳を迎えるが、差別のない社会、個人の権利が育つ社会を築いていくために努力する。石川さんの無罪を勝ちとろう」と語った。
 山田さんは「一九七四年に甲山事件が起き、私が犯人にデッチあげられた。一九九九年にようやく無罪が確定した。司法の反動化が進み、裁判員制度が導入され、市民が裁く側に関与させられるようになった。再審制度は新証拠を提出しなければならないことになっている。犯人でもない人がどうして証拠を提出できるだろうか、やっていない人に証拠はない。『法の精神』は無辜(むこ)の者を裁いてはならないと命じている。この考えを裁判官だけでなく一般市民もきちんと学び、裁判所を包囲して、裁判所を動かしていかなければならない」と静かに、しかし力強く訴えた。冤罪被害者である二人の発言は深く参加者の胸を打ち、石川さんへのなによりもの励ましであった。

努力すれば道
はひらかれる

 次に、庭山英雄さん(狭山事件の再審を求める市民の会代表)は「最近、名張毒ぶどう事件、茨城の府川事件の再審決定があった。努力すれば道は開かれる。狭山再審でもがんばっていこう」と訴えた。江森陽弘さん(ジャーナリスト)、インドのダリット解放運動を闘うエリー・キャロリンさん(ダリット・ピープル・フロント代表、弁護士)、「狭山事件を考える新潟地区住民の会」、部落解放大阪青年共闘議長、「同和問題」に取り組む宗教教団連帯会議がそれぞれ報告を行った。
 最後に鎌田慧さん(狭山事件の再審を求める市民の会事務局長・ルポライター)が「四十三年たっても運動は衰えておらず、新しい運動が始まっている。二次再審の署名は七十五万筆だったが、これから百万人署名運動を始める。一人ひとりが何をするかであり、それが運動になる。勝利はもう少しです。がんばろう」と訴えた。集会後、都心を「石川さんは無実だ。再審に勝利しよう」と訴えデモ行進をした。
 部落差別にもとづく権力犯罪である狭山事件に、今後こそ勝利しよう。 (M)


前田哲男さんが講演
米軍再編と日米軍事一体化のいまを問う

 【大阪】五月十七日、アピオおおさかで、学習・講演会が「しないさせない戦争協力関西ネットワーク」と「沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会」の共催によって開かれ、百五十人が参加した。
 はじめに服部良一さん(基地撤去をめざす関西連絡会)が「政府と名護市長が辺野古崎の沿岸案に二本滑走路で合意し、沖縄県知事が政府案を基本に検討することで合意したが、沖縄では不満が高まっている。朝日新聞の調査によれば、県民の六〇%は反対、負担軽減にはならないと思っている人が六六%に及んでいる。三兆円もの巨額の金を沖縄の負担軽減のために支出するのだという政府の言い方には我慢がならない」と沖縄の世論を紹介した。
 続いて、安保ウオッチャー・自衛隊ウオッチャーとしてすべての米軍基地に足を運んできた前田哲男さん(軍事ジャーナリスト・沖縄大学客員教授)が講演した(別掲)。
 質疑応答の後、大川さん(沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会 )が五月の沖縄の平和大行進と県民大会の報告をした。崔さん(韓統連大阪府本部)は民団と朝鮮総連の和解を歓迎する発言をし、さらに米軍基地拡張に対する反対運動が続いている韓国平澤で五月四、五日一万五千人の軍・警察を投入して用地の第四次強制代執行が行われ、四百二十四人の逮捕者、百十人の負傷者が出たこと、これを糾弾する汎国民大会では軍事政権に対する光州民衆抗争二十六周年の今年、光州精神を継承して闘うとの決議があげられたことを報告した。
 まとめをした中北龍太郎さん(しないさせない戦争協力関西ネットワーク共同代表)は、「ネットワークは周辺事態法の時に出発している、九条はまだ虐殺されてはいない、現地の闘いと結び怒りを力に変え、教育基本法改悪・共謀罪・国民投票法案の悪法三法を廃案にしよう」と訴えた。(T・T)


前田哲男さんの講演から
日米一体化ではなく自衛隊は「米軍の一部」に


 歴史的に見て、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争など大きな戦争が終わると必ず米軍は再編されてきた。冷戦終結後もそうだ。在独米軍・在韓米軍は大幅に縮小され、フィリピンの米軍基地は撤去された。日本だけが逆行しており、負担増まで約束した。
 「昨年十月の日米安保協議委員会の中間報告は全体計画で、今年五月の最終報告はロードマップ(実施計画)であり、両者は一体だ。昨年十月二十七日から二十九日までの三日間を『九条虐殺』の三日間だ。十月二十七日には原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀配備の通告で、非核三原則・原子力基本法・事前協議制度が無視された。二十八日には自民党新憲法草案の発表で、海外派兵国家・集団的自衛権容認が明らかにされた。二十九日は中間報告合意で、自衛隊と米軍の作戦機能の合体、基地の全土化が打ち出された。日米安保協議では、日本の外務省と防衛庁のどちらが主導権をとったのか。それは防衛庁だ。
 在日米軍再編は日米一体化ではなく、自衛隊の「米軍の一部化」だ。それが米軍の司令下で動くことは明らかだ。海上自衛隊は米空母戦闘群の「周辺機器」だ。
 これほど多くの重要なことが、これほど短い期間に、これほど少ない説明で決められていく、しかもそのことが国会では問題にされないのはきわめて珍しいことだ。しかしこれらのことを厳しく見ている世論に可能性がある。(発言要旨、文責編集部)



コラム

マンション建設反対運動勃発!


 マンションの漏水騒動が収まったと思ったら、今度は隣地に分譲マンション建設計画が持ち上がった。ポスティングされていた、事業主による説明文によれば、七月中旬に着工、翌〇七年十二月完成予定。それに先立ち住民説明会を開催するという。事業主体は複数からなり、いずれも初めて目にする社名。住所は東京都千代田区内と新宿区内の町名が、それぞれ記載されていた。
 以前から隣地を舞台としたマンション建設の噂や予兆はあった。管理組合の理事会でも、今までいくつかの業者が、隣地を物色して建設計画を立てたが、いずれも近隣住民とのトラブルを予見して撤退したことや、隣地で測量が行われていたこと、そして、境界確認のために当マンション敷地内へ立ち入りのお願いがあったことなどが報告されていた。しかし、そのとき理事会の誰もが、私たちの日常生活に大きな影響を与える計画が、地下で進行していることなどつゆ知らず、その報告を人ごとのように聞いていたから始末が悪い。もろ不意打ちをくらったとはこのことである。
 隣地は、一八八五(明治十八)年創業の蔵元。わが家の三階のベランダからは、茶色い大きな瓦屋根が望まれ、木々に囲まれた大谷石造りの土蔵が、四季折々風情ある佇まいを見せてくれた。酒としても、なかなかな旨さで、全国新酒鑑評会で何回も金賞を取るほどの蔵元であった。後継者が見つからないことから廃業を決めたと地元新聞は伝えているが、経営的にも厳しかったのに違いない。
 住民説明会の場で、思いもよらぬ建設計画の全容が初めて明かされたから、さあ大変。嫌味の一つでも言ってやろうと、半分軽い気持ちで出掛けた理事長も開いた口がふさがらなかったという。その計画は、十五階建て、百四十戸からなる大規模なもの。ちなみに当マンションは、十一階建て、東向き八十戸である。そのまま計画通りに完成すれば、ほぼ一日中陽が当たらなくなることは明らかだった。また、配布された平面図からベランダから隣のマンション通路まで、短いところでわずか一メートルしかないことが判明。つまり、隣の通路からどの家のリビングも、寝室も丸見えになることが分かったのだ。こんなマンションは、この周辺で例を見ない。加えて、「計画の変更はできるのか」という質問に対し、相手は「できません」の一言。また、「すべての質問に文書で回答せよ」という要望に対しても、まったく誠意のない白紙同然の回答書が、数週間も経って返ってきただけだった。
 市会議員を介して相談に行った市建築指導課も、「商業地域なので日照権は当てはまらない」「市の条例と照らし合わせて見ても建設は適法である」との認識。まったく市民の生活権を軽視した、開発容認の態度だったという。市民が甘く見られたとはこのことだ。
 ここからが管理組合の本領発揮である。「隣地マンション建設絶対反対」を旗印に、すぐさま三六判の立て看二枚を正面玄関エントランスに設置。屋上から垂れ幕を垂らす準備も開始した。女性たちは座り込みも辞さないという。さらには、民事訴訟も視野に入れ、徹底して闘うことを確認した。六月の総会では、「隣地マンション建設に反対する件」、特別決議が提案される。
 これも昔取った杵柄か。運動論は変わらない。(雨)


もどる

Back