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 上洞高イ・ヨンソク教師の心境告白           かけはし2006.8.28号

国旗敬礼拒否に対する懲戒は思想と良心に対する検閲

 
 「ハンギョレ21」第623号(06年8月22日付)によれば、京畿道教育庁は国旗敬礼拒否および偏向的教育を理由として富川・上洞高イ・ヨンソク教師に対して、解職に次ぐ重懲戒である停職3カ月の処分を行った。イ教師は8月7日以降、道教育庁前で連日抗議行動を展開しており、平和人権連帯など39の社会・市民団体が結集している人権団体連席会議も今回の懲戒が思想と良心に対する検閲だと判断し、法的・社会的対応を行う方針だ。以下は重懲戒処分を前にしたイ教師が「ハンギョレ21」に寄せた手記だ。(「かけはし」編集部)

暴力を振りかざす教師

 朝だ。校門指導をしなければならないので急がなければならない。7時に学校に到着した。今日の授業資料が入っているカバンを机に放り出して校門に出て行く。私は学生生活指導の担任教師だ。私の手にはこれまで私によって使いこなされた堅い棍棒が握られている。校門から校舎に至る進入路のどまん中に陣取った。ちゃんと見張らなければならない。登校する子どもらの頭髪の具合い、制服の状態、運動靴の種類、左胸に付けなければならない名札、男子学生のネクタイや女子学生のリボン着用の有無など、これらすべてを一瞬にして判断し、通過する子どもら個々人を確認しなければならないからだ。登校する子どもらが左側に一列に並んで入って来る。「お前、頭髪!」「お前、運動靴!」「お前、おい! お前だ! なぜ聞こえない振りをして行くのか? あ〜ん?」。注意を受けた子どもらは進入路の右側に手をあげて並ばせる。

最も嫌いな人間にそっくり

 朝7時50分。登校時間は終わった。これからは遅刻生だ。遅刻生らは進入路の右側に一列に「伏せ」をさせる。「人文系の高校生が、何のざまか?」「お前は、またも遅刻か?」。遅刻生らは尻をぶたれる。折れたりしないようにちゃんと準備していた棍棒で、初犯と再犯とを選り分けながら叩く。いかんともしがたい。これは罰なのだから。遅刻をしたのだから気合いを入れるのも当然ではないか。こうしてでも子どもらを矯正するのは、結局は子どもらのためなのだ。子どもらはまだ成人ではないのだから殴ってでも教えなければならない。これは教師の役割であり、義務だ。
 朝9時。グランドで朝会が始まる。国旗に対して敬礼! 後ろの方でおしゃべりをしている子どもらが見える。子どもらの間をかいくぐって行き、向こうずねを殴り蹴とばす。「今、国旗に敬礼をしているのが分からんのか?」。校長先生の訓話の最中だ。子どもらの列が乱れ、そちこちで雑談だ。子どもの列の間を駆け回って、すねを蹴り、後頭部を叩き、あらん限りを尽くして「秩序」を保つ。授業が始まった。「班長、始めよう」。「気を付け! 先生に敬礼!」……。
 教師1年目のときの私の様子だ。おかげで私は1年間ずうーっと1校時の授業開始前にカップラーメンで朝食を済ますほかはなかった。
 軍隊にいたときとほとんど同じだった。軍紀を正すために、部隊が円滑に動けるようにするために、上命下服をハッキリとするために……それとほとんど同じだった。そういうとき軍隊で私は人間ではなく獣だと感じた。人間としての尊重ではなく、ただただ階級によって、命令と服従だけが存在するそこで、人間が人間に加える暴力を見て憤りつつ歯を食いしばるしかなかった。私は決してそのようにはしないだろう……。
 だが私にとってその暴力は、すでに内面化していた。当然にも、あるいは仕方のないことだと自らに言い聞かせながら、子どもらに全く同様の暴力を行使していた。教師となってから1年間を送るとともに、私が最も嫌がっている人間の姿に私がそっくりだということを感じ始めた。それにもかかわらず、わが手から棍棒を手放したのは、それからさらに1年後、かなりの時間がさらに経過した後だった。棍棒を手放した後に何をどうしたらいいのか、まだ分からなかったからだ。ただ「自分」が「不安」だったからだ。
 棍棒を手放したということは、時間がたてばたつほど私にとってそれはただひとつのことだけを意味するものではなかった。棍棒を下げていない手や口、そして心の中から無意識に出てくる、また別の形の暴力が、わが目に見え始まった。何の準備もできていない、この私に、だ。

「やらないこと」から出発

 女子学生らに女らしさを、男子学生に男らしさを語るあり方によって男女の性的役割を固定させることにより、性的差別を当然のように考える姿が見え始まった。
 多くの先生たちや子どもたちがいる教務室で、叱られている子どもの自尊心が崩れている姿が見え始まった。間違いをしでかして教務室に呼び出され、教師の前で膝を突いて話を聞いている子どもの羞恥心が見え始まった。傷ついている子どもに、ウソをつくなと繰り返される様子からは信頼がついえ去っている姿が見え始まった。
 全く同じ髪型や服装からは個人が存在しない全体主義の姿が見え始まった。「校長先生に対して敬礼!」と力強く語るマイクの音からは軍隊式の服従の文化が位置づいている学校の姿が見え始まった。自分たちが作っているわけでもない頭髪規定によって髪が切られる子どもらの人権が崩れ去る姿が見え始まった。国旗に対する敬礼、という号令にみんなが国旗だけを見つめる様子からは無条件に忠誠を要求する国家主義が見え始まった。そのように私の目には見え始まった。
 けれどもそのような暴力は学校だけの問題ではない。なぜならば今日の学校は「この社会」を「そのままに」教える所だからだ。持てる者、男性、成人、異性愛者、非障がい者中心の画一化された価値観や、それが反映された制度が「常識であり正常」だと語る、単に差異にすぎないものを差別するこの社会を、そのままに教えている。
 疎外された弱者(持たざる者、女性、青少年、性的少数者、障がい者)の権利は社会全体のために犠牲となりかねない、全体のために個人の犠牲が「美徳」であり「優先する」と語るこの社会を、そのままに教えている。だから口では多様性を語るものの、事実は「画一化された常識」が教室を支配しているのだ。棍棒をかざしていないだけであり、画一化された常識の暴力がこの社会で日常的に行われているのだ。
 知らぬが仏、とか。おそらくは目に見えなかったならば「私が何をすべきか」について悩みはしなかっただろう。学校長のひとことがすべてのことを決定する学校の構造の中で一介の教師に何ができるというのか? 夜間の自律学習時間に何人の学生が残ったのかが教師の学生指導能力として理解される入試地獄の学校の現実にあって、一介の教師が何をできると言うのか? 子どもらにとって人権は高嶺の花となってしまった学校の没人権的文化の中で、一介の教師に何ができるというのか? 自らに対する挫折と無気力感だけの恥ずかしい日々の連続だった。

画一化された常識を拒否する

 今、私がしたいことは、私が「そうしないこと」から出発し、実践することだ。私は何をもって子どもたちと共に歩むことができるのか? 学校は単純に知識を注入する所ではないと考える。そのために私は生きることにおいて子どもらと共に歩むべきだと信じる。
 私の生き方において差違を差別せず、私の生き方が画一的常識ではなく多様性そのものであることを認め、私の言葉や行動が、いかなる対象についても暴力的でないようにするということから始めるということだ。
 したがって私は、ただひとつのことだけ、ただひとつの価値観だけを強要するすべての傾向性に反対する。その傾向性は「全体主義」へと帰結するだろう。全体主義は結局、すべてにおいて個人の生き方を否定する抑圧と暴力とをもって迫り来るだろう。その傾向性は「人間」を尊重しないからだ。さらに私は画一化された文化や規範に反対する。それは人間としての個人や存在の多様性を抹殺するからだ。学校長の指示によって一方的に決定される学校の構造に反対する。それは一方的な服従だけを通じてこの社会をそのままに再生産するからだ。そして私は国旗に対する敬礼(および誓いの言葉)を行わない。それは、さして難しくもない仕草と、わずか何行にもならない短い文章が、無条件的忠誠を強要するだけだからだ。
 異なるということは「間違った」ことではない。異なっているという理由ひとつをもって人間が人間に暴力を振るうことのできる権利や正当性は、いったいだれから付与されたものなのか? 今日のこの画一化された社会にあって私が「人間」として尊重されるために、私はわが人生においていかにささやかなものであろうとも「画一化された常識」を拒否したいと思う。
 国旗への敬礼(および誓い)をしないことなどの理由によって一部の学父母(父兄)たちは私に対して京畿道教育庁に請願を受理させ、「学校を愛する学父母の会」は私を教壇から永久追放することを京畿道教育庁に要求している。「朝鮮日報」は私を「偏向した価値観教育」の問題教師だと烙印づけた。こうして私は京畿道教育庁から重懲戒の議決予定を通告された。「画一化された常識」の壁が今なお余りにも高いということに、心は憂鬱だ。今後どうなるかは分からないが、今日の状況は私自身に対するテストの場であり、また試練の場であるようだ。はたして私は何をなしうるのか?(「ハンギョレ21」第622号、06年8月15日付、イ・ヨンソク/富川・上洞高教師)

「いっそ憲法を懲戒せよ」
イ教師事件は守旧勢力の「全教組つぶし」と連結


 イ・ソンヨク教師の懲戒委員会が開かれた8月4日午後、水原はセ氏35度まで上がった。京畿道教育庁前では40人余りの同僚教師や市民社会団体のメンバーらが、カンカン照りの中で長時間の集会を行った。イ教師は悩んだ末に懲戒委への出席を決心した。彼は「懲戒委に出席して懲戒の不当性を明らかにしていく」と語り、支援の人々を後にして建て物に入っていった。懲戒委は午後2時に始まった。
 国旗敬礼をせず、「偏向教育」を行ったとの理由で懲戒委に回されるにまで至ったイ・ヨンソク教師事件は、大まかにふたつに要約できる。第1は守旧保守勢力の一連の「全教組つぶし」の中で突出した事件だという点だ。京畿道教育庁の「奨学指導」によって解決されていた事件が「朝鮮日報」に大書特筆されて社会問題となり、あげくのはてに「学校を愛する会」など保守団体が介入し始めた点が、これを示している。「朝鮮日報」など守旧保守諸勢力は全教組釜山支部の統一教材事件などとともに、イ教師をねらい撃ちして思想攻勢に「オールイン」している。
 けれどもイ教師事件は根本的に思想と良心の自由に関する問題だ。われわれは国旗敬礼をしない個人に、はたして不利益を与えることができるのか、という論争的障壁にぶち当たらざるをえない。
 京畿道教育庁は、イ教師の行為は公務員の品位維持と誠実の義務に違反したと主張する。だが平和人権連帯など39団体が集まった人権団体連席会議は8月3日に声明を出し、京畿道教育庁の懲戒の試図を「わが社会の思想と良心の自由を検閲し、教師が所信をもって学生らを教えることのできる権利をはく奪する危険な行動」だと批判した。
 懲戒委は5時ごろ終わった。温度は2度しか下がらなかった。イ教師は「価値観に関する問題は懲戒の対象ではないと考え、事実関係についてのみ答弁をした」「このために懲戒しようとするのであれば、いっそのこと(良心の自由を明記している)憲法を懲戒せよ」と語った。京畿道教育庁は最終的懲戒のレベルを決定してイ教師に通告する予定だ。(「ハンギョレ21」第622号、06年8月15日付、水原=ナム・ジョンヨン記者)



朝鮮半島情勢の行方を読む
朝鮮半島日誌
2006年7月30日〜8月5日

豪雨は現地では「水の爆弾」と呼ばれる

7月30日 b「人民たちは今、暴雨の被害復旧に動員されている。復旧には一定の期間が必要で、公演が困難になった」(北朝鮮が今月からピョンヤンで予定していた大規模マスゲーム「アリラン祭」公演中止を韓国に通知)。b北朝鮮で今年から公務員能力評価制度が導入され原則3年ごとに筆記と口述試験を実施し@政策と法規についての理解A専門知識の有無B道徳的品性――などを評価へ(韓国メディアが伝える)。
7月31日 b今年上半期の韓国と北朝鮮の南北貿易額は、5億5千八百万ドルとなり前年同期比22・8%増加。鉱物資源や水産物などの一般貿易に加えて委託加工が増加(韓国貿易協会が明らかに)。b韓国北東部・江原道の軍事境界線付近の北朝鮮軍前方監視所から銃撃(2発)があり、韓国軍側も応戦(6発)したと翌日に韓国軍参謀本部が発表。
8月1日 b7月の豪雨により、北朝鮮では1万人が死亡・行方不明になり130万人〜150万人が被災したとみられ、北朝鮮当局が住民の動揺を懸念して被害実態を一般に伝えておらず被害が拡大する可能性がある(北朝鮮で人道支援をする韓国の非政府組織「グッドフレンズ」がニュースレターで伝える)。b中国人民解放軍瀋陽軍区砲兵団が7月25日に中朝国境の長白山(朝鮮名・白頭山)で、ミサイル23発を発射するなどの軍事演習を実施したと中国紙・解放軍報が伝える。
8月2日 b北朝鮮政府が「食糧問題は自力で解決できる」として、世界食糧計画の7月豪雨被害に対する人道支援提案を拒否したとピョンヤン発タス通信が伝える。
8月4日 b「今まで中国は、北朝鮮の体制維持のために支援を惜しまなかったが最近、北朝鮮政策の再検討の必要性を深刻に議論している」「中朝国境の警備を強化し、万が一の事態に備えている」(中国共産党幹部の話として韓国の「ハンギョレ」新聞が伝える)。
8月5日 b「北朝鮮の水害被災地域では下水道施設が不十分で、小量の雨でも3日間降り続けばすぐに洪水になる。豪雨は現地では『水の爆弾』と呼ばれ、いったん洪水になると交通網が断絶され食糧供給がストップする。最大の問題は適切な復旧手段が見つからないこと。重機などはなく人手に頼っており、作業は非常に遅い。伝染病が蔓延するおそれもある」(被災現地を訪れた中国政府関係者の話としてメディアが伝える)。


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