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                          かけはし2002.6.24号より

中国の資本主義復活は完成した

劉宇凡


 弱肉強食の資本主義のグローバリゼーションの展開にとって、中国経済はきわめて重大な位置を占めている。本紙ではこれまで、世界社会主義革命運動の再生を闘いとるために、中国社会の基本的性格をどのようにとらえ、どのような闘いの任務を設定すべきなのかという問題について、何回か討論のための問題提起を掲載してきた。以下は香港の革命的マルクス主義誌「先駆」02年春季号の劉宇凡同志による論考である。



 今日の中国は、すでにいかなる意味においても「社会主義国家」あるいは「ポスト資本主義国家」とはいえない。逆に、資本主義はすでに全面的に復活している。復活の徹底した完成は二つの段階に分けることができるだろう。まずは国家政権の性質の変化、そしてそれに続く社会経済的性質の変化である。
 一九八八年、中国共産党は憲法を改定して、正式に私営企業の地位を承認し、土地の商品化を許可した。この憲法改定は、中国の政権が官僚的に歪曲された労働者国家から資産家階級の国家に変質したことを示すものである。なぜならそれは資産階級が中国の大地で復活し無制限に発展することを正式に認めたからである。
 もとより、一九八八年以前において、中国は社会主義であるとは言えず、また労働者階級が主人公の国家であるともいえなかった。逆に直接的な政治的意味において、それは官僚グループの支配する国家であった。しかし「労働者が主人公」などがデタラメであったにもかかわらず、中国共産党の階級政策は比較的労働者階級の側に立ったものであったことは事実である。労働者と農民はいかなる政治的権利もなかった。しかし資産階級はどうか。それはそもそも存在すら認められていなかった。逆に労働者は、少なくとも名義上は「指導的階級」と敬われ、官僚支配が「依拠」する対象であった。
 しかしこの官僚グループの「一国社会主義」がますます政治および経済危機に陥り、それが労働者農民との矛盾をますます深め、自らも私有制の復活こそが特権を子孫に残すことができると感じるまでになった。その一方で、彼らが予言してきた資本主義の滅亡が実現しないだけでなく、逆に表面的にはますます発展しているかに見えた。その比較から、中国共産党はますます一国社会主義への確信を失っていき、徐々に資本主義の道を進むことを決心した。
 一九八八年の憲法改定は資本主義の政治的復活の指標である。一歩譲って、一九八八年には中国共産党の変節が完成していないとしても、遅くとも一九八九年六月四日の天安門事件から小平の南巡講和(訳注:一九九二年一月十八日〜二月二十一日の期間に小平が深◎など南方を視察していっそうの開放を呼びかけたもの。後のバブルとインフレを招く)の数年内に、政治的変質は基本的に完成した。
 八九年の民主化運動自体は中国共産党の資本主義復活に自覚的に反対した運動ではなかったが、その規模は巨大であり、特に中国共産党の汚職腐敗に明確に反対したことから、客観的にはやはり中国共産党の資本主義復活路線への一定の挑戦であった。裏を返すと、八九年民主化運動に対する中国共産党の血の弾圧は、それ自体は客観的に見て同様に中国共産党政権の変質を証明するものである。中国共産党はその後の公有資産の私有化をいっそうスムースに進めるために、一切の抗議の声を粉砕しなければならなかった。
 八九年民主化運動の中で、労働者階級が立ち上がって中国共産党の独裁に反対したのは学生に比べて非常に遅かったが、中国共産党に対する潜在的な脅威は学生に比べると極めて大きかった。中国共産党が長期にわたり「依拠」してきたこの階級は、いまでは中国共産党にとってもう依拠できるものではなかった。これがなぜ中国共産党の弾圧が学生よりも労働者に厳しくしたのか(弾圧では、普通の労働者の犠牲が最も多く、裁判の判決も学生に比べて重かった)という理由である。
 中国共産党は一方で労働者を弾圧し、一方で必死に外国資本および民族資本の歓心を買い、九〇年代初めにはさらに内外私営企業への規制緩和を進めた。これは中国共産党政権の性質が、すでに労働者農民への「依拠」から資産階級への「依拠」へと変化したことを十分に説明するものである。そして政権の変質自体は、社会経済体制の性質も遅かれ早かれ完全に変化することを意味していた。
 九〇年代の資本主義への大躍進の結果、国有経済が総工業生産額に占める割合が、一九九〇年の五〇%以上から、一九九九年の三割にまで低下した。同時に内外の私営経済部分が半分あるいはそれ以上に大幅に上昇した(多くの集団所有制企業が実際は個人的企業である)。国有固定投資が全投資に占める割合は、一九九〇年の六六%から一九九九年の五三%に低下し、今日では恐らく五〇%さえも割っている。しかるに内外の個人投資は増加している。
 このような変化は、部分的には中国共産党がすでに実際には多くの中小国有企業を民営化し、他方で内外の個人資本が中国共産党の奨励のもとで大量に発展してきているからである。さらに、圧倒的大多数の生産資材および消費財の価格がすでに市場によって調節されている。国有企業は依然相当の比重を占めているが、それらも私営企業と同じく、その投資、生産はすべて利潤率によって支配されている。これはすでに社会経済体制においても性質の変化、資本主義市場への変化が起こっていることを示している。
 資本主義への大躍進は九〇年代上半期の投資ブームおよび経済過熱を大いに刺激し、九〇年代下半期の生産過剰、デフレおよび投資と消費の地すべりがこれに続いた。これは典型的な資本主義的経済循環である。一九八八年以前の中国では、生産不足の危機はあったが、生産過剰の危機は起こり得なかった。
 外資が続けて大量に流入したことにより、経済はまだマイナス成長には発展していないが、成長の速度は大いに緩やかになり(一九九六年の九%から一九九九年の七%に低下。しかし政府のデータは極めてあてにならない)、しかも生産過剰の危機はなくなっていないばかりでなく、逆に数年前からの五、六割だった主要製品の供給過剰が、最近では七、八割にまで発展している。
 普遍的な生産過剰の直接的原因は、国内の有効需要が不足しているからであり、これ自体は二十年来の市場化改革が生み出した貧富の格差の結果である。中国のジニ係数(訳注:国内の貧富の格差を示す数値。〇から一の間で表され、一が絶対的不平等=一人に富が集中している状態で、〇が絶対的平等=すべての人の経済状態が等しい状況)は、一九七八年の世界最低ランクの一つ(〇・二)から、一九九八年には世界最高レベルの一つ(〇・四六)に発展した。
 労働者農民の実質収入は近年下降しつづけており、多くの消費財を購入できなくなっている。生産過剰と有効需要の不足は、同じコインの裏表に過ぎない。このコインの名前こそが資本主義であり、それを「社会主義」あるいは「非資本主義」と呼ぶことはできない。このような自らが作り出した天地が逆転する社会的後退に直面し、中国共産党は危機を回避するために悔い改めないだけでなく、逆に一九九九年に憲法を改定して、私営経済を国家の「補助」的地位から「重要な構成要素」に高めた。それは資本主義の復活という小切手に裏書を行ったに等しいものである。

 他方、中国はすでに世界市場と強固に融合しており、従属的な資本主義国家になっている。中国は七年連続アメリカに次ぐ世界第二の外資流入国である。中国が外資の受け入れについて東アジア各国と競い合って勝利する確信を持つことができるのは、一つには中国共産党官僚が厚顔無恥にも中国の「比較的優位」な一面、すなわち安い労働力を持ち出すからである。
 労働者自身のいかなる自発的な組織に対しても過酷な弾圧が加えられることから、大陸労働者の賃金はタイ労働者の賃金にも及ばない。なるほど世界中の輸出加工区で働くすべての労働者二七〇〇万人の労働者のうちの六割を中国が占めるはずである。
 中国の外国貿易依存度は三五〜四〇%に達しており、アメリカの倍を上回っている。経済成長の半分は輸出および外国の直接投資に頼っている。過去十年の外資に対する開放の度合は、すでに外資が日々中国市場を占領し、国有企業および集団所有制企業を押しのけるまでなっており、倒産を望まない国有企業は次々に外資と合弁を行っている。
 一九九七年のアジア危機が中国に深刻な影響をもたらさなかった理由は、人民元の資本勘定が自由交換を実施していなかったからである。しかしアジア危機は、外資に対して一層の開放を行う中国共産党の決心を変えることはできず、逆に高級官僚は資本勘定の開放は時間の問題であることを絶えず強調するようになった。
 実際に、現在は資本勘定の規制も緩和し始めている。今年、B株(上海、深セン市場の外国人が投資可能な中国株)市場を中国住民に開放したことから、外資は中国住民の外貨預金から資金調達が可能になった。これは資本勘定における緩和がさらに進んだことを意味するものである。
 過去二十年の外資の形態はすべて直接投資であった。B株市場の開放は、これより外国証券投資の自由が明かに拡大され、さらに重要なことは、これが外資の実力を大いに強化し、外資がさらに中国共産党に資本規制の面で一層の譲歩を迫ることを助けるものになるということである。総じて言えば、今日の中国における外資および外国市場への依存の度合いは、すでに切り離すことができない程にまでなっている。これは世界市場の盛衰が直接中国に影響するということである。
 中国がWTOに加盟することができたという事実自体が、中国の社会経済制度の資本主義的属性を一層証明するものである。なぜならWTOは市場経済を実施している国家のみが加盟することができると規定されているからである。そして実際に、WTOの「中国加盟ワーキンググループ」報告によると、中国側の代表は多くの実例を用いて中国の投資と消費の圧倒的大部分が市場により調節されていることを証明し、それをワーキンググループが受け入れたとしている。さらに、この「報告」および中国のWTO加盟の議定書によると、中国は以下の点について承諾した。
 @各部門の貿易の製品とサービスの価格は市場により決定し、少数の決められた製品およびサービスを除き価格統制は行わず、統制されるものについてもできるだけ緩和するA国有企業および国有投資企業は商業原則にしたがって取引を行い、政府は国有企業の商業決定に影響力を行使することはできないB外資企業は現地企業と同じように輸出入のすべての権利を享受することができる。中国政府は外資企業に貿易調整、外貨調整などの義務を課すことはできないC中国は銀行、保険、会計、法律、通信などの重要部門を全面的に外資に開放する。
 協議が実現したことについて全く疑問の余地はない。そしてそれは中国の有していた計画経済が正式かつ徹底的に破棄され、中国の一部の経済主権を帝国主義がコントロールすることを意味する。
 帝国主義が中国のWTO加盟を許した理由は、中国共産党が原則上において一層の「市場経済化」および外資への開放に同意したことだけにあるのではなく、それ以上に中国共産党がその他の第三世界の国々に比べても一層の譲歩を行ったからである。インドと中国が行ったWTOへの約束を比較すれば、中国が平均関税率、農業、通信、知的諸有権における外資への譲歩は、インドのそれに比べても極めて大きなものが分かる。
 本来、発展途上国はWTOにおいて一〇%の国内農業補助の権利を享受することができる。しかし中国はWTO加盟のためにそれを八・五%に抑えることに意欲を見せたが、中国政府のこの姿勢はすぐにインド政府の不満を引き起こした。インド政府はしばらく後にアメリカの圧力でWTOへの一層の譲歩を行った。
 一九四九年の中華人民共和国の成立は、反帝国主義反資本主義の革命であり、それは第三世界、特にアジア各国の反帝民族独立運動と革命運動を大いに鼓舞した。五十数年後の今日、歴史は壮大な皮肉を語るようになった。中国は外資およびアメリカ帝国主義の歓心を率先して買う大国になり、それゆえに他の発展途上国と底辺への競争を競い合うことになる。この種の悪性スパイラルは互いの摩擦を引き起こすだけでなく、帝国主義に漁夫の利を与えることにもなる。
 中国共産党が一九八九年の危機を乗り切ることができた理由の一つは、八九年民主化運動の先天的な弱点にあり、一つには中国共産党内の党派闘争が公然と分裂するまでに至らず、小平が徹底的に民主化運動を粉砕することを可能にしたからである。その後中国共産党は、大量の外資の受け入れと債務を含む一層大胆な資本主義的措置で経済を救い出した。
 しかし経済成長に伴ったのは、膨大な内外債務、一層の外資および外国市場への依存、そして驚くべき汚職腐敗であった。現在、政府の赤字はすでにGDPの三%を超えており、内外債務は赤字債券の発行という状況にまで至っており、各種データはすでにレッドゾーンに近づきつつあるかそれを越えていることを示している。金融機関の不良債権率は、アジア危機前の一部の東アジア諸国の水準を越えている。外資が継続して大量に流入していることが、一時的にこれらの問題にふたをしている。しかし国内はすでに過剰生産、経済停滞状況下で、債務と不良債権の累積はすでに経済的危機の爆発の火薬を準備している。
 中国共産党は一切の組織的な、または規模の大きな抵抗を弾圧しているが、それは中国共産党が支配的危機を回避することができるということを表すものではない。経済危機の影が終始つきまとうだけでなく、中国共産党内部の堕落が、日々支配的危機の臨界点に近づきつつある。
 資本主義化の結果の一つは、中国共産党の各レベル、各地方の官僚の遠心力がこれまでになく膨張し、必死で民衆から収奪することだけに専念し、それにより民衆の反乱を引き起こすことに躊躇がないだけでなく、他の部門(省庁)や地方の官僚資本との競争においても公然、非公然の闘争に躊躇しない。
 一方ではさまざまな政治、経済、教育、文化、道徳の問題がますます多発し、他方では政府の行政能力が汚職腐敗によって日々機能しなくなり、官僚はデタラメな方法で問題を粉飾し、真に問題を解決しようとしない。近年、各レベルの官僚の心理も重要な変化を見せ始めている。官僚グループの中のますます多くの人間が、中国共産党が最終的に自らの汚職腐敗問題を解決することができるという確信を失っており、ますます多くの人間が止むに止まれぬ民衆の反乱による大混乱を避けがたいと感じている。しかし官僚は、大混乱が身に降りかかった際には自分の逃げ道を準備すればいいと考えているだけで、団結して支配的危機の解決にあたろうとは考えていない。
 中国共産党がWTO加盟を決定したことは中国経済情勢が新たな段階に突入したことを表すものである。なぜならWTO加盟による悪影響のひとつが経済危機および支配的危機の爆発を加速するからである。
 短期間には、中国のWTO加盟は外資の大量の流入に刺激を与え、続けて経済成長を維持するかもしれないだろう。しかし、それを維持できるかどうかは分からず、まして流入する外資すべてが新たな就業機会を作り出すとは限らない。逆に吸収合併を進める外資は(このような状況はますます増えている)、就業機会を減少させている。さらに、中国企業は基本的には西側および日本の多国籍企業と競争することはできず、多くの企業がそれによって倒産するだろう。
 政府系の「チャイナデイリー」は、失業率がWTO加盟後に倍以上になるだろうということを認めた。これは総失業人口が四千万人に増加することを意味する。さらに、これは都市部のみの試算である。農村では、中国のWTO加盟によって失業がさらに一千万増加し、それに従来の二億人の余剰労働力が加わり、農村の失業状況は極めて驚くべきものとなる。失業の悪化は、すでに衰えている国内需要をさらに悪化させ、一層経済発展を制限する。
 それ以外に、中国の銀行の不良債権率はすでに二五%を超過しているが、この数字には近年各地に開業した信託投資公司および各地方政府が香港で設立している企業は含まれていない。後ろの二者の不良債権比率はより高いと考えられる。銀行の不良債権が極めて多額であり、WTO加盟後に外国銀行が直接中国銀行と競争することから、資本の規制がすでに大幅に緩和されている状況では、中国で金融危機が発生する可能性は減少するのではなく増加しているのである。
 政治的には、中国のWTO加盟は中国共産党内の派閥闘争の激化を促した。小平と陳雲(訳注参照)はすでに死去したが、二人がそれぞれ代表していた資本主義化急進派と資本主義化穏健派は消滅せず、新たな代表者、すなわち江沢民と力群の指導の下で存続している。資本家の入党の承認およびWTO加盟において、両派の公然、非公然の闘争は新たな発展段階を迎えている。
 実権派の路線は一貫して大部分の官僚にとって公有資産の私有化を容易にするものであり、それゆえに実際に彼らの支持を受けていた。それに比べ、かつての陳雲あるいは現在の力群が代表する資本主義化穏健派の力量は弱いものであった。しかし、中国のWTO加盟および内外資本への更なる大規模な市場開放、それに伴い必然的に発生する危機の深刻化により、穏健派が再び台頭する可能性が出てきた。
 特に、彼らが民衆の不満を上手に利用することができればなおのことである。実際、彼らはますます自覚的にそう振る舞っている。しかし彼らが実権派に対してどれだけ左翼的な批判を行い、人民に同情するというデタラメを語ったとしても、彼らは結局のところ独裁を放棄せず、根本的に資本主義復活に反対できないことから、人民が支持するに値しない(もちろん戦術上では、実権派に対する彼らの批判を支持することを排除するものではない)。
 中国労働者階級が中国共産党の資本主義復活に反対して立ち上がらなかった、ということではない。しかし労働者階級は中国共産党が指導した社会主義革命の中で一貫して被解放者としての役割を演じたことにより、労働者階級はそれ以降の数十年のあいだに自らの進歩的なカードルを鍛えて、政治的に自立するということができず、最低限の組織的自由さえも中国共産党に奪われたままであった。逆にかれらは自分たちの生産拠点から「国家」にいたるまで、深い依存性と政治的消極性を養ってきた。
 一九八九年に労働者が学生の民主化運動に呼応したということは、労働者階級の中で最もイデオロギー的な部分はすでに自立した思考を開始し、中国共産党による公有資産の私有化を阻止するために立ち上がらなければならないと漠然と感じていたことを説明している。
 しかし、この幼い苗は成長する前に中国共産党に殲滅させられた。この状況のもとではなおさら、小平が九〇年代初めから推進した資本主義への大躍進を阻止する力は労働者にはなかった。そして三千万の国有企業の労働者が次々とレイオフされ、失業させられた。
 しかし九〇年代の最後の数年は、分散した労働者の経済闘争がにわかに増加し始めた。これらの闘争の大部分は倒産しつつある、あるいはすでに倒産、生産停止した、あるいは民営化された国有企業内で行われており、労働者はすでに最も重要な武器、すなわち生産のコントロールを失っていたことから、これらの分散した闘争は、部分的な未払い賃金あるいは年金をかちとることができたが、資本主義復活全体を阻止することはできなかった。
 とはいえ、これらの経済闘争は依然として積極的意義を持っている。すなわち、貧困労働者の境遇を改善し、一部の労働者の闘争への確信を回復させ、進歩的カードルを鍛えた等々である。しかし中国の基本的情勢が変らない状況において、これらの闘争が短期のうちに政治的闘争に直結して高揚するのは容易ではない。
 他方、私有企業の労働者も一千万人増加し、出稼ぎ労働者も同様に多くの経済闘争を行ったが、かれらは都市に定住する権利さえもなく、加えて文化的、イデオロギー的に農村の後進性から逃れ難いことから、国有企業労働者以上に闘争が発展することは容易ではない。総じて、労働運動の新たな興隆は、おそらく中国共産党の支配的危機の爆発による刺激を促進剤としなければならないだろう。その逆ではないだろう。
 労働者階級は資本主義の復活を阻止できなかったが、しかしその一方で、労働者階級も深刻な敗北は喫しておらず、ひいては決定的な闘争はいまだ行われていないのである。それゆえ、経済政治危機の爆発という状況において、労働者階級は依然として政治的に復活する可能性を持っている。
 しかし、今日、労働者階級のイデオロギー的解放(それは政治闘争に発展させるための重要な条件である)を阻害しているものとして、まず中国共産党が社会主義の評判を大いに傷つけたことが上げられるだろう。社会主義の評判の復権の前提は、真の社会主義者自らがまず、中国共産党はすでに徹底して資本主義復活の政党に変節してしまったこと、そして復活はすでに完成したということを認識し、この基礎の上に自らの革命的任務をあらためて設定しなければならないということである。
 中国共産党は現在に至ってもなお資本主義が復活していることを否定し、実施している市場経済は「社会主義市場経済」であると強調している。もしわれわれが資本主義の復活はいまだ完成していないと信ずるのであれば、客観的には中国共産党が継続して羊頭狗肉で人民を麻痺させることに手助けするに等しく、中国共産党の資本主義復活を手助けすることに等しいのである。
 これは社会主義の評判を埋葬する最も効果的な方法である。もし毛沢東時代の強権的独裁が社会主義(それにどのような限定的な形容詞をつけようとも)であり、今日の汚職腐敗、道徳的喪失の江沢民時代もまた社会主義であるならば、社会主義のために血と汗を以って奮闘する価値がどこにあるのだろうか。
 また、国家規定の変質を否定することも中国労働者階級の闘争方向をあいまいにすることに等しい。中国の資本主義復活はまだ完全に終わっていないということは、労働者階級の任務を政治革命に限定することであり、政府システムの改造に限定して資産関係には手を触れず、社会革命を行う必要はないということを意味する。しかるに労働者階級の革命行動がもし資産関係に手をつけないとすれば、すでに社会的資産の大半を占める官僚資本および国内外の私的資本を保護することに同意するに等しい。これは自由派ブルジョアジーの路線であり、労働者階級の社会主義路線ではない。二〇〇一年十一月

訳注 陳雲(1905-1995):上海の植字工出身。上海の英警官隊による発砲によって全国的な反帝国主義運動に発展する契機となった一九二五年の五・三〇運動を指導。三〇年に中央委員候補となり以後党中央で活動。長征期には解放区での経済建設を指導。四九年の新中国成立で副首相に就任し、悪性インフレおよび物資不足を解決して中国経済を立ち直らせる。
 以降、経済政策の第一線で活動。毛沢東の大躍進による失策後の経済調整を進める。文革期は党中央委員以外の指導的職務を解任され冷遇。七八年に党中央副主席、中央政治局常務委員に復活。小平の先富論(豊かになれる地域から豊かになる)を基調とした改革開放路線に対して、鳥篭経済論という、計画経済の中に市場経済を導入した均衡的発展を主張。


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