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3・10韓米FTA阻止汎国民大会             かけはし2007.4.9号

労働者・民衆陣営の総力による「決着闘争」が求められている



弘大地下鉄駅
から街頭行進

 一線の地域警察署では「署長のクビをかけて」上京闘争を阻むための総力戦を展開している、と語った。この日の集会は地方の農民の隊伍が「貸し切りバス」などを利用した集団上京が難しいという条件の中で、労働者、社会運動、学生運動などの隊伍を中心として韓米FTAに、それこそケリをつけようとして企画された闘いだった。
 10日、弘益大駅に集結することにした隊伍は民主労総などの労働団体と社会運動団体の隊伍などであった。地下鉄駅から地上に出ると湿った空気のせいで、雨がまばらに降っている。上京した農民の隊伍が予定時刻よりも遅く到着するとのことから、3時になってやっと弘大入口駅からの街頭行進が始まった。後で分かったことだが、ソウル駅で農民たちは警察の封鎖を突き破って略式集会を行い新村駅に向かったことから、予定時間を超過したのだと言う。
 一方、予定時間を超えて、駅の出入り口周辺は行進参加者たちであふれかえり、三々五々に連れ立っていた参加者たちは肌寒い天気に身を縮め、互いにあいさつなどを交わしながら緊張感をほぐしていた。しばし時が流れ、いつの間にか駅周辺は旗の立ち並ぶ光景と取材準備に余念のない記者たちの姿が自然に一体となった。
 2時55分ごろ、街頭行進責任者の合図とともに隊伍は一斉にどっと街路に跳び出し、東橋洞ロータリー側、新村ロータリー方向の全車線を占拠し、隊伍はあっという間に千人以上に膨れ上がった。集結とともに直ちに行進を開始した隊伍の先頭には「米国には屈辱交渉、国民は徹底した無視、本当に誰のための韓米FTAなのか!」などの内容が書かれたプラカードを掲げ、力強い行進を開始した。行進の開始とともに隊伍の中間、中間で元気よく8拍子のかけ声「ハン(韓)・ミ(米)・FT・A!」などを中心に韓米FTA糾弾のシュプレヒコールを挙げ、8拍子のかけ声に合わせて力強く手拍子をとりながら東橋洞ロータリーを過ぎ新村ロータリーまで20分近く、速歩の行進を貫徹した。
 弘大の行列が新村ロータリーを2〜300メートルほど目前にしていたとき、新村ロータリーでは別の隊伍の旗や行列が結集して街頭占拠をし始めており、大興駅から出発した学生の隊伍500人などが新村駅で合流した。約2千余の隊伍・行列が集結したが、ロータリーでは特段の催しは行わず、イシュー・ファイティングもなく直ちに梨大駅に向けて両方向の全車線を占拠しながら再び行進に入っていった。行進先頭の隊伍が梨大駅前に到着するころ、向かい側(西大門方向)には既に行進の隊伍を阻むための警察部隊が陣を敷き、速やかな解散を呼びかけ始めた。
 弘大駅と大興駅で警察の阻止線なしに盛んな行進を展開した街頭集会の隊伍は、梨大駅前で警察部隊と対峙することとなり、緊張感が高まり始めた。だが警察のアナウンス後、行進の隊伍は単位別、隊伍別に集まり、引率者たちの指示にしたがって散らばり始まった。警察との衝突なしに速やかに自主解散した理由は、次の集結戦術のせいでもあつた。解散をしている瞬間、各隊伍が直感したのは、次の戦術についての不安感だった。「ひょっとして奴ら(警察)は匂いをかぎつけたのではないのか?」という心配が頭をかすめた。

集結の独立門
警察全面封鎖


 一部の隊伍は一行とともに梨花女大の正門を通過し、後門側に出て市内バスに乗った。警察部隊が既に社稷トンネルを全面統制し、路線バスなどの大衆交通手段を迂回させた。独立門周辺の交差点には警察の装甲車や護送車などが陣を敷いていた。隊伍が乗ったバスも本来の路線を迂回し、別の停留所で降ろされた。あたふたと下車した隊伍は市場通りに引き返した。
 もう5時がさし迫った時になって、やっと隊伍は地下鉄3号線の景福宮駅に集まった。けれども既に独立門周辺は全面統制され、駅舎まで警察部隊によって阻止線が張られた状況だった。独立門駅舎周辺の状況をよく分からないまま独立門駅から地上に出た集会の隊伍は戦闘警察(機動隊)らが幾重にも組んだ封鎖に直面した。独立門駅の外に出られないまま再び鍾閣に移動し、また警察の封鎖をどうにか破って出てきた3〜400人ほどは独立門方向の歩道で警察の暴力的封鎖に立ち向かい抗議しながら「韓米FTAの中断」などを叫んでいた。出口周辺で数十分間、すったもんだしている最中に、200人ほどの隊伍が街頭占拠を行いつつ行進の隊伍を作りあげ、鍾路通りへ行進した。

世宗路交差点で
座り込み闘争


 3号線独立門駅から鍾路に向かった隊伍が搭乗した3号線地下鉄は、青互台(大統領府)に隣接した「景福宮駅」に停車せず通過した。運転士の停車しない理由を説明する案内放送が流れると、地下鉄に乗った何人かの集会参加者たちは「御用労組か、ふざけたマネをするもんだ!」と言いながら、まゆをひそめたりもした。
 隊伍が安国駅に到着した時には既に5時20分を過ぎており、光化門(青互台)方面には戦闘警察や警察車両がみっちりと布陣していた。キョンジ洞の道を過ぎ、94年に地下鉄と鉄道のストライキ闘争の拠点となり、また02年の発電労組のスト闘争の際には一時集結していた場所でもあった曹渓寺の狭い入り口を通過した。鍾閣駅交差点あたりに迫った時、第一銀行前の歩道には100人余りの学生の隊伍の旗がなびいており、それより何倍も多い戦闘警察が集会の隊伍を幾重にも取り囲んでいた。
 集会参加者たちが交差点周辺で気をもみながら第一銀行前の状況を見守っているころ、はるか鍾路一街側では街頭隊伍の行列が形成されていた。5時30分ごろ、既に鍾閣駅で街頭占拠に突入した隊伍が鍾路一街側で宣伝戦を行い移動し、独立門から集結した隊伍も結合したのだ。
 一部の隊伍は鍾閣駅交差点を横切って街頭の隊伍に合流するために、車両の通行が遮断された鍾閣駅と世宗路間の道路を「スイスイと」疾走した。おおむね6時ごろから行進の隊伍は世宗路交差点近くまで進出し、封鎖した警察部隊と対峙しつつ、1500人近い隊伍が座り込み闘争に突入した。
 夕闇が迫り、昼に降った雨のせいか天気は一層寒くなり、風も強まり始めた。今年に入っての1〜2月の気候よりもはるかに寒くなった零下の状況で、参加者たちは互いを風よけにして、たくましく隊伍を維持した。宣伝カーが隊伍の先頭で指揮をとり、「韓米FTA交渉反対および中断を要求する」対市民宣伝・扇動を進める中で、警察部隊との緊張が形成され始めた。

警察は放水で
強制解散攻撃


 6時30分ごろ(韓米FTA反対)「汎国本」の要請が大きくなり始め、これに対して座り込みの隊伍はシュプレヒコールと歌とでもって対抗し始めた。警察は放水車をデモ隊のまん前に全面配置し、棍棒や楯で武装した部隊を押し立てて、今にも鎮圧作戦に乗り出す態勢だった。
 既に日が傾き暗くなった6時50分ころ、警察は零下の気温も何のその、座り込みの隊伍に無慈悲にも放水を浴びせ始めた。それに続いて武装した戦闘警察部隊は、やみくもに行進の隊伍を押しつけながら棍棒の洗礼とともに逮捕班を動員して解散と連行とを試み始めた。一瞬にして座り込みの隊列は修羅場となり、手がつけられないほどに追いまくる警察の暴力によって歩道に押し上げられ、その過程で人々が倒れ負傷する状況が続出した。デモ隊に対する棍棒と楯による暴力は、倒れた集会参加者たちや記者たちにまで加えられ、一部の記者たちのカメラが壊されたりもした。
 結局、座り込みの隊伍は鍾路一街側から鍾閣駅まで武装した警察の一方的な暴力的鎮圧、解散策動に押し切られることになった。だが集会参加者たちは警察の一方的暴力的弾圧の中でも頑強に抗議し、隊伍を整え始め、再び鍾閣駅方向に後退を繰り返しながらもしたたかで、たくましい姿を示した。
 日が暮れた後、地方から上京した隊伍など、多くが既に去った中で結局、最後まで残って頑強に闘った200人ほどの集会の隊伍は、普信閣の歩道に追い上げられた状態で再び座り込みに突入し、8時20分ごろに総括集会を行って解散した。

連帯闘争こそ
新たな突破口


 昨年下半期の気抜けした平和集会闘争以降、今年2〜3月の韓米FTA阻止集会は土壇場の交渉を前にした政府の不法・不当な集会禁止措置が続けられる状況だった。これような条件の中で街頭占拠―平和行進を媒介とした最近の闘争は、運動内部的に「ノ・ムヒョン退陣」のスローガンが全隊伍の中で全面的に登場するなど、昨年よりはいささか前進したようにも見えるけれども、既に韓米FTA交渉は妥結局面に向かって速度戦を行っている状況だと考えるならば、もっと果敢で威力ある連帯闘争が展開されなければならない状況だった。
 今回の闘争の過程でも民主労総の場合、上層の代表者たちの間では、どう対応するかの論議さえキチンとなされず、極少数の幹部および常勤者たちの隊伍だけが当日の闘争に結集した。農民の隊伍もそう大きくは変わらなかった。「決着闘争」を豪語していただけに労働者・民衆運動の総力と総意を集めた「実力阻止」の場が実現されなければならなかったが、これを組織すること自体が極めて困難で、脆弱な状況だった。もちろん激しい「闘争のやり方」ひとつで現在の局面を突破することができないのは明らかだ。
(「労働者の力」第122号、07年3月16日付、「労働者の力」機関誌編集委員会取材チーム)

【訂正】前号(4月2日号)2面原発臨界事故隠し記事最下段右から7行目「『安全』でならない」を「『安全』でなければならない」に、7面投書下から2段目「アメリカ大使館」を「アメリカ」に、最下段左から3行目「アレフ」を「アーレフ」に、それぞれ訂正します。


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