| ドラマ「朱蒙」と「東北工程」 かけはし2007.6.25号 |
韓国古代史をめぐる韓国と
中国の綱引きに潜む危険性 |
解説
現実を反映する韓国歴史ドラマブーム
日本でのここ数年来の韓国テレビドラマブームの中では、「チャングムの誓い」「許浚(ホジュン)」など朝鮮王朝時代に実在した歴史上の人物の脚色された物語が高視聴率に支えられ、本紙読者の中にも「韓流ファン」が散見される。そうした中で、韓国では昨年に高句麗時代に実在した人物に焦点を当てたいくつかの歴史ドラマが、同時期に放映されて高視聴率を維持している。「朱蒙(チュモン)」「淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)」「大祚栄(テジョヨン)」などのこうした歴史ドラマは、いずれも高句麗時代に当時の韓民族が現在の中国東北部領域で漢と闘って国家を創建し、あるいは守り抜いたというストーリー展開に共通点がある。
なぜ高句麗時代なのか? その背景には04年に明らかになった中国政府の推進する「東北工程」(当時の高句麗を中国の地方政権として自国史に編入しようとする研究プログラム)に対する反発がある。これらのドラマを日本に紹介している雑誌でもそのように紹介されている。ドラマ「朱蒙」などは、「韓民族が最も美しかった時代」「韓民族が世界の中心だった時代」「触れられることのなかった古代のロマン」などと銘打たれて紹介されている。
韓国「労働者の力」誌に掲載された次の論文は、韓国での歴史ドラマブームの中に潜む問題点、民族主義に対する冷静な視点の必要性を明らかにしている。(「かけはし」編集部)
フィクションとファンタジー
韓国MBCの歴史ドラマ「朱蒙」(註1)が延長放送された後も、最高視聴率を誇りながら人気現象を起こしている。高句麗没落期の英雄と主要人物たちを中心にしたドラマが同時に放映されながら高句麗、渤海などの古代史に対する関心もともに高まっている。
古代史を素材にした歴史ドラマがひとまとめに企画・放映される理由は中国政府がこの間、韓国古代史の独自領域として認定していた高句麗と渤海などを中国の「地方政権」として、自国史に編入させる立場を取りながら国家的論難と民族的摩擦を引き起こしている過程と密接に関連している。
ドラマ「朱蒙」は90年代中盤以前に放映されたMBCの「朝鮮王朝五百年」などと同じく、歴史的考証と主要事件に関連させた人物を描写した歴史的脈絡中心のドラマである「龍の涙」「不滅の李舜臣」などの場合のように、記録小説方式から脱した蓋然的小説方式とはさらに異なる創造的歴史ドラマ形式だ。
代表的なものとして「許浚(ホジュン)」(99年、朝鮮王朝時代に実在した韓方(訳注:日本で言う「漢方」)の名医の生涯を描いた)、「大長今(デジャングム)」(03年、昨年にNHKで放映された「チャングムの誓い」)、「薯童謡(ソドンヨ)」(05年、百済時代の王の物語)、「海神(ヘシン)」(05年、新羅末期の将軍の物語)などがあるが、これらは歴史上の実在の人物の話を取り扱っているけれども考証された史料がほとんどないために、内容構成全般を作家の想像力に依存して進行させるほかなかった。
例えば2〜3年前に爆発的人気を呼んだ「大長今」の場合も、歴史的史料にはただ数行の単純な記述があっただけだ。しかし作家の想像力で作り上げられたストーリー展開の中で、仮想的登場人物のキャラクターなどは現実自体を飛び越えて興奮と興味をそそることに不足することがなく、現実よりリアルな歴史的フィクションは大衆に歪曲された「ファンタジー」を植え付ける危険性を露わにすることにもなる。
つくられた建国の英雄
ドラマ「朱蒙」は神話と説話、歴史が互いに絡みあっている。二千余年前の高句麗建国の時期を主要な背景として建国の始祖、英雄朱蒙と周辺人物たちを中心にして話をフィクションに仕立てた想像ドラマだ。
朱蒙の誕生神話は高句麗建国を神格化、神秘化して正当化する手段と方便なのだ。ドラマに登場する人物たちは大部分が歴史の記録の中には登場しないけれども、ドラマの初期のストーリー展開の主要人物であるヘモス(太陽の息子)は、多勿軍の将軍として設定されている。ヘモスについての歴史叙述の実在は北扶余の始祖であると同時に、金蛙(クムワ)王はヘモスの孫(ヘブルの息子)だ。
高句麗建国神話について三国遺事、三国史記などの叙述には差異がある。いくら話を総合してみても、朱蒙は金蛙王の次の世代の王族(親族)であると同時に、権力闘争の過程で推されて扶余から卒本(高句麗の始祖である朱蒙が首都に定めた所で現中国東北部に存在した)に移住した後、そこで勢力を伸ばし高句麗を創建した人物と推測される。
作家は神話の中に登場する神の息子ヘモスを、古朝鮮滅亡後の漢(現中国東北部)に対抗して奪い取られた古朝鮮の領土を回復させるために多勿軍の将軍として、そして高句麗建国の主役である朱蒙の父として設定している。
これは、最近に中国政府が高句麗を中国とは異なる独立した歴史としてではなく、中国の「地方政権」として編入させることに真っ向から立ち向かうために設定されたとみることができる。しかし実際の歴史の中で「多勿軍」というものは実在しないし、フィクションである。「多勿」というのは「取り戻す(古朝鮮の昔の領土回復)」を意味するのだが、朱蒙が高句麗建国過程で松譲國(沸流國)を服属させた地名であるとして、後に高句麗建国の年号として使用された。
高句麗建国時代の権力と民衆
ドラマの中では、漢に立ち向かう多勿軍の将軍であるヘモスと朱蒙は、奪い取られた古朝鮮の昔の領土を取り戻すために、古朝鮮の流民たちに対して愛情に満ちていた。朱蒙は建国初期まで権力欲がなく、民衆の支持を得ながら周辺の弱小部族国家を平和的に統合して漢と武装闘争を展開する知将、武将、徳将の素養を備えたリーダーシップで登場した。
こうした民衆に対する指導者の限りない愛情は、王位についた後に多くの変化が生じた。はじめに、それまでの水平的リーダーシップとしての将軍と多勿軍との関係は王と臣下、人民の主従関係へと確実に変化した。
朱蒙の衣装、王族と貴族たちの宮中生活はより派手になった。そして強力な鎧と剣を生産するための鉄の受給と労働力の確保、派手な宮中生活を維持するための財貨と労働力が要求されたのだが、これを可能にできる基盤をどこで生じさせたのだろうか?
ドラマ「朱蒙」ではこうした社会経済的背景などは省略され隠蔽されている。ただ、扶余や漢では奴隷と収奪される民衆のありさまが、高句麗では人民たちが自発的、能動的に参加する形で国家が繁栄するありさまが対比的に描かれている。
最近までの人類の歴史の発展過程はすべて、「個人の犠牲」の上に基づくという共通点を持っている。特に階級社会―身分制が出現して以降の古代国家を形成し維持していた経済的基盤は収奪(略奪)にあった。戦争を通した領土拡大と一体で進められた略奪でも、各種の「税金」という形式で収奪する方式でも、すべて民衆の労働力と生産した財貨をゆすり取って運営していたのだ。
高句麗が建国された二千余年前の時代の中にあって朱蒙の実際とはどのようなものであったのだろうか?
卒本に移住したばかりの朱蒙とその友人であるマリ(摩離)、ヒョムホ(陜父)、オイ(鳥伊)たちの初期のありさまは剣と盾、鎧などで重武装した物理力を基盤にして人民を包囲し、むしり取る経済外的暴力集団としてあった。こうした武装力をもって人民の労働力と財貨を収奪し、この財源を元に群小部族に対する支配をさらに拡大しながら鉄器工場を運営し、王宮(高句麗)を造ったのではなかったのか?
ドラマで雄大に描かれた朱蒙の政略的結婚は、経済外的暴力の権力と経済的権力が融合した強力な国家基盤創出を意味するものでしかない。この過程で人民の大部分は恐怖に震えながら軍事的物理力の末端兵士として動員され、王族と貴族たちに付き従う奴隷であり、国家物理力によって「保護」の美名の下に、定期的・不定期的に税金を上納しなければならない立場にあったのだ。これと同じ状況は、当時の東北アジアを取り巻く扶余と高句麗、漢の人民すべてに同様であった。
やはり、当時「多勿軍」と同じ民族統合のために戦争イデオロギーが人民の能動的で自発的な動員を可能にしたのか? おそらくそれと似た主義、主張の大部分は収奪と動員体制を合理化するための手段として作用したのであり、自身の名分を強制する究極的な手段は軍事的物理力のための強圧的動員にあったのだ。
古代史に対する労働者の態度
先に簡単に説明したように高句麗、渤海などを中国歴史の中の地方政権として再規定するためにいわゆる「東北工程」は、「中国の東北側辺境地域の歴史と現状に関する研究プロジェクト」として、02年から5年間を予定して進められている中国政府の重要国策事業をいう。
最近、何年間かの中国政府の「東北工程」が推進される背景には「90年代初盤の東欧圏変化とソ連邦解体など各民族の独立と分裂をみて、自国内の漢族以外の55にもなる少数民族の離脱を防ぐために、とくに満州地域朝鮮族社会のコリアドリームなどに注がれる実情に対する深刻な憂慮でプロジェクトが推進されている」(イム・ギファン、ソウル教大教授)と診断される。そして多くの関連する歴史学者と専門家は「南北統一後に表面化するであろう満州、間島などの国境、領土紛争に備え、北韓情勢変化に伴う北側に対する縁故と影響力を強化しようとする名分を築くためのもの」などとして理解されている。
1949年の中国革命後に、中国の基本的な民族問題に対する態度は、大漢族中心主義批判後に成立した。中華民族を「漢族を主体にした55の少数民族を包括する56の民族で構成された多民族」として規定、名目的には民族平等を根拠にして拡大した中華民族主義の観点をとってきた。
先の数十年間に、チベット問題を除いてソ連などに比べて少数民族に対する差別政策が少なかったために、中国は90年代初盤に東欧やソ連の状況とは異なって深刻な民族紛争が発生しなかった。けれども90年代以降、中国経済の資本主義的成長と周辺国との交流拡大などの状況変化の中で、「民族平等に基づく統一的多民族国家」を安定的に維持することが次第に重要性を増してきて、これに対する社会的統合力を確保するための東北工程、西南工程(チベット問題を中心にした)作業を国策事業の一環として推進しているのだ。
04年にこの「東北工程」が南韓社会に広く知れわたると、全国がひっくり返ったような騒ぎになった。これを「中国脅威(侵略)論」だとして激昂した一部学者と保守メディアの反応は、一方では「韓米同盟」強化論に結びつける騒ぎにまでなった。民族主義(国家主義)と反共主義、崇米主義とが錯綜したこうした態度は、韓国的保守の根本的で胎生的な自己限界と恥部を露わにする部分でもある。
中国の「東北工程」は名分的には先に説明したように、いわゆる「大漢族中心主義」を批判的に超えて民族平等の価値を掲げた「統一的な多民族国家」のための歴史的・国家的イデオロギーだ。「中華主義」(国家中心的)イデオロギーは、平等価値を結合させても中国以外の周辺国に対する優位の支配、排他性を正当化する側面に基本的な問題が生じるほかない。しかしこうした問題に対する労働者・民衆の態度は虚構的で排他的な民族主義―国粋主義の直対応を正当化しない。搾取と侵略の戦争と殺戮を合理化して、弱肉強食の論理で領土拡大と民族雄飛を説く民族主義は、同じ立場に置かれている東北アジアの労働者・民衆の普遍価値ではなく、ともに払しょくすべき収奪者たちの論理にすぎないのだ。
民族主義と民主労総
90年代初盤に韓国社会では、資本の新しい現場統制様式として新経営戦略と企業文化運動が活発に導入・展開された。当時、主に現れた資本の労働者洗脳教育内容の代表的内容がまさに「多勿団教育」だった。資本は「歴史精神と企業文化の接ぎ木」を名分に掲げて民族主義、国家主義、国粋主義的な観点を広範囲に流布しながら、これを労使和合―協力へと帰結させる事業を執拗に推進した。
古朝鮮と高句麗、渤海などの上古史に対する民族的自矜心を鼓吹して民族雄飛の新しいビジョンを説いて、民族と労使間の和合と協力を拡大しなければならないと強調した。今年で多勿教育を導入してから20年が経過した。最近までに教育修了生が15万余を超え、一部事業場では「事業多勿団」が育成されて活動を展開してもいる。
昨年11月に京畿道クリ市の漢江公園で「2006年 高句麗 三足烏 大祝祭」が開催された。そこに現れた少年少女団の姿は、二世代前の時代のナチスドイツの青年組織である「ヒトラーユーゲント」にとても似ている姿をさらけ出した。そして06年11月のゼネスト局面で民主労総国民派執行部は集会演壇のプラカード、かけ絵、旗などに高句麗の象徴である三足烏(註2)と似た「朱雀(鳳凰)」(註3)を掲げることも行い、5期民主労総選挙過程で、そして金属労組選挙過程で国民派―民族主義陣営は朱雀と三足烏などを自分たちを象徴する「ロゴ」として掲げていた。本質的に「王」―支配階級を象徴する図案が労働者階級運動を象徴するイメージとして盗用される現実は「民族主義」が有する危険性に対して新たな警戒心を持つよう促すものだ。
ドラマ「朱蒙」は視聴者たちに持続的な興奮と吸引力をもたらすけれども、それは確かな歴史的現実、歴史的過去ではなく欺瞞とファンタジーにすぎないものなのだ。(「労働者の力」第120・121合併号、07年2月28日付、チョン・ヘゴン/「労働者の力」編集委員長)
註
(1)韓国で06年5月から07年3月まで週に2回(計82話)のペースでテレビ放映され群を抜く高視聴率を維持し続けた。日本では現在BSで放映されている。
(2)太陽の中に住むとされる三本足の烏で吉祥とされる中国の伝説に基づく。
(3)古来中国での想像上の瑞鳥(めでたい鳥)として尊ばれた。
【訂正】前号(6月18日号)7面読書からの通信「『球を蹴る人―N・Hに―』を読んで」の最下段左から4行目「良く分からないが、」を「良くわからないが。」に、前々号「韓国は、いま」
1段目左から10行目「ベルギーで労働党委員長に」を「ベルギーの労働党委員長に」、6段目右から12行目「東アジア対利欲へと」を「東アジア大陸へと」にそれぞれ訂正します
|