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国の祝日に指定された「87年6月民衆抗争」       かけはし2007.7.23号

労働者大闘争20周年をめぐるノ政権との綱引き



記念式と汎国民大会

 87年の6月民衆抗争と7、8、9月の労働者大闘争は今年で20周年を迎えた。ノ・ムヒョン政府は4月23日の閣議で「6・10」を国家の記念日として指定し、6月10日にソウル・世宗文化会館で初の記念式が挙行された。
 大統領ノ・ムヒョンをはじめ、関連する与野党国会議員らを含め、民主化運動記念事業会のハム・セウン理事長やイ・ソソン理事などの民主人士らやインターネットで申請した各界の人士、市民など3千余人がこの日の行事に出席し、「希望のメッセージ朗読」や「希望のボタン始動」、6月の歌「アチミスル(朝露)」の合唱などを行った。

 この日、ノ・ムヒョンは記念のあいさつでハンナラ党などの守旧、既得圏勢力にねらいを定め、「民主勢力無能論」についての激しい批判をぶちあげた。彼は「(守旧勢力は)民主勢力無能論まで持ち出して政権を奪還する、と語る……かつての既得圏勢力は守旧マス・メディアと結託して絶えず改革に反対し、進歩を妨害している」として保守勢力への批判に熱をあげた。
 彼は87年抗争の「半分の成功」と「既得圏(守旧保守)勢力の再執権の可能性に備えさせる一方、「地域主義(民主党/ハンナラ党など)や機会主義(脱党派など)」などを共に批判しつつ、自らを民主と進歩の代弁者、守護者であるかのように振る舞った。

 だが、この日午前の大統領の「威信のひけらかし」をあざ笑うかのように、世宗文化会館前では民族民主烈士、犠牲者追悼(記念)団体連席会議の主催によって、民主烈士・民主化運動不認定決定の撤回ならびに謝罪を求める記者会見が行われた。
 会見には87年6月抗争の導火線となり、また増幅剤となった故パク・ジョンチョル烈士のアボジ(父)パク・チョンギさんとイ・ハニョル烈士のオモニ(母)ペ・ウンシムさんらが参加し、民主と進歩を自称している政府のギマン性を糾弾した。そして彼らは政府主催の記念式をボイコットし、市庁広場で開催される6月抗争20周年継承民間組織委員会の汎国民大会に出席した。
 この日、集会の隊伍は明洞聖堂まで行進するとともに、6月抗争当時の「護憲撤廃、独裁打倒」を連呼した。また同時に韓米FTA反対のスローガンを行進の隊列全体が叫びつつ、6月民衆抗争の「現在性」を再確認した。そして明洞聖堂での総括集会での「自主を語りながらイラクに米軍の付属軍隊として参加している政府、福祉を語りながら非正規職を増やしている政府、人権を語りながら写真作家イ・シウさんを国家保安法で捕らえる政府、民主主義を語りながらFTA反対運動を警察の暴力によって踏みにじっている政府。この政府は、もはや民主勢力ではなく民主主義の裏切り者!」という趣旨の演説は、民主と進歩を装った現政府のギマン性を曇ることなく凝縮、確認させるものだった。

大統領選への利用

 87年6月民衆抗争が繰り広げられてから20年が過ぎた今日、当時の闘争の隊列に直接的、間接的に参加していた多くの人々が、国政最高の首班である現職大統領をはじめ、長官(大臣)や国会議員、各級の行政機関、公企業などで高位職を担っている。彼らがあれほどに熱望していた民主化の願いは、軍事政権と断絶した国民の政府、参与政府へと続いた10年の過程でも「半分の成功」に終わり、足踏みしているのは何なのか。
 それはもちろん、ノ・ムヒョンの指摘のように既得圏を維持している現在の守旧、保守諸勢力のせいでもあるけれども、同時にその守旧勢力と妥協して独占資本や帝国主義などの既得圏勢力を保護しているノ・ムヒョン政府自身に帰されるべき質問だ。「10年の既得圏」の中で、新自由主義で武装し社会的不平等や両極化を拡大させつつ民主と進歩を云々するノ・ムヒョン政権は、「半分の失敗」をひき起こした張本人だ。自らの取り巻き集団によって進められた10年の失政の責任を保守勢力にばかりではなく、民主化を要求する労働者・民主運動勢力に押しつけつつ、「硬直性」や「過激さ」をなじる行為は、「機会主義」そのものにほかならない。
 「無能と非改革」のゆえに失敗した、と現政権を批判したチェ・ジャンチプ教授の発言を皮切りにしてソン・ホチョル、チョ・ヒヨン教授ら進歩的学界内部に触発された、いわゆる「進歩論争」にノ・ムヒョンが介入するとともに、この論争は全社会的イシューへと拡大した。ノ・ムヒョンと彼の参謀(家族)たち―キム・チャンホ、チョ・ギスク、ペク・ナクチョンなど―は、チェ・ジャンチプや現政権に批判的な進歩陣営に批判の矢を放った。そして彼らが自慢げに持ち出した武器は「柔軟な進歩」だった。ノ・ムヒョン政権の「進歩論争」への介入は、10%以下に下落した自らの社会的支持基盤を回復して政界再編の主導権を確保し、07年の大選(大統領選挙)での有利な局面作りとヘゲモニー掌握のための策略だった。
 彼はこれまでも弾劾局面でのときのように「けんかっ早さ」を遺憾なく発揮し、ワンポイントの改憲案を引っ下げて乗り出し、早期の大選の構図を作り出すことによって政権末期のレイムダックを加速させる流れに対抗し、「しつこく」勝負をしかけている。そして最近に至っては、いわゆる選挙での中立や選挙法など意に介せず、与野の予備候補たちに対して批判と毒舌とを浴びせている。

分化した民主化闘争の群像

 一方、07年の大選ですでに有利な高地を占領したハンナラ党の予備候補たちは競選での勝利を本番での勝利と直結させて考えつつ、競争者相互間の恥部をあばき出すこともためらっていない。そして汎与圏陣営ではハンナラ党諸勢力の「落馬」を期待しつつ、初盤の劣勢を回復しようとする離合集散と主導権争いに火が付いている。
 彼らにとって「6月抗争」は自分たちの政治的立場を強化させることのできる「イメージ政治」の媒介・手段であり、このようなシンボル化を通して彼らは権力の再編と再執権のエネルギーと支持基盤を拡張しようとしているのだ。
 一方、87年の民主抗争と労働者大闘争以後、この20年間、労働者・民衆陣営の運動の様相には極めて多くの変化が進んだ。87年の闘争を契機に民主労組運動や基層民衆の生存権闘争は活発に展開され、80年代後半から90年代初盤まで全国的流れとして急速に発展するとともに全労協、全農、全労連、全鉄連など、まさに頭に「全」の字が付く流れの時代が開かれた。
 けれども、このような速度戦の様相は90年代の初盤を経過するとともに多くの変化を伴うことになる。90年を前後して労働者・民衆運動の成長と停滞の中で、市民運動の分化が本格化し、一部の勢力や集団は現実の政治へと進出した。87年から92年にかけた民衆運動の政治勢力化の失敗と93年キム・ヨンサム民間政府の登場は、これを促進させる契機だった。
 彼らは体制変革の展望を放棄し、「実践の可能な改良と改革」を標ぼうしつつ、次第に資本―労働(民衆)間のバリケードのいずれの側でもない第3勢力へと自らを位置づけるか、平民連、民衆党の一部勢力らのように既成の与野政党に編入されていき、現実的政治家へと変身を図った。
 市民運動の分化を契機に支配諸勢力の民衆運動に対するヘゲモニー分割戦略が活発に模索されるとともに労働者・民衆運動の孤立化が拡大し、第3勢力としての市民運動の立地が広げられ、勢力化した。NGOによって大別される市民運動は、一方では資本と支配勢力が労働者・民衆を社会的に統制し管理するのに必要な「緩衝地帯」(仲裁のチャンネル、窓口として)として活用しはじめ、危機管理のパートナーシップとして機能するまでに至った。特に98年の通貨危機、IMFの事態直後の状況において見られたように、市民運動が資本や支配権力の危機を防御する機構(いわゆる第2中隊)として作動するなどの深刻な形を示したりもした。

 この6月、民主化運動記念事業会(理事長ハム・セウン)とフリードリッヒ・エベルト財団の主催で87年民主抗争20年記念国際学術シンポジウムが開催された。そしてこれを後援している団体は、FTAの妥結のために昼夜を分かたずTVや各メディアに国税をばらまきながら、その先兵の役割の先頭に立っていた政府広報処だった。6月抗争20周年の行事と関連して一部の市民運動集団(例えばYMCAなど)は、抗争の歴史的意味を現在的に継承しようとする努力よりは「お祭りの場」として位置づけるとともに、政府や企業などの後援の下で、イベント行事の開催に余念のない姿を示したりもした。
 90年代初盤以降、政府傘下の各種機関(地方自治体を含む)の後援や支援を媒介として進められている事業や行事が次第に拡大し始め、最近では独裁政権時代の御用組織とは異なるものの、資本や政府によって作られた基金や後援などに対する各市民団体の不感症は広がっている。
 そればかりか、このような慣行の影響は労働者・民衆運動の内部にも否定的な影響を及ぼしてもいる。386世代、486世代などと通称される87年運動世代たちの相当数が学閥や人脈を形成するとともに、すでに現実政治圏や公企業、親政府団体などに奥深い構造として編入されており、地方自治制とともに市民運動などの影響力が伸張するとともに形成され始まった現実政治と市民運動の関係網もまた「制度化」の様相へと固められる深刻性を示している。87年6月民衆抗争のシンボルを占有しつつ新たな既得圏を形成している状況の中で、これに対する労働者、民衆運動の新たな警戒を覚醒、そして対応が必要だ。

成果を労働者・民衆の手に

 一方、87年6月民衆抗争の精神が新自由主義の先兵たるノ・ムヒョン政権のエセ民主、エセ進歩の物差しに変身し、小ブルジョア自由主義諸勢力の占有として汚染される状況の中で、このような流れに対応して〈87年労働者大闘争20周年記念行事組織委員会〉(以下、組織委)と蔚山地域を中心とする〈87年労働者大闘争20周年記念事業推進委員会〉(以下、推進委)を中心として共同の事業が模索されている。
 組織委の場合、資料館ネットワーク(民主労総資料室、聖公会大民主資料館、労働ネットワーク)、労働者の力、労働戦線、民教協、社会進歩連帯、文化連帯、ターハムケ(オール・トゥギャザー)、統一問題研究所、不安定労働撤廃連帯、解放連帯、進歩教育研究所、労働組合企業経営研究所、労働者ニュース制作団、教育センター、韓国労働安全保健研究所、文化活動家などが結集している。

 現在、組織委は「6月抗争記念事業など(新自由主義)改革勢力の6月抗争中心の87年20周年記念行事に抗して、87年労働者大闘争の意味を明確にし、87年20周年行事が(新自由主義)改革勢力の成果として収れんされるのではなく、労働者階級運動の成果へと帰結されるように」するとともに、「87年労働者大闘争の歴史的意味を労働者民衆内に広げ、現在的意味(その継承の地点と発展の地点)を提出し、民族主義? 社民主義に対決する階級的左派運動の談論の広がりの契機とする」と、事業の趣旨と目標とを定めた。
 主要事業としては7月20〜22日、87年の主要闘争の象徴である地域を対象にした歴史紀行、9月8〜9日の仁川労働文化祭、9月15日〜16日には「87年大闘争の評価と労働者民衆運動の方向」などのテーマ討論会や労働安全、文化、教育運動分野など部門別の討論会(ソウル)や文化祭、20周年写真展示会などが準備されており、地域別に講演や討論、展示会などの事業を地域の主体たちとの論議の中で拡大していく計画だ。
 また推進委の場合、蔚山地域など嶺南園(蔚山、釜山など韓国南東部)の労働運動にかかわる主体たちを中心として、たゆみなく準備しつつ、7月中旬の労働者大闘争20周年記念の開幕式を皮切りに9月まで労働キャンプ、歴史紀行、学術討論会などを準備している。全体的に9月8日から16日まで労働者大闘争20周年記念週間として設定しており、9月8、9日の仁川労働文化祭を皮切りに9月15、16日、それぞれ蔚山集中の日とソウルでの首都圏集中行事が進められる予定だ。

 一方、ノ・ムヒョン政権と一部運動勢力による6月民衆抗争の精神を損なう動きに立ち向かい、労働者大闘争記念事業を中心に、「向かい火」を形成することは、87年抗争の歴史をはさんだ階級の闘争を意味する。けれども6月民衆抗争に対する小ブルジョア諸勢力の「かすめとり行為」に対決し、堂々と6月抗争も労働者民衆のものであることを実力をもって見せつけることのできない現実は、無念と言わざるをえない。
 87年の民衆抗争と労働者大闘争は単純に持てる者と持たざる者が共にいる「市民」のものではなく、歴史発展の主体にして動力である労働者、民衆のものであることを、07年6月の総力闘争の街頭で、そして7、8、9月へと引き続き展開される労働者・民衆の連帯闘争の中で身をもって確認しなければならない!(「労働者の力」第127号、07年6月20日付、チョン・ヘクォン/編集委員長)



朝鮮半島日誌
核施設稼働停止を宣言

7月1日 b「安倍らによる総連弾圧策動(中央本部の土地建物を巡る問題)を決して傍観せず、当該部門で必要な措置を取ることになる」「日本は六カ国協議進展に冷や水を浴びせ、問題の解決を引き延ばそうとしている」(北朝鮮外務省)。
7月3日 b「中国は核問題解決のために多大なる努力をしてくれた」「各国が六カ国協議の初期段階の措置を実行すべきだ」(金正日国防委員長が訪朝した中国の楊外相との会談で)。b国際原子力機関(IAEA)代表団が6月訪朝団の報告書を発表し、稼働停止・封印されるのは寧辺の再処理施設など4施設と泰川の原子炉、北朝鮮が設計情報などをIAEAに提供し停止・封印後には監視カメラで状態確認することなどを明らかに。
7月4日 b「違反は認められるが、利益や横流しの目的はなかった。総連の組織的関与は認められず、個人的な事案としか認定できない」(昨年11月に警視庁公安部が薬事法違反を口実に、朝鮮総連東京都本部などに対する大がかりな家宅捜索を強行した事件の被疑者の不起訴処分について東京地検が弁明)、「持病の薬と北朝鮮で暮らしている病気の息子に薬を持っていこうとしただけ。私も家族も大変つらい思いをした」(不起訴処分となった朴順粉さんが記者会見で)。
7月6日 b「韓国が提供する重油5万トンの第一便分が入ってきた時点で、核施設の稼働停止を前倒しする準備に入っている。すでに関係各所に伝えた」(北朝鮮外務省)。

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