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南北関係の発展と平和繁栄のための宣言 @        かけはし2007.11.19号

労働者民衆運動陣営の韓半島・東北アジア戦略の樹立が急務だ



 2007南北頂上宣言

 南北関係の発展と平和繁栄のための宣言(以下「2007南北頂上宣言」)が2007南北首脳会談を通じて発表された。あたかもその直前に6者会談での「10・3」合意も公式化された。「2007南北頂上宣言」を受けとめる国内外の反応や、その余波に温度差に違いがないわけではないが、大きな枠組みで見るとき一応は実行される余地が大きく、特に「10・3」合意について米国が積極的に対しており今後、東北アジア、韓(朝鮮)半島の情勢が当分は順航になり得る条件が準備されたと言えるだろう。よしんば具体的な実行の過程で発生し得るさまざまな障害は依然として潜在しているものの、東北アジア、韓半島の情勢はこれまでとは一段階を異にし、早い流れで変化する可能性が高まっていることだけは明らかなように思える。
 問題は労働者民衆陣営の立場からするとき、このような状況が繰り広げられていることに対してどのような対応や備えをしていかなければならないのか、だ。労働者民衆の立場からしても東北アジア、韓半島での政治的、軍事的緊張が緩和され、ひいては南北関係が進展すること自体は必要だ。だがそのような必要にもかかわらず、労働者民衆の立場からは、その必要をただひたすら喜んでばかりもいられない。むしろ大きく2つの側面から解決しなければならない挑戦に直面している。
 ひとつは根本的な次元のものであって、現在進められている東北アジア、韓半島情勢がたとい改善される方向へ進んだとしても、その改善が結局は新自由主義の地球化を加速させる結果を生み、同時に東北アジア、韓半島情勢での米国の主導力が新たに形成されることとかみ合う可能性が高まっているという側面だ。これは労働者民衆にとっては新たな負担とならざるをえない。
 もうひとつは、現実的に提起されている問題として「2007南北頂上宣言」が実行に移されることになる場合、労働者民衆にとっても直接的、間接的な影響がすぐにも及ぶことになる。政治的、軍事的分野もそうだが、特に経済の分野においては労働者民衆が直接的な当事者として直ちに登場することとなる。そうなるとき、ともすれば労働者民衆が一方的な動員の対象となる可能性を現段階では排除できない。
 このような難しさは現在の階級的力関係を反映しているものであって、これの変化を導き出せない限り、適切な対応力を求めることが容易でないのは事実だ。
 現在、形成されている情勢は米国、中国はもちろん南北支配階級がある種の戦略的判断、つまり労働者民衆の下からの反発や抵抗を最小化することを前提として東北アジア、韓半島での新たな地平の創出、または領土の再構成を求めて乗り出した、ということを意味する。よしんば、彼ら支配勢力間の利害関係が順調に再編され得るのかという問題が残っているとは言うものの、最小限、彼ら支配勢力たちの間の連合が東北アジア、韓半島での労働者民衆の連帯を圧倒していることだけは明らかだ。
 現在の時点で東北アジア、韓半島において労働者民衆の連帯が実現される、何らかの現実的可能性や契機は与えられてはいない。ただ韓国の労働者民衆の闘争力量だけが、一筋の可能性としてあるだけだ。韓国の労働者民衆にとっても、ある種の画期的な戦略的判断が要求されている時期だ。韓国労働者民衆が取るべき戦略的判断は大別して2つの方向から同時に進められなければならない。

労働者民衆の共同戦線形成を

 周知のように韓国の労働者民衆陣営は単一の勢力として形成されてはいない。このような状態は短期間では克服しがたい。ただ今のところは力量全体の絶対的限界によって、権力掌握をめぐる葛藤の段階にはしばらくの間、到達できず、自由主義の政治勢力に対する批判的支持を今まさに脱け出している段階におかれている。この地点で共同戦線を形成することのできる客観的可能性は開かれている。ところが韓国の労働者民衆運動陣営は、共同戦線の形成を国難にする構造や構図のゆえに長い間、苦しめられてきた。これは今も相変わらずだ。
 今日の韓国の現実と世界史的普遍性に照らしてみるとき、「革命的民族主義」は形容矛盾だ。確かに韓半島は分断されており、統一の問題が横たわっているものの、これが直ちに「革命的民族主義」を正当化できる根拠となるものではない。そのうえでなお、民族主義運動陣営がすべて「革命的民族主義」を維持していると言うこともできない。現実において現れている姿は「改良的民族主義」、甚だしくは「右派的民族主義」の傾向さえ現出しているということを否定しがたいのが実情だ。
 南北支配階級の談論である「わが民族同士だけ」と「革命的民族主義」とは到底、両立できない。「革命的民族主義」は今や未来に対してはもちろんのこと、今日の現実に照らしてみる時にもそうであり、実は過去においても労働者民衆が取る政治的立場や態度としては正しい路線だったとは言いがたい。
 同時に、民族主義勢力の考えでは、「階級的」または「革命的」を主張している勢力は民族問題または統一問題に対して等閑視しているか、無対策の状態におかれている、と判断できる。このような判断には一端の真実が込められている。「階級的」または「革命的」を主張してきた勢力は、自らの政治的カテゴリーから「民族問題」または「統一問題」を排除させてきた傾向がないわけではない。
 だがこのような態度を維持していては急変している東北アジア、韓半島情勢に到底、追いつくことはできない。最小限、政治活動の範疇や領域を韓半島の次元へと拡張することなしには現実の政治勢力として成長していくのは難しい。特に、北の体制や政権に対する批判的判断をしているその裏側で、北に対してその判断とは真っ向から反する要求をするという二重的態度から脱け出さなければならない。
 このような事情にもかかわらず、労働者民衆陣営は新たに展開されている東北アジア、韓半島の政治状況についての対応の次元から共同戦線形成のための戦略的判断と決断とを行わなければならない。そうでなくては、すなわち独自の力だけでは労働者民衆に迫りくる挑戦を克服しがたい。最悪の場合、共滅するか、あるいは現実の政治状況とは無関係に労働者民衆内部の葛藤や対立ばかりを大きくしかねない。たとい、理念や路線での違いを克服するのが困難だとしても、いやまさにそうであるがゆえに共同戦線の形成が求められる。共同戦線は理念や路線または綱領の統一を前提としない中での共同の政治活動を導き出すための方案だ。
 もうひとつは共同戦線の内容についての戦略的判断が要求されている。共同戦線が成立するためには当然にも共同戦線内部での行動の統一が必要だ。行動の統一が可能となるためには大きな枠組みにおいて共同の要求が導き出されなければならない。労働者民衆運動陣営は最小限、反新自由主義については原則的同意の基盤を持っている。韓米FTA反対、非正規悪法の撤廃、反戦平和などについて、具体的水準での違いや葛藤がないわけではないけれども、少なからぬ共通の認識が形成されているのであり、すでにこの側面においては共同行動の経験もある程度は積み重ねてきた。特に東北アジア、韓半島情勢に関して、米国の対北敵対政策の撤回については同様の主張をしている。もちろん「北核問題」、特に北の「核実験」をめぐっては立場や態度において見解の違いを見せたものの現在、6者会談が進められている状況を勘案すれば、この点もまた現在の時点では葛藤を味わわなければならない事案ではない。北の体制や政権をどう見るのかということについて明確な立場の違いがあるのは、いまだどうしようもないことだとしても、この側面は不可避に実事求是(事実に基づき真理を探究する)の態度をとることによって克服していくほかはないように思われる。このような状況が共同戦線の内容についての戦略的判断を共に下すことのできる客観的根拠となり得るだろう。
 いま求められている共同戦線の内容についての戦略的判断をすべき対象は「07南北頂上宣言」と6者会談についてだ。すなわち「07南北頂上宣言」と6者会談の内容とその進行に対して政治的介入をどのようにしていくのかであり、これは逆に言えば東北アジア、韓半島情勢に対する労働者民衆運動陣営の戦略をどのように立てるのかについての問題だ。この時、戦略的判断が必要な部分は大きく言って2つの地点から、同時に提起されている。

 第1は平和、南北経協(経済協力)、統一、この3つの議題のそれぞれについて、同時にそれらの間の関係について、いかなる態度を取るのかの側面だ。これは共同戦線の内容においての内包的部分に該当すると言えよう。

 平和―南北軍縮の要求

 平和の議題は米国の対北敵対政策の撤回と「北核問題」解決を前提、または目標として最終的に南北間に平和体制を樹立することとして組み立てられている。このためのプロジェクトまたはロードマップとして終戦宣言、平和協定締結、北・米、北・日の関係正常化、そして東北アジアにおける多者安保協力体制の導入が横たわっている。ここでの核心は米国の対北敵対政策の撤回と「北核問題」解決との間の力学だ。しばらくの間、米国の「まず北核の廃棄」および6者会談の要求と、北の「まず敵対政策の撤回」および北・米直接会談の要求が激しくぶつかり合った後、現在は6者会談とその中での北・米直接対話の形式、そして9・19共同声明で合意した「言葉対言葉、行動対行動」によってその糸筋が引き出され、2・13合意を経て10・3合意まで進められてきた。
 これまでの過程に至るまでには北のミサイル試験発射と「核実験」を経過しなければならなかったし、また9・19共同声明のインクもかわかないうちに米国はBDA(バンコ・デルタ・アジア)問題を引き起こした経過があった。これに照らしてみても今後の過程がどれほど険しいかが充分に分かる。韓半島「非核化」の概念は単に北の「核廃棄」だけではなく、南に対する米国の「核の傘」の撤収までもが当然に含まれるものだとする時、韓米合同軍事訓練などでの米軍の核移動問題があらわになりかねない。だが、このような問題はいまだ論議の端緒についていない状態だ。
 だが問題は、ここにとどまりはしない。韓半島で平和体制が成立するためには米国の対北敵対政策の撤回と「北核問題」の解決が同時になしとげられなければならないもので、そこまで到達できるのかも今のところは極めて不透明だけれども、それに至ったとしてもそれは終わりではなく、始まりにすぎない。
 南北間には「核」でなくとも依然としておびただしい軍事的緊張状態がそのまま残っている。現在、南北が保有している軍備だけでも韓半島はいつであれ災応に包まれかねないのであり、南北の支配勢力はそれを武器として労働者民衆を充分に統制できる。特に南の場合には駐韓米軍の駐屯自体、駐韓米軍の戦略的柔軟性の認定、韓米同盟の問題などが解決しなければならない課題として、そっくり存在している。この点についての北の態度は、なお明確ではない。
 労働者民衆の立場からしても、確かに進行中の6者会談が順調に実現されるべき、その必要性を否定することはない。ある点ではその順調な履行を引き出すためにも、また単に観客の立場にとどまることなく独自的な政治力を形成、発揮するために、積極的に介入すべき必要がある。米国の対北敵対政策の撤回と「北核問題」の解決は労働者民衆の立場からしても必要条件であるからだ。だがこれは、まさに先に述べたように、あくまでも必要条件であるにすぎず、充分条件となることはできない。
 この間、労働者民衆は韓半島での平和の問題を、民族主義陣営は主として統一問題によって代替させてきており、左派陣営は南の変革の問題に置き換えてきた。平和の問題自体を独立的な議題、または独自的な過程としてみなさなかった。民族主義の立場からは平和の論議は「現状維持」または「分断の固定化」に結びつくのを警戒しようとしたのであり、左派の場合には民族問題が印象づけられるのをはばかると同時に帝国主義の下での平和というのはありえないとの認識を持っていた。これは現在の時点でも相当程度に繰り返されている。民族主義の立場では依然として平和を統一の従属的変数としてのみ見ており、左派は平和問題に積極性を示してはいないか、あるいは原則的な態度から脱け出せていない。
 だが現時点において労働者民衆運動陣営が東北アジア、韓半島情勢に独自的な介入をすることはできるし、必ずそうしなければならない最も効果的な議題が、まさに平和の議題なのだ。平和は統一の従属的変数ではなく、その前提条件なのであり、労働者民衆が政治力を強化し変革勢力へと成長するために経なければならない関門だ。分断の解決、または南の変革なき平和が持っている限界を語ることは当然だけれども、平和を置き去りにしたままの分断の解決や南の変革に到達するとの設定は、もはや妥当ではない。むしろ、その反対だ。
 分断の解決であれ、南の変革であれ、まさにそのために「制限的ではあっても」一定の平和がぜひとも先行されなければならない。もっと重要なことは、そのような平和をもたらさせることにおいての労働者民衆の役割、それも独自的な役割が要求されている、という点だ。
 韓半島の平和の帰着点は駐韓米軍の撤収だ。帝国主義軍隊の駐屯をほったらかしにしたままで韓半島の平和を期待することはできない。駐韓米軍の戦略的柔軟性、韓米同盟などは、いずれも駐韓米軍の駐屯を前提としてのみ成立する。だが現在の国内外の政治地形や階級の力学の下で、駐韓米軍の撤収を即時的な政治的、大衆的要求として上程すべきかどうかは、次元の異なる問題だ。労働者民衆の政治的力量がそこまで及んでいないばかりではなく、それを主張すべき条件もまだ熟してはいない。このような状況において駐韓米軍の撤収を即座に掲げていくのは観念的であり、政治的孤立を自ら招く可能性が極めて高い。
 平和と関連して労働者民衆が提起しなければならない最も核心的な戦術的環は、まさに南北軍縮の要求だ。駐韓米軍の撤収、韓米同盟廃棄闘争も結局は南北軍縮の要求を併行させなくては大衆的説得力を引き出すことは決して容易ではないし、米国を圧迫するのはさらに難しい。特に南北軍縮の要求は、その名分上、労働者民衆運動陣営が南北当局を圧迫し、ひいては帝国主義の干渉を最小化することにおいて優位な立場を握ることのできる事案だ。さらにこれは労働者民衆運動陣営が現在の力量でも充分に提起は可能であり、一定の政治力を発揮できる有力な方案だ。

 労働者国際主義

 韓半島の平和体制実現と東北アジアでの多者安保体制を導き出す上で、いわゆる「民族共助」が威力を持つためにも、また「南北経協」や「統一」を労働者民衆が受けとめるためにも南北軍縮を押し出さなければならない。特に韓国政府が推進しようとしている「軍の現代化」や「自主国防」について果敢に闘争していかなければならない。これは結局、軍備の増強や軍備競争を必然的に呼び起こすことになるからだ。兵力の削減、服務期間の短縮、徴兵制の転換もそれ自体として要求しなくてはならないが、「軍の現代化」を前提とすることを阻止しなければならない。「自主国防」を、あたかも米軍に対する依存度の減少へと化けさせることについても断固として対処しなければならない。窮極的には中国、日本の脅威論についても克服しなければならない。
 今日の「平和」の議題が米国の対北敵対政策の撤回や「北核問題」解決の次元にとどまっているならば、そしてまた南北平和体制の成立という制度に焦点が合わせられているならば、そして平和体制成立のための条件やそのほかの方法論を制限する水準にとどまっているならば、今こそ労働者民衆は南北軍縮を全面的に要求する次元へと進展させていかなければならない。
 ただし、南北軍縮の要求は現在、繰り広げられている状況とかけ離れて、別個に設定されてはならない。当然にも現在、繰り広げられている状況に対して積極的かつ能動的な介入をすることを前提とするときにのみ、その意味や力を活かすことができる。
 同時に南北軍縮の要求を「経済問題」として考え、これにかかる財源を回して経済成長あるいは福祉、教育財政などに使うことができる、という実用主義的な迫り方は警戒しなければならない。南北軍縮要求の位置づけや性格は韓半島の平和を導き出すために労働者民衆が戦略的に提起しなければならない核心的な政治的、階級的要求だということを明確にしなければならない。
 平和にかかわるもうひとつの核心的な事案は、全世界の反戦平和闘争に労働者民衆運動陣営が積極的に踏み込むことだ。今日、武装した世界化が示しているように東北アジア、韓半島での平和も、当然にも世界情勢と緊密に結びついている。現在の6者会談の進行もイラク情勢を抜きには説明できない。イラクの事態を規定しているもうひとつの動きは、世界的レベルで展開されている反戦平和の大衆闘争の動力だ。韓半島での戦争に反対する。であれば、当然のこととして他の場所での戦争にも反対しなければならない。韓半島での平和を主張しようとするのならば、当然にも他の場所での平和も大事なものと考えなければならない。韓半島で平和のための闘争をやりぬこうとするのなら、当然にも労働者民衆は全世界の反戦平和闘争の動力として、その主体として喜んで乗り出さなければならない。特に米国が繰り広げている「対テロ戦争」、すなわちアフガニスタン、イラク、レバノン、イランなどで起きている事態を韓半島の平和と直接的に結びつけて考えなければならない。
 韓半島もまた中東とともに戦争の危険性を抱えている地域だ。よしんば、米国がイラクの泥沼にはまっており、また韓半島の政治地勢的な条件が中東とは異なり、また北の体制が半端でないこともあって実質的な戦争の可能性が高くないとはいうものの、だからといって中東で展開されている事態をおそろかにしてはならない。韓国政府がこれらの国々に軍隊を派遣する過程において労働者民衆は、これを阻止できなかったけれども、阻止のための闘争をささやかなものであるとは言え実践した経緯があり、自らの直接的な課題とみなそうとする努力が、ないわけではなかった。このような動きを育み生かそうとしなければならない。
 南の労働者民衆こそは全世界の反戦平和の大衆闘争の核心的な力量として成長していくべき核心的な部分なのだ。労働者国際主義は、どんなに強調しても行き過ぎということはない。
(つづく)
(「労働者の力」第135号、07年10月26日、コ・ミンテク/中央執行委員)


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