| 南北関係の発展と平和繁栄のための宣言―統一問題
(3) かけはし2007.12.3号 |
労働者民衆運動陣営の韓半島・
東北アジア戦略の樹立が急務だ |
左派陣営も態度が問われる
統一は今日、労働者民衆運動陣営にとって、むしろ「火中の栗」のようだ。よしんばハンナラ党をはじめとする保守陣営が依然として反共、冷戦的思考や態度を示しているとはいうものの、もはや統一は労働者民衆運動陣営を表象する地位を持っているのではない。ハンナラ党さえ、執権に成功すれば統一をどんなレベル、どんな形態であれ、議題化させる可能性が高い。つまり統一は、もはや保守勢力にとっても避けて通りたい議題ではない。大多数の人々にとって統一は、すでに大事件という側面よりは一連の過程であり、迫り来る手順となっている。統一自体に対する感激や興奮よりは、それが自らの日常と暮らしに及ぼす影響がどうなのかを推し測ってみるほどに状況は変わっている。
ドイツは統一によって強盛大国となったのではない。その上、東西ドイツの労働者民衆の暮らしが画期的に改善はされなかった。統一韓国が労働者民衆に保障してくれるものは決して予定されてはいない。統一が米国の影響力の弱まりを自動的になし遂げるだろう、との保障もない。現実的に早い時期に統一がなされるとすれば、内容的には米国の影響力と南の主導力が貫徹された結果となるだろうし、これは労働者民衆にとっては新たな挑戦となり得ることはあっても、決して「新天地」ではありえない。
いかなる統一の方案も、いかなる統一のロードマップも、現在のところは政治的修辞や名分を飛び越えがたい。統一の方案やロードマップをどんなに精巧に設計し、戦略的に提示したとしても、現実をそれに合わせて動かすことはできない。むしろ最も現実的なシナリオは現在を維持し持続させる国内外の政治地図と階級力学に何らかの力の空白が生じるとき、一気にそして出しぬけに起こる可能性がより高い。
「07南北頂上宣言」や6者会談の進行状況を統一または民族という単純化した概念によって対処するには、現実ははるかに複雑であり、大多数の人々を説得させるにも充分ではない。労働者民衆運動陣営は統一問題を絶対的課題または至上命令として対したり、遂に目障りだとか無対策状態で放置していては共同の戦略的判断を下すことはできない。むしろ慎重かつ沈着に額をよせて論議していくことが要求されている。現在は統一を先立てるというよりは平和や南北経済協力についての積極的で能動的に対処をしていく過程を通じて政治的力量を強化していくことによって、迫り来る統一の情勢に備えることが、むしろ必要な時期だ。
それにもかかわらず、いままさに労働者民衆運動陣営が、共同の戦略的判断を下すことにおいて最大の障害物となっている。支配階級に向かって「分断固定型」の平和だの、「幻想維持型」の平和だのと、どんな声高に批判しても、その反響はそれほど大きくはない。ともすれば、むしろ袋小路の政治理念の攻勢ぐらいに映るか、現実とはかけ離れた主張として受けとめられる危険さえはらんでいる。民族主義陣営は、この側面を冷静に受けとめなければならない。統一の主体は労働者民衆でなければならないとの主張も、当為論としては正しい言葉ではあるけれども、その現実性は担保されずにある。統一の議題を単に主体の問題に還元したり、または想起することは原則的には誤りではないけれども、現実の影響力は微々たるものにならざるをえないのであって、もっと重要なことは、そのような主張が代案としても適切ではない、ということにある。統一の議題についての事実上の政治的棄権として映ったり、あるいは統一を積極的に思考するものとして歪曲されかねないからだ。左派陣営は統一の議題について、より明確な態度や立場を積極的に明らかにしなければならない。
共同戦線形成の討論を
統一の議題に関して今日、労働者民衆運動陣営に要求されているのは、統一が持つ意味が何であるのかについての共同の認識を確かめなければならない、ということだ。まず南北は歴史的にひとつの民族をなしていたけれども、自分たちが自らの意志や選択によって分かれたのではなく、よしんば民族の構成員内部の政治的問題が全くないわけではなかったけれども、帝国主義の介入や干渉によって強要されたものとして、現在の南北の構成員の大多数、特に労働者民衆が統一を望んでいないのであれば別個の問題だろうけれども、そうではなくて統一をいかなる意味においてであれ受け入れており、この実現が必要だという側面がある。したがって現在にあっては統一それ自体がいかなる統一、いかなる過程を通じた統一、いかなる勢力が主導する統一でなければならないかを推し測ってみることよりも優位に上がっている。
ここで問題となるのは帝国主義の介入と干渉を解消するために「わが民族同士だけ」または自主という概念によって対処することが充分かつ正しいのか、という点だ。また労働者民衆が統一を望んでいるからといって、統一を労働者民衆の最大かつ緊急の課題と想定し、最高の戦略的地位とみなさなければならないのか、という点だ。
さらに平和や南北経済協力との関係において、これらを必ずや事案ごとに1対1で統一に従属させなければならず、またそうすることができるのか、という点だ。これは主として民族主義陣営がこの間、示してきた態度であり、現在では大きな枠組みにおいて維持している立場だ。反面、左派陣営の場合は主として民族主義陣営を批判することによって対応してきたのであり、自らの独自的な主張や立場を明らかにしたり表現するところまでには踏み込めなかった。
労働者民衆運動陣営が直面しているこのような状態をこのままにしては東北アジア、韓半島情勢への対応のための共同戦線を形成するのは難しい。平和や南北経済協力に対する共同認識に至ることは甘いことではないけれども、統一は最も困難で重い問題だ。だからと言って、そのために共同戦線の形成が実現されなければ労働者民衆運動陣営全体の力が弱まる結果を迎えることにならざるをえない。望むらくは、東アジア、韓半島情勢についての共同対応が可能となるレベルへと、両者の立場が狭まるか、そうではなくとも最小限、互いの違いにもかかわらず共同戦線を形成できるほどの政治力を発揮できるのでなければ、と思う。
第2に、現時点で「07南北頂上宣言」と6者会談の進行の結果自体と南北支配階級に対してどのような態度を取るのか、の側面だ。これは共同戦線の内容での外縁的部門に相当すると言えよう。
「07南北頂上宣言」や6者会談の進行の経過が、言わば労働者民衆が排除された状態で、支配階級の間でなされているとは言うものの、その結果は労働者民衆にとって必然的に現在よりも、もっと悪影響を及ぼすものと帰結するということではない。けれども、それらを無条件あるいは無媒介的に支持したり歓迎できるものでもないということは、すでに明らかにした。労働者民衆の政治的利害と、いつでもそして肯定的に合致するものではないからだ。条件付き、または制限的支持を考えてみることもできようが、これまた現実においては支配階級か設定したパラダイムやフレームを克服するには力不足だ。だからと言って全面的拒否や批判一色というのも望ましくはない。これはむしろ現実への介入の機会を逃すことによって政治力を後退させる結果を生む可能性を一層、高めるだけだ。またそれについての限界を暴露し、原則的、根本的な対案だけを主張することは、労働者民衆が現在の水準でも実践可能なことさえできなくなる結果を生みかねない。すなわち戦略的判断ではなく戦略主義、または抽象的宣言主義は事実上、政治的棄権をすることと同じ効果をもたらすだけだ。
頂上宣言と6者会談
「07南北頂上宣言」や6者会談での合意は、それが実践されるまでは、その前に数多くの障害物などが横たわっている。これはこれまでの過程が生々しく証明している。仮に労働者民衆の闘争や要求のせいではなかったとしても、彼ら支配階級間の利害調整が決して順調に実現されないばかりではなく、宣言や合意に至った内容であったとしても、その中には相互の政略的(同床異夢)に同意した部分が相当部分、含まれており、また宣言や合意をした政権(主体)が変わったり、国内の政治力学が変わることになれば、それに伴う変化は不可避的に発生するからだ。したがって宣言や合意は常に流動的であり不安定だ。労働者民衆が注目して見なければならない地点は、まさにこの部門だ。
「07南北頂上宣言」は、ともあれ南北間の平和増進と南北間の交流、協力を強化させる方向で組み立てられている。これは以前の状態と比べて相対的に進展したものとして評価できる。6者会談もまた外形上では明らかに米国の対北敵対政策の撤回または弱化と「北核問題」の解消を目標としている。これまた東北アジア、韓半島での政治、軍事的緊張緩和のために必要とする部門だ。問題となるのは、労働者民衆がこの過程から排除されており、その到達地点は労働者民衆の窮極的利害と一致してはいないことだ。だがこれは現在のところは甘受するほかはない。このような状況自体を根本的に変えがたい状況であるならば、到達した地点で新たに形成された条件の下で、また再び運動を展開していく準備をしていくことが、より必要だ。
「07南北頂上宣言」と6者会談での合意は、労働者民衆の立場においても必要条件であるならば、この実行を促し強制するための行動も、一方では必要だ。前に述べたように、この実行はいつも流動的かつ不安定であるがゆえに、そのような行動は必ずしも支持へと結びつかなければならない必然性はない。むしろ労働者民衆運動陣営が独自的に展開することのできる政治的力学や空間が客観的に存在する。支配階級に対する幻想や期待、または依存的な立場や態度を取らなくとも、それは可能だ。これに加え、宣言や合意はいつも不充分であるがゆえに、この部分についての積極的な攻勢も併行させることができる。
まさにこの過程を通して、一方では排除された状態、つまり観客の位置から脱け出して状況に影響を及ぼし、政治力を発揮する主体として踏み出さなければならない。そしてその過程で労働者民衆の政治的力量を育てていかなければならない。他方では、そのような介入を行いながら、支配階級が設定しておいたパラダイムやフレームそして議題を労働者民衆のものとして代替していくことのできるチャンスを捕らえることができるように、緊張を維持させなければならない。これがまさに労働者民衆の立場からして追求すべき道程だ。政治的介入を通じた成果を導き出すことなしには、主張をしたり要求することのできる政治的持ち分(根拠)も生まれない。
南北支配者をどうみるか
労働者民衆運動陣営は米国および国内の保守主義陣営とは政治的対立角を立ててきたけれども、自由主義政権が失権した10年間、少なくとも南北問題についてだけは、そうではなかった。民族主義陣営は北の体制や政権に対して友好的態度を取ったり、同質性をあらわにしたし、キム・デジュン、ノ・ムヒョン政権とは協力的ないしは依存的な態度を示してきた。左派陣営は北に対して批判的ないしは否定的な態度を持っており、ノ・ムヒョン政権とも一貫して対立角を立ててきたけれども、韓半島の情勢についての介入自体が中途半端なことによって、独自的な領域を政治的にうち立てることができなかった。
労働者民衆運動陣営が東北アジア、韓半島情勢への対応のために共同戦線を形成するためには支配階級に対する態度において、いくつかの合意に到達しなければならない。まず北に対しては最小限、米国の対北敵対政策の撤回と「北核問題」が解決されるまでは北の体制や政権に対する認識の違いを互いに問題とせず、それぞれの政治的煽動、宣伝の自由や、それに対する批判の自由を同時に認めることができるようにしなければならない。どのみちこの問題は短期間には解決されがたく、さらに言えばこれは統一韓国以後も継続し得る問題だ。
だが南の支配階級に対しては原則的で政治的な対立角を鮮明にしなければならない。このために民族主義陣営は自由主義政治勢力に対する依存的な態度にけりをつけなければならないし、左派陣営は民族主義陣営との共同対応を実現させるための積極的な努力をしなければならない。この点が可能になるのであれば、国内の政治力学を考慮して事案別に米帝国主義および国内の保守主義陣営に対応するための自由主義政治勢力との事案別の連帯が完全な不可能なことではないということもあり得る。そのために民族主義陣営は韓半島問題についての考慮のゆえに国内の階級闘争の過程で協調的な態度を取るようなことはこれ以上、行ってはならないし、左派陣営の場合も韓半島問題において自由主義政治勢力が果たすことのできる役割を全面否定する必要はない。
現実の東北アジア、韓半島情勢は労働者民衆運動陣営が後追いしがたいほどに素早く、かつ広範に進行する可能性が高い。仮に「07南北頂上宣言」や6者会談が順調に進行してもそうなのだが、反対に紆余曲折を味わったり、あまつさえ破産に至ったとしても、大きく変わるものはない。どのみちぶつかり合う政治的課題や挑戦は与えられざるをえない。問題の核心は、いかにして労働者民衆運動陣営の独自的な政治的領域や空間を作り出すことができるか、の問題だ。現実の躍動的な過程に追いつこうとも、その先頭に踏み出せなければ、その意志とは関係なく落伍するほかはない。
(おわり)
(「労働者の力」第135号、07年10月26日、コ・ミンテク/中央執行委員)
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