かけはし重要記事

frame01b.html

もどる

アイヌ文化振興法制定から5年            かけはし2002.7.15号より

民族的自立と共存を可能とする政策の実現を

アイヌ民族から3つの報告

 六月二十三日、日本キリスト教会館で、「アイヌ文化振興法制定から5年 アイヌ民族はいま…」が先住民族の10年市民連絡会主催で開かれた。アイヌ文化振興法が制定されてから五年も経つが、三人のアイヌ民族からの報告はアイヌ文化振興法がアイヌを先住民族として認めていないことに示される限界や、その結果として行政の施策がアイヌ民族の自立を困難にしていることを浮き彫りにした。
 貝澤耕一さんは北海道・二風谷在住で、父・正さんの遺志を継いで二風谷ダム裁判を萱野茂さんと起こし、一九九七年三月二十七日実質勝訴した。日本の司法機関が初めてアイヌ民族を「先住民族である」と認めた。貝澤さんは、NPO法人ナショナルトラスト・チコロナイ理事長、平取アイヌ文化保存会事務局長などを務める。
 貝澤さんは、和人によるアイヌ侵略史を認めること、生活保障、民族自立にむけた施策を要求した(別掲)。
 続いて多原良子さん(札幌市アイヌ生活相談員、北海道ウタリ協会札幌支部事務局次長、ウハノッカ友の会副会長)がアイヌ文化の振興だけでは民族の自立はできないことを訴えた(別掲)。
 最後に、長谷川修さん(首都圏のアイヌの自立を目指して活動している。先住民族とともに人権・共生・未来を考える会代表、レラの会事務局、アイヌウタリ連絡会事務局などを務める)は振興法をいったん廃棄して、抜本的な施策が必要だと訴えた(別掲)。
 この三人の提起を受けて、会場を交えて討論が行われた。
 アイヌ民族の伝統的な生活空間「イオル」の再生構想は、中核施設を胆振管内白老町に設けることが決まった。イオルとは、アイヌ語で民族が暮らしていたコタン(集落)や山野、森、川、海などの空間をいう。
 このイオルの再生について、貝澤さんは次のような意見を述べた。
 「イオルを作ったら、昔のアイヌの生活を知ることはできる。アイヌの精神文化とは何だったのか私もわからない。市町村はテーマパークを作り、観光客をよぼうとする。私は昔のままのアイヌの生活を再現したい。しかし、過去のアイヌの生活に戻ろうとは思わない。アイヌは古いもの、昔のもの、貧しく美しいとしかイメージされるがそんなことはない」
 「アイヌ文化をどうやってつぶされないで、伝承するのか。どういうアイヌ民族になっていくのか。博物館的ではなく、開かれたものとして、文化の多様性、アイヌが魅力的であるからひかれる、となりたい。生きるための力をつけるような教育が必要だ」。
 この他、国立公園や国有地の運営について、アイヌの意見を取り入れる運営委員会を作ることやアイヌ民族への補償としてウタリ対策をきちんと位置づけてやることなどの意見が出された。アイヌ民族が自立できるかどうかは和人や他の民族がともに共生できるかどうかのめやすでもあり、われわれがどのような社会をつくろうとするのかを考えるうえで、きわめて重要なシンポジウムであった。(滝)


貝澤耕一さんの報告から

先住民族としての承認を


 アイヌ文化振興法については、五年前の感想とまったく同じだ。良い点はアイヌという言葉が飛び交うようになった。発言できる機会が増えた。悪い点はこの法律は日本国民がだれでも活用できる。以前に比べればおカネを出しているが、おカネにむらがる人が多く、アイヌ自身の足のひっぱりあいが起こっている。
 なぜ、そうなるのか。アイヌ文化は認めているが、民族としての人権を認めていないからだ。いままで、ウタリ対策は同和対策を横流しするような形でしか進められていない。アイヌを先住民族として認め、アイヌ民族が自立できるための援助をすべきだ。
 つい先頃、閣僚の平沼や鈴木宗男が「日本は単一民族国家」だと発言した。独自の言語・文化を持った少数民族がいることを認めない許し難い発言だ。二風谷ダム裁判では先住民族を認める判決を下したが、文化振興法ではこれを取り入れなかった。
 アイヌ民族は和人と条約を交わしていない。かってに和人は領土を奪った。教科書には「蝦夷(えぞ)」「えみし」征伐と書かれているがアイヌに対する侵略と略奪の歴史だった。日本はアジアを侵略し、天皇制を強制し日本文化を押しつけた。もし、戦争に負けなかったら、アジアにアイヌと同じ人たちをつくってしまっただろう。
 平取町に五百人のアイヌが住んでいるがアイヌ語を話せる人は五人ぐらいしかいない。「旧土人法」は土着する人ということで先住民と認めている法律だった。新法は民族が自立できるように改訂していくべきだ。ウタリ協会は領土を返せとか北海道から出ていけと言っていない。違いを認め合って仲良く生きていきたいと思っている。
 五年前の二風谷ダム判決を無視して、いま二風谷ダムの上流にダムを作ろうとしている。国は「二風谷ダムの時は手続き上の誤りであって、今度は問題はありません」と言う言い分だ。日本政府がいまだにアイヌ民族を認めていない証拠だ。不景気で仕事がないから作るとされている。
 私は次のような要求をしたい。第一に、日本史の書き換え。蝦夷・えみし征伐を侵略に替え、反省すること。第二に、差別をなくすために仕事や生活の保障だ。九三年に二風谷フォーラムをやった。十三カ国・二十七民族が参加した。それから、北海道の森を取り戻す運動をはじめた。いま、二十ヘクタールの山林を買い取ることができた。ダムをつくらずに洪水を防ぐことができる。十年間にダムのために三百億円が使われる。それだけのおカネを使うのなら、山を守るために人海戦術でやったらいい。そうしたら、雇用確保にもなるし山も回復する。(発言要旨、文責編集部)



多原良子さんの報告から

文化・生活一体の支援を


 私は札幌に住んでいるが、札幌独自の悩みがある。新法は文化の振興のみになってしまった。研究、復元、展示・公開、体験交流、国際交流などの文化活動は本当に活発になった。アイヌ語を習っても、使う場所がない。和人の学者や学生だけが習って、単位をとったりしている。駅名・地名・川の名前など元のアイヌ読みにもどす、あるいは両方使うようにしなければならない。
 アイヌ文化フェスティバルを全国各地でやっている。何十億円かけて、キャンペーンをやるがその時だけに終わってしまっている。いまは舞台で踊るだけだ。本当は自然な気持ちで神と対話することが重要だ。いまのやり方は文化の促進につながっているのだろうか。ただで見る和人の方が恩恵を受けているのではないか。
 閣僚にアイヌ民族差別発言があった。差別禁止法を作らなければならない。
 北海道のウタリ対策ということで、修学資金の貸付けがあるが十五億円が返済未納になっていることが問題にされた。それから貸付けが厳しくなっている。毎年、アイヌ対策費は削られている。アイヌは生活が厳しいので、この貸付けがないと子どもたちを進学させるのがたいへんだ。生活保護受給者も和人の二倍になっているのではないか。
 文化法だけでなく、生活の中で伝承していけるようなアイヌ法であってほしい。(発言要旨、文責編集部)


長谷川修さんの報告から

政府による謝罪と補償を


 北海道のアイヌとまったく違うということを知ってほしい。ウタリ協会は差別発言に抗議するため抗議団を結成した。しかし、首都圏のアイヌとはいっしょに行動しないと言ってきた。道庁とのかかわりで、鈴木宗男との場を設けた。首都圏のアイヌがそこに入るとデメリットがあると判断したのだろう。それで、私は鈴木宗男と直談判した。ウタリ協会は最大の組織ではあるが、アイヌ全体の代表ではない。ウタリ協会は全国のアイヌをまとめるネットワークをつくるイニシアチブをとるべきだ。
 日本政府・和人によって少数者・アイヌの普段の生活がねじ曲げられ、母語を失い、文化継承を絶たれ、アイヌコタンの崩壊などによる心の窮乏を強制された。アイヌウタリ自らが共に生きることを始めるには、百年の罪に対して二百年、三百年の謝罪と償い、保障、ケアーがなければ人間アイヌの尊厳は回復できないだろう。九七年の「旧土人法」の廃案、そして反省では何の解決にもならない。私が考えるのは八四年の「法律案」が目指したのは、アイヌ自らがアイヌと「共生」することを願い、「自立」と「自己実現」にすべての力を集中させることであった。
 振興法はまったく評価できない。法律を廃止すべきだ。
 次の世代に何を伝えることができるのか。開拓使仮学校があった東京芝・増上寺の件を伝えるべきだ。このことについての歴史的掘り起こしと意味にこだわりたい。このことを通してアイヌ(道外)で居ることの意味を考え、アイヌに語りかけ、まず供養祭(イチャルパ)―カムイノリを行い「共に居る」ことを体験する。
(発言要旨、文責編集部)

注 開拓使は、一八七二年五月、東京府芝(現、東京都港区)の増上寺に設置した開拓使仮学校付属北海道土人教育所と東京府下渋谷村(現東京都渋谷区)に設置していた開拓使第三官園にアイヌを強制的に入学・入園させました。しかしながら、帰郷を願い出るものが多く、一八七四年七月、退学ないし帰省を希望したアイヌを全員帰道させ、北海道土人教育所を廃止しました。開拓使官園では翌八月、帰省者を再び東京に連行し農業指導を開始しようとしたが、応じたアイヌは皆無でした。
 アイヌを東京ヘ連行し教化する施策は開拓次官黒田清隆が計画し実行しました。この施策は、連行されたアイヌへの強制だけでなく連行されたアイヌの家族、コタンの破壊と無関係に考えることはできません。さらに、歴史の事実として「連行」されたアイヌのなかには逃亡したアイヌ、さらに、環境に順応できず、病気になった者もいるし、死んだアイヌも何人かいたともあります。
 対アイヌの歴史において強制同化、アイヌ民族の世界、精神、文化の剥奪の最初と言われている。日本政府(当時、明治時代)はこの以後明確にアイヌへの同化政策を強行した。(「アイヌ民族の権利回復を求める会」通信より(No8/00年7月1日発行)


もどる

Back