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沖縄戦教科書検定意見撤回求める全国集会        かけはし2008.1.1号

沖縄戦の真実ヲ歪めるな

「なぜ自分たちだけ死んで日本軍は生きているのか」


 十二月三日、東京・九段会館で「沖縄戦教科書検定意見撤回を求める12・3全国集会」が東京沖縄県人会と大江・岩波沖縄裁判を支援し、沖縄の真実を広める首都圏の会の主催で開かれ、千人が集まった。
 来年の四月に使われる高校歴史教科書が「沖縄戦で日本軍の命令による住民の集団自決はなかった」と検定意見が出され、文部科学省はこの意見を通して教科書の記述を修正させた。沖縄県民は「真実を歪めるものだ」と猛烈に怒り、9・29県民大会を十一万六千人で開き撤回と記述の回復を求めた。
 文科省は動揺し、訂正申請には応じるとしながらも、撤回も謝罪もしないとしている。印刷の関係で十二月初旬までが攻防のギリギリの期限となっている。
 最初に「写真家がとらえた沖縄」(日本ビジュアルジャーナリスト協会)がスライド上映された。沖縄戦の証言者が写し出された。訴えがひしひしと伝わる迫力のあるスライドであった。
 金城重明さん(沖縄キリスト教短大名誉教授)が渡嘉敷島で兄とともに、母や幼い弟妹を手にかけざるを得なかった「集団自決」の真実を語った。
 「三月二十七日に米軍の上陸が始まり、三月二十八日に『集団自決』で三百二十九人の島人が死んだ。なぜ翌日に起こったのか。それは日本軍から陣地の近くに移動しろという命令があったからだ。夜、艦砲射撃の中、七キロメートル程歩いて移動した。村長が『天皇陛下万歳』を三唱した。これは日本軍とともに死を覚悟せよというものだった。配られていた手榴弾で死のうとする人が出た。パニック状態の中で、区長が木の枝をへし折って、自分の愛する妻をメッタ打ちにした。これが島民に死に方を教えるものとなった。島民はそれに続いて、一番幼い者から殺していった。鬼畜米英という敵愾心を徹底的にたたきこまれた死と殺しの教育の結果だ」。
 「その後、敵と戦って死のうという誘いにしたがってそこを離れた。すると最初に会ったのは日本軍であった。なぜ、自分たちだけが死んでいっているのに、日本軍は生きているのかと、憤りと恨みがつのった。歴史の真実を明記し、二度と戦争を起こしてはならない」。
 続いて、教科書執筆者の坂本昇さんが「撤回は求めるが、来年の四月に間に合わせるために、主語に『日本軍』を明記し、9・29沖縄県民大会にも触れた訂正申請をした」ことを報告した。
 次に暉峻淑子さん(埼玉大名誉教授)が著書『豊かさは何か』で生活保護受給者が自殺せざるを得なかったコラムを教科書から削除されたことに抗議し、四年間にわたる闘いによって、教科書の検定を取り消させた経緯を報告した。続いて、平和フォーラム、教組の仲間たちが訴え、アピールを採択して、謝罪と撤回を勝ちとるまでねばり強く闘うことを確認した。 (M)



右翼の悪罵はね返して
文科省に要請宣伝行動

 十二月四日、前日の九段会館での集会の成功を受けて、「沖縄戦教科書検定意見の撤回を求める会・東京」は、午前十一時から文科省への要請行動を行った。
 同時刻に「集団自決『軍命』はなかった」と主張し、「文科省は政治介入に屈するな」と訴える極右「つくる会」系のグループも、この行動にぶつけて結集を呼びかけ、文科省前に集まった。この極右勢力は、女性国際戦犯法廷や昨年の「靖国キャンドル行動」への妨害を繰り返した西村修平らの「主権回復をめざす会」グループ。二十人ほどの彼らは「つくる会東京三多摩支部」や「つくる会東京支部」などののぼり旗や「主権回復をめざす会」の横断幕を押し立て、大音量のスピーカーからわめきたてた。「十一万人県民大集会はウソで本当は一万人ちょっとだ」「彼らは沖縄を日本から分離させて中国の領土にしようとしている」などと繰り返した。
 「検定意見の撤回を求める会」の行動には約百二十人の市民たちが集まった、この行動には「寿」などのミュージシャンも参加し、路上コンサートやアピールで右翼の大音量での罵声に整然と対抗した。
 昼休みには文科省への申し入れに同行した、共産党の赤嶺政賢衆院議員や社民党の山内徳信参院議員も発言、「あくまで文科省の検定意見の撤回を求めて闘う」と決意を述べた。(K)


声明
大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会
大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会

 文部科学省は12月4日、高校日本史教科書における沖縄戦での強制集団死(「集団自決」)記述に関して訂正申請を行った各社に対し、検定審議会の「指針」なるものを口頭で伝えたと報道されている。
 「指針」は、「集団自決」が直接的な軍の命令にもとづいて行われたことは確認できないとして「軍の命令」を明記しないよう求めている。また「集団自決」が、住民が戦闘に巻き込まれるという「異常な状況」あるいは戦争末期の「極限的状況」のなかで起こったことだとして、あたかも特殊な状況下でのやむを得ない事象であったかのように記述するよう求めている。さらに、軍の強制だけではなく「集団自決」に追い込まれるにいたった「複合的な背景・要因」を記述するよう求めている。これらは要するに、日本軍による誘導・強制・命令によって「集団自決」がおこった事実をあいまいにして日本軍の責任を免罪し、結局、日本軍による強制の事実を教科書に書かせないということにほかならない。これは戦争の事実を正しく認識し過ちをふたたびくりかえすまいとしてきた沖縄県民はじめ多くの人々の願いをふみにじるものである。
 このような「指針」にもとづいて訂正申請について審議が行われるならば、結局、教科書記述の回復はできず、謝った検定意見による修正をへた記述となんら変わらないものとならざるを得ないであろう。「指針」は、結局のところ誤った検定意見を撤回せず訂正申請の受理でごまかそうとする文科省の姑息な方針をさらに具体化したものといわざるを得ない。
 去る9月29日の沖縄県民大会実行委員長である仲里利信沖縄県議会議長が、「指針」について「県民の体験と思い、これまでの取り組みをないがしろにするもので到底許されない」と批判しているのは当然である。
 「指針」でさえ「集団自決」の要因として例示している住民に対する教育訓練や手榴弾の配布こそ、「集団自決」が軍の強制によっておこったことを示す証拠であり、これらを単なる一つの要因として位置づけることは、むしろ生徒に「集団自決」の実態を誤解させるものにほかならない。日本軍の誘導・強制・命令を明記し、日本軍の責任を明確に示すことは「集団自決」の実態を誤解することなくとらえさせるために必須のことというべきである。
 よって私たちは文科省に対し、次のことを緊急に要求する。
1.問題の根源は、文科省があくまでも検定意見を撤回しない態度をとりつづけていることにある。誤った検定意見は直ちに撤回すること。
2.沖縄戦記述についての「指針」をただちに撤回すること。
3.訂正申請の審議にあたって、その内容と経過を公開すること。
4.沖縄戦に関する正しい記述の復活を求め「集団自決」における軍による強制の事実を示した訂正申請を承認すること。
 2007年12月12日



国会前ヒューマンチェーン第4波
防衛省疑獄糾弾!
新テロ特措法廃案


 十二月十日、午後六時半から「いらない!インド洋派兵・給油新法」国会前ヒューマンチェーンが、参院議員会館前の路上で行われた。新テロ特措法に反対するヒューマンチェーンはこれで四回目。
 延長した臨時国会の会期は十二月十五日までだが、言うまでもなく十五日までに同法案が通るメドはたっていなかった。まして参院は野党が多数なので否決は必至。そこで自民党と公明党は参院否決・衆院再議決による成立を見越して、会期を一月十五日まで再延長する準備をととのえつつある。しかし、新テロ特措法案への世論の支持率は三〇%台にとどまっており、福田内閣と与党の強行突破路線は新たな困難をもたらすことになるだろう。
 こうした国会情勢を受けて、集会ではまず野党国会議員からのアピール。七月の参院選で神奈川選挙区から初当選した牧山ひろえさん(民主党)は、石破防衛相の答弁で「航空自衛隊が活動しているイラクは危険な場所だけど戦闘地域ではない」などの苦し紛れの言い訳を繰り返していることを紹介、山下芳生参院議員(共産党)はお得意の落語を生かした軽妙洒脱な話し方で笑いをとりながら、守屋・防衛省疑獄を批判、「山田洋行」だけではなく三菱重工などの巨大軍事産業にも切り込むような闘いを貫く決意を語った。福島みずほ社民党党首の元気あふれる発言には通りかかった車からも、「頑張れ」の声援。福島さんは「憲法審査会」の始動の目論見にも反対しよう、と訴えた。
 市民からの発言は、ふぇみん・婦人民主クラブの設楽さん、憲法を生かす会の筑紫さん、キリスト者平和ネットの中尾さん、日本山妙法寺の武田さん、全労協の藤崎さん、子どもと教科書ネット21の俵さんと続いた。俵さんは、日本会議などの自民党「靖国」派と結びついた文科省官僚内の勢力が、教科書会社側の「訂正」申請すら受け入れようとしない態度を厳しく批判した。参加者は百五十人だった。
 国会にかけつけよう。新テロ特措法案を廃案へ。イラクからも自衛隊を撤退させよう。     (K)

アピール
NTTの東京強制配転・営業部門
土日祝日勤務強行に職場から反乱
古宮正道(電通労組首都圏支部執行委員長)

 敗戦後、荒廃した通信網を確立するため、一九五二年、電電公社が発足。一九八五年、電電公社は三十一万人の社員の反対を押し切り労使一体となり民営化(NTT)を強行した。社員の意識改革と人減らし合理化、多くの社員を転籍出向とした。一九九九年七月、規制緩和という流れの中で、NTTは持ち株会社、長距離会社、東・西電信電話会社へと分離分割された。
 即同年十一月、NTTは「中期経営計画」発表、グループ全体で約二万人削減、業務集約、営業所等の統廃合による人員削減合理化をうちあげた。二〇〇一年四月、更なる合理化案(NTT構造改革)を断行し更なる人的コスト削減、その焦点を五十歳以上の社員とし排除する内容とした。宮津社長は、NTTには五十歳以上が三〇%以上もいる、線路の置石、強制解雇したい、人に手をつける、政府がやらなければNTTが断固としてやると豪語した。
 NTT本体の業務を、企画・戦略業務、サービス開発業務等だけとし、その他の業務については新しく各県につくる会社(OS会社)に業務をアウトソーシングし、OS会社で働く社員の賃金を三〇%カットするという内容。五十歳以上の社員全員がNTT本体に残るか(満了型)、退職し再雇用のOS会社(退職・再雇用型)を選択するのかを強制された。
 生活をかかえた社員は家族ともども悩みに悩み選択させられた。九六%以上の社員が三〇%賃金カットの「退職・再雇用」を選択した。何故に賃金が三〇%もカットされるにもかかわらず「退職・再雇用」を選択したのか。労使一体となった圧力である。NTT本体に残っても五十歳すぎて高度な業務をやれるのかという圧力、長年親しんだ仕事ができなくなり、収益性の高い東京へと強制配転させられ、販売等、携わったこともない営業業務をさせられる。五十歳をすぎて東北・北海道の故郷から、家族から隔離され東京での単身生活を強いられる。NTTは社員・家族の心・生活に土足で踏み込み二者選択を迫り退職・再雇用型を強制したのである。
 二〇〇三年四月、「満了型」を選択した電通労組組合員七名は東京へ強制配転させられた。即強制配転無効の裁判をおこしたが二〇〇七年七月二十五日東京地裁は会社の主張を鵜呑みし反動判決を行った。会社の構造改革を評価し、不利益も通常甘受できる範囲を超えるものではないと切り捨てた。直ちに控訴し、第一回目の控訴審が十一月二十九日行われたが、「証人五名いずれも採用しない」という訴訟指揮を行い早期結審をもくろんだが満席の傍聴支援の力で来年二月十五日以降の判決へと押し戻した。
 会社は十一月突然、各営業センターに対して、土日祝日も営業させると通知した。各職場において組織をこえた猛烈な反発がまきおこった。ある職場では七〇%以上が土日休日勤務反対を求める署名に賛同し上司に突きつけた。ほとんどの営業センター職場で同様の反発がおこり騒然となった。東京営業センターでは十二月二日予定を来年一月に延期した。神奈川センターでは通信労組・電通労組が二十五日(日曜日)ストを打ち抜いた。昨年の株主総会での電通労組・通信労組・N関労・東京労組と共同の情宣活動、背景資本「みずほ銀行」への申し入れ、NTT年金引き下げ裁判、今回の営業センター土日祝日勤務白紙撤回を求める共同闘争を組織をこえて闘ってきた。
 今回の東京での営業部門の土日祝日勤務反対の闘いを、不満が充満するOS会社の労働者とも連帯し地域・地区の闘う労働組合・労働者と連帯し組織を超えた団結でNTTを社会的に包囲する闘いを行いたい。


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