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衰退と変革―ジルベール・アシュカルとのインタビュー(上)
                          
かけはし2008.11.10号

死刑執行に抗議する

国連決議を無視し歴史に逆行する死刑制度廃止へ
死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90


 十月二十八日、森英介法相は久間三平年さん、高塩正裕さんの死刑執行命令に署名した。今年に入って五回目の死刑執行である。国連の場でも日本における相次ぐ死刑執行に批判が高まっている。しかし日本政府はこの1年10カ月の間に二十八人もの死刑執行を強行したのである。われわれはこうした暴挙を糾弾し、死刑廃止フォーラム90の抗議声明を掲載する。(編集部)


 本日(10月28日)、久間三千年さん(70歳:福岡拘置所)、高塩正裕さん(55歳:仙台拘置支所)に死刑が執行されたことに対し、強く抗議する。
 森英介法務大臣は、就任後わずか1ヶ月しか経過していないにもかかわらず死刑を執行した。保岡興治前法務大臣に引き続き、きわめて短期間のうちに死刑を執行したことになる。これは、死刑の執行にあたっては、記録を精査し慎重に慎重を期すという人命に配慮した従来の慣行すら完全に踏みにじるものであって、暴挙というほかない。
 2006年12月25日の長勢元法務大臣の死刑執行に始まり、鳩山、保岡の各法大臣へと続く連続的な大量の死刑の執行は、わずか1年10ヶ月の間に、9回、合計28名にのぼり、過去30年間類例がなく、歴史に完全に逆行するものであって、強く非難されなければならない。
 今回の死刑執行は、流動する政局を前にして、もっぱら、2ヶ月に1回、1年に6回という死刑執行を確保しようとするためだけに行われたものであって、政治的にも道義的にもおよそ許されるものではない。
 国家・個人を問わず、人の命を尊重し、如何なる理由があろうとも人の命を奪ってはならないことは、人類共通の倫理であり、民主主義の原理・原則である。そして、それ故に、すでに世界の3分の2以上の国と地域が死刑を廃止しているし、国連は昨年12月すべての死刑存置国に対して死刑執行の停止を求めたのであり、これに応えて死刑存置国は死刑の執行を減少させてきたのである。しかし、唯一日本だけが、これを意図的に真っ向から踏みにじり、死刑執行を5倍以上に激増させ続けている。
 先日ジュネーブで開かれた国際人権(自由権)規約委員会において、日本の死刑制度について10年ぶりに審査が行われ、委員から死刑廃止を求める厳しい批判がなされた。日本政府は、この批判に謙虚に耳を傾け、死刑の廃止に向けてスタートを切るべきであったにもかかわらず、これにあえて逆らい、死刑の執行を強行したことは、国際的にも強く非難されてしかるべきである。
 日本では、凶悪犯罪は減少の一途をたどっている。死刑判決と死刑の執行の激増を正当化する理由はどこにも存在しない。
 久間三千年さんは、一貫して無実を訴え、再審請求を準備していた。物的な証拠も薄く、えん罪の可能性の極めて高い事件であった。確定してから2年という短期間の執行は、再審請求の機会を奪うものであって、およそ許されない。
 高塩正裕さんは、確定から1年10ヶ月しかたっておらず、極めて短期間の死刑執行である。しかも、一審は無期懲役だったが、二審で死刑判決となり、その後本人が上告を取り下げて確定しており、三審まで裁判を受ける権利を保障されておらず、死刑の量刑が正しかったか否か大いに疑問がある。
 同時に、法的に何らの義務がないにもかかわらず、死刑の執行を強いられている拘置所職員の苦痛にも心を致すべきである。
 私たちは、死刑の廃止を願う多くの人たちとともに、また、森英介法務大臣に処刑された久間さん、高塩さんに代わり、そして、この間連続的に死刑を執行させられている拘置所の職員に代わって、森英介法務大臣に対し、強く抗議する。

2008年10月28日


コラム
いいかげんにしろよ


 「介護保険第一号被保険者の資格を取得されました」という知らせが届いた。保険料の請求額を見て、わが眼を疑った。つい先月、給料から天引きされていた金額の五倍にもなるではないか。しかも健康保険とは別物であるから、両方支払わなければならない。さらに、自分が受けたい介護を受けたい時に、自由に受けることが出来るわけではない。「介護認定」という難関が待ち受けている。この難関の「内容」は事実上、行政の自由裁量なのだ。お上に逆らえば痛い目にあうぞというわけだ。
 私は、中小企業の従業員とその家族を対象とする政府管掌健康保険に加入していた。ところが、この十月一日から全国健康保険協会管掌健康保険(協会けんぽ)へと勝手に変更された。政府管掌ではなくなったのだ。運営は都道府県に押しつけられた。なぜか。政管健保は昨年度赤字に転落した。もはや黒字への転換はあり得ない。約三千六百万人の加入者は、政府にとって赤字を抱え込むだけのお荷物になったのだ。もはや甘い汁を吸うことは出来ない。自・公政府は電光石火の早業でこのお荷物を投げ捨てた。
 約三千六百万人の加入者は、全国一律の平等な保険料から都道府県の財政状況によって保険料が変わる無限の格差の中に投げ込まれていくのだ。しかも今後、高齢化社会の進行に伴って各自治体の医療費が膨らんで行くのは不可避であるから、保険料はますます高くなっていく。それでも、保険料を払わなければ高額の実費を要求される。まさに自・公政府が率先して格差社会を拡大、深化させているのである。
 先日、厚生労働大臣舛添は悪名高い「後期高齢者医療制度」(後期医療)の見直し私案を公表した。国民健康保険を都道府県単位に再編し、後期医療と一体的に運営するというもの。「一体的」とは、七十五歳での線引きを止めることらしい。つまり、国民健康保険ではなく都道府県健康保険ということなのだ。若干の改良の余地はあるものの後期医療を維持するのか、都道府県健康保険への再編か、舛添は二者択一を迫っているのだ。現行の国民健康保険の存続は採算が合わず、不可能というのがその論拠である。
 どうやら、自民党内で密かに検討されている内容を、舛添が先走って公表したようだ。厚生労働大臣の諮問機関「高齢者医療制度に関する検討会」(座長・塩川正十郎)に提起したものらしい。公明党は「相談を受けていない」と反発。自民党内は「個人プレイ」と混乱している。単に、次期衆議院選への個人的なリップサービスだけではない。
 赤字が膨らむだけの「高齢者医療」を政府から切り離し、あらゆる矛盾を加入者に一方的に押しつけるものに他ならない。この点で、自・公政府は一貫している。運営を押しつけた都道府県に対しては「支援金」という名のヒモ付き援助(伝統的な手法)で従わせようとしているのだ。
 だが、国民皆保険制度と国民皆年金制度は、国家が住民に保障すべきセイフティネットの両輪そのものである。日本に現住するすべての人間が何ら差別されることなく、あまねく平等に、人間らしく生き、生活できるセイフティネットが保障されなければならない。それは採算の問題で語られてはならない。給付と負担の問題は、このセイフティネットに接ぎ木される制度の問題として取り上げられるべきなのだ。このような立場に立たない政府は国家を運営する資格はなく、打倒されなければならない。 (灘)


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