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アメリカ  金融危機、それは1931年と類似しているか?                      かけはし2008.11.3号

国家が資本の赤字・リスクを「社会化」

次はスタグフレーションとして労働者に襲いかかる
                          チャーリー・ポスト



擬制資本の
成長と破綻

 金融危機は、われわれが知っているような資本主義の終りなのか。簡単に言えば、ノーだ。資本主義は周期的な短・長期的利潤の低落と経済停滞を避けることができない。しかし、マルクスが百五十年以上前に指摘したように、資本主義は賃金の押し下げ、労働の再組織化、大規模な破産といった内的メカニズムを持っており、それはこうした危機からの回復を可能にする。資本主義の「最後的」な経済危機などは存在しない。それは打倒されなければならない。
 現在の金融的メルトダウンに対して、われわれは何をするのか? 明らかにサブプライム住宅ローン市場の崩壊は、この危機の直接の引き金だった。しかしダグ・ヘンウッドが指摘したように、サブプライム住宅ローンは最大限でも住宅ローン市場の四分の一であり、このローンのうち滞納の危機に直面していたのは一〇%〜一五%に過ぎない。レーガンとブッシュ父の下で始まり、クリントンの下で完成した金融部門の規制緩和は、建設、機械、設備、物資の集積、サービス(「実体経済」)に投資された実質資本にほとんど何の基礎も持たない金融デリバティブ(ヘッジファンド、抵当債券など)の急速な成長をもたらした。
 しかし擬制資本の成長と破綻――マルクスが「所有権の流通」と呼んだもの――は、資本主義のあらゆる景気循環の特徴である。景気循環が頂点を迎える時、資本主義は新たに利益の上がる投資を追求する。物資の生産やサービスでは利益が低下するために、資本は将来の富を約束する金融証券――経済が成長し続けるという投機的賭け――に流入する。実体経済における経済成長の低下が、擬制資本が依拠する住宅などの資産価値を押し下げるにつれて、金融バブルは不可避的に破裂する。その結果はすべておなじみのものだ。投資家のパニック、株価やその他の金融証券価格の急速な低下であり、金融部門での破産の波の高まりである。

新たな停滞の
長期波動の局面

 われわれはこの二十五年間に、こうした金融危機を幾つも見てきた。一九八七年の株式市場の崩落、一九八〇年代後半と一九九〇年代前半の貯蓄とローンの破綻、この十年間の初めに起きた「ドット・コム(IT)」バブルの破裂などである。しかしこうした金融危機のどれも、実体経済における投資と生産の全般的崩壊――深刻な不況あるいは全面的恐慌――の引き金とはならなかった。資本主義国家ファンドの注入によって、こうしたそれぞれのパニックの後で、金融部門は安定化し、「実体経済」とウォールストリートの双方で成長が再開した。
 究極的には「実体」資本主義経済の潜在的健康状態は、こうした金融パニックの影響を押さえるものだった。不効率な固定資本を除去する破産・合併・買収の波、労働生産性(搾取率)を上昇させる「リーン・プロダクション(生産のスリム化)」、資本・労働市場を規制緩和する新自由主義的国家政策は、すべて利潤上昇を刺激した。資本蓄積拡大の「長期波動」は、金融危機の長さと深さを減少させた。
 しかし現在の金融的メルトダウンは、米国と資本主義諸国の経済が新たな停滞の長期波動局面に入っていることがはっきりと示される時点で到来している。この四半世紀の長期好況期間中の実体経済における投資の拡大――とりわけ生産の資本主義化/機械化の増大――は、今や逆向きに転換し、長期におよぶ利潤の低落と資本蓄積の停滞を指し示している。
 利潤率の新たな長期低落という状況の中で、サブプライム住宅ローン市場で始まり、ウォールストリートの中心へと広がったメルトダウンは、資本にとって不吉さ以上の意味を持っている。ベア・スターンズとAIG、そして他の企業の破産ないし破産寸前状況、そして株式市場の不安定は、鋭く深刻な不況を予告する「火災警報」である。金融破綻が野放しのまま広がるならば、一九二九〜三一年の規模での生産の全般的崩壊、大恐慌の到来もありうる。
 しかし全般的大不況は起こりそうもない。恐慌の政治的影響への十分に根拠のある恐怖は、民主党の共和党の政治家たちに、正統的な新自由主義経済政策の一部を放棄し、旧投資銀行(今や多目的銀行に転換、あるいは吸収された)と保険会社への七千億ドルの救済というブッシュの提案の一部に賛成――民衆の深い怒りを受けて若干の面倒な政治的取り引きを行った上で――するところへ向かわせている。この救済補助金と国家規制の一時的・部分的復活は、おそらく金融部門を安定化させ、到来しつつある不況の深さと期間を減らす――不況を押し止めることはできないが――ことになるだろう。その間、他の企業部門は、「ビジネス・ケインズ主義」の寛大さの分け前にあずかるために飼い葉桶の前に列を作っている。とりわけかつて「ビッグ3」と言われた自動車会社がそうである。
 全体としての資本は、この救済の代価を支払うことになるだろう。政治的に破滅的な経済的崩壊は避けられるとしても、金融部門の救済後にも根本にある利潤率低落の原因――固定資本の過剰――は残る。その結果、不況後の利潤は、物資とサービスの生産における新しい投資を促進するには低すぎるものとなるだろう。同時に、連邦財政の赤字にファイナンスされた、資本主義国家による銀行システムへの大規模な現金の注入は、貨幣の供給を増加させる。そこで起こりそうな結果は、多すぎる金で少なすぎる物しか買えないという事態――新たなインフレの波である。
 二〇〇八年十一月の大統領選で誰が選ばれようと、ニクソン、フォード、カーターが一九七〇年代を通じて取り組んだのと同様の「スタグフレーション」――価格インフレと経済停滞の結合――に直面することになりそうである。われわれのほとんどにとって、労働者階級の生活水準に対するいっそう厳しい攻撃が、現在の危機の主要な帰結である。革命的左派の立場に立つわれわれは、スタグフレーションの回帰が数十年前の労働者階級と民衆の闘争の回帰をも促進することを期待するのみである。

活動家が提起
すべきポイント

 現在の危機の中で活動家が提起すべき幾つかの基本的ポイントがある。第一に、議会のプランは、現在の投機の嵐による獲得物を私有化し損失を社会化しようとするものである。しかし政府の介入によって利益を得る者がいるとしたら、それは一般市民、とりわけ法外な抵当のために住居を失うリスクにさらされ、新たに破産法て締めつけられている幾百万の家族であるべきである。
 破綻した金融巨大企業を買収し「社会化」する金があるのだとしたら、その資金は闘っている住居所有者の抵当資産の立て直しのために、たやすく使うことができる。それはまた、安価でエネルギー効率のよい住居、病院、大量輸送交通機関、学校を建設する雇用プログラムのための資金にもなる。
 われわれがこうした状況に置かれているのだから、これらの資金の一部を社会保障を守り、「シングル・ペイヤー」(全国一律国民保険)制度を通じた普遍的な医療保障を行うために向けるのは当たり前ではないか。「シングル・ペイヤー」は住宅市場の安定化へのステップである。
 第二に、われわれの社会は戦争と帝国のコストを賄う「ぜいたく」など全くできない。最終的には一兆〜二兆ドルを費やすことになるジョージ・W・ブッシュのイラク戦争、百五十カ国にある米軍基地、二〇〇九財政年度予算で六%も増加し、イラクとアフガニスタンでの戦争に使われる六百八十六億ドルをふくめて(しかし帝国的占領のために後から要求されたあらゆる「緊急補正」支出はふくまれていない)今や六千二百十五億ドルにも達しているペンタゴン予算などがそれである。
 第三にわれわれは、なぜ政府と資本主義国家が、民衆の多数の願いに対してではなく資本家たちの要求に応えるのかを説明する必要がある。ウォールストリート救済に反対する民衆の怒りの波は、行政と議会指導者に対しておずおずとした若干の規制を法案に書き込み、不平等が拡大する時期にCEOの「過剰な」給与を抑制することを強制した。こうしたジェスチャーは、危機の時に際して国家が資本のためにリスクを「社会化」する一方で、その他すべての人びとの最も基本的な必要を「私有化」する(=個々人にゆだねる)という根本的現実を隠すことができないのである。

(この文章は米「ソリダリティー」のサイトに掲載されたもの。「ソリダリティー」は米国のラディカル社会主義者の連合的政治組織。隔月刊の機関誌「アゲンスト・ザ・カレント〔流れに抗して〕」を発行している。第四インターナショナルの米国の同志の多くは、「ソリダリティー」内で活動している。)

▼チャーリー・ポストはニューヨーク市立大学で社会学を教えており、ニューヨーク市立大学教職員組合で活動している。「ソリダリティー」のメンバーでもある。
(「インターナショナルビューポイント」08年10月号)


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「三多摩社青同闘争史」に感動!   

             北川良介(60歳代)

@この投稿が、「かけはし」に相応しいのか、どうか知らない。また、現実政治の問題として、「かけはし」と「労働者の力」に分裂しているのも、良く解らない。党内闘争は女性差別が問題だったようだが、その問題は現下の主要問題ではないのではないか?「党」は全体性であり、個々の問題での意見の相違は時間をかけた長い議論をすれば良いのではないか? そのこともおよそ半世紀前の名著が教えてくれる。

A私は、「三多摩社青同闘争史」の筆者=織田進氏を良く知っている。憧れの人だった。同時に彼の同志だったIさん、Sさんも良く知っている。砂川闘争のTさんも知っている。「5・18立川基地突入ー座り込み」にも参加者だった。フライヤーを炊いて、正面ゲート前で渦巻きデモをした思い出もある。印象は、大田龍の超主観主義的思い込みにも拘わらず、ショボイものだった。確かに、当時の情勢は米中直接対決。米国の核兵器使用の危機はあったと思う。だが社青同は孤立して突出すべきではなかった。それと何よりも、「誰かがカービン銃で撃たれて死んでくれたら良い」などと言う発想は、とんでもない大衆引き回し――官僚主義である。このことは半世紀たって初めて知った。……

Bしかし、既に半世紀を経ようとしている。織田氏も多分七十歳代であろう。私も既に現役ビジネスから引退をしている。それでも、あの三多摩社青同は今でも心の片隅に赤々と燃えている。多分長くても後二十年の命だろう。それでも、私はあの青春の時代に三多摩社青同を体験できて良かったと思っている。全くの外延部の人だったが女房も懐かしがっていた。

C初期の解放派の素朴三反主義の成れの果てが現下の悲惨な状況に喘いでいる。ブントも解体した。結局、歴史にテストされて残ったのは革共同三派だけである。やはり「党」は人為的、主観主義で建設できるものではない。豊かな経験に裏打ちされていなければならない。六〇年代末―七〇年のML派など完全に消滅した。革マル対中核の戦争もここ2〜3年は小康状態にあるようである。今こそレーニンの第三インターの伝統を正当に引き継ぐ第四インターの旗を高く掲げよう。この党には青年は勿論、中年も老年も其々の能力に応じて結集するであろう。

D私は眼の悪いのを押して長い「三多摩社青同史」を読み通した。何箇所も感動で涙が流れた。あれは私の青春だった。そして何よりも痛感した事は、現役の活動家諸君が頭を冷やして学習して欲しい。日本革命の名著である。何とか、あの本を市販ルートで再販できないものか? そうすれば日本全国に感動の嵐を呼び起こすであろう。あれほど冷静で正直で嘘のない闘争史はない。すべてが真実である、真実の重みに満ち満ちている。第四インターナショナルは真実の党である。   


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