| チャップリン『モダン・タイムス』に寄せて かけはし2008.11.3号 |
ブラック・コメディ
キャンドルは敗北した。こう語れば、キャンドルは今なお極めて小さい規模ではあれ続けられており、だから敗北したわけではないと反論する人もいるかも知れない。だがキャンドルはイ・ミョンバクを下野させることはできなかったし、せめて米国産牛肉の輸入を阻止することもできなかった。もちろんキャドルは今も継続されてはいる。だがキャドルは、もはや政権や資本を脅かすことはできない。キャンドルは今や長期闘争の事業場の非正規職の労働者たちのように、大衆の関心事から遠ざかっていた。
キャンドルの没階級的性格あるいは反階級的性格を指摘していた左派には、爆発する集団の知性に追いつけない古い観念論者たちだとの批判が降り注がれた。だが今は、集団の知性についておしゃべりしていた人々も、「国民の勝利宣言」という面はゆいことを繰り広げていたBSE(牛海綿状脳症)牛国民対策会議も、すべてこっけいになってしまった。
米国産牛肉の輸入を4大先決条件のひとつとして掲げていた韓米自由貿易協定に賛成している民主党へ創造韓国党はキャンドルがまるで我がものであるかのようにのさばり、左派は彼らと、彼らを支持する者たちの反動性からキャンドルを分離させることに失敗した。今は大衆に対する指導力を行使できなかった左派も、「指導」と「組織」を否定しつつ社会主義/コミュニズムを嘲弄していた自由主義あるいは自律主義性向の、いわゆる進歩的集団の知性も、すべて自省が必要だ。だがいかに理性においては悲観せざるをえない状況であっても、意志によって楽観しなければならない。
我々はいつも我々から笑いを奪い去ろうとする右派に立ち向かい、健康な笑いを失わないように心を砕かなければならない。楽観こそは歴史的にいつも労働者民衆の強力な武器だったからだ。
現代資本主義社会の苛酷で厳しい現実を鋭くえぐり出しながらも、健康な笑いという武器を鍛えることも忘れない映画があるが、それはまさに筆者が最も愛してやまない監督、チャーリー・チャップリンの1936年作『モダン・タイムズ』だ。この映画はデジタルで復元され、2003年の第53回カンヌ映画祭の閉幕作として上映されもした。映画は画面いっぱいに時計が映し出されて始まる。時計は「現代性」の象徴だ。「古代性」が「循環する歴史」を強調する「脱時間性」を特徴としているのに反して、「現代性」は「歴史的変化の可能性」を強調する「時間性」を特徴とする。
すべてのものを商品として仕立てる現代資本主義は、時間さえも商品性を高めるための道具へと転落させた。資本家どもは生産手段の私的所有を基盤として時間当たりの生産量を高めるためにテーラー主義やフォード主義を導入した。フォード主義が導入されるとともに労働者は時間に追い立てられ始まった。時間による労働者の搾取が始まったのだ。映画では「時間すなわちカネ」という台詞でこれをズバリ説明する。
資本主義は労働者をして、もっと速く、もっと多く生産しぬくことを強要せしめる。休むことなく回り続けるベルト・コンベアの前で休む間さえなく搾りに搾られる主人公の姿はマルクスやエンゲルスが語った「疎外された労働」の典型を描き出している、と言えるほどだ。労働者は機械の付属品となり、資本家によって徹底的に監視され、統制される。
ある日、主人公が働いている工場に、ご飯を食べさせてくれる機械を販売している人々が訪れて来る。彼らは、労働者が飯を食う時間さえも短縮すべきだと主張し、工場主は主人公を相手に飯を食わせる機械をテストする。飯を食わせる機械はテスト作動中にトラブルを起こし、主人公は機械に縛りつけられたまま途方に暮れることとなる。
もちろん主人公が味わっている苦痛はむごいことだけれども、映画では余りにもこっけいに描かれている。悲劇の喜劇化を極大化する術を知っている名監督チャーリー・チャップリンのブラック・コメディが光を放っている場面だ。けれども工場主は主人公の苦痛などには何の関心もない。彼はただ機械が円滑に作動していないことについてのみ不満をさらけ出し、機械を売りつけに来た人々に、こう語る。
現在も「労働者は歯車の一部」
「これは何だ、役に立たないじゃないか!」
工場主にとって主人公をはじめとする労働者は人間ではなく、機械の付属品であるにすぎない。彼にとってはそれが可能でさえあるならば、労働者が食事をする時間でさえ短縮して生産量を高めることにのみ血眼となっている。労働者を機械のように扱い、より多くの利潤を作り出すこと、資本家はそれを「実用」と言う。我々はこれを通じて「実用主義」を標ぼうしているイ・ミョンバク政権が資本家政権にすぎないことを今さらながらに確認できる。もっとも、どのみち資本主義体制においてすべての国家は資本家の執行委員会にすぎない。イ・スンマン(李承晩)からイ・ミョンバクに至るまで、国家が資本家の執行委員会でなかったことはあっただろうか。したがって重要なのは政権を変えることではなく、体制そのものを変えることだ。主人公が、ベルト・コンベアが回転する速度に合わせて無我夢中で仕事をし、あげくにはベルト・コンベアに巻き込まれていく場面は映画史上、最高の名場面中のひとつとして挙げられるに値する。そればかりか労働者が機械の付属品へと転落してしまった現代資本社会を象徴していると言えよう。機械に巻き込まれるほどに神経が衰弱してしまった主人公は結局、入院治療を受けることとなる。
退院後、失業者となった主人公が街を歩いていて落ちていた赤旗(モノクロ映画なので、ただ黒い色に見えるが、情況上、赤旗と見るべきだ)を掲げると、労働者の隊伍が彼に付き従う場面も印象的だ。たとえ主人公が社会主義/コミュニズムに共感して赤旗を掲げたわけではないにしても、「疎外された労働」に抵抗する労働者のストライキやデモが途絶えることのない現代資本主義社会の姿をよく示している場面だと言えよう。赤旗を掲げていた主人公は共産主義運動の主謀者と見なされ監獄に囚われるが、監獄で読む新聞にもストライキや暴動が続いているという記事が載っている。
出所した後、主人公は空腹でパンを盗んだ少女を救ってやる。2人は自分たちの家を持ち、そこで安楽な生活を営むことを夢見る。主人公はカネを稼ぎ家を買うためにデパート、鉄工所などで労働をするけれども、どこに行ってもドジの連続で働き口を失うこととなる。遂に2人はカフェで安定した仕事にありつくのだが、主人公がそのカフェで歌っているシーンは、有声映画が嫌いだったチャーリー・チャップリンが初めて声を聞かせてくれた場面として有名だ。
けれども喜びも束の間。2人は少女を追っていた警察とバッタリと出くわし、結局は再びさすらい人の暮らしをすることとなる。少女はむせび泣きながら、どんなに努力したところでいったい何の役に立つのか、と語る。ともすれば少女の言葉は、資本主義体制の中で生きていくすべての労働者の心情を象徴しているのかも知れない。労働者たちは安定的な働き口と安らぎの家、穏やかで楽しい生活を夢見る。だがどんなに一生懸命に働いても、仕事の場は不安定なばかりで、わが家を持つなどは、まるで空の星をもぎとることほどに難しいのだ。
後期資本主義に至って「労働の柔軟化」という名目で終生の職場は跡形もなくなり、非正規職は幾何級数的に増加している。土地や家はことごとく投資資本の手にわたり、資本家は何軒もの家を持っている反面、労働者は次第に「我が家」の夢を諦めている。
けれども理性によっては悲観するほかはない情況にもかかわらず、主人公は意志によって楽観しつつ少女の手を握って、我々はきっとうまくやり遂げられる、と語る。映画は夜明けに2人が手をしっかりと握って新たな道へと踏み出す姿を描きつつ幕を下ろす。モダン・タイムス、現代資本主義社会を生きている我々は、この映画の最後の部分をよく覚えておく必要がある。今日、我々が直面している現実がどんなに悲観的だとしても、結局はしっかりやりぬくことができるだろう。意志によって楽観しつつ、社会主義/コミュニズムに向けた労働者・民衆が主体となる政治を実現しよう!(「労働者の力」第150号、08年10月9日付、マ・ソンウン/キョレ児童文学研究会)
注 チャップリン(1889〜1977)、ロンドン生まれ、映画俳優・監督・脚本家・製作者。哀調をたたえた滑稽味をもつ独特のしぐさと扮装で、弱者・貧者の悲哀と現代西欧社会の不平等への怒りを表現。第2次大戦後のマッカーシー旋風(赤狩り)の中で1952年、米国から追放される。20年後、アカデミー特別賞を受ける。サイレント期の作品に『キッド』、『黄金狂時代』、『街の灯』、トーキーになってからは、資本主義社会の人間疎外を皮肉る『独裁者』、戦争批判の『殺人狂時代』、『ライムライト』などがある。(『NAVIX』講談社、などより)
コラム
幕末維新まつり
自宅から徒歩で十分ほどのところに松陰神社がある。この神社には安政の大獄で捕らえられて、伝馬町の獄で三十歳で刑死した吉田松陰の墓があり、本殿の横には山口県萩市に残る松下村塾を模造した建物が立てられている。
この神社のある土地は、もともとは長州藩の藩主毛利大膳大夫の所領であった。松陰刑死から四年後の一八六三年に、長州藩で松下村塾の門下生であった高杉晋作、伊藤博文らが、松陰の遺骨を千住小塚原の寺よりこの地に改葬したのであった。神社創建は一八八二年である。神社脇の墓には長州藩出身者の墓が多数残されている。萩市の観光ガイドによれば、萩にも同名の神社があり、松下村塾の他にも松陰旧宅や歴史館があるようだ。
十月末に、この神社の祭りが開かれた。その名も何と「幕末維新祭り」であり、今年で十七回目だ。「ピーヒャラピ、ピーヒャラピ♪」と官軍の笛と小太鼓の音色が流れる神社通り商店街は、各店の店頭に酒、ビール、それに様々な食べ物が並びにぎわいを見せている。神社の境内にも出店が並び、萩観光物産展も開かれており、地元の酒、乾物、カマボコ、萩焼陶器などが販売されている。また幕府側として戦った会津、新潟(越後)の観光物産展も行われている。月刊『松下村塾』(第19号、680円)なる雑誌があるのには驚いた。
境内では、松下村塾前で「幕末野外劇」が、神楽殿で「会津白虎隊踊り」が行われ、区役所前から神社までの「奇兵隊パレード」と神輿が祭りのハイライトになっているようだ。松陰の墓の両脇には、萩市長と萩商工会議所会頭からの献花が置かれていた。
吉田松陰の思想とはいかなるものであったのか。岩波新書の『明治維新と現代』(遠山茂樹著)によると次のようなことである。
「彼の思想的系譜から長州藩尊皇攘夷派が生まれた」。
「彼は開国進取の国是を確立するためにあえて一度は攘夷せよと論ずるのである。その開国進取とは、カムチャッカ・沿海州・琉球をわが領土とし、朝鮮・満州・台湾・ルソンを占領し、しかるのち『愛民養士』の政をおこなうというものである。外国に威嚇されての開国では、国の自立の精神は育たない、その主体回復のための攘夷であった」。
「この論で注目すべきは、国の自立・独立と外を制する対外侵略とが不可分のものとして把握されていることである」。
「松陰にあっては、攘夷=海外侵略→強兵富国であった」。
「松陰は攘夷という死地に日本をおくことによってのみ、危機からの脱出がありうると見ていたのである。……彼の尊王論もそうした攘夷論に対応していた」。
「尊王は攘夷の手段ではなく、君臣の大義をあきらかにする尊王が、いっさいの改革の根源だと見た。こうして尊王絶対の思想が生まれる。そして尊王絶対からは、将軍・藩主・親の価値は相対化される。……功業すなわち成果を期待せぬ尊王への献身である」。
吉田松陰が長州藩お抱えの神社に祀られている訳が、これでよくわかるというものだ。 (星)
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