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食糧危機――パート1                  かけはし2008.6.9号

食糧価格の高騰が26億人を直撃

資本主義モデルの歴史的破綻一部企業が食糧流通を独占
                            イアン・アンガス


ハイチと食糧危機
カナダの豚肉価格

 「政府が生活コストを下げられないのならば、すっきり退場しなければならない。警察と国連軍が私たちを撃ちたいのならOKだ。結局のところ、われわれが銃弾で殺されなかったとしても、飢えて死ぬだろうからだ」。――ハイチ・ポルトープランスのデモ隊。
 ほとんどの人びとが、良好な健康を維持するのに必要である量より二二%も低いカロリーしか摂取できないハイチでは、少々の野菜油と塩を入れて粘土と水を混ぜ合わせた「泥クッキー」を食べて飢えの苦しみをしのぐ人びとがいる(1)。
 その一方カナダでは現在、連邦政府が豚肉生産削減計画の一環として、飼育豚の大量間引きで殺した豚一頭につき二百二十五ドルを支払っている。豚肉価格の低落と飼料価格の高騰で搾り取られた豚飼育農家は、このプログラムが九月に終わる前に間引き豚に充当される資金をすべて使い切るように、猛烈に求めてきた。
 殺された豚の一部は地域のフード・バンクにまわされるかもしれないが、そのほとんどは廃棄されるかペットフードに使われるだろう。ハイチに送られるものはないだろう。
 これが資本主義的農業の残酷な世界の現実である。この世界では、一部の人びとは価格が安すぎるという理由で食糧を廃棄し、その他の人びとは食糧価格が高すぎるために事実上ゴミを食べているのだ。

世界的規模で
記録的な高値

 われわれは、価格をここ数十年の最高水準に吊り上げた、かつてなかったような世界規模の食糧価格インフレのただ中にある。この値上げはほとんどの種類の食糧に及んでいるが、とりわけ値上がりが大きいのは最も重要な主要食糧、すなわち小麦、トウモロコシ、コメである。
 国連食糧農業機関(FAO)によれば、二〇〇七年五月から二〇〇八年三月までの間に穀物価格は八八%、食用油と脂肪は一〇五%、乳製品は四八%値上がりした。FAOの食糧価格指標全体を見れば、一年で価格は五七%上がった。その価格上昇のほとんどは、ここ数カ月で起こったものである。
 世界銀行の別の資料によれば、二〇〇八年二月までのここ三年間で世界の小麦価格は一八一%、世界全体の食糧価格は八三%上昇した。世界銀行の予測では、少なくとも二〇一五年までは、ほとんどの食糧価格は二〇〇四年の水準を大きく上回り続けるだろう。
 最も普通の等級のタイ米は、五年前には一トン百九十八ドルで売られ、一年前には一トン三百二十三ドルで売られていた。それが四月二十四日には一千ドルになった。
 価格上昇は地方の市場の方が大きい。ハイチでは三月末に、一週間のうちにコメの五十キロ入り袋の市場価格が二倍になった。
 この価格上昇は、一日、二米ドル以下で暮らし、収入の六〇〜八〇%を食糧に費やしている世界の二十六億人の人びとにとって破滅的なものである。
 今月(四月)、飢えた人びとは反撃を開始した。

世界33カ国で社
会不安のおそれ

 四月三日、ハイチ南部の都市ルカイエでデモ隊がバリケードを築いてコメを運んでいたトラックを止め、食糧を配分し、国連関係の事務所が入っている建物に放火しようとした。抗議行動はただちに首都ポルトープランスへ広がった。ポルトープランスでは数千、数万の人びとが大統領官邸へ向かって行進し、「われわれは飢えている」と叫んだ。多くの人びとは国連軍の撤退、ならびに二〇〇四年に外国によってその政権が転覆され、亡命中の前大統領ジャン・ベルナール・アリスティドの復帰を求めた(訳注:アリスティド前大統領の追放については、「かけはし」04年3月15日号、平井純一「ハイチのクーデターとブッシュ政権のグローバル戦争」参照)。
 当初は何もできないと言っていたルネ・プレヴァル大統領は、コメの卸売価格の一六%引き下げを発表した。これはせいぜいのところ一時しのぎの政策である。なぜならこの価格引き下げは一カ月だけであり、小売商には価格引き下げの義務はないからである。
 ハイチでの行動と平行して、他の二十以上の国でも飢えた人びとによる同様の抗議行動が行われた。
 西アフリカのブルキナファソでは、労働組合が二日間のゼネストを行い、商店主はコメや他の主要食糧価格の「大幅かつ効果的な」引き下げを要求した。
 バングラデシュでは、ファツラーの繊維工場の二万人以上の労働者が価格引き下げと賃上げを求めてストライキを行った。群衆に催涙ガスを発射した警察に対して彼らはレンガや石を投げつけた。
 エジプト政府は、賃上げ、独立した労組の結成、価格引き下げを求めたゼネストを阻止するために、ナイル川デルタ地域のマハッラ繊維工場群に数千もの国軍を派遣した。二人が殺され、六百人以上が投獄された。
 西アフリカ・コートジボアールのアビジャンでは、バリケードを築き、タイヤを燃やし、主要道路を封鎖した女性たちに対して、警察は催涙ガスを使用した。幾千人もの人びとが大統領の屋敷に向かって行進し、「私たちは飢えている」「生きていくのにカネがかかりすぎる。あなたは私たちを殺そうとしている」と叫んだ。
 パキスタンとタイでは、貧しい人びとが畑や倉庫から食糧を持っていくのを阻止するために武装兵士が配備された。
 同様の抗議行動が、カンボジア、カメルーン、エチオピア、ホンジュラス、インドネシア、マダガスカル、モーリタニア、ニジェール、ペルー、フィリピン、セネガル、タイ、ウズベキスタン、ザンビアでも起こった。四月二日、世界銀行総裁はワシントンの会議で「価格高騰が社会不安を引き起こすおそれのある国は三十三カ国に上る」と語った。
 「タイム」誌の主筆は次のように警告した。
 「飢えた大衆が絶望に駆られてアンシャンレジームを打倒するために街頭に繰り出すという考え方は、冷戦後、資本主義がこれほど決定的な勝利を収めた以上、不可能な昔話のように思われてきた……。しかしここ数カ月のトップ記事は、食糧価格の急騰が世界中のますます多くの政府の安定性を脅かしていることを示唆している……。状況が飢えた子どもたちを育てることを不可能にさせている時、普通の受動的な市民でも、失う者は何もない戦闘的活動家にあっという間に変わることができる」(2)。

価格高騰の
原因と背景

 一九七〇年代以来、食糧生産はますますグローバル化し、集中していった。ごく一握りの国が主要食糧の取引の八〇%を支配している。小麦輸出の八〇%は六つの輸出業者によるものであり、コメについては八五%である。三つの国が輸出トウモロコシの七〇%を生産している。このため、生き延びるために食糧を輸入しなければならない世界の最貧諸国は、これら少数の輸出企業の経済的傾向と政策のなすがままにされることになる。グローバルな食糧取引システムが機能しなくなった時、その代価を支払うのは貧しい人びとなのだ。
 ここ数年、主要食糧のグローバルな取引は危機に向かった。四つの関連する流れが生産の成長を減速させ、価格を押し上げた。
 第一に「緑の革命」の終焉。一九六〇年代と七〇年代、南アジア、東南アジアの農民たちの不満に対処するために、米国はインドやその他の国々の農業生産の発展に資金と技術的支援をつぎこんだ。「緑の革命」――新しい種子、肥料、殺虫剤、農業技術とインフラ――は、食糧生産、とりわけ米の生産を著しく増大させた。ヘクタール当たりの産出量は一九九〇年代まで継続的に拡大した。
 今日、貧しい人びとが別の貧しい人びと向けに食糧用農産物を栽培するのを政府が支援することは時代にそぐわないものになっている。「市場」がすべての問題の面倒を見るとされているからである。『エコノミスト』誌は、「開発途上国において全予算支出における農業支出の割合は、一九八〇年から二〇〇四年までの間に半分に下落した」と報じている(3)。補助金と研究開発費は枯渇し、生産の拡大は失速した。
 その結果、ここ八年間のうち七年で世界は生産量よりも多くの穀物を消費した。つまり、政府と取引業者が通常、収穫の良くない時の保険として保有しているコメが、在庫目録から取り除かれたのである。世界の穀物ストックは今やこれまでの最低に達し、収穫の良くない時のためのクッション材はほとんどなくなっているのだ。
 第二に気候変動。科学者たちは、気候変動により次の十二年間で世界の一部では食糧生産が五〇%減少する可能性がある、と述べている。しかしそれは単に将来の問題なのではない。
 オーストラリアは通常、世界第二の穀物輸出国である。しかし幾年にもわたる厳しい干ばつにより、穀物の生産は六〇%も減少し、コメの生産は完全に姿を消した。
 バングラデシュでは、昨年十一月にこの数十年間で最大級のサイクロンにより何百万トンものコメが失われ、穀物収穫に深刻な打撃を与えた。多くの人口を抱えたこの国は、ますます輸入食糧に依存することになった。
 他にも多くの例がある。グローバルな気候危機がすでに現存し、それが食糧に大きな影響を与えていることは明らかだ。
 第三にアグロ燃料(農産物から作られる燃料)。米国、カナダ、欧州では食糧を燃料に転換することが今や公式の政策である。米国の自動車は、最も貧しい八十二カ国の全輸入需要をカバーするだけのトウモロコシを燃料として使うことになる(4)。
 エタノールとバイオディーゼルには、きわめて巨額の補助金が与えられる。つまり、トウモロコシのような穀物は不可避的に食糧連鎖からガスタンクへと移しかえられ、新たな世界的な農業投資は、ヤシ、大豆、ナタネなどの油生産植物に向けられる。これは直接的にはアグロ燃料農産物の価格を引き上げ、間接的には、栽培農家にアグロ燃料への転換を奨励することによって他の穀物の価格を押し上げることになる。
 カナダの豚飼育農家が理解しているように、それは肉の生産価格を吊り上げる。北米の食肉用動物を育てる主要な成分はとうもろこしだからである。
 第四に石油価格。食糧価格は石油価格とつながっている。食糧は石油代替物として作られうるからである。しかし石油価格の高騰は食糧生産価格にも影響を与える。肥料と殺虫剤は、石油と天然ガスから作られる。ガソリンとディーゼル燃料は栽培、収穫、船での輸送に使われる(5)。
 トウモロコシを生育させるコストの八〇%は化石燃料のコストと見積もられている。したがって石油価格が上昇すると食糧価格が上昇するのは偶然ではない。

「構造調整プロ
グラム」の本質

 二〇〇七年末までに、第三世界での投資の減退、石油価格の上昇、気候変動は生産の減退と物価の上昇を意味することがはっきりした。順調な収穫と輸出の強力な拡大は、危機を食い止めたかもしれなかった。しかしそれは起こらなかった。引き金となったのは三十億人の主要食糧であるコメだった。
 今年初め、インドは食糧備蓄再建のためにコメ輸出のほとんどを中止すると発表した。数週間後、コメ収穫期に大きな虫害に見舞われたベトナムが、国内市場に十分な量を確保するため四カ月の輸出中止を発表した。
 インドとベトナムは通例、世界コメ輸出全体のうち合わせて三〇%を占めている。したがって両政府の発表は、すでに逼迫していた世界のコメ市場をギリギリの線に追い込むのに十分なものだった。コメのバイヤーたちは直ちに、手に入るかぎりのストックを買いあさり、将来の値上がりを期待してどんな米をも買いだめし、将来の収穫物の価格を競り上げた。価格は暴騰した。四月中旬には、シカゴの商品取引所でのコメの先物市場の「パニック買い」のニュース報道が行われ、カナダや米国のスーパーマーケットの棚でもコメ不足となった。

「構造調整プロ
グラム」の本質

 以前にもコメ価格の騰貴があった。実際、インフレを計算に入れれば、主要食糧のグローバルな価格は一九七〇年代の方が現在よりも高かった。それならばなぜインフレの爆発が世界中で大衆の抵抗を引き起こしたのだろうか。
 その答は、一九七〇年代以来、世界の最も富裕な諸国が、彼らが支配する国際的代理人の助けを受けて、今回のような危機の中で住民を食わせ、自らを守る最貧国の能力を系統的に掘り崩してきたことにある。
 ハイチはその強力かつ最悪の例である。
 コメはハイチで何世紀にもわたって栽培され、二十年前まではハイチの農民は一年間で約十五万トンのコメを生産し、それは国内消費量の九五%を十分にカバーしていた。コメ生産農民は政府からの補助金を受けていなかったが、当時の他のあらゆるコメ生産諸国と同様に、彼らの地方市場へのアクセスは輸入関税によって護られていた。
 一九九五年、絶望的に必要とされたローンを提供する条件として、国際通貨基金(IMF)は輸入米の関税を三五%から三%に切り下げることをハイチに要求した。それはカリブ海地域で最低の関税だった。その結果は、ハイチ産コメの半額で売られた米国産コメの大規模な流入となった。幾千、幾万のコメ農民が土地と生活の資を失った。そして現在ではハイチで食べられているコメの四分の三は米国からやってくる(6)。
 米国産のコメがハイチの市場を支配したのは、それが美味しいからでも、米国のコメ栽培農家がより効率的であるからでもない。それはコメ輸出が米国政府による手厚い補助金を受けているからである。二〇〇三年には、米国のコメ栽培農民は十七億ドルの政府補助金を受けていた。それは平均してコメ栽培農地一ヘクタールにつき二百三十二ドルとなる(7)。この補助金のほとんどは一握りの大地主とアグリビジネス企業に回され、それによって米国の輸出業者は本当の生産コストよりも三〇%から五〇%安い価格で売ることができるのである。
 要するにハイチは、国内農業の政府保護を放棄することを強制され、米国は政府補助金政策を利用して市場を支配したのである。
 富裕な北の諸国が、貧しい債務を負った諸国に「自由化」政策を押しつけ、この自由化を利用して市場を支配するというこのテーマには、たくさんのバリエーションがあった。世界の三十の最も富裕な諸国では、政府補助金が農家収入の三〇%を占め、総額で年間二千八百億米ドルとなる(8)。それは富める者がルールを書く「自由」市場の中で、不敗の有利さとなる。
 グローバルな食糧貿易ゲームは不正なものであり、貧しい人びとは収穫の減少と保護の不在の中で放置されてきた。
 付け加えれば、この数十年間にわたって世界銀行と国際通貨基金(IMF)は、構造調整プログラム(SAP)に同意しないかぎり貧しい諸国にローンを前貸しすることを拒否してきた。この構造調整プログラムはローンの受け手に彼らの通貨を切り下げ、税金を下げ、公共事業を民営化し、農民への支援ブログラムを削減あるいは一掃することを求めるものである。
 これらすべては、市場は経済成長と繁栄を作りだすという約束でなされた。実際はその反対で、貧困が拡大し、農業への支援は消滅した。
 「構造調整プログラムの下でアフリカのほとんどの農村地域では、農業改善計画投資や支援の拡大は漸減し、最後には消滅した。小経営者の生産性引き上げへの関心は投げ捨てられた。政府の力が減少しただけではなく、農業への外国からの支援も縮小した。世界銀行の農業への融資それ自体が減少し、一九七六〜七八年には融資総額の三二%だったのが一九九七〜九九年には一一・七%になった」(9)。
 以前の食糧価格インフレの波では、貧しい人びとは少なくとも自分たちが栽培した食糧や、地域で栽培される食糧を手に入れたり、それを地域的に設定された価格で手に入れることができる場合も多かった。現在、アフリカ、アジア、ラテンアメリカの多くの国ではそんなことも不可能だ。今やグローバル市場が地域価格を決定する――そして入手しうる唯一の食糧は、はるか遠くから輸入されたものに違いない。

 食糧はけっして単なるもう一つの商品ではない。それは人間の生存にとって絶対に不可欠なものである。あらゆる政府や社会システムから人間が期待する最低限のものは、せめて飢餓だけは阻止しようとすることであり、そして何よりも飢えた人びとに食糧を拒否するような政策を促進しないことである。
 四月二十四日に、ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領が食糧危機に関して「資本主義モデルの歴史的失敗を最大限の規模で示した」と述べたことは、その意味で絶対に正しかった。
 なすべきことはこの危機を終わらせることであり、それが再び起こらないよう保証することではないのか。この論文の「パート2」は、こうした問題を検証することになる。

 注
(1)ケビン・ピニャ「ハイチにおける泥のクッキーの経済学」、「ハイチ・アクション・ネットワーク」08年2月10日
(2)トニー・ケイロン「飢餓はいかにして政権を転覆しうるのか」、「タイム」08年4月11日
(3)「飢餓の新しい顔」、「エコノミスト」08年4月19日
(4)マーク・リナス「金持ちはいかに世界を飢えさせたのか」、「ニュー・ステーツマン」08年4月17日
(5)デール・アレン・フェイファー『化石燃料を食う』、ニュー・ソサエティー・パブリッシャーズ
(6)オックスファム・インターナショナル・ブリーフィング・ペーパー 05年4月「ドアを蹴とばす」
(7)同
(8)OECDバックグラウンド・ノート「農業政策と貿易改革」
(9)キエル・ハンネウィック、デボラ・ブライソン、ラルス―エリク・ビルゲガルド、プロスパー・マントディ、アタキルテ・ベイエン「アフリカ農業と世界銀行:開発か貧困か」、社会主義再生のリンクス・インターナショナル・ジャーナル

(イアン・アンガスは「気候と資本主義」ウェブサイトの編集者でカナダの「ソシアリスト・ボイス」〔英語圏カナダの第四インターナショナル派の発行する新聞〕の支持者)
(「インターナショナル・ビューポイント」08年5月号)


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