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9・9東京高裁 微罪弾圧国賠裁判勝利判決(神奈川県が上告断念! 9・15)                            かけはし2009.9.21号

公安警察の抑圧拡張に第2の楔
政治弾圧否認で公安活動は防衛

 九月九日、東京高等裁判
所第23民事部(鈴木健太裁判長)は、10・24免状等不実記載弾圧を許さない!国家賠償請求裁判で私に金三十三万円、越境社に金十一万万円、関西新時代社に金十一万万円を支払えという横浜地裁判決を維持し、神奈川県の控訴を棄却した。この控訴審勝訴は、県警公安三課に打撃を与えるとともに、各地で徘徊する公安警察の政治弾圧、人権侵害のやりたい放題を阻止していくための重大な一歩である。この成果を各運動戦線で共有化し、「微罪弾圧」をはね返していこう。

実家は「第二の
生活本拠」だ

 判決の問題点の第一は、一審判決と同様に免状不実記載罪の構成要件があると判断したことだ。私が実家に何回も立ち寄り、コミュニケーションを図っていたことを追認し、しかも「罪証隠滅・逃亡のおそれ・身分の秘匿」がなかったことを「免許証の更新の際に、同人自身がかつて実際に住んでいた実家で、かつ、住民票上の住所となっていた鎌倉の住所地を住所として申請したというものであり、同所には原告Aの母親が居住しており、かつて原告Aが鎌倉の住所地に住んでいたころにも同所を住所として免許証の申請・更新がされていたこと(原審原告A本人)、したがって、免状(免許証)に不実の記載をさせたといっても、およそ関連性のない住所を作出したというものではない」と認めていながらも「二次的な生活の本拠」であることを否定した。
 実家という「第二の生活本拠」の住所を自動車運転免許証の住所地として申請することは、道路交通法の「その者の特定、免許証の取消、停止、反則行為に対する処理手続を円滑、適正に行う」趣旨に反していないにもかかわらず認めなかった。
 道路交通法上、「住所」はその複数の存在が許容される住所複数説論の存在を気にしながらわざわざ判決は、「虚偽の申立とはいえない場合も考えられる」「申請者の生活の場が二カ所以上ある場合」などと設定しながらも、「免許証の有する公証性や公法上の法規適用上」からストレートに認められないとし、「公務員に対する虚偽の申立にも該当」すると断定し、県警公安の「微罪弾圧」に加担するのだ。
 高裁は私が提出した数々の写真、書類等々によって頻繁に実家に訪れていたことを認めざるをえなかった。つまり明らかに「第二の生活本拠」であることが証明されていたにもかかわらず強引に否定したのである。高裁は、国家権力の一機構としてあり、防衛していくための「任務」から、このような乱暴な論法で切り捨てざるをえなかったのだ。

明白な政治弾
圧の証拠無視

 第二は、このような高裁の姿勢は、私に対する不当逮捕、越境社、関西新時代社の家宅捜査について「本件逮捕等の主たる目的がJRCL(日本革命的共産主義者同盟)についての情報収集を行うことなどにあったことが窺われる。もっとも、それを超えて、神奈川県警がJRCLの行う活動を妨害し、JRCLを政治的に弾圧することを目的としていたことを認めるに足りる証拠はない」などと矛盾が明白な主張を押し出したところに表れた。
 そもそも私に対する長期の監視・尾行はJRCLへの政治的弾圧のためにやっているのではないか。私への不当逮捕、Aの自宅、実家、越境社、関西新時代社への長時間にわたる家宅捜索は、最悪の人権侵害であり、政治的弾圧ではないのか。それをなんと「窺われる」などというあいまいな表現を使って県警公安の暴挙を容認している。なによりも私の不等逮捕は、明らかに政治的弾圧として「認めるに足りる証拠」ではないか。こんなに矛盾しきった主張を平然とやってしまうところに高裁が一貫して繰り返してきた「白を黒といいくめる」体質を見事に表現されている。公安警察を防衛する東京高裁に抗議する!詭弁、矛盾に満ちた主張を撤回しろ!

県の露骨なねつ
造を高裁も指弾

 公安警察防衛のための任務を担っている東京高裁でも、さすがに県警公安警察の杜撰な捜査、稚拙なストーリーを批判せざるをえなかった。県警は、警察庁のグローバル派兵大国建設にむけた治安弾圧体制強化の指示のもとにJRCL・日本共産青年同盟(JCY)への弾圧を設定し、そのターゲットとして私をピックアップし「武装闘争路線の一環として、組織活動を推進する目的のために行われた、組織的、計画的な犯罪」として免状等不実記載罪をでっち上げたのである。
 ところが裁判で県の反論根拠として動員してきたのが、JRCLとJCYの規約、三里塚闘争を賛美し管制塔占拠闘争を反省していないことなどだった。さらに私のライフスタイルが「非公然の過激派活動家」だと決めつけ「罪証湮滅、逃亡のおそれ」があったため強制捜査・逮捕が必要だったという荒唐無稽な内容だった。
 原告・弁護団・支援一体となって果敢に闘った結果として、横浜地裁は、私が「逃亡及び罪証隠滅のおそれがあると判断したことには合理的根拠がなかったというべきである」と述べるとともに、「神奈川県警が本件逮捕状を請求したことについて少なくとも過失が認められるというべきである」と批判し、「国賠法1条1項の要件としての違法性を備えるものというべきである」と結論づけたのである。

痛快な一言

 高裁は、冒頭の二点以外は、概ね地裁判決を認めざるをえなかった。
 県の不当弾圧正当論の一つとして「三里塚闘争賛美」と「管制塔占拠闘争の無反省」があった。わざわざ三里塚闘争に関する新聞記事、「世界革命」(旧第四インターナショナル日本支部機関紙)、「かけはし」 の大量記事をコピー、『1987・3・26 NARITA』本をまるごとコピーして、証拠として裁判所に提出した。高裁も本件とどのように関係しているのだろうかと困ったらしく、「『かけはし』や書籍の記載の内容は、多分に懐古的なものであって、そこから、JRCLが現在でも爆弾や銃以外の武器を使用した闘争を容認しているとまで解することもできない」の一言で終わりだ。あたりまえだ。なんと痛快ではないか。大量コピー代こそムダな税金支出だ。

「具体性がない」
怒られた県

 私のライフスタイルが「非公然の過激派活動家」だと決めつけ「罪証湮滅、逃亡のおそれ」があったという県の主張に対しては、私が「公共交通機関によって規則的に通勤していたのであるから、原告が住民票に関する異動手続をしないまま、鎌倉の住所地を住所として申告したことをもって、同人が、JRCLの組織的活動を目的として、虚偽の住所を申告し、対立組織から身を隠したり、潜伏して何かを成し遂げようとする意図を有していたと推認することはできない」と、これも一言で県のでっ ち上げを排除した。
 さらに県は、私が自宅に表札を出していなかったことを「身分秘匿」「過激派のスタイル」などと言いがかりをつけてきたが、これに関しても「一般に、集合住宅において表札を掲げないことは珍しいことではない」の一言で否定だ。そして、県は、私がペンネームで私鉄定期券を購入していたことを、これこそが決定的な「身分秘匿の証拠だ」と強調してきたが、なんと高裁は「本件逮捕に伴う捜索の結果、原告が二枚の定期券を購入し、名義を別々の仮名にしていたことなどが判明したことを理由に原告が日常から身分を秘匿しようとしていたと主張するが、上記事実は、神奈川県警が本件逮捕後に知った事情である上、原告の定期券の名義は、いずれも原告のペンネームであり、原告Aは長期にわたりこれらを常用していた(原審原告本人)ことに照らすと、これらの定期券の名義をもって原告に身分秘匿の傾向があったとはいえない」と諭されてしまう始末だ。
 最後は、だめ押し的に「被告は、本件被疑事実の組織性を強調するが、それ自体を認めるに足りる証拠がないことは前記のとおりである上、本件被疑事実の罪質に加え、原告のJRCLの一員としての活動が公然なものであり、日ごろ通勤等も規則的なものであったことにも照らすと、被告のいう組織性が、本件被疑事実の罪体やその周辺事実、それらについての罪証隠滅のおそれに、どのように関わるかについて、被告の主張は具体性を欠くものといわざるを得ない」 と再度の説教だ。
 県よ、われわれが繰り返し批判してきたように高裁からも「具体性がない」と怒られてしまったではないか。

公安警察は解散
するしかない

 このように低水準な理由と根拠で不当弾圧を強行してきたことが明白となった。県と公安警察は、高裁判決の内容を直視し、私と家族、越境社、関西新時代社および社会的に謝罪せよ。上告するなんて、もってのほかだ。これ以上の税金の無駄遣いはやめろ! 公安警察は、これ以上の人権侵害・憲法違反を繰り返さないために解散せよ。
  (A〈国賠訴訟原告〉)




高裁判決報告会
警察の人権侵害に徹底して対決し続けよう

 九月十二日、文京シビックホールで免状不実記載弾圧高裁判決報告会がおこなわれた。
 司会者が経緯を説明した後、川村理弁護士が判決の評価を述べた。川村さんは免状不実記載罪の適用、微罪逮捕の適用と左翼運動の関連にまず触れた。
 そして「転び公妨が録画に残されたケースでも一審から逆転敗訴になったケースもあったので、今回の高裁判決は意義深い。一審後の集会で、高裁では攻めることが大事と私も言った。そのとおりにプライバシーに関わる、移動の記録、定期券の記録などを証拠として提出したが、このことは確かに判決に盛り込まれた。対抗控訴を出したことも今回の判決につながったかもしれない。捜索は政治弾圧であるということも主張したが、そこは否定され、情報収集であるという判断は原判決どおり維持された」と判決の成果を明らかにした。
 原告Aさんも支援の謝意を述べた後、今回の判決と横浜地裁の原判決を比較して分析した。越境社の松下さんからは「内田・川村両弁護士の尽力で勝てた。以前、集会場で荷物検問が当然のようにおこなわれていた時期にも福富節夫さんらは地道に抗議を繰り返していたことを思い出す。そういう姿勢で警察に対峙していきたい」と抱負が述べられ、関西新時代社の星川さんからも書面でアピールが届き、読み上げられた。
 参加者から質問が相次いだ。神奈川県警の上告はあるのか、証拠写真の返還は求められるのか、賠償金は税金から出るが、捜索費用の情報公開は実現できるか、今後同容疑での弾圧はなくなるか、といった質問である。川村さんは慎重に答えを選んでいたが、判決勝利で状況が一気に好転しないのも現実だが、警察の人権侵害に対して当然の要求をしていくということを、参加者は確認しあった。
 最後に国賠ネットワークの土屋翼さんから発言があり、国賠ネットワークの趣旨などを説明した後、「出来れば本を出してほしい。英語でのアピール作成も必要だ」と数々の訴訟に関わった経験を伝えた。長野から来た、たじまよしおさんも波崎事件(冤罪事件)の紹介などをして、閉会となった。       (海)



コラム
「東京歌物語」


 闘いの歌、抵抗の音楽が私たちを励まし勇気づけてくれるなら、進路に迷い、ふと立ち止まった時にそっと肩を抱き、なぐさめ癒してくれるのは、街角から聞こえてきたあの流行歌ではないだろうか。戦争の体験談や、人権侵害を告発する特集記事で人気の東京新聞が、今年三月まで毎日曜日に掲載した企画を、一冊の本にまとめた。
 『東京歌物語』(発行・同紙出版部/1238円+税)――昭和に流行った大衆歌のなかから、東京を舞台に書かれた五十一曲を厳選。名曲の誕生に隠されたエピソードを、情感豊かに綴っている。連載には読者から絶賛の声が相次いだという。実は私も、好きな歌が載っている号は、こっそり切り抜いていた。
 一九七〇年代前半。テレビのチャンネルを回せば、必ず歌番組が放送されていた。そんな歌謡曲黄金時代に、私は人生でもっとも多感な一〇代を過ごした。この頃は、歌そのものに力があった。歌手たちには、人気の順に明確な縦の序列ができていた。現在のように没個性の量産アイドルとはまったく別の次元の、少数先鋭主義が貫かれていたとも言える。
 「東大安田講堂闘争」があった一九六九年。この年に大ヒットしたのが、いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」だ。トランペットの独特のイントロは、当時八歳だった私の耳から今も離れない。横浜の夜景に青が多いのは、この歌の影響だというから驚く。
 「愛」の意味も知らずに、「学生街の喫茶店」(ガロ・1972年)を近所の友だちと口ずさんでいた。伝説の名曲・ちあきなおみの「喝采」(同年)は、彼女の私小説でもある。衝撃的な歌詞、物哀しく荘厳な伴奏、ちあきの熱唱。その抜群の歌唱力に、私はいつも感動を新たにしていたものだ。
 独自の文学世界を展開するさだまさしは、実在する地名を好んで詩に織り込んだ。町歩きや歴史散歩が好きだった彼は、小学校を卒業すると、バイオリンの稽古のため九州から単身上京。森鴎外に魅せられ「無縁坂」(1975年)を何度も歩き、感性を磨いたという。私は「グレープ」の時代が好きで、ちょうどギターを覚えた学年と重なる。後の「関白宣言」(1979年)はあれこれ物議を醸したが、この曲が発売された年に私は、階級闘争の世界の入口に立った。
 作詞家、作曲家、歌手とともに、作品を世に問うた関係者たちの人間ドラマを、丹念に掘り起こしていく。一般紙にはなかった、画期的な視点である。それぞれの時代背景の解説に触れれば、懐かしい文字がよりリアリティを加えて、読者の胸に迫る。
 人々に親しまれ愛された名曲の数々は、その奥の深さと意外な真実を知ることによって、さらに輝きを増している。(隆)

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