| 韓国・民主労総臨時大会前夜行事参観記 かけはし2009.10.5号 |
真剣な反省と革新の声「危機
の河を越え海へ前進しよう」 |
「ビリヤードの『名手』、イム・ソンギュ民主労総委員長を紹介します」。「わぁー」。いすに座っていた「同志たち」500人余りの拍手の音が教育館の室内に響きわたった。「火をも水をも恐れぬ無限の疾走、シン・スンチョル事務総長です。金属労組チョン・ガットゥク委員長です」。「イ・ミョンバク独裁に抗して何をするのか? 下半期総力闘争勝利!」というスローガンが鮮明なプラカードの下で幹部の紹介が続けられた。「この方にかかりそこなえば大事になります。女性連盟イ・チャンベ委員長です」。「わぁー」。
「われわれは今、最も困難な時期に1泊2日の代議員大会兼修練会を行っています。あすの代議員大会が流会になったとしても大丈夫です。自省し、大いに奮起する機会としましょう。『民主労総』、なくなることもあり得ます。台無しにもなり得ます。しかし民主労組運動はもっと力を出して、さらに大きな海へ前進しなければなりません。民主労総という形式が壊れることを恐がらないようにしましょう。内実が消え去ることをこそ恐れましょう」(イム・ソンギュ委員長)。
「危機は我々自身の中にある」
歌声グループ「コッタジ」の祝いの歌が初秋の夜空に上り、星となった。民主労総の代議員らは互いに手を取って体を揺らし〈注文〉を歌った。「われらは今から、より強く〜」。途中でコッタジが語った。「みんなが民主労総は危機だと言います。危機はわれわれ自身にあります。その答えもわれわれ自らにあるのです」。歌声は一層、大きくなった。「きょうわれわれが暮らしているここが、より美しくなるように〜」。
9月10日、忠清北道忠州市忠州湖リゾート。大工場、中小工場、病院、証券会社、学校、言論、建設現場、鉄道、研究院、量販店、世宗路政府庁舎……、全国各事業場で働いている労働者代議員500余人が一堂に集結した。ある者はスト用チョッキを着込み、ある者はジャージー姿だった。スーツ、ネクタイ姿の代議員も来た。イム委員長は闘争歌〈岩のように〉が終わると、場内に冷水を浴びせた。
「うち壊さなければならない民主労総の慣行、すぐにはうち壊すことができなかったとしても今、始めなければなりません。初心に立ち返る気風を作りましょう。平澤駅から双龍自動車の工場に向かって組合員たちと行進しているとき、委員長としてこんなにも悲惨な日があるのかと思いました。今年しっかりゼネストを招集しました。だが不法ストだから指導部を取り締まる、政府からこんな発言の1つもありませんでした。よく聞く政府の公安対策会議も1回も開かれませんでした。これほどに民主労総が無視される気分、悲惨さが一層募ります」。
代議員のみんなの顔がこわばっていた。民主労総の「役員直選制の猶予」が最大の争点案件として上程されたこの日の代議員大会で、中央日刊紙や放送社の取材陣は見られなかった。
昨年末に起こった民主労総幹部による性暴力事件、今年7月、民主労総傘下事業場のうち組合員の規模が3番目だったKT労組の脱退、そして9月8日、双龍自動車労組の脱退、翌日の〈朝鮮日報〉に煽情的な見出しを付けて大書特筆された「双龍車労組、民主労総を『解雇』する」という1面トップ記事。既に今年3月に労働運動の危機を診断する革新大討論会では「がん細胞が全身に広がって、もはや救済の道はない。民主労総は死を準備しなければならい」「今や古い家を壊して新しい家を建てなければならない」「多くの問題を政権や資本のせいにばかりして自己省察を無視している」などの不満が噴出した。危機の中で、また危機が生じ、それこそ危機の渦に取り巻かれたのだろうか?
何か言いたいことが山ほどあっても、代議員の誰もがじっと沈黙していた。事実、ストの乱発、執行部の官僚化、持病とでも言うべき政派組織の問題など、危機の原因や処方を知らない代議員はいなかった。何か思いを重く押しつけているかのように、ある者はほおづえをつき、やるせない表情をうかべていた。
初代委員長「初心に戻れ」
いつの間にか夜中の12時を回っていた。今度は民主労総の指導委員らが演壇に立った。初代民主労総委員長を担ったクォン・ヨンギル民主労働党議員が、次第にトーンの高まりゆく特有の反復話法で一言、投じた。
「私どもは民主労総の息の根を止めようとしています。完全に止めてしまおうとしているのです。いや、既に息が止められたと思っています。だがわれわれは依然として力を持っています。まだ力があります。1千万労働者の求心・民主労総、よみがえらせることができます。初心に返らなければなりません。……90年代初めの全労協(全国労働組合代表者協議会)の時期、その時は何とかこの地に民主的で自主的な労組を1つ作りたい、それがすべてでした。その時は俺が俺が、というのはありませんでした。民主労総を建設するために数多くの同志たちが身を投じ、仕事場から締め出され、また手配もされました。初めに戻らなければなりません。脱け殻の民主労総ではなく、中味のある本当の希望になりましょう。皆さんが、その希望なのです」。
拍手が拡がった。だが何ともスカッとしない、いまいちパッとしない拍手の音が川風に乗って夜空に広がった。
「制度圏に10人の国会議員を作り出した主体は、ほかならぬ民主労総」(ホン・ヒドク民主労働党議員)だけれども、現在、民主労総は現場の組合員らから不信と批判ばかりを受けている。徹底した自己省察を求める発言が跡を絶たない。
「双龍自動車の組合員らが被った打撃に対して、はたしてどれほど真剣にお互いが討論していますか? 全労協の初期、組織もなくカネもなく、そんな時期にわが活動家たちは1カ月に5万ウォンにもならない収入で現場を駆け回りました。もちろん時代が変われば、その条件に合わせて活動しなければなりません。けれども民主労総は弾圧によって滅びるのではなく自らの身を食いつぶしつつ、やせ細って滅びることになるかも知れません。本当にもう1度、懐に新たな闘いの刃を抱いて挑戦しましょう」(イム委員長)。
イ・ヨンギル進歩新党副代表は「冷めることのない愛情をもって」代議員たちに要請した。彼は50歳を超えたが、10余年前の民主労総大田忠南本部の若い活動家時代に戻った」と語り、進歩政党勢力の統合と団結を訴えた。
「革新」「団結」という単語が乱舞する中で、司会者のイ・ジュニョン民主労総事務次長が雰囲気の転換を図った。「今、公務員労組の同志たちが新たな提案をしました。双龍自動車の同志たちに4千万ウォンを集めて伝達するというのです」。公務員労組委員長と双龍自動車の解雇労働者が演壇で互いに抱き合った。わぁー、久々に大きな拍手が再び響きわたった。
中断、川風の中でビール
それもしばしの間だけ、雰囲気は再びトーン・ダウン。イム委員長が特別に伝えることがあるとして再び檀上にあがった。
「われわれは幹部の性暴力事件を思い浮かべることさえ苦しんでいます。しかし忘れてはなりません。組合員たちは大工場の組織が、産別連盟組織が、また民主労総中央が、互いに民主労総の掌握・覇権ばかりをねらっていると考えています。大衆は民主労総がいつも政治闘争ばかりしていると考えています。誰もが革新を主張するけれども、革新の対象である人々がそのように長ったらしく、かっこよさげに革新に語るのを見ながら、私は驚きを覚えます。偽善や虚飾をかなぐり捨てなければなりません」。
後ろの方に座っていた何人かの代議員が発言に対して拍手を送った。だが拍手は続くことなく絶たれた。誰もが、ただじっと聞いているばかりだった。雰囲気をもりあげようとイ・ジュニョン事務次長が再び立った。「各産別、連盟別の組織担当者たちは今、手に火がつくほどに携帯をかけて、約束した数だけの代議員が参加できるように責任をもって督励しましょう。さあ、表にビール20万CCが準備されています。代議員のみなさん、闘いも楽しくやりましょう」。
更けゆく夜。「労働運動の未来を企画する者、それはあなただ!」というスローガンを掲げた中で忠州湖畔で青年代議員、アジュマ(おばさん)代議員、中年代議員、あどけないアガッシ(若い女性)代議員、そして還暦を過ぎたような代議員らがみんなひとところに集まって歌を歌い始めた。「共に生きよう! 国民の生存―総雇用の保障」というスローガンが大きく書かれたチョッキを着た双龍車解雇労働者たちも酒をひっかけながら、やっと少し笑みを浮かべた。みんなが同志として団結し、民主労総の組織が発足以来、最大の危機を迎えているものの、川風を受けながらビールを飲むのはそれなりに楽しかった。
組織担当者たちは薄明かりの下、木の下にかがんで座り慌ただしく携帯を押し続けていた。「さあ、1時間アルコールを飲んだから今や情勢は変わったでしょう!」。誰かが演壇でマイクを握った。「危機論」のゆえにグッタリとしていた「情勢」はいきなり変化した。戻るとともにウエイブが始まった。
生活密着型の闘争を
労働者たちはテーブルごとに5〜6人ずつグループを作り、酒を飲みつまみをかじりながら民主労総や移りゆく世相について話を交わした。民主労総の組織的現実についてのグループ討論が始まった。ある班は真剣に討論し、またある班は歌を歌い、またある班は酒をひたすら飲み続けた。「民主労総はわれわれの組織じゃないか。われわれが大きくしなければならない組織じゃないか」。ある女性組合員は、もう声がつぶれていた。「執行部は直選制の問題をなぜ今になって出しているのか、ということだ。こんな場面で直選制をやってうまくいくだろうか?」さまざまな話がさまざまな人々から出されて、ごっちゃになった。ある人は危機を、ある人はイ・ミョンバク政権を、そしてまたある人はある組合員の自殺について話していた。「ところで今、子どもは何歳だい?」。家族の消息をたずねりもした。大きなこぶしを握りしめて民主労組運動の自主性と連帯を語る年のいった労働者もそこにいた。すべてが働いている労働者だ。
「我らすべて絶望に屈することなく〜試練の中で自らを鍛え〜」。歌〈岩のように〉が終わると5秒間、喊声が続いた。喊声はそちらこちらでタバコの煙とともにどこかへと広がっていった。「われわれはまだ死んではいません。民主労総、満々たる組織でありません」。チェ・ボンイ民主労総副委員長が演壇に立った。大分前に先頭に立って警察の楯で切られた8本の歯を失った後、話をするたびに総入れ歯のため、まるで酔っぱらって話をするように言葉が洩れると語った。それでも1曲、歌った。「朝・中・東(大手右翼日刊紙を指す)が何だかだと業々しく書こうがわれわれは民主労総方式で進みましょう」。みなが一斉に、わぁ〜、と言った。三日月が雲間に隠れた。
翌朝、何人かの年のいった組合員は早朝散歩に出かけた。朝飯を終えて代議員らは昨晩の教育館に再び集まった。事業をしたり闘争したりで、みんな赤銅色に日焼けした顔だった。民主労総の組織的現実をめぐるパネル討論が始まった。
「民主労総に対する現場組合員らの自負心が減退している。総連盟の執行力が低下し、地域と産別連盟組織が衝突するとき、調停の役割を果たせていない。誰も責任をとらない」(チョン・ミンジョン・サービス連盟代議員)。
「利害が対立する案件の会議で、受け入れられないと政派の指示に従って退場してしまうこともある。こり固まった政派の争い、問題を無視するのではなく、直視して革新しなければならい。低出産問題のような生活密着型闘争をしなければならない。非正規職は所得が減って子どもを生むまいとして……」(ユ・ジェソン金属労組代議員)。
「もはやポンカ(良くないカードでチャンスをねらうこと)闘争はだめだ。指導部が先頭でストを組織し、1万人が国会前で剃髪して闘ってみよ。そうしてこそ現場でも動くというものだ」(ユ・ミラ保健医療労組代議員)。
役員直選制「なぜ猶予なのか」
1人のアジュマ代議員がマイクを握った。「民主労総の役員直選制は代議員大会で既に決議されたものなのに、なぜ直選制の3年の猶予が案件として上がってきたのか理解できない。組織が決定したことは、その通りに従わなければならないのではないのか」。昨晩イ・ジュニョン事務次長が「ひっかかりそこなえば大ごとになる」と紹介していたイ・チャンベ女性連盟委員長だった。
いつもの民主労総代議員大会のときのように、意見の対立が激しくぶつかり合う、極めて長く、疲れる代議員大会となることも予告していた。「愛も名誉も名も残さずに〜」。「永遠の我らの歌」が響きわたる中で、1995年11月に民主労組建設を旗じるしとして掲げ発足した全国民主労働組合総連盟の第47回臨時代議員大会が始まった。(「ハンギョレ21」第778号、09年9月21日付、忠州=チョ・ゲワン記者)
|