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寄稿 日本共産党第25回党大会が示したもの      かけはし2010.3.15号

露呈する「枠内改革」路線の弊害
オープンで活発な路線討論を

樋口芳弘(日本共産党員)

 さる一月十三日から十六日まで日本共産党は第二十五回党大会を開催した。政権交代の下で変化した情勢の下で、日本共産党はどのように闘おうとしているのか。その困難はどこにあるのか。日本共産党員の樋口芳弘さんに、共産党が抱える問題点について書いていただいた。(編集部)

はじめに

 日本共産党は、二〇一〇年一月十三日から十六日にかけて第二十五回党大会を開催し、情勢認識と当面の活動方針を含む大会決議を採択、志位和夫委員長と市田忠義書記局長を再任した。党大会が開かれるのは、二〇〇六年一月の第二十四回大会以来四年振りである。
 当然のことながら、今大会では、昨年八月の総選挙が開いた新しい情勢をどのように認識し、どのような運動方針を持つべきかということが、中心的な課題となった。
 日本共産党は、この大会で、どのような情勢認識、どのような運動方針を確認したのだろうか。それは、革命を目指す党、共産主義社会の建設を目指す党として、果たして妥当なものといえるのだろうか。また、大会決議は、このような運動を担う党組織を建設していくことについては、どのような方針を確認したのだろうか。
 これらは、単に日本共産党の将来のみに関わる問題ではない。少数とは言え国会に議席を持つ左派政党がいかなる情勢認識と運動方針のもとに活動を進めていくのかということは、民主党を中心とする政権の下での情勢の展開を考える上で、重要な要素である。
 本稿では、第二十五回大会決議を直接の素材として、そこに現れた情勢認識および運動方針について検討するとともに、党建設上の課題についても検討を加えていきたい。

1、大会決議は情勢をどのようにとらえているか

(1)「過渡的な情勢」とはどのような捉え方か

 大会決議は、現在の情勢をどのように認識しているのだろうか。
 大会決議は、「衆議院選挙での国民の審判は、「過渡的な情勢」と特徴づけることができる日本政治の「新しい時期」を開くものとなった」とのべたうえで、この「国民の審判」の性格について、次のように述べている。
 「国民が総選挙の審判にかけた思いは、自公政権によってもたらされた耐えがたい暮らしの苦難、平和の危機をとりのぞきたい、『政治を変えたい』という強い願いである。これは一時の選挙での審判にとどまらず、選挙後の情勢全体を前向きに動かす大きな力として作用しつづけている。
 同時に、日本の政治は、『二つの異常』――『異常な対米従属』『大企業・財界の横暴な支配』から抜け出す方向を定めるまでにはいたっていない。国民は、『自公政権ノー』の審判をくだしたが、民主党の政策と路線を支持したわけではないし、自公政治に代わる新しい政治は何かについて答えを出したわけではない」。
 そして、国民が新しい政治を本格的に探求する「新しい時期」がはじまった、としたうえで、民主党中心の新政権の性格について次のように規定するのである。
 「民主党中心の新政権が示している過渡的な性格は、情勢のこうした過渡的な特徴を、その最初の局面で反映したものにほかならない。新政権の政策には、『政治を変えたい』という国民の願いを反映した前向きの要素も混在しており、そのなかにはある範囲で、財界・大企業やアメリカの意向と矛盾する要素も存在する。同時に、新政権の政策・路線には、『二つの異常』から抜け出す立場は示されていないし、国民の利益に反した問題点も少なからず顕在化している。くわえて、衆院比例定数削減の方針にみられる議会制民主主義を危うくする逆行的要素など、民主党固有の否定的政策の存在も軽視できない」。
 ようするに、大会決議は、情勢を根本的に規定する要因として、国民の新しい政治への探求という動きをおき、新政権の過渡的な性格は、新政権そのものの固有の性格としてではなく、そのような情勢が反映したものとして捉えているわけである。つまり、大会決議は、国民の新しい政治への探求の動きと新政権の動きとの二重構造において現在の情勢を捉えており、国民の探求そのものの過渡的な性格とそれを反映したものとしての新政権の過渡的な性格とを、区別と連関において捉えているのであるが、これは、現在の情勢の過程的な構造を明らかにする的確なものであると評価してよいだろう。 

(2)「建設的野党」路線は基本的に維持されている

 このような情勢および新政権の評価から、新政権に対する姿勢として必然的に出てくるのは、「国民の審判」の力に依拠しながら新政権に働きかけていく、といういわゆる「建設的野党」路線である。大会決議は次のように述べている。
 「わが党は、新政権のもとで、『政治を変えたい』という国民の期待にこたえるとともに、不安や批判を代弁して問題点をただし、日本の政治をさらに前にすすめる『建設的野党』として奮闘する」
 「建設的野党」路線は、総選挙の直前に、民主党の政権獲得が確実視されるようになった段階で出されたものである。新政権発足から数カ月間を経て、日本共産党が政権に対する批判的姿勢を強めていることもあり、一般的にはこの路線が後景に退いているかのような印象をもたれているかもしれないが、「建設的野党」路線はそもそもから政権への厳しい対決姿勢の可能性をも含んでいるものであり、必ずしもそうではない。今後も、日本共産党の指導部が、新政権が「国民の願い」を部分的であれ反映していると評価する以上、言い換えれば、「国民の願い」を完全に裏切ったという評価に転じない以上、「建設的野党」路線そのものは維持されるであろう。
 今後の情勢の進展の中で、指導部が時宜にかなった適切な政治的判断を下しうるかどうかは分からないが、現時点では「建設的野党」路線を放棄すべき局面、すなわち、民主党中心の政権を単純に打倒の対象とすべき局面でもないだろう。

(3)「過渡的な情勢」における党の任務はどのように規定されたか

 しかし、「建設的野党」路線というのは、直接には政権との関係の面から党の路線を規定したものにすぎない。情勢を二重構造において捉えるならば、党の任務を根本的に規定するのは、国民の新しい政治への探求の動きとの関係の方である。大会決議は、この探求の動きにどのように働きかけるかという点から、「過渡的な情勢」における党の任務を規定している。
 大会決議は、国民が自らの要求を実現することを出発点に政治的な体験を積み重ねるなかで自覚と力量を高めていく必然性がある、とした上で、次のように述べている。
 「このプロセスは自然にすすむものではない。切実な要求の実現を求める国民のたたかい、それを阻むさまざまな逆行の動き、そのせめぎ合いのなかで、新しい政治への国民の探求は前進する。日本の政治が『二つの異常』から抜け出す力を、国民の間にいかにつくりあげていくか。その自覚と力量の前進を後押しし、促進するところに『過渡的な情勢』のもとでの日本共産党の任務がある」。
 端的に言えば、「国民の探求の過程、認識の発展の過程」を積極的に促進するのが党の任務である、ということである。
 このこと自体は、そもそも労働者階級と民衆の解放をめざす闘いの過程においてなぜ共産党のような革命政党が組織されなければならなかったのかという、いわば共産党についての本質論を、現在の日本の政治情勢に即して再確認するものであるといってよいだろう。これは近年の党大会決議にはなかった、党の任務についての深いレベルでの確認であり、評価してよい。

2、「二つの異常」という捉え方は妥当か

(1)「二つの異常」論とはどういうものか

 大会決議は、このような確認をふまえつつ、具体的なレベルで三つの任務を設定した。第一は「国民要求にこたえて現実政治を前に動かすこと」であり、第二は「旧来の政治の『二つの異常』をただし、党綱領が示す『国民が主人公』の新しい日本への改革をめざす国民的合意をつくること」であり、第三は「日本の政治の反動的な逆行を許さない」ことである。
 ここで検討したいのは、第二の任務である。
 ここで言う「二つの異常」とは、「異常な対米従属」と「大企業・財界の横暴な支配」のことを指す。言うまでもなく、これらをただしていくこと自体は重要な課題である。問題にしたいのは、「異常」というのが、どのような観点からなされた把握なのか、ということである。
 端的に言えば、これは、世界の他の国々の状況に比べて日本はこんなに異常だ、という把握なのである。大会決議は、この第二の任務に関連して、「世界の動きにてらして、日本の政治の『異常』を広く明らかにし、改革の合理性、必然性を示していくことは、重要」とした上で、それぞれがいかに「異常」であるかということを、数多くの事実を「これでもか」と云わんばかりに列挙することで明らかにしていく。

(2)「二つの異常」論の問題点@――世界情勢と国内情勢との切り離し

 もちろん、ここで大会決議で列挙している事実そのものに大きな誤りはないだろうし、他の国々との比較で日本の政治・経済・社会の状態を把握することも必要なことであろう。
 問題は、それが「日本は他の国々と比べてこんなに違うのだ」という側面のみに著しく偏った把握になってしまっていることである。これはとりわけ経済情勢の把握においては致命的な問題となりかねない。
 そもそも、世界の中のどんな国も他の国々と絶対的に切り離されて存在しうるものではないし、かといって、いかなる独立性も自立性も持たない諸国の有機的に構成された単一の「世界」というものが存在するわけでもない。あくまでも、相対的な独立性と自立性をもった諸国が世界的な連関において存在しているわけである。もちろん、資本主義経済のもとで、経済のグローバル化が進行するに従って、この連関が次第に深まっていく過程にあることは言うまでもない。
 そうであるならば、「日本は他の国々と比べてこんなに違うのだ」という把握は、「日本は他の国々とこのように共通した面を持っているのだ」という把握と統一されてはじめて、日本の政治・経済・社会の持つ構造を立体的に明かにすることができるのである。
 しかし、「異常」をことさらに強調するだけでは、この後者の把握をまったく欠いてしまうことになる。これでは、日本の国内情勢が世界情勢とまったく切りはなされた形でしか把握されず、例えば、新自由主義路線への対決も経済危機下で労働者民衆の生活を防衛する課題も、世界の労働者民衆が共通して闘っている課題としては把握できなくなってしまうのである。
 各国における新自由主義的政策のあり方やその弊害の現れ方はそれぞれ特殊性を持っていたとしても、その根底には各国経済の世界的連関に規定された普遍性が存在している。従って、闘争の具体的な様相は各国でそれぞれ異なり、それぞれ独自に進められなければならないとしても、同時に、各国の闘争が国際的に連帯した形を創出することもまた大きな課題として浮上してくるのである。「異常」という把握からは、そのような問題意識は出てきようがない。

(3)「二つの異常」論の問題点A――資本主義の改良と社会主義との切り離し

 日本の経済社会の構造を「異常」という側面からのみ捉えるならば、当面の経済改革の課題は、「国民の生活と権利を守る」ルールの面で他の国々が到達しているレベルにまで追いつくこと、という形で設定されざるを得ない。実際、大会決議はそのように規定している。
 「わが党がめざす当面の経済改革は、机上で考え出したプランではない。世界の人民のたたかいを反映して、すでに国際条約の形で確立しているルールや、欧州の主要資本主義諸国ですでに実現しているルールを踏まえて、日本の現状にふさわしい形で具体化しようというものにほかならない」。
 世界的な経済危機の下、資本主義経済そのものを問い直そうという機運が、この日本をふくめて世界中で沸き起こってきているのにもかかわらず、共産主義をめざしているはずの日本共産党は、生活と権利をどう守るかという課題を、単なる資本主義の枠内での改良に厳密に限定すべきものとして設定してしまっているのである。
 もちろん、大会決議において社会主義への前進の問題が語られていないわけではない。しかし、それは、日本情勢と世界情勢を論じ、当面の選挙闘争方針と党建設の方針を述べた後、要するに大会決議の一番最後で、当面の闘争課題とは切り離された形において、なのである。ここには次のような文言がある。
 「日本でまずめざすべきは資本主義の枠内での民主的改革――『ルールある経済社会』への改革であり、国際的には、『すべての国の経済主権の尊重および平等・公平を基礎とする民主的な国際経済秩序』(党綱領)をつくることが課題となる。同時に、そうした改革をぎりぎりまで追求したとしても、『利潤第一主義』という枠組みでは、なお諸問題の根本的な解決がはかられず、資本主義を乗り越える新しい体制への前進の条件が熟してくる」。

 このように大会決議は「資本主義の枠内での民主的改革」と社会主義的変革とを厳密に区別できるという発想にもとづいているわけだが、これは二重の意味で主観的願望にとらわれたものであると言わざるをえない。
 第一に、資本主義そのものが存続が危ぶまれるほどの危機においては、労働者民衆の生活と権利を守るという改革は必然的に「利潤第一主義」の枠組みと衝突してしまわざるをえないということである。
 第二に、イデオロギー闘争上の問題である。現在、米オバマ政権や鳩山政権の経済政策について、保守派の一部は「社会主義だ」という非難を投げつけている。仮に日本共産党の参加する「民主的政権」が誕生したとすれば、その政権の経済政策に対する「社会主義だ」という非難は、オバマ政権や鳩山政権に対するそれとは比較にならないほど激烈なものとなるだろう。「資本主義の枠内での民主的改革」という「国民的合意」にもとづいて成立した「民主的政権」は、その激烈な非難に堪えられるだろうか。ただひたすらに「社会主義ではありません」という弁解を延々と繰り返すとでもいうのであろうか。
 社会主義的変革の課題は、「資本主義の枠内での民主的改革」をやり遂げた後で直面するような性格のものではない。資本主義経済の危機下で労働者民衆の生活と権利をどのように守っていくかという課題の中に直接に含まれているものとして把握しなければならないのである。そうでなければ「資本主義を乗り越える新しい体制への前進の条件が熟してくる」ことなどありえない。

3、大会決議は党建設上の困難を打開する道を示したか

(1)党建設はいかなる困難に陥っているか

 これまでは、大会決議の情勢認識と運動方針について検討を加えてきた。
 それでは、このような運動方針を実際に進めていく主体となる党そのものをどのように創っていくのかという課題、すなわち党建設の課題では、大会決議はどのような方針を示しているのであろうか。
 党建設の方針を問う前提として、党組織がいかなる現状にあるのかが確認されなければならない。
 現在、党組織が極めて危機的な状況にあることは、大会決議の文言から推測することができる。
 大会決議は、昨年総選挙について、「総選挙で立ち上がった党員がのべで五〜六割、日々の活動参加が選挙本番で二割前後」という驚くべき数字を挙げる。総選挙本番という党組織の活動が最も活発になってしかるべき時期にも、八割前後の党員が活動不参加なのである。さらに、党活動の根本である党綱領について、読了党員はなお四割程度に止まっていることも明かにされている。これもまた驚くべき低さである。そもそも綱領を認めることが党員の要件なのであるから、綱領未読了党員など論理的にはあってはならないはずのものである。また、はっきりした数字は示されていないものの、党費の納入率が低下傾向にあることも明らかにされている。
 これらの事実から推測されるのは、長期間に渡って活動実態のない党員が党の大半を占めているのではないか、ということである。
 大会決議は、「前大会からの約四年間に、三万四千人を超える新しい党員を迎え、党員数は前大会時を上回り、四十万六千人となった」としているが、前大会時に党員数は四十万四千二百九十九人と公表されていたので、この間、三万四千人が入党する一方で、三万二千二百九十九人が何らかの理由で党を離れてしまったという計算になる。これはかなりの数といわなければならない。党を離れる理由としては、死亡・離党・除籍が考えられるが、長期にわたって活動実態がなく連絡もつかない党員を離党処分にしたものが、その多くの部分を占めているのではないだろうか(日本共産党規約第十条は、「一年以上党活動にくわわらず、かつ一年以上党費を納めない党員で、その後も党組織が努力をつくしたにもかかわらず、党員として活動する意思がない場合は、本人と協議したうえで、離党の手続きをとることができる。本人との協議は、党組織の努力にもかかわらず不可能な場合にかぎり、おこなわなくてもよい」と定めている)。

(2)大会決議は党建設についてどのような方針を示したか

 このように、日本共産党の組織は、長期に渡って活動実態のない党員が大半を占めているという、崩壊的ともいうべき状況にあるものと推測されるわけだが、大会決議は、このような党組織の現状についてどのような認識を示しているのであろうか。
 残念ながら、積極的なものは何もないと言わざるをえない。そもそも、大会決議は、党組織の危機的な状況について、正面から率直に認めることを避けている。綱領読了問題については「党中央の系統的なイニシアチブに弱点があったことを、率直に反省」という文言がみられるが、求められているのは、そんな個別性レベルの反省ではなく、党組織の現状全体に関わるレベルでの深刻な反省なのである。
 このような反省抜きに、大会決議は、「国政選挙で、どの都道府県、どの自治体・行政区でも、『一〇%以上の得票率』を獲得できる党をめざす」という中期的展望にたった「成長・発展目標」を提起し、二〇一〇年代を党躍進の歴史的時期にしよう、と呼びかけた。その上で、先の総選挙で一〇%以上の得票率を得た党組織は「おおよそ有権者比で〇・五%以上の党員」をもっていたとして、各党組織がそれにふさわしい党員拡大目標を持つことを呼びかけているのである(昨年総選挙時の有権者数は約1億400万人であったから、単純計算すると52万人の党員ということになる)。
 では、どのようにしてその目標を達成していくのか。
 大会決議は、強大な党建設に向けた指針として、綱領学習の推進や労働者のなかでの党づくり、若い世代のなかでの活動強化などに言及しているが、いずれも具体性に乏しい。非正規雇用労働者の闘いをつうじて新しい党組織づくりが進んだ経験に触れるなど、注目すべき要素もなくはないが、深刻な反省抜きに大目標をぶち上げるという従来のやり方の大枠のなかでは、党組織の崩壊的状況を食い止めるだけの力にはなりえないであろう。


(3)何が党組織の崩壊的状況を招いたのか

 何よりもまず求められるのは、何が党組織の崩壊的状況を招いたのか、という深刻な反省である。
 では、何が党組織の崩壊的状況を招いたのだろうか。なぜ多くの党員は党活動から離れてしまったのだろうか。
 党員が党の活動を離れるのは、端的には党活動が「面白くない」からである。日本共産党における活動の実態を端的にまとめるならば、以下のようになる。
 情勢の見方も運動方針も無謬性を誇る中央の指導部が決め、支部の会議ではそれを教科書の文言のように理解し納得することが求められる(異論は学習の深化によって克服されるべきものとされる)。具体的な活動としては、集会や演説会に何人集めるか、機関紙を何部増やすか、党員を何人増やすか、選挙時であれば何人と対話して何人の支持拡大をするか、といったものがほとんどであり、地区委員会からは数字の追求レベルでの「指導」が度々入る。党組織の高齢化は著しく、比較的活発な若い党員には過大な負担がかけられる……。
 これでは面白いわけがない。日本と世界の変革の志に燃えて入党してきた党員が、数年の内に疲れ果てて党活動を離れてしまうのも仕方のないことであろう。
 問題点は、大きく二点ある。第一は、大きな方針については中央指導部が事実上絶対の決定権を持っており、末端の党員はそれに従って動かされるだけの存在になってしまっていることである。第二は、党活動を評価する最大の基準が機関紙数や党員数といった数字に置かれてしまっていることである。
 党組織を再生の軌道にのせていくためには、このような党組織・党運営のあり方が本当によいのかどうかということについて、党指導部が真剣に検討する姿勢を持つことが、何よりもまず必要なのである。
 以上、日本共産党第二十五回大会決議を素材に、日本共産党の情勢認識と運動方針、党建設上の課題について検討してきた。

おわりに

 まず、現在の情勢を、国民の新しい政治への探求の動きと、それを反映した新政権の動きとの二重構造において捉えたのは妥当であり、党の根本的な任務を「国民の探求の過程、認識の発展の過程」を積極的に促進することと規定したのも評価できることを論じた。
 しかし、過渡期を前向きに抜け出すための根本的な改革の対象を「二つの異常」として把握するのは、国内情勢を国際情勢と切り離し、また資本主義の民主的改良と社会主義的変革を切り離すという重大な問題を含むものであることを指摘した。
 また、党組織が崩壊的な状況にあるにもかかわらず、指導部にはそのような状況についての率直な反省はなく、事態を打開していく積極的な方針は何ら示しえていないことも確認した。
 しかし、現在の日本情勢を前向きに打開していくためには、日本共産党の再生は欠かせない。党組織・党運営のレベルで二つのことを提言しておきたい。
 第一に、党員拡大の位置づけを大衆運動と党との有機的なつながりの中にきちんと位置づけなおすことである。
 そもそも、共産党の根本的な任務は、端的に言えば、労働者民衆が自らの闘いを通じて政治的自覚を高めていく過程を促進していくことである。あらゆる党活動を評価する基準は、本来はここに置かれるべきものなのである。
 にもかかわらず、日本共産党においては、党員拡大は大衆運動への取り組みに解消させずに独自の意識的追求が必要だ、という、それ自体は疑うべくもない命題が不当に一面化され、党員拡大それ自体が自己目的化してしまっている。これが党内を疲弊させると同時に、入党者も党活動になかなかに定着しないという悪循環を招いている。
 本来は、大衆運動なくして党員拡大なし、なのであり、大衆運動の発展こそが党の発展につながっていくものなのである。このことを共産党についての本質論からきちんと確認し、機関紙拡大数や党員拡大数そのものを党活動の評価の基準とするような悪風は早急に改めるべきである。
 第二に、党運営の民主的改革をはかることである。最低限、党の路線・政策について、指導部への公然たる批判も排除せずに、日常的にオープンに議論できる状況を実現すべきである。現在、そのような場は、党大会前の公開討論誌の発行という極めて限定されたものしか存在しないが、これを日常的に機関紙誌上で行うことができるようにすべきである。指導部の掲げる路線・政策を決まった結論とせず、個々の党員が指導部への批判・異論にも触れながら、自らの頭で考え自由闊達に討論していくという作風の確立がなければ、党の活性化はありえない。
 党の根本的な路線の問題で言えば、先に「二つの異常」論について検討したように、資本主義経済の危機下で「資本主義の枠内の民主的改革」路線の弊害がより端的なかたちで現れるようになっている。この根底には党綱領があり、根本的には綱領を改定しなければ解決できない問題である。現状では、そこまではとても無理にしても、党の路線・方針について日常的にオープンな議論ができるようになれば、具体的な情勢分析への適用のレベルで、指導部を「資本主義の枠内での民主的改革」と社会主義的変革の課題との客観的な連続性を強調する方向へと向けていく道が開けてくるであろう。
 以上の二点が、日本共産党の再生にとって緊急に取り組むべき課題であることを強調しておきたい。


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