もどる

韓国 4大江事業に抗議の声をあげた宗教界       かけはし2010.5.31号

第9工区となった漢江合流点
元の姿に戻るまで禁食祈祷!


 昨年11月、4大江(河川)事業の工事が本格化して以来、全国土の江(大河川)は巨大な「殺生の現場」に変じている。政府の傍若無人の政策が施行させているにもかかわらず肝心な世間の関心が減り、メディアもそっぽを向いていた、その折にだ。これを再び争点として復活させた人々、それがまさに宗教人たちだ。4大江に駆けつけて祈祷により、五体投地によって事業を阻みぬこうとする。特に北漢江、南漢江は「聖地」となった。プロテスタント、カトリック、仏教の3大宗団がここで江のうめきを分かち合う。教理が異なるだけで、挙げる声はみな一緒だ。
 宗教界の哀切に満ちた動きには幾つかの意味が早くも見てとれる。軍部独裁時代ほどの危機感を見せている。円仏教団を含む4大宗団が声を一つに結集した前例は、その時代以外には極めて珍しいという点からも傍証できる。科学的論争や環境市民団体中心の抵抗局面にあって終局には弱まっていっていた争点を「生命論」によって復活させた。最も合理的かつ先進化されたという時代に、古くて抽象的な単語によって社会全般の根源的省察を要求する。「生命」と「宗教的良心」という獅子吼を吐いている。
 岸辺の、ハタハタなびいているテントで、ビニール・ハウスで、コンテナで疲れた身をすっくと立てている彼らに会った。文字通り「聖地巡礼」だ。春はまだ来ていなかった。

千余人の牧師と
信者が復活祭

 李朝後期の実学思想の集大成者である号・茶山・丁若 や独立運動家である号・夢陽・呂運亨が生まれ育った所、30余年前の八堂ダム工事によって7割の農地を失った共同体が生態(エコロジー)を課題として有機農によって奇跡のように再び立ちあがった所。京畿・南楊州市チョアン面ソンチョン里の北漢江一帯は河と食材が共生している土地だ。4月27日、そこを訪れた。マウル(村)のそこかしこに「漢江を守り抜こう」という檄文がなびき、高さ3メートルの水タンクの上には川風に飛ばされそうな、危なっかしい祈祷所が建てられてから70日目だ。
 昨年6月、政府は有機農という名前の代わりに「4大江事業」という名によってここを高水敷地(河川氾濫防止用地)公園とサイクリング・ロードとして作る、と一方的に通告してきた。4カ月後、有機農団地を守っていた農民10余人が、4大江事業の測量に反対して警察に連行された。教会が手を差しのべたのは、まさにこの時だ。ここのヨンジン教会は3・1運動から民主化運動まで103年間、農民と共に歩んできた。
 キム・スング牧師が率いた、片田舎での生命に向けた祈祷は、韓国キリスト教長老会を推し動かした。4大江事業を懸案として受けとめた韓国キリスト教長老会・生態共同体運動本部が乗り出した。そして1人用テントで作った祈祷所で四句節(復活祭前の40日間の齋戒期)禁食祈祷会が始まった。2月17日から4月4日の復活祭まで全南・ヘナム、蔚山など全国各地から牧会者たちが尋ねて来た。復活祭には全国から集まった牧師と信徒の数だけで千余人に達した。
 けれども4大江事業の重装備は近くのチョンピョンまで押し入ってきた。第2次禁食祈祷を始めた。今回は「4大江事業が中断される時まで」だ。完全に宗教的良心に身を委ねた人々の祈祷は牧会者たちの心を揺さぶった。結局、4月24日、国内最大の教団協議体である韓国キリスト教教会協議会の反対声明が出てきた。「人権」が4大江のフナ程度に取り扱われていた1970年代の民主化のためのキリスト教宣言、南北・理念の葛藤がわきあがっていた1988年の平和・統一宣言以降、22年ぶりの「宗教的抗拒(抵抗)」だ。中央執権の形態を帯びている他宗団と違って教派・分派が多様なプロテスタントは一つの意見に集約することがほとんど不可能だ。
 交代礼拝を終えて、次の祈祷者であるソウル教会ペ・アニョン牧師と共に祈祷所に上がった。1人用テント内の小盤の上に小さな十字架が見えた。その下の聖書にはコロサイ書第3章5節「どん欲は偶像崇拝」という題目が広げられている。「誰よりも私の過ちを宣言し、覚醒する時間です」。テントを脅かしている強い川風に対話がつながらない。ペ牧師は声を用心深く高めた。「風の音、雨の音、あるがままの音をたてている河を感じます。幸せです」。

1万人を超す僧
侶と信徒が法要

 翌日の4月28日朝7時、車を駆って京畿・驪州郡の4大江事業漢江第3工区にさしかかるやいなや25トントラックがせわしく行き交う。南漢江が見下ろせる驪州・新勒寺に位置するヨガン禅院に到着した。新勒寺の境内に入ると、破壊され暴かれている南漢江の黄色い川底と、そこを守っているスギョン僧侶に大雄殿(本堂)への参詣に先立って会う。スギョン僧侶が住持をしているソウル・華渓寺を離れ、ここに居を定めてから1カ月半が過ぎた。僧は仮建屋として作った禅院には、はなから身を置かず、テントを張って断想をしてきた。
 なぜここにいらっしゃるのか、という愚問に「懸羊走狗」と答えた。後に続く言葉から推量するのだが、羊の肉を掲げて犬の肉を売っていることが、まさに現在の4大江事業であり、本人が華渓寺を守っていることもまたそのような態度だろうと考え警戒することだ、と推論するばかりだ。言葉を紡いでいる彼の顔は力に満ちている。顔はほおから耳まで赤く膨れあがった。ただ91日も休むことなく破壊され暴かれていく川床を見ているからか、禅院の苦行のせいか、彼の皮膚病も一向に退散しない、と語った。揺らぎのなかった宗団はヨガン禅院の存在だけによっても徐々に動き始まった。
 4月17日には曹渓宗団(韓国仏教会最大の教派)レベルで僧侶千人と信徒1万人余が参加する「4大江の生命よみがえり水陸大会(法要)」を行った。また4月22日、第6教区の本寺である忠南・公州・麻谷寺の決定でクムガンにクムガン禅院を開いた。円仏教も乗り出した。教務宣言に160余人が名前を連ねた。小さな宗団ではあるが聖職者全体の10%なのだから、他の宗団と規模面において異ならない。
 志を集めているのは宗団だけではない。週末になるとヨガン禅院はスギョン僧に会うための信徒たちでごった返す。チユル僧が率いている洛東江の巡礼にも信徒が増えている。「洛東江の動きは禅院」だ。スギョン僧は週末に自身を訪れた信徒たちと共に五体投地によって第3工区をはい回る。期限はない。「止める時まで」だ。対案も簡明だ。「元の姿に」だ。「生命」をかけたからだ。
 スギョン僧に会って戻る道、新勒寺周辺の木の上のカッチ(かささぎ、吉報を告げるという鳥)はフォーククレーンのひっかき回しによって空になっており、その下に流れている川の水は黄色い河床をさらけ出した。その瞬間、一頭のコラニ(赤鹿)がカメラの視界に入った。森が消え、行き場を失ったようだ。自身を結局は死へと駆り立てていくフォーククレーンとダンプトラックの間を、友達に接するかのごとく不敵にも行き交う。まだコラニがいるということ、まだ遅くはないということだろうか。身を隠すところさえなく、破壊され暴かれたその場所、奴はどこまでがんばってくれるのだろうか。

突然政府は反対派
の拠点を強制収用

 カトリックの聖職者たちが陣を構えた所に向かった。北漢江・南漢江の二つの流れが一つとなって漢江へと流れる京畿・楊平郡の合流点だ。4月28日午後、近くの龍門山には雪が降りた。ここもまた合流点という代わりに第9工区という名前で4大江事業に含まれた。ここは4大江事業に反対している北漢江、南漢江流域の祈祷所の中で最も早く活動を開始した。午後3時、71日目の「4大江事業の中断と八堂の有機農地保存のための生命・平和ミサ」が始まった。ここで始まった「生命」のための禁食祈祷は、キャンドル・デモや龍山の惨事当時も微動だにしなかった主教団を動かした。おおむね保守的だと評価されている人々だ。平素であれば主教会議の案件に上ることさえ難しい懸案が案件として採択されたのだ。主教会議では専門家らを招き、賛成・反対の討論会まで開き決定し、4大江事業への反対を鮮明にした。国家の政策に対する反対は独裁政権の時でもまれなことだった。予想もできなかった主教声明に司祭たちは驚いた。
 合流点での40分余りのミサは奇跡を生んでいた。4大江事業反対のための「無期限ミサ」が始まってから2日目だ。徹夜祈祷のために設置したテントをカトリック会館の関係者らが強制撤去した。だがミサは平穏だった。ムン・ギュヒョン神父の絶叫があるまでは。「『この河の行き着く所、すべてのものがよみがえる』という聖書の御言葉を何日も何日も松の板に小刀で刻みます。ところで河が行き着くすべての所ごとふさいでしまう? それはどこの愚か者の仕業ですか? すべてを殺そうというのですか?」
 政府は聞いただろうか。宗団の3カ所の祈祷所と明洞聖堂の巡礼を終えると、「八堂有機農団地を強制収用する」というニュースが伝えられた。4月30日の政府発表だった。(「ハンギョレ21」第805号、10年5月10日付、ハ・オヨン記者)


コラム
激減する野鳥「ベスト3」

 「スズメ激減」の報道が流れている。その原因は「都市部を中心に巣作りに向いた木造住宅の減少や、餌場となる空き地や草原が減ったことが考えられている」(毎日夕刊、5月11日)としている。また、立教大の研究チームは、農作業の被害面積の減少率などから「半世紀前に比べて十分の一に落ち込んだ可能性」を指摘している。スズメの減少は都市部だけでなく、農村部でも顕著だということになると、減少の原因は「巣作り環境や餌場の減少」ということだけではないように思える。
 バードウォッチャーの端くれという立場から、スズメ減少の原因を考えてみたい。
 最も身近な野鳥といえばカラス、スズメ、ドバトがベスト・スリーだろう。しかしここ数年、このベスト・スリーの減少が著しいように思えてならない。カラスの減少は、東京都によるトラップを使った捕獲―駆除と巣の撤去強化、餌となってきた生ゴミ回収の管理強化が最大の原因である。その効果はてきめんで、ピーク時に二十三区に二万羽以上いたカラスが七〜八千羽まで激減したという。
 ドバトの減少は、フン公害拡大などを理由にした公園などでの餌やり禁止の徹底や、餌不足のカラスによる補食(巣への襲撃も含む)などにより、スズメ以上に激減しているように思える。ドバトの繁殖期は主に春から夏にかけてだが、ほぼ一年中が繁殖期とされる。ヒナや卵ばかりでなく、外敵に対してあまりにも無警戒な成鳥もカラスの絶好の捕食対象となる。
 「逃げないスズメ激増」という報道を五年ほど前に目にしたことがあった。公園でドバトやスズメがパン屑に群がっていた光景を思い出せば「なるほど」ということになる。スズメもドバト同様に人に餌付けされることによって、野鳥が生存していくうえで必要不可欠な「警戒心」や「たくましさ」というものを、数世代を通して薄めてしまったようだ。鳥類の食物連鎖の最底辺に位置するスズメにとって、それは決定的な危機を意味する。
 警戒心の薄くなったスズメの巣は、カラスの襲撃対象になりやすいだろうし、近年、都市部郊外で営巣するようになった小型猛禽類の絶好の捕食対象になっている。一つの巣でヒナが巣立ちするまでに三百羽のスズメが捕食されるという。
 たくましさの強弱は特に繁殖期が決定的となる。それはヒナの餌となる昆虫の争奪戦になるからだ。スズメの減少と反比例して、ムクドリ、シジュウカラが増加しているように思える。スズメは昆虫争奪戦の敗者になってしまったのだろうか。
 農村部におけるスズメ減少の原因は、長年に渡る大量の農薬散布による昆虫の激減の影響が考えられる。またスズメ自身が農薬による化学物質蓄積の影響で、多摩川のコイのようにオスの繁殖能力が低下していることも考えられるのではないだろうか。
 いずれにしろ、生ゴミやパン屑、ポップコーンなどに依存してきた「ベスト・スリー」は減り続ける。都会で「進化」したハシブトガラス(英名ジャングルクロウ)は、森に帰ってくれるのだろうか。「カラスの勝手でしょ〜う」、やはりそういうことになるのか!  (星)


もどる

Back