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裁判員裁判制度施行から1年               かけはし2010.6.7号

「市民の司法参加」の美名は
剥がれた!廃止するしかない


最高裁による
強引な「指導」

 一九六〇年の日米安保改定から五十年をむかえる。日米安保は、今や当初の性格を大きく変えて「グローバルな日米軍事同盟」の基盤になっている。この文章は近刊の『ピープルズ・プラン』誌50号のために筆者が書いた文章にごくわずかの補足を加えたものである。「安保破棄」の闘いのためにぜひ検討してほしい。

 憲法違反に満ちた裁判員制度の強行(09・5・21)から一年を迎えた。三月末までに対象事件は全国で千六百六十二件起訴しているが、四百四十四件しか判決が出ていない。制度によって短期間で判決を数多く出していくことをねらっていたが、このような現実を突きつけられた最高裁の竹崎博允長官は、「少なくともよいスタートを切れた」と強がったポーズを示したものの「起訴された事件に対し、審理・判決に至った事件が少ない。審理まで時間がかかりすぎており、迅速な審理入りが必要」「新しい制度で関係者が過度に慎重になっているのではないか」などと裁判官、検察官、弁護士に対して八つ当たりする始末だ(5・3)。
 河本雅也(最高裁刑事局第1課長)にいたっては、「法曹三者が慎重になりすぎ、裁判所も進行管理が甘かったという反省がある。検察側、弁護側に対して、意見や証拠を出す期限を適切に定めていくべきだと裁判官の間で議論している」などと強引な「指導」を行っていることを明らかにするほどだ(朝日5・21)。
 そもそも制度の目的は、民衆を裁判員と称して「国家への奉仕」へと強制徴用し、厳罰化傾向を追認させ、有罪判決を連発させていくことにあった。裁判所の呼び出しに素直に出頭しない民衆に対しては、明らかに憲法第18条「苦役からの自由」違反であるにもかかわらず、十万円以下の過料を科すと脅していたのだった。竹崎・河本は、裁判員裁判が表向きに「迅速・軽負担・平易化」という看板を掲げてきたが、その実態はいいかげんな審理でもかまわないから「簡易・迅速・重罰」のための裁判員裁判の定着を押し進めろというのが本音だ。それはグローバル派兵大国建設の一環である新自由主義的統治の強化を改めて明らかにしたのである。

八割の住民が
「なりたくない」

 しかし、後述するように、この一年だけでも制度の致命的欠陥が明らかとなる裁判が次々と発生していることに対して司法権力者たちは危機意識をも吐露している。また、裁判員になることにたいして民衆の多数が消極的、否定的である状態が続いていることに対して率直に認めざるをえないところまでに追い込まれている。
 最高裁は、四月十六日、裁判員裁判の国民意識調査結果(調査は今年1〜2月、全国の20歳以上、2037人〔男性988人、女性1049人〕に面接、うち2010人から回答)を公表したが、裁判員参加について「消極派」が八〇%だった。二〇〇八年調査では一万五百人の面接調査では「消極派」が八三%だったから同様の傾向が続いているということになる。昨年五月三日の各新聞の調査でも「裁判員裁判に参加したくない」が七九・二%、テレビ各系でも「参加したくない」が八四・四%に達していたことを報道していた。いずれも「消極」理由としては、「被告の運命が決まり責任が重い」が七六%で、続いて「素人だから」「意見表明の自信がない」「安全が脅かされる」「仕事に支障」「秘密を守れるか自信がない」など理由が明らかになっている。
 つまり、民衆の約八割が「消極派」であり、この傾向は続いているということだ。この結果は当然である。民衆は「市民の司法参加」の美名の下に被告人を処罰することへの強制動員であることを見抜き、そして重大な刑事事件について有罪か無罪かを判断し、かつ死刑をも含む刑罰の決定に加担することの心理的負担がかかりすぎることへの拒否感として意思表示しているのだ。人間として自然な表現である。同時に裁判員裁判への強制徴用による休業補償・雇用状態の不利益発生、託児・介護のサポートも含めた支援体制の未確立な制度への不信・不安・抗議としても表明しているのである。
 さらに裁判員の「守秘義務」などさまざまな罰則が設けられている人権侵害を容認することはできない。守秘義務とは評議の経過や裁判員や裁判官の意見などを漏らしてはいけないというのだ。漏らしたら六カ月以下の懲役または五十万円以下の罰金だ。しかしその「守秘義務」の範囲基準があいまいであり、司法当局の手前勝手な裁量で判断してしまうのだ。だから裁判官に誘導された審理や評価などの議論内容さえも公然と検証できない。守秘義務は生涯だからストレスが長期に続き、精神的身体的破壊の危険が増幅してしまう。こんな「守秘義務」は認められないのは当たり前である。

違憲の制度に
むりやり「合意」

 このような現実に抗して東京高裁は、四月、制度が日本国憲法になんら規定されていないという根本欠陥への批判に対して憲法判断を行った。小西秀宣裁判長は、殺人罪をめぐる事件の中で裁判員制度の合憲の判断は、「憲法は下級裁判所の構成を直接定めておらず、裁判官以外の者を構成員とすることは禁じていない」という居直り結論のレベルだ。しかし憲法は司法権の担い手として裁判官のみを前提としているのであり、憲法の想定外で裁判員裁判制度を制定してしまったのだから違憲なのである。しかも被告人の裁判を受ける権利が侵害されてしまっている状態が続いているのだ。だから判決は、「憲法が裁判官を下級裁判所の基本的な構成員に想定しているのは明らかだが」と認めていながら、なんと「構成については直接定めていない」とウルトラな解釈を押し出し、制度が「公平な裁判を行える裁判員を確保するよう、資格要件などが規定され、適正な手続きで裁判が行われており、被告の権利を害してはいない。(参加を義務づけられた)国民の負担も必要最小限のものと評価できる」などと一挙に居直り的な制度正当論を強調するレベルでしかなかった。こんな暴論は許されない。
 制度は、裁判員に指名されたら原則として辞退できず、憲法第十三条「自由権、幸福追求権」・第十八条「苦役からの自由」に違反し、『人を裁きたくない』という思想・信条を無視する第十九条「思想及び良心の自由」に違反している。ついにこの違憲制度による人権侵害事件が発生してしまった。
 福岡地裁(2010年1月)での傷害致死事件裁判(4日間)の裁判員にさせられた女性が裁判中に体調を崩し、その影響で運転ができなくなり、営業職を退職に追い込まれてしまった。女性は、二日目の裁判中、証拠の遺体解剖写真を見せられたことによって動悸が高まり、最悪の体調になってしまったのだ。死刑か無罪かを争うような事件であれば、遺体の証拠写真を次々に見せられ心理的苦痛と身体的負担が重くのしかかることは間違いない。現実にお国のために任務を遂行せよという「脅迫」によって身体的精神的支障が発生してしまったのである。
 これは「拷問」ではないか。退職にまで追い込んでしまった精神的経済的破壊についていったい誰が責任を取るのだ。制度が続くかぎり被害者は増え続けてしまうのである。この事件について福岡地検は「視覚的な説明が必要な場合もあり、影響には配慮している」と弁明し、福岡地裁も「裁判員が事後に体調不良などの問題があれば、いつでも相談に応じる」などと無責任な対応で逃げ切ろうとしている。「耐えられなければ断ればいいのだ」という自己責任論の押し付けが制度の本質であろう。各地で体調不良で裁判員を辞めるケースが続出し、裁判延期が起きている。被害者を大量発生させる制度はいらない。裁判延期による被告人の勾留長期化、人権侵害を許してはならない。

数知れないほど
の制度的欠陥

 制度の深刻な人権侵害は、これだけではない。以下、その実態を明らかにする。
 第一は、性暴力被害者のプライバシーの侵害と「セカンドレイプ」の危険性の増加へとつながっていることだ。すでに審理を終えた性暴力事件の裁判員裁判は約二十件だという。司法当局は、被害者を守るために特別の配慮を行っていると報告している。しかし、四月に大分市内で性的暴行を受けてけがをした事件で被害者の女性は、「裁判員裁判で他人の目に触れるのは嫌。どこで誰に漏れるか分からない」と不安を表明。大分県警は裁判員裁判の対象となる強姦致傷容疑での立件を見送り、強姦容疑で容疑者を逮捕・送検するケースが起きた。
 裁判員法では、最高刑が無期懲役の強姦致傷罪は裁判員裁判の対象だが、三年以上の有期刑の強姦罪は対象外だ。裁判員裁判は、性暴力事件に対するプライバシー保護などの基準がなく、各裁判所で判断して対応しているのが実態だ。しかも裁判員に対して性暴力事件に関してジェンダー視点からレイプなど性暴力と対決するための事前研修もなく、日常的な「市民感覚」で「被害心理無視」、「興味本位」、「失礼」な「セカンドレイプ(二次的被害)」質問が出ないとも限らない。被害者が裁判員裁判を選択するか拒否するかの自己決定権さえも認めていないのだ。制度は、常に性暴力被害者に不安と打撃を与える危険性を持っているのである。
 第二の制度欠陥は、「公判前整理手続き」で決められた時間割を優先しながら裁判官、検察による目撃証人への形式的な反対尋問と被告人への糾問的な質問、裁判官が裁判員に強引に質問させたりするなど刑事裁判ショー化してしまったことだ。しかも冤罪を生まない制度の未確立のままである。すなわち被告人の防御権の保障と「公平な裁判」を受ける権利の否定、身柄拘束の適正化、起訴前保釈制度の導入、代用監獄制度の廃止、取り調べの全面可視化(ビデオ撮影による取調過程の保存)、弁護人の取調立会権などは棚上げのままであり、新たな冤罪を生み出す条件は十分そろっている。
 竹崎長官は、足利事件での再審無罪確定を意識して「刑事裁判における事実認定の難しさと、科学的知見の重要性を改めて認識させられた。裁判員制度でも間違いが起きないよう、真剣に検討していく必要がある」と述べたが(5・3)、その対策が「DNA型鑑定と事実認定の問題を共同研究」でしかなかった。なんら反省することもなく新たな冤罪発生のための必要条件の温存だ。冤罪再犯装置の解体と防止諸措置の徹底、裁判員裁判制度の廃止こそが求められているのだ。
 第三は、区分審理・部分判決制度導入の危険性である。大阪地裁で行われた強盗致傷事件裁判員裁判(四月)で裁判員対象外事件で既に裁判官のみにより七件の有罪部分判決が言い渡された被告人に対して、全部の事件を総合して懲役六年六カ月(求刑懲役12年)の判決が言い渡された。これは裁判員の負担軽減と称して裁判破壊につながる区分審理・部分判決制度を適用したものだ。被告人の裁判員対象外事件について裁判官だけが部分判決を出し、その裁判に立ち会わず証拠を見ていない裁判員が、裁判員裁判対象事件と合わせて量刑まで判断するというものだ。
 この被告は無罪主張していなかったが、もし被告人が否認、無罪主張した場合、共犯事件、証拠が複雑に関連する事件などの場合、それらの事件の公判に立ち会わず、証拠を見ていない裁判員が死刑や無期懲役の判断ができるのかという問題が発生する。必然的に裁判官、検察側有利に誘導された結果しか出てこないのは明らかだ。検察は、裁判員裁判対象外判決を持ち出し、裁判員に重罰適用を促進することなどやりたい放題だ。これは被告人の防御権を侵しており、憲法第三二条、第三七条の「公平な裁判所での裁判を受ける権利」に違反である。区分審理・部分判決制度の犯罪は重大である。強盗致傷事件裁判員裁判に関わった裁判員は「事情が許せば、対象外事件の審理にもかかわりたかった」、「参加しなかった審理での被告や証人の表情も見て判断したかった」、「本当は全部審理したかったが、時間や仕事を考えると、区分審理は適切だった」といいかげんな拙速裁判の問題点を発言している。

拙速裁判による
えん罪の危険

 以上のように裁判員裁判の欠陥・問題点をすべて網羅できなかったが、とくに問題ありの点について取り上げた。京都・点滴異物混入事件の裁判員裁判に関して見出しが「最長九日間」「過去最長」(朝日・5・11)というニュースが飛び込んできた。京都地裁は、裁判員候補者百一人に呼び出し状を送付し、四十八人の辞退者が出た。裁判のために九日間も拘束されるのではたまったものではない。最後まで裁判員は存在しているのだろうか。
 朝日新聞は、無責任に「裁判員裁判は今後、否認事件などの審理が本格化し、証拠調べに時間がかかる例が増える見通しだ」と、今頃になって制度の欠陥と危機について言いだし始めた。すでに和歌山カレー事件(1998年7月、2009年5月最高裁で死刑確定)の一審は、千七百点近くの証拠を提出し、九十五回の公判が開かれ、判決(2002年12月和歌山地裁で死刑判決)までに三年七カ月かかっていることはわかっているはずだ。このような複雑な事件と似たケースの場合でも三日から五日程度で判決を出させようというのが裁判員裁判のねらいだ。拙速裁判化によって冤罪判決の多発化の危険性がある。制度を翼賛してきた報道の責任は重大な問題がある。制度翼賛勢力を批判しつつ、国家への奉仕を強要する裁判員裁判制度を廃止していこう。(遠山裕樹)


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