2010年5月24日、アテネ発
「不正が法になるとき、抵抗は義務である!」
タソス・アナスタシアディス、アンドレアス・サルツェキス |
戦闘的抵抗か、受動的観客か
表題の文章は、五月十二日のデモで小学校および中学校教育労働者の二つの組合、DOEとOLMEの共同横断幕に書かれていたものであるが、情勢分析と、PASOK(全ギリシャ社会主義運動)政権がもたらした社会的破局に直面した労働者に残されている唯一の道を非常に的確に要約している。
この抵抗は明白に登場し、過去数週間の巨大な動員がこれを確認していると思われるが、われわれはいかなる幻想も持つべきではない。われわれがかかわっているのは困難な闘いであり、その結果は主として、大衆的戦闘性と障害の大きさに直面して意気阻喪におちいるリスクの間で引き裂かれている民衆に対して確かな展望を示すことができる労働組合と政治的左翼の能力に、また欧州資本の攻勢に対抗する欧州労働者階級の能力にかかっている。現在すでに表面化しているのは階級間の競争であり、ギリシャの危機の容赦ない深刻化は極端に相反する一連の矛盾を顕在化させている。一方では、五月十五日にアテネでアラン・クリビーヌが演説したように、まさに次のように言うことができる。「今ギリシャで起こっていることは、数百万の人々の苦痛をもたらそうとしているが、ある観点から見れば欧州の革命家にとって積極的なことである。なぜなら、ある観点から見れば、あなた方(ギリシャ人)は来るべき年月の間にわれわれすべてが欧州で経験するであろうことの最前線に立っているからであり、今日、大多数の人々が、欧州連合は人民の救世主などではなく、人民を抑圧し搾取するための機関であることに突然気づいたからである」。しかし、他方では、パパンドレウ首相の論評の意味を過小評価すべきではない。彼はこの危機はギリシャ社会を変革する大きな機会を提供するものであると強調している。「われわれは今や、わが国がより良き未来への確固とした基礎を得たことを確認しなければならない。われわれギリシャ人に責任がある問題についてオープンに正直に話さなければならない」。
今や、パパンドレウはこのようにして、民衆の怒りを、現在の危機の中では明らかに小さな問題ではあるが、真の原因の一つに集中させようとしている。この数日間に、新聞やテレビで、社会のさまざまな富裕階層が長年にわたって脱税を行っていたことが大々的に暴露された。医師たちの取調べに続いて、税金逃れをしているスポーツ選手、弁護士やショービジネス関係者の名前を公表すると予告された。パパンドレウは彼の閣僚の一人を槍玉にあげることも躊躇しなかった。彼の夫は人気歌手で、五百五十万ユーロの税金を払わずに済ませていた。このけしからんやり方は困窮している労働者から見れば許せないことであり、もちろん重要ではあるが、これは危機の深い根源に対する答えを示すものではなく、自らの問題に手をつけ始めた民衆を受動的観客の役割を演じるように引き戻す試みのひとつである。
中世に引き戻すような措置
すでに二月と三月に労働者が一連の政策の「パッケージ」の打撃を受けたことを想起しよう(原注1)。最悪の攻撃がやってくることになった。自由で無制限の投機(欧州憲法では競争は自由で無制限である)の圧力を受けて、政府は欧州連合(EU)、欧州中央銀行(ECB)およびIMFと千百億ユーロの融資枠を交渉し、五月初めに原則的に合意した。詳細はよく知られているとおり、次のようなものである。
▲五%近い利率。金を貸すEU諸国自身は、三%の利率で銀行から金を借りる。銀行だけがECBから借りる権利があり、利率は一%である。フランス経済大臣のクリスチーヌ・ラガルドが恥ずかしげもなく認めたように、このユーロゾーン諸国の連帯はフランスに年間一億五千万ユーロを稼がせることになる。
▲ギリシャ経済のすべての部門をEU・ECB・IMFの「トロイカ」の支配の下に置く。主権国家のこのようなまさに政治的強奪が民衆の怒りを強め、彼らは「評議会」という言葉でこれを呼ぶことを躊躇しなくなっている。彼らは一九六七年から七四年まで米国のバックアップを受けて存続した軍事評議会を経験しており、その意味を十分承知している。しかし、ギリシャの雇用主たちはバルカン諸国への大投資家であり、また特定部門(船主)では世界のリーダーであり、この計画の分け前を十分にもらっていることを忘れてはならない。彼らはIMFと同じように過酷な計画を望んでいるのである。
トロイカが書いた覚書に従った措置は、五月六日に議会で投票に付された。これはこの前の政策パッケージを一段と過酷にしたもので、三百億ユーロ規模の節約を追及し、それをもっぱら労働者の背に負わせるものである。すでに実施されているものには、次のようなものがある。賃金の即時一五%削減(公務員においては、十三カ月目および十四カ月目の月給の廃止)(訳注:日本の夏・冬ボーナスのようなものでクリスマス手当て・復活祭手当てとして支給)、年金も同様に削減し最大月額八百ユーロとする、新たな増税(付加価値税の増税、特定製品について2カ月内に19%から23%に増税)、公共部門の事実上の新規雇用凍結(退職者五人ごとに一人雇用)、などである。
しかしこれらは全体像の一部に過ぎない。新しい措置の採択後、年金制度の改革計画が検討中である(積立期間の四十年への延長。これは現在の条件から二〜七年の延長を意味する。年金額計算基礎を最終年ではなく労働期間の総賃金にする、など)。その他の攻撃も準備されている。六月には、労働法の草案が発表される。現在の労働法は、EUやIMFやSEV(ギリシャの雇用主の団体)の目には気前が良すぎるように見えるのである。すでに、国の教育制度の従業員の解雇が可能になっているが、社会党員であるIMF専務理事ストロスカーンが発表したように、IMFが特に要求しているのは、より多くの競争と現在の解雇制限の撤廃をもたらすような柔軟性である(一つの会社で認められる解雇を毎月二%から四%に引き上げることが決定されているが、それでは十分でない!)。同様に、側近が何と言おうと、ストロスカーンは公共部門に課されている賃金指標を民間部門にも適用することに固執し、政府は最低賃金を七四〇ユーロから五九二ユーロに引き下げることを望んでいる。
PASOK政権が調印した覚書は、このように、二〇一二年までに約三十の措置を実施することを想定している。これには以下が含まれる。失業率が劇的に上昇し、公式統計で一〇%、非公式統計では一八%になろうとしている状況の中で、失業庁予算の五億ユーロ削減、公共部門と民間部門の三年間賃金凍結、生産性を考慮に入れた柔軟な賃金、時間外労働賃金の引き下げ、公共料金の引き上げ、公共サービスの民営化も忘れてはならない。これらの措置の性格は首相自身が認識している。危機に対して責任がない労働者にとって厳しい不公平な措置である。しかし、パパンドレウにとってはほかに選択の余地のない道である。社会的技能を廃墟に変えることが、PASOK指導者にとって可能な唯一の政策なのである。
しかし、必ずしも左翼ではないエコノミストでさえ、このような計画の有効性に疑問を投げかけている。五月二十四日付「ルモンド」紙でジョゼフ・スティグリッツは次のように強調した。「ヨーロッパは連帯と共感を必要としている。失業を急上昇させ不況に導く緊縮政策ではなく、欧州の成長が回復した場合にのみ、これらの諸国(スペイン、ギリシャ)は回復するだろう。緊縮計画によって経済を損なうことによってではなく投資によって経済を支えることが必要である理由がここにある」。今年の景気後退は(トロイカとIMFの計算によれば)約四%であり、二〇一一年も同様である。ギリシャのケースにおいて欧州ブルジョアジーが望んでいる証明は、それが必要であるとしても、それは危機から脱出する道ではなく、欧州の社会的モデルとなるような労働者の超過搾取の急激な拡大なのである。
このような状況の下で民衆が抱く最初の心配の一つは、もちろん失業である。四人に一人が雇用主によって申告されていないという事実によって事態は悪化している。大都市ではすでに貧困が顕在化し、一部地域では急速に拡大している。恐るべき事態が予想されるのは特に若い人々(および高齢者)である。二十四歳以下の失業率は三二%であるが、将来待ち受けているのは最初の二年間は月六百ユーロ以下の仕事であり、退職後の年金は生涯賃金に基づいて計算される。一方、ストロスカーンの年俸は三十万ユーロである。このことが民衆の怒りの大きさを説明する!
歴史的動員と自律的動員の萌芽
かって経験したことがないような生活条件の悪化に直面した民衆の心の状態の相反する矛盾さえ見られる姿を描き出すさまざまな調査を調べてみることは、もちろん興味深い。調査は、抗議の決意を示しているとともに、前政権の怠慢によってギリシャはひどくなり任務が困難になったという感情を示している。前政権の怠慢という感情は重要であり、このことがPASOKは揺さぶられているが崩壊しないでいる理由を説明する。しかしこれはもっとも重要なことではない。ギリシャは四カ月間に四回の一日ゼネストを経験した。特定の動員の枠組みの中で、特定部門が非常に戦闘的なデモを展開したことやそれらのデモが前日の呼びかけで行われたことも忘れてはならない。
実際、GSEE(民間部門の労働者連合)とADEDY(公共部門の労働者連合)の指導部は、どちらもPASOKが多数派を占めており「自分たちの」政府に反対する動員を行わないあらゆる理由があるが、十二月以降は労働組合左翼からの圧力に従う以外に選択の余地はなかった。二月二十四日と三月十一日の大規模なストライキの後、彼らが「時間稼ぎをした」ことは明らかであるが、国を麻痺させた五月五日のストライキでは、われわれは数十万のデモ参加者を目撃した(この数字はアテネでの参加20万人からの推定である)。
これは一九七四年の軍事独裁政権崩壊以降最大のストライキであり、二〇〇一年にPASOKに年金法案を撤回させた巨大なデモに匹敵する。ギリシャの労働者運動史上の記念すべき日付となるだろう。このような公然たる大衆的な怒りの噴出はめったに見られるものではない。怒りは資本主義体制とその代理人たちに直接向けられた。「彼らの」危機の代償を払うことは問題外である。PASOK・EU・IMF・ECBの対策措置を拒否する。これがデモの基調であった。
アテネにおける巨大なデモでは、二つの出来事があった。一つは、ギリシャの最も強力な雇用主の一つであるマーフィン銀行の三人の従業員の悲劇的な死である。これは銀行労働者連合(OTOE)が非難しているような雇用主たちと政府の態度のためであり、また建物内に大勢の従業員がいることが見えていたにもかかわらず火炎瓶を投げた者たちの犯罪的暴力のためである。この行為は強く非難され、特に多くのアナーキスト・グループが非難したが、一方では信じられないようなレベルの警察の暴力をもたらし、このことはブルジョア民主主義の状態の懸念すべき兆候を示している。また、もちろん政府や銀行のオーナーは動員の急速な拡大の可能性にブレーキをかけるためにこのことを利用した。なぜなら他方では、われわれはあらゆる政治的傾向の老若を含む数千人のデモ参加者が、親資本主義的措置を採択した象徴的場所として国会を攻撃し、公然と「秩序勢力」(警察)と対決するのを目撃したからである。翌日には、三人の労働者の死が引き起こした感情の影響があるにもかかわらず、一万人を超えるデモ参加者がトロイカが命令した恐るべき措置の第一部が可決されようとしていた国会前に結集した。
五月二十日には、新たなゼネストが行われ、やはり十分な支持を受けた。しかし、デモは大衆的であったが、五月五日ほど大規模ではなかった。今何が起こっているのか。それを知ることはむずかしいが、今のところ、われわれは以下のような要素を指摘する必要がある。
▲PASOKとつながっている労働組合指導部は、運動に従わざるを得ず、動員を呼びかけざるを得ない。またもやこれらの組合官僚が左翼的言辞を採用し使いこなす方法を知っていることが示された。GSEE議長のギアニス・パナゴプロスの演説を聴いてみよう。「IMFは労働者階級に犠牲を求めることを止めないだろう。IMFのレシピは破局的である。政府はこれを断固として拒否すべきである。われわれは、ギリシャでは民間部門の賃金が実際に経済の競争力の問題をつくり出していると言うことはできない」。GSEE指導部は、五月一日のときのように、「彼らの」危機の代償を労働者が支払う義務はないと大合唱することができる。しかし、これが時間稼ぎであることは明らかである。三月のゼネストと五月五日のゼネストの一カ月半の間に、彼らはものごとをスピードアップしなければならなかった。そして五月二十日のストライキを行った後は、今後の戦術は十分間隔をあけた一連の一日ストライキとなりそうであり、最後には支持を受けられなくなって終わる恐れがある。
KKE(ギリシャ共産党)の労働組合フラクション(およびその労働組合PAME)によって労働者の分裂がつくり出されている。労働組合のKKE派は一貫して組合多数派とは別の場所で多くの場合異なる時間にデモを呼びかけている。それにもかかわらず、この戦術に対して、五月五日の基盤の上で逆の動きが始まった。異なるデモ隊が、どちらの側も何の敵意も抱かずに肩を並べて闘い始めた。このことはスターリニスト指導部の目には悪い例に見えた。彼らは五月二十日には、国会へのデモを呼びかけたGSEEやADEDYとは別の方向へのデモを呼びかけた。
過去数カ月間に、動員の推進に関して地方労働組合機構(職場支部、地域委員会)によって非常に重要な役割が演じられた。これは、一日ゼネストの場合も、一部の部門で今現在進行中のストライキの場合にも当てはまる。これらの地方労働組合機構の調整委員会が設立されている。また、一部の戦闘的な統一連合についても言及する必要がある。たとえば、OLMEおよびDOEである。新しい措置によって教師たちは最低でも一カ月分の賃金を失うことになる。また、彼らの地位が脅かされており、IMFは危機を利用してギリシャにおける私学教育の拡大を強制しようとしている。これについては、教育インターナショナル(教育労働者の労働組合の世界的組織)の会長も非難している。これらの連合は、現在進行中のストライキの展望について公然と議論している。もちろん、これらの組織はすべて、デモの中で非常に戦闘的な極を形成している。
五月五日のような動員の成功をもたらしたものは、あきらかに、労働組合の中でPASOK潮流に多数派をもたらした数十万の労働者が大挙して街頭に出たという事実であり、控えめに言っても、「自分たち」の政府に裏切られたという怒りであった。しかし、この怒りは労働組合の否定をもたらさなかったし、政治的忠誠心の否定ももたらさなかった。しかし他方では、この巨大な力は統一行動の用意ができている。
今後の闘争を左右する諸要素
大衆的戦闘性は、起こった動員がGSEEやADEDYによって呼びかけられたものか、模範的な進行中のストライキの拡大によるものかによって、強まることも、弱まることもあるだろう。現在ひどく足りないものは、ヨーロッパの連帯の支持を行動で示すことである。現在、リスクは一方では労働組合指導部に、もう一方では脱税追求キャンペーンによって動員にブレーキをかけようとしている政府にある。多くの政治運動や労働組合の幹部は、動員がふたたび始まるのは夏期休暇の後になると考えている。この頃には、採用された措置の実施による悲惨な事態の規模をみんなが知るに至るだろう(たとえば、実質的には夏期休暇手当てである十四カ月目の賃金の抑制)。このことはあり得るが、秋にはストライキ資金の逼迫ために労働者の動きが鈍くなるリスクもある。したがって、今動員を続け、可能な場合は動員を深化することが重要である。これは、動員が勝利的結果をもたらすという確信を与えるような政治的展望の明確化を意味する。しかし、この面ではものごとは確かに前進はしているが、非常にゆっくりとした前進である。
今日では、左翼の側ではPASOKの人々に働きかけることは正しいと考えられるようになっている。多ければ多いほど良いというのは、常に正しいわけではない。同時に、分化が起これば必ず反資本主義的あるいは反自由主義的左翼が強化されるわけではないことも明らかである。特に政府機構のレベルで不満が見られる。三名の国会議員が悪辣な措置への賛成投票を拒否して除名された。しかし、彼らが将来の左翼反対派の中核になるわけではない。彼らの態度は、自分たちの将来の政治生命を心配する一部の大臣にも影響を与えているような不満の雰囲気に乗ったものである。しかし、世論調査の結果は、政党の拒否という現象(深刻なもになる可能性がある)とともに、PASOKの支持率が右翼を押さえてトップに立っていることを示している。つい最近行われた学生自治会選挙でも、PASOK派が前進した(彼らは緊縮措置反対を表明している)。
一方では、PASOKの労働組合潮流であるPASKEの内部で、程度の強弱はあるが批判が聞こえ始めている。ADEDY会長でさえ、危機への対応策は一つしかないとする政府の路線に異議を唱えている。公共サービス部門のPASKE指導者は「われわれに必要なのは社会的正義と階級連帯だ」と宣言した。いくつかの省庁のPASKEの労働組合員は、脱税や税金逃れのために海外に設立された会社の存在を告発し、そこに金が存在することを示している。DEI(ギリシャの電力会社)のPASKEの労働組合員は、次のように宣言した。「われわれは公式に弾劾されたすべてのことに反対するだけでなく、これからやって来る新たな攻撃に反対する。われわれの展望は依然として、現在のような経済的悲惨や倫理的卑劣さのない、より公平な社会である」。
これらの宣言が何を反映しているかを知るのは困難であるが(情報源は五月二十三日付『エレフテロティピア』)、否定しがたい事実を表現している。すなわち、PASOKは、あらゆるスキャンダルをくぐり抜け、パパンドレウの父の政権とシミティスの政権の緊縮財政の中を生き延びてきたが、最後の一線を越えたのである。その一線を越えた向こう側では、PASOKは右翼を打ち負かすための道具と見られ続けるであろう。この結果は、反自由主義的・反資本主義的左翼が統一行動を提案し明確な綱領的展望を展開することを知っていれば、急進的なものになる可能性がある。
右翼は現在、かってなかったほど結集力が弱まっていることは明らかである。指導者であるナショナリストのアントニス・サマラスは穴の中に引きこもっており、危機に直面したパパンドレウと同じように国民の統一が必要であると語り、しかし緊縮措置に賛成票を投じることは拒否した。もちろん、彼はこの措置にパパンドレウ以上の熱意を持っているはずである。彼は元外務大臣ドラ・バコヤニスを除名することにより自分の党をさらに追い込んだが、極右政党LAOS(国民正統派運動)との間にはまだ差がある。
LAOSの指導者は躊躇することなくPASOKのすべての措置に賛成投票し、国会の合法性に反対して街頭でデモを展開する左翼にほえついた。真のファッシストの隠れ蓑になっている運動からのこのような言い分は笑うべきものであるが、ギリシャのお頭様の計算が、責任者はだれかというゲームを演じながらPASOKや右翼からの幻滅した支持者を集めることにあるのは明らかである。ギリシャでは今までにもまして、ファッシストに対する警戒が必要である。
政治的展望の欠如とセクト主義
特に将来の動員のための状況を妨げる要因の一つは、ギリシャの特殊性である。これは一部の人々にとっては嘲笑の対象であるが、実際には、戦闘性の要因であると同時に勝利的な動員の希望に対するブレーキともなる要素である。KKE(ギリシャ共産党)はこれまで以上にこの二重の役割を演じており、その結果は悲劇的である。
実際、KKEは、直接的に、またはその労働組合潮流であるPAMEを通じて、大きな動員を組織することに成功している。五月十五日には、二〜三万人の活動家の全国動員に成功した。これには多数の若者も含まれていた。この党は一九九〇年代初めに右翼国民連合政権に参加したとき若者の支持をすべて失っていた。今日では、基調は断固として左翼に設定され、反資本主義が強調されており、旧世代のセクト主義や貧困に関する政治的分析や政治的展望の欠如(これらは遅かれ早かれ、家にいたほうがましだと支持者に思わせる)をともなっていなければそれは良いことのはずであるが、現実には動員の唯一の理由は、(自分たちの周りに)人民政府を構築できる地点にまでKKEを強めることである。これをギリシャの外の人々が見れば驚くかもしれないが、ギリシャでは、実際にこのような愚かなことが、KKE指導者アレカ・パパリガがそれを目指して闘っていると主張する体制に貢献するのである。
彼女の演説は考古学者にとって貴重な対象である。そこにはスターリニストのあらゆるステレオタイプが見られる。すなわち、政府は反共キャンペーンを行い、秘密警察はKKEに対して挑発を仕掛けている(これらはPAMEの活動家が5月5日に国会前で警官隊と衝突したという事実と矛盾している)。労働者が悪い情勢に置かれているのは、マーストリヒト条約の意味に対してKKEがタイムリーに行った警告に十分な注意を払わなかったからである(人民が間違っている、党は常に正しい)。KKEの政府構想は「人民権力のための反独占民衆連合」である。明らかに、うっかりわなにかかるのはPASOKより左のグループや政党だけである。KKEはチャンスをけっして見逃さず、シナスピスモス(Syriza[急進左翼連合]の中核グループの左翼改良主義者)がマーストリヒト条約に賛成投票をしたこと(これは本当である)を人々に思い起こさせるが、KKE自身が右翼連合政府に参加していたことには口をつぐんでいる。
また、その演説以上に、現在のKKEの急進的路線は急速に限界を示し始めている。彼女は共和国大統領を囲む政党指導者の国民統一会議への出席は正しくも拒否しているが、サマラスとの会談には熱心に通い、右翼指導者と議論している。サマラスにとっては、緊縮措置への投票を拒否した者たちが連合していることを示せるわけであるから、この幸運な出会いはうれしいだけである。
KKEに関しては、問題はもちろん、このような一人よがりのセクト主義路線に対してどのような反対派が存在するかを知ることである。これについてはときおり現れる兆候以外に、答えはない。KNE(KKEの青年組織)の幹部が最近除名された。このことが、学生自治会選挙でのKKEの得票の低下の理由かもしれない。いずれにせよ、KKEに対して行動の統一を提案し、このような提案をKKEの活動家に知らしめることは、これまで以上に必要である。現在の状況の中では、KKE潮流の統一した参加なしには、PASOKの政策に反対する動員の勝利を想像することは困難である。Syrizaであれ反資本主義的グループのAntarsyaであれ、今後呼びかけられる動員において、反自由主義的・反資本主義的左翼が大きな役割を演じることには議論の余地はない。
前述した地方労働組合機構組織は、一般にこれらの潮流の活発な存在に依拠しており、最近のデモにおいてもこれらの部隊が非常に目立っていた。同様に、SyrizaやAntarsyaの特定グループから、職場、近隣、大学で共同運動を準備することを可能にする、緊縮措置に反対する統一委員会の提案が出されている。しかし、このような非常に重要なイニシアティブが存在するが(統一委員会の数は、現在、多いとは言いがたいが)、信頼できる政治的展望の欠如が目立ち始めている。われわれは今特にこのことを強調しなければならない。
Syrizaに関しては、問題は、事実上の分裂が存在していることである。Syrizaはデモにおいては一団として登場しているが、今日、シナスピスモスの多数派とさまざまな革命的グループの間に鋭い緊張が高まっている。そしてシナスピスモス派の内部では、「革新派」潮流と多数派の間に別の緊張が存在する。「革新派」は革命的グループからSyriza内でものごとがうまく行かない責任があると告発されている。多数派自体も分裂している。もちろん、これらのすべてが政治的メッセージを非常に混乱させており、指導者チプラスと前スポークスパーソンのアラバモスの間でどんな路線が存在しているのか分かりにくくしている。
チプラスは、最初はPASOKの計画に開発のための方針が欠如していることに抗議していたが、その後、緊縮措置に関する国民投票を行うことを要求した(街頭で動員が行われているときに、である)。前スポークスパーソンであるアラバモスは、少なくとも二カ月間政府の退陣を要求してきた。チプラスの最近の会議へのアラバモスの参加は拒否され、アラバモスがDEA、KOEやKEDAのような勢力とともに組織したグループは、今週アテネにおいて集会を組織する予定である。公式には、だれもがSyrizaの継続を望んでいるが、ただしそれは再建になるであろう。われわれはシナスピスモス派の大会を待っているが、それは決定的な要因になる可能性がある(原注2)。
Syrizaの政治的メッセージは依然として混乱しており、アレクシス・チプラスの行動はパパリガとそっくりである。彼は党指導者の会議への出席は拒否したが、サマラスの政治的マヌーバーには関与している。サマラスは、われわれは一致しているわけではないが、情勢が右翼と左翼の間の対話を必要としているのだとまじめくさって説明した。中道左派系の新聞『エレフテロティピア』は、極めて率直に、PASOKができなかったこと(左翼との対話)を行うことに成功したことでサマラスは政治的に得点をあげたと解説した。
反資本主義的対応へ統一枠組み
したがって、われわれは現在の状況においてはAntarsyaグループの責任は巨大であり、任務は無数にあると考えることができる。確実なことは、革命的左翼として最も大きな二つの組織によって特に設立された、多くの場合左翼組織が一緒に行動してこなかった歴史から生まれたこのグループにとって、過去二年間は、選挙の結果によってのみ評価する人々には申し訳ないが、成し遂げられた前進を示している。この分析の重要な性格の中で何よりもまず第一に、今週ふたたび、NARの指導者でAntarsyaの幹部の一人であるパナヨティス・マブロエイディスは公開討論会において、左翼の危機を戦略の危機として分析し、左翼の行動の統一は明らかに達成しなければならない最小限のことであると強調した。ギリシャにおける単独で行動する自称政党の長い歴史を知るものにとっては、この発展は基本的なことであり、Antarsyaは非常に活発に統一の枠組みに、特にSyrizaまたはSyriza内の勢力との統一の枠組みに参加している。もちろん、危機の分析はAntarsya内の論争のテーマであり、欧州連合を離脱すべきかどうか、離脱するのならどのようにして離脱するのか、の問題も活発に議論されている。しかし、ますます重要性が高まっている役割を演じ、決定的前進を示しているものは、その動員能力を超えて、たとえば五月一日には、はAntarsyaはデモの中で最大の部隊であったことである。今日動員に重くのしかかっている問題に関して前進するために、KKEを含む他のすべての左翼勢力に呼びかける道具としてのAntarsyaの概念が存在する。
何千もの労働者にとって、政府の「安定と開発の計画」を打ち負かす唯一の方法は、資本主義を打倒することであり、中途半端な方法は存在しないことが明らかになり始めている。したがって、提起される問題は巨大で、具体的である。銀行の国有化、解雇の禁止、賃金引上げ、労働時間の短縮に関する正しいスローガンを超えて、明日われわれはどのような政府を形成してこのような任務を具体化するのか、である。動員を拡張し、これらの要求をまさに勝ち取る枠組みの中で、実際、このような問題が非常に具体的に提起され始めており、この討論を行うことが失望を避けるために不可欠であり、そうしなければ失望は急速に発展するだろう。しかし、このような議論は、今やヨーロッパ・レベルで行わなければならない。現在、反労働者階級的緊縮措置のギリシャ・モデルは欧州の他の諸国に拡大しており、反資本主義的対応は少なくともヨーロッパ的次元で行わなければならないことは言うまでもない。
▲筆者は、ギリシャ国際主義共産主義者組織(OKDE―スパルタコス、第四インターナショナル・ギリシャ支部)の指導部メンバーである。OKDE―スパルタコスは反資本主義的左翼連合Antarsyaの一部である。
(原注1) "Workers against the so-called stability programme"、タソス・アナスタシアディスおよびアンドレアス・サルツェキス、インターナショナル・ビューポイント第423号(2010年4月号)を参照
(原注2) この記事が書かれた後、六月三〜六日に大会が行われた。「革新派」潮流の大部分はシナスピスモス派から分裂し、Syriza国会議員十三人のうち四人が分裂した。
(「インターナショナル・ビューポイント」6月号)
コラム
日本の鯨食文化
和歌山県太地町の島尻湾で行われているイルカの追い込み漁を批判的立場から取り上げたドキュメント映画「ザ・コーヴ」(入り江)の上映をめぐって、一部の右翼団体が「反日的な映画だ」と主張して、上映妨害を目的とした街頭抗議行動を行った。劇場公開が予定されていた全国二十六館のうち、三館が右翼の脅しに屈して上映中止を決めた。また自主上映を予定していた立教大や明治大でも「不測の事態」などを想定して上映が中止されている。
われわれも一九七五年ごろ狭山闘争と部落解放闘争をめぐる日本共産党―民青との党派闘争の一環として、差別映画(当時)「橋のない川」上映阻止闘争を行った「実績」があるので、今回の一部右翼による街頭妨害行動を「表現の自由」を盾にして安易に批判すべきではない。「表現の自由」とあわせて、それを「批判する自由」も同時に擁護されるべきだからである。だが、今回の映画の内容をどう評価するのかという問題もあるが、排外主義右翼の街頭カンパニアを許してはならない。
「ザ・コーヴ」は第八十二回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞の「権威」ある作品なのだが、その発表後、「やらせ」や「嘘」が多々あることが明らかになっている。太地町のイルカ漁は事実であるが、そのことをネタにした反捕鯨派のプロパガンダ映画なのだ。バンドウイルカなどは最も知能の高い動物のひとつとされていることもあり、水族館などで行われている「イルカショー」の光景とイルカ漁とのギャップは、観る者に大きなショックをあたえずにはおかない。
しかし一方では、沿岸漁民にとってイルカは「害獣」である。その賢さゆえに網に掛かった魚を尖った口先で外しとり、網も傷つける。江戸時代以前から沿岸捕鯨が盛んに行われてきた紀伊、土佐、九州、南房総などでは、江戸時代に入ってから発達した網への追い込み漁をもちいて、イルカの「駆除」を兼ねた捕食が行われたきたのだ。
この時代の捕鯨は、数十人の漁師が船と網でクジラを囲い込みモリで突くという漁法であり、捕れるクジラの量も限られていた。また冷凍保存や高速輸送などできなかった時代であり、鯨食文化というものも当然、日本の一部地域に限られていたのである。
クジラが日本全国で大量消費されるのは、戦後の南氷洋における乱獲によってである。ロープの付いたモリをクジラの背中に打ち込むキャッチャーボートによる捕鯨。冷凍保存ができ、船内で解体と加工までできる大型母船の登場がそれを可能にした。これを契機に魚屋の一画には「臭いが安い」鯨肉が山積みにされた。
しかし、乱獲により二十年とたたずにクジラは激減し、絶滅の危機をむかえる。こうして日本における国民的な鯨食文化が幕を下ろす。いまでも伝統的に沿岸捕鯨が続けられている一部の地域を除けば、四十歳以下の日本人には「鯨食文化」は存在していない。さらにこの後四十年もすれば、「クジラを食べたい」と渇望する日本人はほぼいなくなるということになる。 私も鯨食世代。ベーコンもいいが、尾の身の刺身が食べたい!(星)
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