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関西共同行動連続学習会(第1回)            かけはし2010.7.5号

復帰38年、ウチナーとヤマト
の関わりを考えることが必要


 【大阪】普天間基地包囲闘争は五月十六日に、一万七千人の人間の鎖で完全に包囲された。関西共同行動もこの闘いの成功のために取り組んできた。ところが、政治状況はこの前後から急展開し、普天間基地移設先を国外・最低でも県外、五月末に結論を出すのは難しいと言っていた鳩山前首相の言葉は迷走を続けた末、前政権の方針通り「辺野古周辺」に逆戻りし、沖縄の頭越しに日米合意を強行するところまで行った。関西における普天間基地の即時返還・撤去のための闘いを今後も継続し、強化していかなければならないが、自らの闘いの弱さ・問題点を克服していくために、関西共同行動として連続学習会を開くことになった。その第一回の学習会が六月二十二日に開かれた。
 講師は、金城馨さん(関西沖縄文庫)。一九八五年設立の関西沖縄文庫は、沖縄出身者がたくさん生活している大阪市大正区にあり、その主な活動は、六千冊に及ぶ沖縄・先島・奄美諸島関係の図書を貸し出したり、大正区のフィールドワークや、関西沖縄文庫内での定期的なライブ・三線教室を主催している。金城さんが「ウチナーとヤマトの関わり」について、講演した。(別掲)。

安保条約より上位
の国連人権規約

 この後、質疑討論の中で、さらに追加された主な内容を整理すると、
 @ヤマトと沖縄、違いがあることを明確にして論議するしかない。
 A沖縄独立についてはいろいろな論議があり、まとまっている訳ではない。それはともかくとして、沖縄には自己決定権はある。 
 B日米合意は何をもとにしてやれるのか(何もやれない)。 
 C安保条約より国連人権規約の方が上位だ。アイヌ・沖縄の少数民族としての言語・文化を維持する権利を国連は明確に認めている。ただ、沖縄人は自分たちを少数民族とは思っていない、という問題はあるが。 
 D沖縄学の伊波普猷。学者としてはおそらく立派な人だったと思うが、彼の日琉同祖論の中に「異民族支配からの脱却」という言葉がある。これが復帰運動に大きな影響を与えたと思う。反米闘争としては間違いではないが、日本という国家がアメリカと手を組んでいる。日本には過去にやられた歴史があるのに、その日本を糾弾しないまま復帰してしまった。日本はいくらでも沖縄を料理できると思っただろう。私は、復帰するまでにやるべきことがあったのではないかと思う。
 E一九〇三年大阪で万国勧業博覧会が開かれ。正門前に民間パビリオン「学術人類館」が設置され、アイヌ・台湾・琉球・朝鮮・ジャワ・インドなどの人々が生身で展示され、異人種として紹介された。後、抗議で中止。これを人類館事件と言うが、当時の沖縄人は、自分たちが台湾人やアイヌ人とは違うことを強調した。やはり、ヤマトと沖縄の関係について伊波普猷と同じ意識が読み取れる。 (T・T)

金城馨さんの講演から
「沖縄独立宣言」
 今までにない流れだ

ひどい沖縄差
別、いまは?

 私は県立尼崎北高の出身だ。尼崎北高は解放教育運動が盛んだった。自分も大きな影響を受けた。今日も三島中(茨木市)の生徒を大正区のフィールドワークに連れて行ってから来た。差別をする側の者はなかなか差別をやめようとしない。自分は、小五の時に初めて差別を受けた。「沖縄出身です」と自己紹介をしたとき、教室がざわめいた。それで初めて、沖縄と日本が違うのだと言うことを教えられた。その後の自分は、日本人になりたいと思うようになった。確かに、自分の住む地域の言葉は違っていた。違う言葉を使うから差別されるのだと思った。ポルトガル語とスペイン語は互いに意味が理解できる程度の違いだという。日本語と沖縄語はもっと違う。私らの地域ではブタを飼っていた。残飯をリヤカーで運ぶ。そのことが恥ずかしかった。
 尼北では、李先生という考古学の先生が担任で、発掘現場に連れて行かれたこともある。文部省のカリキュラムとは違うものをつくろうと相談し、部落問題のゼミと差別問題研究会をつくった。自分は意識の中で、おじ・おばを差別していたと思う。それで、この運動に参加するようになった。話を聞いた年配の定時制高校生から、お前は沖縄のことをやれといわれた。自分らの運動を後輩に受け継いでもらうために、在日の生徒に本名を名乗らせることもやった。でも、後輩は校内集会で沈黙した。自分勝手な言葉の暴力だった。正しいと思って、間違ったことをすることがある。それ以降、人権に取り組むことにした。沖縄の主体を確立するために一九七五年から沖縄解放同盟の運動に参加した。

基地をなくすため
の日本への復帰?

 九五年、少女暴行事件が起きたとき、犠牲者の少女・その家族の勇気によって運動は大きく高揚した。そのとき思った。日本への復帰は基地をなくすことにつながると、なぜ思っていたのか、あらためて考えたが、なぜかわからなかった。今もわからない。日本国憲法の存在があったからなのか。日本が独立したとき沖縄は日本から切り離され、占領は継続した。それを誰が許したのか。切り離された沖縄が、日本に戻りたいと思ったのか、そのことで基地がなくなると思っていたのか。
 一六〇九年薩摩藩による琉球侵略、一八七九年明治政府による廃藩置県政策による琉球処分、一九五二年サンフランシスコ条約と日本からの切り離し、一九七二年沖縄施政権返還(沖縄返還)。今年は沖縄復帰三八年の年だ。以前は、関西でもアパートを借りる時、朝鮮・沖縄はお断りだった。賃金も露骨に差別された。だから、沖縄出身者は住宅に適さない地域にバラックを建てて住むようになり、それが拡大していった。大正区はそういうところだった。沖縄人集落は一九〇〇年、一九一〇年代に大阪湾の工業地帯に生まれた。武庫川の河川敷の第四工場、伊丹の川向かいなどもそうだ。関西沖縄県人会は一九二五年につくられている。県人会は、差別反対・権利闘争を闘ったが、次第に生活改善運動に変化していった。沖縄人としてのアイデンティティ・主体は外に向かってではなく、このコミュニティの中で生き延びた。活動的な青年は階級闘争のほうに参加していった。
 一九七五年、関西沖縄青年の集い・ガジュマルの会をつくった。スローガンは、沖縄の青少年は団結しよう、集団単身就職者の生活と権利を守ろう、沖縄の自然を守ろう、文化を発展させよう、だった。つまり外向けに訴えていった。エイサーもやった。自己防衛と外向けの両方をやろうとしたが、一九八二年から八五年にかけ排他的で閉鎖的になった。(そこから、関西沖縄文庫の活動につながっていく?)

違いを明確に!
自立と共生を!

 一九九五年、少女暴行事件の時、沖縄の痛みを分かち合おう、という言葉があった。この言い方に不満だった。連帯しようならいいのか?自治労(の集会)で連帯のアピールもしたことがあるが、大阪から五・一五の沖縄平和行進に参加して来て、元気をもらっったという。基地のある沖縄を見てどうして元気になれるのか。自分は、一九九五年の発言で、連帯を拒否したと言われている。それは違う。何ができるのかを考えるきっかけにしたいということだ。 
 県外移設という沖縄の声をどう考えるのか。議論するしかない。日本内の反基地闘争でヤマトの米軍基地が沖縄に移転した。この反基地闘争自体に問題があったというより、当時日本ではなかった米軍政下の沖縄ではどうしようもなかったと言うことかもしれない。キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、北部訓練場が一九五二年から六〇年にかけて沖縄に新設され、沖縄の米軍基地は倍増した。在沖縄米軍基地の七割強を占める米軍海兵隊基地はもともと岐阜や山梨をはじめヤマトにあったもので、沖縄に配備すべき軍事的必然性はなかった。沖縄は日本の植民地だった。米軍基地を維持するのには、沖縄の方がエネルギーが少なくてすむということだったのだろう。今再び、普天間基地の県外移設と言っていたのに、沖縄に帰ってきた。これに対しては沖縄からヤマトに対する意思表示はあった。日本との関係を造り替える必要がある。松島さん(琉球大)は、「沖縄独立宣言」という本を出す。今までにない流れだ。沖縄は、感情的にならずに自分たちの主体を主張しているように思う。七月六日大阪沖縄会館で、県外移設をより明確にするために、吉田栄司さん(関大教授、憲法学、九条の会・おおさか事務局長)と知念ウシさん(反基地を訴える沖縄女性団体「カマドゥー小たちの集い」メンバー)をパネラーにした討論会を開く。テーマは「私たちにとって本土移設とは」だ(発言要旨、文責編集部)。




高校無償化即時適用を求める市民行動
朝鮮学校差別を許すな!
1200人が銀座をデモ


 六月二十七日、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会は、東京芝公園で「朝鮮学校差別を許さない!『高校無償化』即時適用を求める市民行動」が開催され、千二百人が参加した。
 文科省は、四月三十日、三十一校の外国人学校・インターナショナルスクールを「高校無償化」の対象と発表したが朝鮮学校を除外した。これは中井国家公安委員会長官の「拉致事件」等に対する報復として朝鮮高校を排除を目的とした差別行為である。
 政府は、「専門家会議」を設置し、継続検討するとしたが、差別・排外主義に貫かれた政治的性格はいまだに続いている。すでに 三月二十七日に東京・代々木公園での緊急集会(千人)を皮切りに全国各地で「朝鮮学校の排除に反対!」「差別ではなく教育の保障を!」合言葉に運動が広がっていった。

「あからさま
な差別だ!」

 集会は、長谷川和男さん(東京教組)、森本孝子さん(平和憲法を守る荒川の会)の司会で始まった。
 主催者の開会あいさつが堀純さん(全ての学校へ「高校無償化を!」練馬の会)から行われた。堀純さんは、次のように訴えた。「朝鮮高校排除に抗議、是正を求めて国連人種差別撤廃委員会などからの勧告、八王子・小平・杉並・小金井の四地区議会が決議を上げている。署名は数万規模だ。しかし、文科省は、朝鮮学校を排除し、専門家会議で審議すると言っている。いったい何を審議するのか。すでに大学受験が認められ、インターハイや高校野球、ラグビーなどにも参加している。どう考えても文科省の決定は、理不尽だ。この問題は、日本人、日本社会の問題であり、このような差別を許してはならない」と訴えた。
 園部守さん(日本朝鮮学術教育交流協会)は、「六月十五日に子どもの権利条約締結会議報告会(ジュネーブ)を衆院院内集会を行った。民族教育の保障、差別の禁止、教育サービスの平等な施設などコリアンの名前を上げて国連は勧告した。朝鮮高校排除に対する国際社会の驚きと怒りが伝わる。審査すること自体が差別行為だ。日本政府の差別行為をただちに止めさせなければならない。同時に適用除外を強行したことを日本社会の問題として厳しく問い直していく必要がある」と強調した。
 朝鮮高校の生徒会委員長のコ・ヨンゲさんは、「高校無償化除外を聞いて、なんでこんなことになってしまったのかという疑問と怒りがこみ上げてきました。その後、勉強することによっていかに矛盾しているかということをたくさん知ることになった。国交が結ばれていないという理由だが、台湾の高校は対象となっている。朝鮮高校は差別を受けてしまうのだと痛感した。全国の朝鮮高校の仲間たちと連絡会を結成し、署名運動を取り組んでいる。自分たちの力で実現していきたい」と発言。
 副委員長のインソルチュさんは、「朝鮮学校に通うからといって差別を受け、助成金が出ないというのは、あからさまな差別だ。この闘いに絶対に勝ちたいと思います。皆さん力を合わせて闘っていきましょう」と呼びかけた。
 続いて、神奈川朝鮮中高級学校オモニ会、朝鮮学校無償化除外を取り組む学生、国会議員からのメッセージ紹介、日朝友好促進東京議員連絡会などからアピールがあった。
 最後に集会決議を採択し、銀座にむけてデモに向かった。      (Y)

朝鮮学校差別を許さない!「高校無償化」即時適用を求める市民行動 集会決議

○政府による差別・人権侵害を許さない!
 全国に十校ある朝鮮高校には、約二千人の子ども達が通っています。この春、首都圏からは、東京朝鮮高級学校(東京北区十条)と神奈川朝鮮高級学校(横浜市神奈川区沢渡)に二百五十人の生徒が入学します。「高校無償化」の本来の目的は、すべての学ぶ意志のある者に対して教育の機会を保障することでした。にもかかわらず、朝鮮高校だけを「高校無償化」から排除する事は、政府による差別・人権侵害です。
○朝鮮高校に「高校無償化」即時適用を!
 四月三十日、文部科学省は計三十一校の外国人学校・インターナショナルスクールを「高校無償化」の対象とする旨の告示を行いましたが、朝鮮学校はそのなかに入っていません。朝鮮学校を対象とするかどうかは「専門家会議」なるもので検討するそうですが、四月の「高校無償化」施行の時点で朝鮮学校だけを別扱いにすること、それ自体が差別です。朝鮮高校に「高校無償化」を即時適用することを政府に求めます。
○差別をやめ、朝鮮学校への公的助成を!
 日本政府はこれまで、植民地支配の責任を省みることもなく、在日朝鮮人による主体的な民族学校を否定してきました。朝鮮学校は、義務教育段階を含めた学校教育を担っているにもかかわらず、法律上「各種学校」とされ、国からの公的な助成は一切ありません。それどころか、学校への寄付金に対する税制上の差別すらあります。これらの差別については、日本弁護士連合会や国連の委員会から、繰り返し是正勧告が出されています。本来なされるべきは、朝鮮学校をはじめとする外国人学校に対する差別的な処遇を改め、日本に暮らすすべての子どもに学ぶ権利を保障することです。
2010年6月27日
朝鮮学校差別を許さない!『高校無償化』即時適用を求める市民行動 参加者一同


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