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解放連帯「綱領草案」に対する評価(2)         かけはし2010.8.30号

人間解放運動としての社会主義運動の復元と全面化

チェ・ヨンイク


もくじ

1、 評価に先立って
2、 革命戦略(今号)
3、 ロシア10月革命の教訓とスターリン主義国家に対する態度
4、 革命の教訓を綱領に実践的に盛りこむこと
5、 官僚主義の問題
6、 綱領の組織的側面―現場分会の思想
7、 移行綱領の問題
8、 綱領論議の道

3、ロシア10月革命の教訓とスターリン主義国家に対する態度


 「綱領草案」は正しくも現時期の韓国革命的社会主義綱領はロシア革命の教訓ならびにスターリン主義国家に対する態度を含むものでなければならない、と指摘する。実際に「綱領草案」は相当な部分を、ここに割いている。これと関連して、「綱領草案」が盛り込んでいる思想の核心は、こうだ。

 (1)労働者階級の自己解放の思想としての社会主義に立脚する時、労働者民主主義が実現されない社会は真の社会主義社会と呼ぶことはできない。1917年にロシアで樹立された労働者国家は労働者民主主義を拡大することによって社会主義革命へと前進すること、または労働者民主主義を破壊することによって後退し、資本主義に退行することもある分岐点に立たされていた。実際に起こったのは後者だった。(2)政治革命と社会革命は切り離すことができないぐらい分かち難く結びついている社会主義革命の本質的特徴を考慮する時、既に労働者国家としての性格を喪失した国有化体制を社会主義社会と規定することはできない。(3)けれども国家が一切の生産手段を所有している社会は既に資本主義ではない。それゆえ、官僚化されたものの生産手段が国有化された社会を資本主義社会と規定している国家資本主義論は間違っていた。(4)結局、いわゆる現実社会主義体制は「官僚が支配する共同生産体制」または「スターリン主義的疑似社会主義体制と定義するのが正しい」。

 「核心的」地点から見る時、そして「実践的」脈絡から見る時、「綱領草案」のこのような主張は社労連の立場と衝突するとは思わない。現水準で社労連の綱領的立場を代表している『我々の立場』は次のように規定している。

 「ただただ労働者権力によって実現される国有化のみが初めて社会的共同所有を実現したと言える。これに比べてスターリン官僚集団のような反労働者階級勢力によって官僚的に運営する国家の国有化は社会的共同所有とはいかなる関係もない」(社労連、「我々の立場―解説)。

 「次に社会主義労働者連合は1930年代以降の旧ソ連、東欧、北韓、中華人民共和国などの社会体制を搾取的、抑圧的な反労働者階級的社会体制として、労働者階級が打倒すべき反動体制と規定する。これと関連してさらに厳密な科学的規定が必要だ。『反動体制』という規定よりは、より明確な科学的規定(例えば国家資本主義、官僚資本主義など)が必要であることは明白だ。以降、社会主義労働者連合は深化した綱領研究と討論を通じて、この部分を補完するであろう!」(社労連、「我々の立場―解説)。
同志的論争の
領域に属する

 (1)、(2)番の項目が最も重要だと思う。なぜならば(1)、(2)番の項目に対する承認は「労働者階級の自己解放思想としての社会主義の核心についての承認」であり、また「労働者権力を通じてのみ社会主義が実現され得るという核心思想を承認すること」であるからだ。この点だけ明確にすれば(3)、(4)番の項目をめぐる意見の違いは当分の間は副次的争点だと思う。なぜならば、ここでの争点はいかなる概念が(1)、(2)番項目の精神を科学的によりよく定式化しているのかをめぐる理論的争点であるからだ。
 例えば(1)、(2)番項目を承認する「国家資本主義論」と、同様にこれを承認している「官僚が支配する共同生産体制論」との間に実践的な相違点(少なくとも現在において)は、そう大きくはない。2つの立場はいずれも、この国家体制を打倒して労働者国家を樹立してこそ社会主義革命が完遂できる、という点を認めているからだ。ところで重要なのは、まさにこの地点だ。それゆえ(1)、(2)番項目についての同意の有無は、革命的社会主義政党を共に建設しとげることができるのかをめぐる「境界線」となり得るからだ。ここで解放連帯の「綱領草案」ははずれてはいないと私は信じる。
 もちろん、この精神をいかなる概念規定がよりよく盛りこむのか、そしていかなる概念の使用が社会主義の本当の核心を労働者階級によりよく伝達できるのかをめぐって論争が展開され得るし、また展開されなければならないだろう。ひいてはマルクス主義の科学的理論を死守し発展させる次元から、このような論争は生産的であり得るだろう。けれどもこの論争は現在のところ「境界線」をめぐる論争ではない。境界線内に存在している社会主義の同志たちの間で「何がより正しい規定なのか」をめぐる同志的論争の領域に属する。
 これは社労連発足の精神でもある。我々は率直に「いかなる概念」によって(1)、(2)番の項目に対する一致性を盛り込むのかの問題を検討したことがある。まだ充分な理論的論議がなされていないために、我々はその部分を未来の課題の領域へ委ねた。ただし社労連の同志たちすべてが(1)、(2)番の項目に対して明確に承認していることを確認した。そして、その「境界線」は社労連の境界線であり、我々が革命政党の創建に共に踏み出したならと考えるすべての革命的同志たちに提案する「境界線」でもある。
 むしろ私は、このような「境界線」をめぐる正確な立場の表明が解放連帯の「綱領草案」またはその解説で扱われる必要があった、と信じる。綱領というのは単純に理論的立場の叙述ではなく、1つの党で共に行動できる勢力と、そうでない勢力とを分ける基準線だと信じるからだ。おそらく「スターリン主義国家に対する態度」に局限して接近するならば、社労連のすべての同志たちが解放連帯と共に党建設闘争に乗り出すことができると語るだろうと信じる。そうだとすれば、解放連帯の立場は何なのか? まさに、ここが必要だったと信じる。
 以上の諸点を明確にした中で、(3)、(4)番の項目と関連して接近してみようとするならば、社労連内での多数派の立場はあるものの、100%統一した立場はない。それゆえ、ここでは国家資本主義論(これはトニー・クリフの国家資本主義論とは相当部分が異なる)を支持する立場から、以前に提出していた文章から引用して、簡単にのみ提起しようと思う。
 実質的かつ体系的な論争のためではなく、「綱領草案」が批判しているように軽く国家資本主義論が提出されたものではないのであり、以降さらに深層的な討論が必要だという点を明らかにする線でのみ、簡単に提起しようと思う。より充分な論議は以降の共同の党建設闘争が実現されるならば、その過程で「何が(1)、(2)番の脈絡においてより適合し、よりマルクス主義的なのか」をめぐって必要なだけ展開する機会があるだろうと信じる。
30年代中盤には
労働者権力は崩壊

 17年にロシアで誕生して、おおむね20年代後半までその基本性格が持続されていた労働者権力下の国有化は、もちろん社会主義所有関係の一部分だった。問題は、その次の時期からだ。30年代中盤に至ると、労働者の自己解放権力と名づけることのできるだけの労働者権力はロシアでは、もはや存在しなかった。労働者権力は破壊された。労働者階級は、彼らの上に君臨した官僚たちの権力によって抑圧される存在へと転じていった。
 この官僚権力によって統制される国有化体制を呼ぶ用語のうちの一つがまさに「官僚資本主義体制」だ。「国家資本主義」という用語はこの官僚集団が国家を掌握するとともに、国有化された生産手段の実質的な統制者になったという点に注目した用語だ。この二つの間には根本的差違が存在しはしない。それならば、このそれぞれの立場が提起している「資本主義」という規定が、はたして科学的なのかという点が問題となるだろう。
 生きているマルクス主義は新たに登場した物質的運動を反映する新たな概念を作り出さなければならないし、既存の概念もこのように新たな物質的運動を反映して拡張し、修正補完すべき必要性を正確に承認する。ところで30年代のソ連で登場した新たな反動体制は、それ以前のマルクス主義者の誰もが予見できなかった新たな体制だった。当然にも新たな概念が創造されなければならなかった。マルクス主義の根本概念を侵害することなしに、だ。
 「国家資本主義」の概念は、スターリン主義体制に対する分析に拡張させて適用できる有効な概念だ。資本を「生産において結んでいる社会的関係の表現」だと理解するならば、「労働者階級は剰余価値を収奪され、国家官僚集団は剰余価値を搾りとり、この剰余価値を基盤として国有化された死んだ労働の拡大再生産を推進する体制」を国家資本主義体制と定義するのは何の問題もない。
 社労準と関連して、これに接近するならば、「現実社会主義対国家資本主義(または官僚資本主義、反動体制)という定式化が可能だろう。社会主義の根本定義に立脚するとき、我々は「現実」という接頭語を付けたとしても、ロシアのスターリン主義官僚体制、そして労働者革命自体が当初、存在していなかった中国や北韓などの体制に対して「社会主義」という称号は全くふさわしくないと思う。
 特に実践的側面において、そうだ。この諸反動体制は労働者階級から社会主義に対する確信を奪い去った最も決定的な主人公たちだ。「社会主義」という外皮をまとった反動諸体制のせいで「社会主義」は巨大な打撃を被った。我々はこの体制に対して「社会主義」という称号をはく奪することによって、社会主義の本当の価値を死守することが必要だと考える」。(社会主義党建設運動全面化のための全国討論会)第3次「綱領」問題提起より)

4、革命の教訓を綱領に実践的に盛りこむこと

 解放連帯の「綱領草案」に対する問題意識は、むしろその後に続く「革命の教訓」と関連した領域に合わせられる。「人間解放運動としての社会主義運動」、「民主主義の深化・発展としての社会主義」、「文化革命」、「国際主義」が「綱領草案」で提示している革命の教訓であり、当代の韓国革命的社会主義綱領が盛らなければならない核心的問題意識だ。ある面では充分に共感できる問題意識だ。だが批判的観点から鋭く接近してみるならば、幾つかの論争点を提起できる。
 第1に、1917年ロシア革命の敗北を生んだ「核心地点」が明快に盛り込まれていないのだ。大きく4つの項目に定式化された革命の教訓は総体性を欠如したまま、互いに分離されているか、機械的に提起されている。反面、この「総体性」の核心をなし、最も強調されなければならない部分が充分に強調されないまま抜け落ちている。その部分とは、まさに「階級闘争」の観点だ。国際革命の失敗によるロシア労働者階級の孤立、内戦と帝国主義の侵略によるソビエトの基礎の破壊、文化的領域での階級闘争能力の不足に伴った労働者民主主義の弱化などを貫通する総体性は、当時の世界労働者階級の「階級闘争能力」がもたらした脆弱性だ。
 ところで解放連帯の「綱領草案」は社会主義に至る核心的道―階級闘争の道―に立脚してロシア革命の教訓を充分に定式化することに成功できていない。その結果「人間解放運動としての社会主義運動」という問題意識は充分な共感帯を引き出せないか、「階級的観点」から眺望できない危険性にさらされている。
 まず「人間解放運動としての社会主義運動」に対して探ってみよう。「生産手段の社会的所有、労働者国家の樹立は人間解放のための手段であるにすぎず、それ自体が窮極的目標なのではない」と「綱領草案」は語る。このような人間解放の観点に立った問題意識を受けいれることによって、過去の社会主義革命の失敗を克服できる道が開かれ得るのだ。
 また「人間解放運動としての社会主義運動の復元と全面化は女性問題、少数者問題など現実において新たに提起されてきた問題意識を社会主義運動が積極的に受容できるようにする方法論的枠組みとなり得る」(「綱領草案」)と見通す。「人間と人間の間で互いに助け、互いに高揚させる文化は革命の過程と共産主義社会建設過程で意識的に形成強化させて行かなければならない」(「綱領草案」)し、このような文化革命は社会主義革命の失敗を克服できる重要な対案だというのだ。

世界労働者階級の
闘争能力の不足

 一般理論の水準で語るならば、プロレタリアート独裁を通じて実現される社会主義は、階級撤廃や国家廃棄を通じた人間解放へと連なる架け橋だ。これはそれこそマルクス主義歴史哲学の基礎だ。この歴史哲学がロシアの労働者階級とロシア・ボルシェビキの党員たちに不足することによってロシア革命は失敗したのだろうか? 私は、そうではないと思う。このような歴史的課業を達成できる唯一の手段である階級闘争において世界労働者階級が当時、到達していた「階級闘争能力」が不足していたために失敗したのだ。
 またマルクス主義は、抽象的な人間解放というのは存在せず、階級制度の完全なる消滅に至るまで我々は「人間一般」を語るのではなく、「資本家階級対労働者階級」という階級敵対性、そして「労働者階級の解放=資本家階級に立ち向かう不屈の闘争」を語らなければならない、と教える。強調点は「人間解放」に合わせられなければならないし、これを通じることなしには人間解放という歴史的課業を完遂する他の道はないことを強調しなければならない。まさにこれがプロレタリア独裁の思想だ。この強調点が覆されることによって「綱領草案」が提起している「人間解放運動としての社会主義運動」は歴史的唯物論の理論をアカデミックに反復する退屈な一般的な原理宣言のように聞こえる。ところで綱領は一般的原理宣言ではなく、与えられた歴史的時期に労働者階級が階級闘争を最終的勝利へと完遂するのに必要な実践的道標だ。
 女性問題、環境問題、少数者問題などと関連した接近も同じだ。もちろん正当にも「綱領草案」は女性問題、環境問題、少数者問題などと関連、「生態、女性、少数者問題などの新たな問題意識を新しい社会主義オルタナティブに受け入れる時、社会主義的総体性を堅持しなければならない。これらの問題を一つの部分的部門として社会主義労働運動に機械的に結合するやり方は、これらの問題の、より深度の高い解決を不可能にし、逆に社会主義労働運動を、さまざま併列的部門中の一つの部門に狭小化させるか、場合によっては清算主義をもたらす」と正しくも指摘している。

「社会主義的総
体性」とは何か

 ところで、ここで「綱領草案」が提起している「社会主義的総体性」とは何なのか? 「社会主義労働運動を一つの部門へと狭小化させたり、清算主義をもたらす危険性」とは、そもそも何なのか? この質問の前に、「綱領草案」は明確な解法を出せずにいる。「社会主義的総体性」を守り抜き、「社会主義労働運動を一つの部分運動へと狭小化させること」を遮断するのは、まさに「階級闘争の思想」だ。

女性問題や環境
破壊も闘争課題

 「女性、少数者問題」などを「資本主義に立ち向かう労働者階級と貧しい民衆たちの一致団結」という階級的観点から接近する時にのみ、はじめて社会主義労働運動は部門主義や清算主義を克服することができるし、総体性を堅持することができる。またロシア革命をはじめとする社会主義労働運動の国際的経験、あるいは女性たち、性売買の女性たち、少数民族たちなどがはじめて解放され得る可能性を発見したのも、労働者階級の社会主義的団結闘争の過程であったことを示している。この階級闘争が官僚集団によって撹乱され、破壊されることによって労働者階級の分裂が再生したし、これが女性たち、性売買の女性たち、少数民族たち、弱小民族の労働者などの疎外を克服できないようにさせたのだ。その上、このような問題意識は決して「新たに提起されてきた問題」ではなかった。階級闘争を全面化するための前提条件として、労働者階級と貧しい民衆たちを団結させなければならなかったすべての所で、社会主義労働運動が長い間、取り組んできた重要な問題だった。
 環境問題も同じだ。人間と自然の間の関係を正しく定立する問題は特に最近、際立っている。資本主義の反動性が自然の枯渇や環境破壊に至るまで克明に浮上しているからだ。けれども革命的社会主義の綱領ならば、この問題の前で「人間解放」に接近することと同様に接近しなければならない。超歴史的に接近してはならないし、社会主義の総体性を失ってもならない。
 革命的社会主義の綱領は、生産の無政府性に表現される「人間が作り出したものに対する人間の意識的で社会的な統制が欠如」が、いかに自然との関係においても問題をひき起こしているのかを説明するとともに、これを克服するためには社会が、まず再組織されなければならないという点を強調しなければならない。こうして社会主義労働運動の階級闘争というのは総体性の中で、環境問題を統合させて踏み出さなければならない。これは、資本主義の反動性が歴史の中で、新たにさらけ出す幾つかの様相が、清算主義かつ部門主義的な流れの強化に連結されることなく、社会主義労働運動の総体性の中に吸収されるようにする道だ。      (つづく)


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