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カネで死を隠そうとするサムスン            かけはし2010.8.9号

治療費の借金で窮した遺族
に労災認定放棄をせまる


 サムスン電子が、半導体工場や液晶標示装置(LCD)工場などで働いていて白血病などの疾患にかかり労災認定の手続きを踏んでいた労働者たちに、巨額の合意金を条件に労災認定の放棄を説得している、との主張が相次いでいる。病によって亡くなった労働者の遺族や闘病中の労働者や家族らは「サムスンが数億ウォンのカネを提示し、労災申請を放棄し、市民団体と接触するなと懐柔した」と証言した。

死亡の直前に合意提案


 サムスン電子の半導体工場で働いていて2007年に白血病にかかり、今年3月31日に亡くなったパク・チヨン氏の母・ファン某氏は7月5日、記者と会い「4月初めにサムスンから4億ウォン余の合意金をもらい、同5月中旬ごろ労災認定訴訟を放棄した」と吐露した。ファン氏は「サムスンが民主労総などと接触せず、市民団体の関係者が訪れて来れないように引っ越しをしろ」、と言った、と付け加えた。
 パク氏家族の話を総合すると、サムスン電子はパク・チヨン氏が息を引きとる直前、パク氏家族に秘密裏に合意提案をしてきた。パク氏は2009年に勤労福祉公団が労災不承認の判定を下した後、行政訴訟を進めている最中だった。「サムスン電子が提示した合意金は4億余ウォンの水準でした。純粋な合意金3億8千万ウォン(保険金5千万ウォンを含む)と葬儀費用2千万余ウォンを合わせた額です。サムスンは合意条件として『労災訴訟を放棄し、市民団体と接触するな』と要求しました」。
 パク氏家族は悩みに悩んだ。パク氏の2年9カ月の治療費だけで1億ウォンを超え、5千万ウォンの借金を抱えた状況だった。パク氏家族は結局、サムスン電子のカネを受けとり、労災訴訟を取り下げることを決めた。カネは4月2日、パク氏の遺骨が江原道・束草の沖合いに散骨される1時間前にオモニ・ファン氏の農協口座に入ってきた。通帳の発信欄には「サムスン電子」と鮮明に記されていた。
 パク・チヨン氏の死は、収まりかけていたサムスン電子・半導体工場での白血病論難に再び火をつけた。パク氏死亡の消息に世論は沸き立った。サムスン半導体工場で危険な化学物質を使用し、化学物質の露出も頻発していたというサムスン電子の元職員らの暴露が相次いだ。サムスン電子は4月15日、異例なことに工場内部を公開して鎮火につとめたものの、帰ってきたのはヨーロッパや米国の機関投資家らの集団的真相究明要求だった。
 ファン氏はサムスン電子からカネを受けとったことを遅ればせながら後悔した。あたふたという状況の中で合意をした後、訴訟を取り下げ、メディアとの接触も断ったけれども「(治療費によって生じた)借金を全部、返しおえてみると、むなしさが募り、チヨンにすまないとの思いが拭えなくなったから」だ。「うちの子の死を隠してしまおうとしてカネをくれたのです。サムスン電子が道義的な責任をとるのであれば慰労金を出すのは当たり前だが、なぜ労災訴訟を取り消させ、市民団体と接触できなくするのですか。貧しい人々の弱点をカネで買収し、真実を葬ろうというものです。サムスンに利用されたのです」。
 サムスン電子がパク氏家族だけでなく、闘病中の労働者や遺家族らを対象に労災申請を放棄せよ、と説得したとの証言も相次いでいる。脳腫瘍で闘病中のハン・ヘギョン氏(31、サムスン電子LCD工場勤務)と2009年に縦隔胴がんで亡くなったヨン・ジェオク氏(サムスン電子LCD工場勤務)の家族は取材陣に、このような事実を具体的に証言した。サムスン電子半導体・温陽工場で働いていて急性白血病にかかっているキム・オギ氏(35)も、サムスン電子から同様の懐柔を受けたことが明らかになった。

生前は放置、死んで懐柔


 故ヨン・ジェウク氏の家族にサムスン電子関係者が訪れて来たのは、勤労福祉公団が労働災害不承認の決定を出した3月中旬ごろだった。ヨン氏の家族は市民団体「半導体労働者の健康と人権を守る会パンオルリム(原義は、4捨5入だが、音楽記号で半音上げるシャープ、転じて鋭い人々の意か)」(以下、パンオルリム)と共に、勤労福祉公団に再審査請求を行い、労災認定の闘いを継続する予定だった。ところが、サムスン電子・環境安全グループの関係者がやってきて、労災認定を手助けすると提案した。1億2千万ウォンという合意金も提示した。だがヨン氏家族は「パンオルリムと共に審査請求を行う」として拒絶した。やってきたサムスン電子関係者も「パンオルリムと一緒に行動するのであればカネを与えることはできない」と言い捨てた。
 ヨン氏の妹、 ヨン・ミジョン氏(27)は当時のサムスン電子関係者との対話を思い浮かべながら、「今、考えても開いた口がふさがらない」と舌打ちした。「サムスン電子関係者に『なぜ突然、カネをくれようとするのか』と聞いたところ、『サムスンは超一流企業なので誠意を表そうとしている』と言ってたんですよ。あきれかえって、それ以来サムスン電子関係者からの電話は取りあいません」。
 ハン・ヘギョン氏のオモニであるキム・シニョ氏(54)も6月初め、同じような提案を受けた。名前も知らないサムスン電子人事課職員が電話をかけてきて、合意を提案した。キム氏は暮らしむきが極めて大変だった。脳腫瘍で闘病中の娘ハン氏の治療費を準備するために、少しばかり前に1700万ウォンの伝貰房(注、不動産賃借の一形態、一定の金額を所有者に預けて期限付きで不動産を借りる。退去時には金額が戻る。所有者はその金で運用益を得る)から500万ウォン(原文のまま)のウォルセ(月払いの借家)に移った。そこそこに経営していた食堂も処分した。今は収入がない。サムスンの合意提案は甘い誘惑だった。けれどもキム氏はサムスンの提案を断った。キム氏は「危険な作業環境にわが娘を放置しておいて、社会的に問題になるからとカネで隠ぺいしようとするサムスンの間違った慣行を改めなければならない」と語った。
 サムスン電子は最近どっと出てきているこのような主張の数々を否認する。故パク・チヨン氏のオモニ・ファン氏と接触した人事チームの関係者は〈ハンギョレ〉のインタビュー要請に「困る」として拒否した。その代わりにサムスン電子広報室は〈ハンギョレ〉に送った電子メールの答弁で、「闘病中や、亡くなった患者の家族に会ったのは事実だが、生計費の支援を論議しただけで、労災申請を放棄せよ、と言ったりはしておらず、最近は重症疾患者の支援基準を確立し、追加支援を行っている」と解明した。

サムスン「生計費支援だけ」

 けれどもサムスン電子の関係者に会った遺家族の考えは違う。ファン氏は「私が訴訟取り下げにためらっていると、サムスンは1カ月余りの間、しつこく電話をしてきた」「サムスンはウソをついている」と繰り返し主張した。ヨン・ジェウク氏の妹ミジョン氏は、こう語る。「サムスンが、労災申請をしてはダメだ。と直接、話はしません。けれども市民団体を通じて労災申請をすれば慰労金をやることはできないと語るのが、何を意味するのでしょうか?」。
 記者は、サムスン関係者が被害者らに会って、どんな話を交わしているのか、ある事例を直接調べてみた。サムスン電子で10余年間、エンジニアとして働いていて、極めて珍しい奇病・ペゲナー肉芽腫にかかって5月初めに退職したキム・ギヨン元・サムスン電子課長は4月1日、会社人事課イ某課長らに会った。キム氏は京畿・龍仁市の自宅に訊ねてきたイ課長に、労災申請に協力してくれるよう頼んだ。だが反応は友好的ではなかった。同月、キム氏とサムスン関係者が交わした対話が録音された資料を見ると、サムスン関係者はキム氏に希望退職を勧めた後、「慰労金を受けとる条件として民事、刑事、行政訴訟を行うな」と語った。キム氏はこれに対して「労災認定を受けても疾病に対する会社の責任をこれ以上、問うな」というのは不当な要求だ、と批判した。

勝訴の確率で量る命の値段?

 遺家族の証言やさまざまな状況を調べてみると、サムスン電子が被害者や家族をカネで買収し、労災申請や訴訟を直接的間接的に統制しようとしたとの非難は避けがたいようだ。サムスン電子が労働者の労災認定の有無に神経質になっている理由は何だろうか?
 パンオルリムは、サムスンが労災を隠すために「みみっちい手」を使っていると判断する。イ・ジョンナン労務士は「サムスンは表向きは工場の安全性について確信していると語りながらも、陰で合意を求めるのは産業災害(労災)を隠すための試図」だと語った。キム・ウンギ民主労総・労働安全局長も、故パク・チヨン氏の行政訴訟を取り下げさせたのはサムスン電子のち密な戦略だと指摘する。2009年5月、労災不認定の判定を受けた6人中、パク・チヨン氏は3対2の意見によって不認定の判定を受けた。このためパク氏が行政訴訟で勝つ確率が最も高かったのであり、サムスン電子がパク氏の訴訟を取り下げることに、より『努力』した、との推測が可能だというのだ。キム局長は「パク氏が労災認定を受けることになれば、被害労働者たちの労災認定にも影響を及ぼすことをサムスンは考慮したのだろう」と語った。
 現在、サムスン電子の工場で働いていて白血病などのがんになった後、パンオルリムと共に労災認定の手続きを踏んでいる労働者は全部で12人だ。このうちの4人とパク・チヨン氏の家族がサムスンの懐柔を受けたものとパンオルリムは把握している。パンオルリムは7月12日、ソウル・テーリム洞の公共運輸労組の事務所でサムスンから労災放棄の提案を受けた被害者家族たちと記者会見を行い、白血病の論難と関連した公開討論会をサムスン電子に提案する計画だ。(「ハンギョレ21」第819号、10年7月19日付、ホ・ジェヒョン記者)



コラム
齢五十半ばの同窓会


 六月の終わり、十年ぶりに大学の同窓会があった。題して「大学をめでたく卒業して早30年の会」。同窓会と言っても大げさなものではなく、仲の良かった面々に声をかけ近況や思い出話を肴に一杯やりましょうという集まりである。場所は大学がある長野県上田市の菅平高原に設営。仲間内で最年長、そして地元に住むSが音頭をとってくれた。先のおふざけタイトルも彼の発案である。齢五十半ばを過ぎても、そのユーモアぶりは健在だった。
 当日の参加者は各々の連れ合いも含めて総勢十七人。仕事の都合で二人が参加できなかったが、遠くは九州の福岡から飛行機と新幹線を乗り継ぎやってきた。石川、静岡、滋賀に住む仲間は高速道路をひた走り現地へ。ボクも連れ合いを脇に乗せマンションを朝八時に出発。一般道を南下し、北関道、上信越道を経て、昼過ぎには上田駅で電車組と合流できた。信越線の鈍行を使って行き来した学生時代とは雲泥の差のスピードである。
 午後三時、懐かしい顔ぶれがロッジのロビーに集合。卒業してから二度ほどこうした集まりを持ったが、三十年ぶりという顔もあった。しかし顔かたちは変わっても、気持ちは三十年前とまったくそのまま。あいさつもそうそうにウェルカムドリンクが配られ、あちこちで談笑の輪が広がる。時計の針が七〇年代後半の学生時代に戻るまで一瞬の間もなかった。
 夕方からの宴会は、一人ひとりの近況報告から始まった。就いた仕事はさまざまだったが、この不景気はどの業種にも押し寄せ、昨今もてはやされる福祉も例外でなかった。施設経営が自転車操業で明日が見えないという。そして真面目にやればやるほど報われない仕事だと嘆いた。鉄鋼関係についた仲間はリストラと労働強化が続き、好きなギターを弾く時間もないと話す。眼鏡店を経営する友はこんな不景気は初めてだとため息をついた。また、脳梗塞で倒れリハビリに努める仲間もいた。五十歳を過ぎれば、何かしら浮き沈みがあるのは当然だが、それが政治の不始末によるものであるとすれば運命とばかり言っていられない。
 先の参議院選で菅直人首相が自民党の消費税一〇%を参考にすると発言し惨敗の憂き目をみたが、増税のしわ寄せをもろにかぶるのは中小零細企業や自営業者である。さらにリストラが進み、格差社会の元凶である非正規雇用が増加するのは明白である。まして低所得者層はひとたまりもない。消費税増税は社会保障費確保のために不可欠との見方もあるが、それなら不公正な所得税と法人税にメスを入れるべきだ。民主党が国の財政危機を増税で賄おうとするならば、それは自民党と同じ穴のムジナそのものである。政権の座について十ヵ月。自民党政治の尻ぬぐいをしていることは容易に理解できるが、いま一度働く者の視線に立ち返り、政策を見直すべきではなかろうか。
 宴会は深夜二時まで続いた。次に集まるのはSが還暦を迎える五年後と決めた。近況報告が明るい話題で終わることを願いたい。     (雨)

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