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読書案内 編集発行 トロツキー研究所 柘植書房新社 2500円+税 
『トロツキー研究』56号特集 トロツキー没後70周年   
かけはし2010.9.6号
20世紀革命運動の正負の教訓を捉え返すことが重要

トロツキーは本当に復権したのか


死後50年国際
シンポから20年

 『トロツキー研究』最新号のメインの特集テーマは「トロツキー没後七〇周年」。一九四〇年八月にメキシコのコヨアカンでスターリンの放った刺客によってトロツキーが暗殺されてから今年で七十年になることに因んだ論文などによって構成されている。
 日本でトロツキー研究所が発足したのは一九九〇年秋に行われた「トロツキー没後50年国際シンポジウム」を契機にしている。その前年に起こった労働者・市民を中心にした民主化革命による東欧のスターリニスト「労働者国家」群の連鎖的な崩壊、中国の天安門事件などを背景に旧ソ連などでも「トロツキー復権」のうねりが確実に始まっていた。
 それから二十年後の今日、トロツキーを「帝国主義の手先」や「反革命」として切り捨てるスターリニストのかつての言説はすっかり影響力を失ってしまった。こうした誹謗に正面切って反駁することに多大なエネルギーを傾ける必要性は、今やほとんどないと言えるだろう。それは日本でも、トロツキー研究所に参加する人々を中心にした努力によって、トロツキーの幾つもの著作が大手出版社から文庫版で刊行されている事実によっても明らかである。
 しかし、それではトロツキーは本当に「復権」したのだろうか。むしろ、「社会主義」「共産主義」の全体としての「失敗」が「ソ連の崩壊」と重ねあわされる形で人々の意識を支配し、トロツキーもまた「レーニン・スターリンの犯罪」の共犯者として安易に片づけられる傾向も拡大している。「無知」に居直っているとしか思えないトロツキーへの悪意や偏見は、ボリシェヴィキやロシア革命への一方的断罪と結びついた形で、さまざまな論者から繰り返し提示されている。
 彼の思想・理論・実践の全体像が歴史的文脈に即して評価されるには、まだまだ多くの努力が必要であり、その意義や問題点を掘り起こしていく作業が着実に続けられる必要がある。とりわけ資本主義の世界的・歴史的限界と危機が深まっていくなかで、新しい革命像と戦略を構想するためにも、二十世紀革命運動の正負の教訓を捉え返すことが重要であり、トロツキーの「復権」はその中でこそ真価が問われることになる。

サーヴィスの
思想的立場

 メイン特集の第一論文は、昨年出版されて話題をよんだ米国の保守的シンクタンク「フーヴァー研究所」上級研究員であるロバート・サーヴィスの大著『トロツキー伝』に対する、米国のトロツキー研究者ポール・ルブランによる批判論文「トロツキーの『第二の暗殺』」である。
 ルブランは、サーヴィスのこの大著が、解禁されたロシアのアルヒーフ(文書資料館)から幾つかの新しい資料を掘り起こしたことを評価しつつ、彼の著作を貫くトロツキーへの嫌悪感をあらわにした人格非難が、彼自身のイデオロギー的立場の帰結に他ならないことを指摘する。
 「彼(サーヴィス)による否定的特徴づけ(偽善という非難、根っからの権威主義、『テロへの熱中』)の本質的要素は、彼の行なった研究から生じているのではなくて、トロツキーの政治的志向を人々が真面目に検討するのを妨げたいという著者の願望から生じている。むしろこの願望が研究に先立って存在しているのではないかと人は疑問に思うだろう」と。
 そして同時に、多くの単純な誤りや、トロツキーの活動に対する意図的としか思えない無視もあることを批判している。

党建設論の
通説を批判

 第二は、インドのトロツキー研究者クナル・チャットパディヤーエによる「トロツキーと革命党――ある歴史的神話の解明」である。この論文は、レーニンの党建設論に対してトロツキーにとっては革命党建設のための独自の闘いがなかったとする、トロツキストも含めた「通説」への批判を、一九一七年以前のロシア社会民主労働党内部の党建設をめぐる論争の経過を追いながら、丁寧に行っている。
 チャットパディヤーエの結論は、彼自身のまとめによれば次のようになる。
 「一、トロツキーにおける革命党建設の構想は古典的マルクス主義の伝統にもとづいている。二、トロツキーによるレーニン批判はメンシェヴィキ的なものではない。三、レーニンとトロツキーとのあいだの意見の相違は、トロツキーがレーニンの党建設構想を理解していなかったという定式化によっても、あるいは若い頃のトロツキーが権威主義的レーニン主義に対する民主主義的オルタナティブを持っていたという定式化によっても総括することはできない。四、歴史的記録が示すところでは、党建設事業は幾多の転換を経ており、無謬のレーニンないし預言的トロツキーについて語ることはまったく誤りである。五、一九一七年以降、トロツキーはレーニンの中心的議論を受け入れたが、そこに彼自身の以前からの洞察を融合させた」。
 チャットパディヤーエは、そうした立場から第四インターナショナルの指導的メンバーであるフランソワ・ヴェルカマンの論文「党の問題――トロツキーのウィークポイント」(トロツキー研究所「ニューズ・レター」27/28号 2001年1月に訳載)を批判している。なおこのヴェルカマン論文への批判については、本号の西島栄による解題で紹介されているように『トロツキー研究』37号「党統一のための闘争(下)」の西島の解題でも、ほぼ同一の趣旨から展開されている。
 この特集には、トロツキーが一九〇五年革命の指導者として逮捕されシベリアに流刑された後、流刑地から二度目の逃亡に成功し、一九〇七年から一九一四年まで亡命生活を送ったウィーン時代について描いたアルフレート・マンスフェルトの「ウィーンのトロツキー」、ならびにトロツキーがウィーン時代に住んだアパートや足しげく通っていた「カフェ・ツェントラル」を訪れた清水正徳の「ウィーンのトロツキー」も掲載されている。ちなみにこの文章を読んだある同志は、この夏にウィーンを旅する際に「カフェ・ツェントラル」にも立ち寄りたいと語っていたが、ちゃんと行けたかな?

ベンサイド
を追悼して

 本号ではその他に、今年一月に亡くなったフランスのマルクス主義思想家で、旧LCR(革命的共産主義者同盟)ならびに第四インターナショナルの理論的・実践的指導者の一人だったダニエル・ベンサイドへの追悼が緊急特集として組まれている。スペインのバルセロナ自治大学教授であるホセ・マリア・アンテンタスの「ダニエル・ベンサイド――われわれの時代の革命家」と、ベンサイドがロシアの社会主義運動「フペリョード(前進)」(第四インターナショナル・ロシア支部)の同志たちの質問に答えた「複数のマルクス主義――過去・現在・未来」と、二〇〇七年七月の第四インターの欧州青年夏季キャンプで講演した「戦略と党」の三本で構成されている。
 とりわけ「複数のマルクス主義」と「戦略と党」は、今日の新しい情勢の中でマルクス主義者が解決すべき諸問題について生き生きと豊かに語りかけており、必読のものである。彼は「時代の雰囲気を身にまとった批判的―弁証法的思考」の緊急の必要性について、「ポスト××主義」の単線的思考を鋭く批判しながら訴えている。そこには「パリの五月」に代表される六〇年代後半のラディカリズムの最良の成果が、現在的に受け継がれているといえるだろう。

ラブリオーラ
とグラムシ

 さらに本号には、イタリアのマルクス主義者ラブリオーラの『思想は空から降ってはこない』が今春、同時代社から刊行されたのを機に(同書の読書案内は本紙7月19日号に掲載)、小特集「ラブリオーラ新訳出版を記念して」が収録されている。
 内容は同書の翻訳者の一人である小原敬士の「マルクス・ラブリオーラ・グラムシの『再吸収』言説の謎」、ならびに著名なグラムシ研究者・松田博の「グラムシのラブリオーラ論に関する覚書」の二つの論考である。
小原の論文は「国家(政治社会)の市民社会への再吸収」という概念のマルクス(「フランスにおける内乱」第1草稿)からグラムシ(「獄中ノート」)への継承関係にラブリオーラの「国家を作り出した社会は、国家を再吸収するであろう」という記述を介在させる可能性について論じている。
 また松田の小論は難解なグラムシ「獄中ノート」の読解方法に関わるものである。松田は、「イタリア知識人史には『権威・権力』と衝突して『異端者』として処刑されたジョルダーノ・ブルーノやグラムシが『武器無き預言者』と評したサヴォナローラ(いずれも火刑に処された)の例とともに、『激突』を回避し『修辞』を駆使しつつ貴重な著作を後世に遺したマキァヴェッリのような例……も存在する」と述べ、「グラムシが選択したのはブルーノやサヴォナローラの道ではなくマキァヴェッリの道であった」としている。
 したがって「『獄中ノート』にこめたグラムシの『真意』を明らかにする」ためには、「トロツキー・スターリン・レーニンなどの関連草稿の注意深い『解読』」が必要であること、そのような作業を通じ我田引水的ではない「グラムシ―トロツキー関係」の実像に接近できると提言している。(平井純一)




コラム
半月板損傷


 「半月板損傷ですね」。自宅近所の総合病院の医師が、レントゲンフィルムを見ながらそう言った。
 「半月板は膝関節の大腿骨と脛骨の間にあるC型をした軟骨の板で、内側・外側にそれぞれあり、クッションの役割を果たしています。これが損傷しますと、膝の曲げ伸ばしの際に痛みやひっかかりを感じたりします。ひどい場合には、膝に水がたまったり、急に膝が動かなくなるロッキングという状態になり、歩けなくなるほど痛くなります」(日本整形外科学会のチラシから)。
 七月上旬ころからだったろうか。左膝がカクカクと緩んだような感じがして、歩行中にも軽い痛みを感じることもあった。仕事をしていても、膝に体重を乗せた状態でいると、ジワリジワリと鈍い痛みが増していた。
 盆休みに実家に帰省した。両親は高齢のためにフラフラしており、庭仕事などまともにできなくなっているので、この四〜五年は帰省のたびに、庭の草取りと庭木のせん定は私の仕事になっている。
 草取りにとりかかるも、しゃがむと左膝が痛むので大ざっぱな仕事になる。体のあちこちを蚊に刺されながら、何とか午前中の仕事を終えてはみたものの、左膝は水がたまり腫れ上がっている。草取りはまだ半分もかたづいていないというのに、痛みのために戦意は完全に喪失してしまった。
 しかたがないので、その日の午後と翌日は、物置からノコ、鎌、せん定バサミ、そして四メートルほど伸びるせん定バサミを取り出して、庭木のせん定に取りかかった。
 芸術的センスが求められる庭木のせん定を楽しむのはいいのだが、刈り取った後の大量の枝葉のかたづけにひと苦労する。この作業でまた膝に負担をかけてしまう。
 盆休みが明けて仕事を再開するも、膝を深く折り曲げると、腫れ上がった左膝に痛みが走るのだ。そして病院へ!
 思えば、これまで膝を酷使するようなことばかりしてきたような気がする。中学・高校とバスケに明け暮れて、卒業後に膝の関節炎に悩まされた。三十代で始めた草野球では、膝に負担がかかるキャッチャーだった。そして四十代からは登山である。かけ降りることも多かった。そして日常的には、膝や腰を酷使する肉体労働……。
 なるべくしてなった半月板損傷だと言ってもいい。ここのところは、何のトレーニングもなしにアルプス登山に出かけたりもしていた。
 診察する若い医師は、「膝を深く曲げて体重をかけることや、正座は絶対に避けてください」。「いいですか、こうして膝を半分ほど曲げてためるというのも、筋力強化に効果はあるんですよ」と実演までしてくれる。
 「山は続けても大丈夫でしょうか!」と喉元まで出ている私を尻目に、「とにかく下山の時は膝にかなりの負担がかかりますので、十分に気をつけて下さい」と、理想的な答えを出してくれた。それは心地よい「落ち」を聞くようであった。(星)

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