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解放連帯「綱領草案」に対する評価(3)         かけはし2010.9.6号

闘いの前進を阻む改良主義は必然的に官僚制を創出する

チェ・ヨンイク


もくじ

1、 評価に先立って
2、 革命戦略
3、 ロシア10月革命の教訓とスターリン主義国家に対する態度
4、 革命の教訓を綱領に実践的に盛りこむこと
5、 官僚主義の問題
6、 綱領の組織的側面―現場分会の思想
7、 移行綱領の問題
8、 綱領論議の道

5、官僚主義の問題


 「民主主義の深化発展としての社会主義」思想は解放連帯の「綱領草案」において核心的に強調されている。労働者民主主義についてのこのような強調は、堕落したスターリン主義官僚体制に対する批判の中で、真の社会主義革命の核心を提示するという点で、また社会主義から共産主義への移行期の核心―プロレタリアート独裁=労働者民主主義―を提起するという点では極めて正当だ。
 けれども綱領を「過去の革命の教訓を通じて未来の革命の最終勝利のための方向舵」を提供するという実践的側面から接近するならば、つまり「労働者民主主義の拡大」をどのような階級闘争を通じて実現しぬくことができるのかに実践的に接近するのであれば、補完しなければならない地点がある。
 他の表現によって問題意識をより明確に定式化するならば、「1917年のロシア革命において樹立された労働者民主主義が何ゆえに破壊されたのか、従って何を通じてこのような破壊を遮断するのか」を解放連帯の「綱領草案」や解説は充分に盛り込めずにいるということだ。
 労働者民主主義権力を破壊したのは「スターリン主義官僚体制」だった。この官僚体制はソビエト政府やボルシェビキ党のいずれをも、さん奪してしまった。この過程は労働者民主主義の土台である各ソビエトを有名無実化しつつ、官僚機構の統制下に、はく製化する一連の過程とからみあっていた。結局、労働者民主主義の深化発展の問題は「このような官僚体制をどのように克服し、遮断するのか」の問題と結びつけて提示されてこそ、現代の革命綱領としての有効性を獲得できる。
 この官僚体制は「労働者運動の中から登場した官僚体制」という点で、通常の資本主義社会のブルジョア官僚体制とは、その性格が大いに異なる労働官僚制なのだ。「労働官僚制」は労働者階級の機構から登場したが、自らを作り出した労働者大衆から自立化し、彼らの上に君臨する官僚機構だ。
 当然にもこの労働官僚制は労働者大衆の統制権を実質的にはく奪しようとする傾向を帯びつつ、労働者階級の切実な利害関係に代わって少数官僚層の利害関係を先立たせる。労働者階級全体の共同の利害を反映するコミュニズム革命に対する無限の忠誠心の代わりに、この官僚層はコミュニズム革命を事実上、否定しつつ、ブルジョア体制とこの体制から作り出す秩序と文化に順応する改良主義者たちだ。すべての改良主義陣営は必然的に官僚制を創出しつつ、官僚制とないまじらざるをえない。
 なぜならば労働者大衆が完全な支配力を獲得し、社会のすべての機構に対する統制権を行使することは、まさにコミュニズム革命の持続的な前進を意味するのだが、官僚集団はこのような課業を遂行する意思がなく、その結果、コミュニズムに向けた労働者大衆の自発性の前進を阻む官僚的装置を必要とするからだ。
 ロシアで発生したスターリン主義官僚集団も同じことだった。コミュニズム革命の完遂のための必須条件だった世界労働者革命として前進する意思がなかったし、世界革命の難関がロシアにもたらしたおびただしい困難をつき破ってコミュニズム革命を維持する決意がなかった人々、つまり共産主義者から改良主義者へと退行していた者たちが官僚集団のルーツをなした。「言葉と行動の不一致」、「多数大衆の利害の代わりに少数官僚層の特権優先」などの悪い習性は、それにごく自然につき従うありさまだった。

官僚主義と闘う
ための2つの道具

 この官僚集団の対立物は何か? 2つの側面から考察することができる。1つは労働者大衆の下からの統制力だ。この統制力は労働者民主主義の心臓部を構成するものだ。不幸にも帝国主義戦争と内戦の過程で発生した作業場ソビエトなどの弱化は官僚集団の成長を遮断できない根拠となった。
 もう1つは、労働者大衆の代表者たち、労働運動の指導者たちが改良主義をつき破ってコミュニズムの断固たる闘士としてすっくと立つことだ。これは労働者大衆の下からの統制力を拡大することと連結されざるをえないが、コミュニズムの闘士として彼らは上層指導者たちの特権ではなく、労働者大衆の意識性、統制権を拡大・強化することに全力投球するからだ。このコミュニズムの指導者たちの養成は革命政党を通じてのみ、完全かつ全面的に遂行できることだ。
 官僚主義をうち壊すことのできるこの2つの道具は事実、同一の事物の2つの側面であり、互いに切り離すことができず緊密に結びついている。また互いに緊密に連結して追求してこそ、はじめて現実において創造できるだろう。
 そうであるならば、革命綱領が盛り込まなければならない実践的地点は、我々が創造しなければならない革命政党が、これをどのように発展させぬくのか、そしてその過程でどのように労働官僚集団と体系的な戦闘を遂行するのかと関連したものだ。これは綱領の政治的項目や組織的項目いずれにも盛り込まなければならない。「綱領草案」はこの地点と関連して粗さが見えるが、これはぜひとも補完されなければならない。
 労働官僚制に対する絶えざる戦闘を通じて本当のコミュニズムの指導者たちをおし立てて、すべての労働者諸機構を労働者大衆の統制力や主導権が発揮できる労働者民主主義の機構として完成させていくことは、社会主義革命のためだけではなく、コミュニズムの完全な勝利を達成するためにも欠かすことができない。20世紀のロシア革命と今日の世界労働者革命が持っている差違があるとすれば、労働官僚制に立ちむかう闘争が持っている意味が社会主義革命「以前」に決定的になったのであり、その結果、社会主義革命とコミュニズム革命の間の間隙が狭められた、という点にある。
 社会主義革命とコミュニズム革命の間の違いは、政治的に接近する時、「国家の消滅」すなわち労働者民主主義の実現の程度の違いが決定的なのだが、現在の世界の資本主義諸国の状況は、労働者民主主義の実現が高度化されなくては社会主義革命自体が不可能な状況だ。資本主義体制が生き残るために、既に「労働官僚制」を肥大に育成し、これを通じて労働者階級の巨大な潜在力を統制している状況だからだ。
 このような一般的規定を今日の韓国社会に適用するならば、最も重要な「労働官僚制」は改良主義の労働者諸党や労働組合官僚集団として表れている。特に労働者大衆の統制力と主導権、潜在力を封鎖することにおいて、より決定的な労働官僚制は、まさに労働組合の官僚集団だ。現在、韓国の階級闘争は主として労働組合を通じて遂行されており、組織力と統制力を備えた労働者大衆を統制している機構は改良主義党というよりは、まさに労働組合官僚集団だ。民主労働党、進歩新党のような改良主義党が及ぼしている弊害は、これらの党が労働組合官僚集団と緊密に連結しているという、まさにその点で主に現れている。
 そうであるがゆえに、2009年の韓国の革命綱領は「労働組合官僚集団」に対決し、労働組合の労働者大衆の戦闘性や統制権、意識性、団結を拡大強化する闘争綱領を必ずや含まなければならない。例えば社労連が提出している「労働者評議会精神に立脚した平組合員運動路線」(「平労働者運動路線、評議会運動路線」など表現は様々であり得る)のような労働組合闘争綱領が綱領に積極的に含まなければならない。
 また、革命政党は労働組合をはじめとする労働者大衆の諸機構の上層に派遣する指導者たちをコミュニズムの精神の下、統制し監督することのできる政治的・組織的諸装置ならびに信じられる指導者たちを養成するための政治的・組織的諸原則を綱領に含めなければならない。
 平組合員運動路線に立脚して「いつ、いかなる条件」で労組幹部職をになうのかも直接、綱領に含めなかったとしても、解説には盛りこまなければならない。ひいては未来の革命政党の中でも現れる官僚的分子たちを探し出し、党から追い出すことのできる方案や官僚的習性に感染し始める因子などをコミュニズムに立脚して再組織化できる方案を準備し、綱領的形態に反映しなければならない。このような政治的・組織的原則によって武装した革命政党だけが官僚主義に対する戦闘を通じて労働者民主主義深化発展させることができ、こうしてコミュニズム革命の完遂のための指導者としての役割を果たすことができる。

民闘委問題と
旧「労働者の力」

 民闘委問題に関連する、旧「労働者の力」に対する解放連帯の鋭い批判を考慮する時、「官僚主義」問題に対して、解放連帯の同志たちの悩みや真剣さが不充分だと考えることはできないだろう。だがここで扱うのは、ある個別の因子や労働組合運動内の個別分派の官僚主義的行為を超えて、「官僚主義」の領域全般に対する革命党の綱領に関する問題だ。けれども、解放連帯の「綱領草案」と解説は、これを具体化し集約しぬくことができていないという弱点を持っている。
 革命家たちが民闘委問題、ひいては民闘委と関連した旧「労働者の力」の誤謬問題に接近する時は、そのような問題を解決し克服するために、未来の党が整えなければならない路線と検証の装置、組織的構造、労働者大衆機構の中での活動路線などを提示する方向から対案的に接近する必要がある。そしてその対案を綱領的形態で定式化し、すべての革命家たちに提示しぬかなければならない。このような「綱領的論争」を通じる時、そしてこのようなコミュニズム政党の労働組合政策という観点から、旧「労働者の力」の問題を沈着に提示する時、はじめて政治的解決の道が開かれ得る。
 このような綱領的論争を通じながら、万一、旧「労働者の力」で活動していた同志たちが革命政党の官僚主義に立ち向かった闘争路線に同意するならば、「過去の誤謬を克服するならば、それで充分だ。革命的綱領の下に活動しよう!」と提案できるようにしなければならない。この提案と共に、このような克服の意志を大衆的に明白にすることのできる建設的な提案を、旧「労働者の力」出身の同志たちに投じることができるのでなければならない。残りは党建設のための共同闘争の過程で実践的に検証しなければならないだろう。
 だが万一、このような綱領的論争の中で、旧「労働者の力」出身の同志たちが革命綱領を採択することを拒否し、官僚主義の問題に依然として生温い態度を取るのであれば、そうして同じ様相の諸問題が繰り返し起こることが明白ならば、コミュニズム綱領の名によって解放連帯の同志たちは「旧『労働者の力』出身の同志たちは官僚主義に抗して労働者民主主義を代弁するコミュニズム政策を採択し、労働組合をはじめとする労働者の諸機構で遂行する意志がない。もはや彼らに期待せず、我々の革命政党の道を進もう!」とすべての革命的同志たちに提案することができるだろう。万一、そうするのであれば、誰が解放連帯の同志たちの提案を拒否することができるのか! 
 このような式の綱領論争は「革命政党建設において共に歩む同志たちと、そうすることのできない同志たちを区分し」、過去の韓国革命運動の弱点から教訓を抽出し、本当のコミュニズム政策を整え完成させていく意味のある綱領論争となるだろう。そうでなければ綱領論争というものは各グループごと、1人わが道を行くアリバイを準備する「論争のための論争」となってしまうだろう。

労働組合の官僚化
が最初の出発点

 韓国のすべての革命グループは決して完成されていると言うことはできない。党的運動が存在しておらず、革命綱領に立脚した規律ある実践と評価が定着できないまま、革命諸グループは自足的な評価に安住する傾向が多かった。
 その上、韓国の労働運動は既に、かなり以前から相当な大衆規模で成長してきており、その過程で87年労働者大衆をはじめ驚くに値する偉大な闘争を創出した。また民主労組運動が限界に逢着しはじまった時に登場した現場組織運動は、労働組合運動の先進的部位の大事な潜在力を見せつけた。労働組合と現場組織に代表される多様な性格の位相の労働者大衆諸組織が成長する過程で相当の期間、立証していた強烈な活力は貴重なものだった。革命家たちが感嘆し、それを大切に考えたのは正当だった。
 けれども、悲劇は別のところから始まった。韓国の革命家たちはこれが革命家たちに革命綱領や革命政党建設の必要性を切実に提起しているものと受けとめる代わりに、大衆組織を見つめ、そこに一切を託してしまった。革命家たちの指導力が失踪したまさにその場所に現場組織にまで官僚主義が育ちゆくように許容された。労働組合でまず広がっていった官僚主義の毒キノコは労働組合執行部の掌握を媒介として現場の諸組織にすばやく伝播していった。
 このような反転の前に、一部の性急な革命家たちは「労働組合は終わった」と宣言してしまったり、「労働組合官僚や現場組織の指導者たちに運動の指導力を委託してしまいつつ、一方では彼にああだこうだと要求し、他方では彼らにそれができなかったと批判する」式の行為に没頭した。革命家たちの役割不在に悩まなければならない状況にあって、多数の革命家たちは「代理主義の伝導された行為」に没頭していたのだ。労働組合の指導者たちに、現場組織の指導者たちに、革命家の役割を「なり代わる」ように委託することが、れっきとして当たり前のように行われていたのだ。あるいは労働組合や現場組織の書記のレベルから労働組合や現場組織を単純に支援することに没頭することによって事実上、労働団体の活動家程度の水準へと堕落する傾向も生じた。
 他の、ある部類の革命家たちは、また別の蜃気楼にしがみついた。これらは改良主義者たちでびっしりと充たされていた民主労働党に「社会主義革命政党」の役割を果たせ、と注文した後、これを民主労働党が果たせない、と内部で批判することに没頭した。その意図とは関係なく、これは改良主義政党が社会主義政党へと変貌する可能性があるとの幻想を助長することによって、独自的な革命政党建設運動を弱体化させた。
 このすべてのことは明らかに疾病だった。革命家たちが行わなければならないことを労働者大衆の諸組織に、改良主義政党に任せながら、代理してくれ、と請願することだった。私は、このような疾病からいかなる革命組織も完全に自由たりえないと信じる。このような中にあっての辛うじての希望は、社労連であれ、解放連帯であれ、旧「労働者の力」の同志たちであれ、今やこのような疾病を克服しなければならない必要性を感じ始めている、ということだ。私は、これが韓国社会主義革命運動において最も大切な自覚だと信じる。解放連帯の民主労働党脱党も、私はその延長線にある自覚だと信じる。
 私は、そのように真剣に論議する必要がある、と思う。旧「労働者の力」の民闘委処理の件であれ、解放連帯の民主労働党参加の件であれ、「誰がうまくやり、誰がダメだったか」の観点からではなく、10余年にわたる韓国革命家たちの責任放棄と無能力性から今日の韓国労働運動の危機が発生したことを認め、これを克服しつつ革命家たちが責任を持って協働して革命政党創建を早めるための道を模索するという観点から真剣な論争と討論が進められたなら、と思う。綱領論議がそのための政治的集約の枠組みとなることを希望する。これは韓国の革命家たちにとって、「失われてしまった10年、いや失ってしまった20年を取り戻す貴重な第1歩」となるであろう!      (つづく)


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