かけはし重要記事

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                         かけはし2002.11.18号より

北朝鮮による拉致問題をどう考えるか


 「日本人拉致事件」と被害者五人の帰国は、日本社会全体に大きな衝撃と波紋を広げている。本紙では、9月30日号に「日朝首脳会談と日朝交渉」を掲載し、11月4日号に「北朝鮮による拉致問題―日本の左翼と市民運動と左翼に何が問われているか」を掲載したほか、北朝鮮社会の飢餓の現実を伝える韓国の進歩的雑誌「ハンギョレ21」の翻訳、専制支配の現状を伝える脱北者の著書の紹介などを行ってきた。この事件に関する日本社会の判断、そして市民運動と左翼の判断は大きく分岐している。認識の深化に資するために、以下に2つの論争的文書を掲載する。



拉致被害者本人の意思の尊重を

                                  景 清

左翼が迫られる「反省・総括」

 拉致問題の本質をどのように考えてゆくべきなのか? さまざまな立場からの議論がいま展開されている。「かけはし」滝山論文は、トロツキストの論客の中でも「反北朝鮮」最左派であると思うが、彼は拉致問題のヘゲモニーが家族も含めて完全に右翼・保守派の側に握られていることを嘆いて次のようにいう。
 「進歩的知識人や左翼がいかに北朝鮮問題を真正面から取り上げてこなかったか。いかに北朝鮮擁護に堕落してきたか。その結果、右翼・保守派言論人たちに、道をゆずりわたしてしまっているのである。拉致問題という国家犯罪を暴き、被害者家族を支える運動をなぜ、市民派・左翼はできなかったのか。もちろんわれわれ自身も含めて、痛烈な反省・総括がせまられている」。
 では具体的にどのような「痛烈な反省・総括」を左翼はしなければならないのか? 何が市民派・左翼に欠けていたのか? 思うに朝鮮半島の問題を左翼があまりにも「高度な政治的判断」によって処理してきたために、拉致被害者自身に対して目が向いていなかったことが問題の本質なのではないだろうか。
 多くの左翼及び進歩的知識人にとって、戦前の日本帝国主義による朝鮮半島の支配・略奪は自明のことであった。そしてこの犯罪的事実の認識を平和運動の出発点として位置づけてきた。朝鮮・韓国に二分された現在の朝鮮半島についてもわれわれ日本の過去の歴史に責任があると考えてきた。そして、そこからどちらかといえば北朝鮮に対する好意的な目を持って運動論を展開してきた。そして、その「政治的判断」は北朝鮮の犯罪行為を追及することを躊躇する傾向を示してきたように思う。なぜなら、北朝鮮への批判が、右翼・保守派の論調を後押しすることをおそれたからである。
 実際の拉致被害者は百人近いとの情報もある。多くの左翼はそれらの人々の立場に立って考えることをせず、「北朝鮮を追いつめるやっかいな問題」という意識を持ってしまった。もちろん右翼・保守派がこの問題に真剣に取り組んできたのは、彼らにとって有利な展望を切り開くからである。拉致問題については、左翼は不利になるから近づかず、右翼は有利になるから拉致家族を支援してきた。その違いが現在の状況を作り出したのである。結局、左右両勢力の政治的思惑の狭間で、拉致被害者は振り回されてきたのではないだろうか。

左翼運動の原点に帰るべきだ

 戦前の日本帝国主義の犯罪行為への認識と反省を平和運動の出発点として位置づけることは正しいと思う。また「北朝鮮の犯罪事実への追及が右派勢力を力づける結果をもたらしてはならない」という配慮は理解できる。しかし、それが一部の政党に見られたように「拉致の事実などない」とまで言い切ってしまうことになったのは悪しき「政治主義」と言わねばならない。
 左翼は何よりも「事実」から出発しなくてはならない。それが一見どんなに「左翼にとって不利な事実」であっても、「政治的判断」を「事実」よりも優先させる事があってはならない。この原則を踏み外した時、「民衆の政党」はいつでも「民衆に君臨する政党」へと堕するのではないか。
 左翼が痛烈に行わなければならない「反省・総括」とは、まずなによりも、「左翼思想の原点」をもう一度確認することではないのだろうか。人が人を支配しない社会、理不尽な暴力によって人が傷つけられない、そんな社会を左翼は目指してきた。そこには限りない「人間の尊厳への尊重」がある。私が左翼を選択するのはそれがあるからだ。
 左翼政党とは、その思いを実現するために政治理論をまとめ、戦略的に考え、戦術的に行動する集団のことである。しかし左翼の多くが、そうした戦略戦術的な思考に慣れたために、そこに苦しむ個人の問題から目をそむけてしまったのではないのだろうか? 今回一時帰国した五人を含めた十三人の拉致被害者本人たちの「痛み」をわれわれはどれだけ「自分たちの問題」として共有してきただろうか? この問題を意識から遠ざけてきたことのツケが今、まわってきたのではないだろうか。

拉致被害者の立場にたっての解決を

 曽我ひとみさんの夫は米軍脱走兵士である。今のところ米政府は、日本政府の働きかけにもかかわらず、曽我さんの夫が日本に来れば逮捕し軍法会議にかけるという方針を変更してはいないようである。曽我さんが日本に永住帰国することが彼女の家庭生活の破壊をもたらす可能性は否定できない。また他の帰国者たちもはっきりとは自分の要求を述べていないが、北朝鮮へ戻ることを希望しているとの観測もある。しかし日本政府は、帰国者たち本人の意向を無視して一時帰国を引き延ばし、「永住帰国」へむかって「職場あっせん」などの「支援事業」を始めようとしている。
 拉致被害者たちはきっかけはどうであれ、すでに二十四年間にわたって北朝鮮に住み、そこに自らの生活拠点を作ってきた。そこには家庭生活もあった。彼らが、その生活にもどるのか、それとも日本に帰国して新しい生活を始めるのかは、全く本人の自由意志に任せるべきである。「拉致家族の意志を尊重」して永住帰国を強行しようとする日本政府、「約束」をたてに連れ戻そうとする北朝鮮政府、双方ともが拉致被害者本人の意思を踏みにじり、人権をないがしろにたうえで、国家的取引の道具として彼らを利用している。
 日本政府は本人の自由意志を尊重し、戻るも止まるも本人の意思に任せるべきである。また拉致問題を政治的取引の道具にするべきではない。そのうえで「北朝鮮は信用ならない国である」「今度もどったら永久に会えないかもしれない」との懸念があるなら、国家として最善の方法をとるべきである。例えばロシア革命政府のとった方法は、ひとつの模範となる。つまり、拉致被害者全員を臨時の日本政府職員とし、一人ひとりに対して政府に対するのと同じ待遇を要求する旨を告げるのである。拉致被害者を国家的取引の道具に使うのはただちにやめるべきである。左翼は、そのように要求する運動を行うべきなのではないか?

拉致被害者は日本人だけではない

 日本ではあまり問題になっていないが、同じような方法で拉致された韓国人が多数いるという。また、北朝鮮の金正日支配体制のもとで自由を奪われ困窮に苦しむ二千二百万の民衆も、ある意味「拉致されている状態」といえるかもしれない。この北朝鮮民衆のことは無視していいのだろうか? 現在日本をはじめ世界各国からアフガニスタンへ、食糧援助を含めてさまざまな援助活動がおこなわれているが、北朝鮮にはそのような支援をしなくていいというのだろうか? もちろんそこには北朝鮮政府の問題がおおきく立ちはだかっている。しかし、日本人拉致被害者問題を政治的取引の道具として食料・物資援助の条件に使うのは、北朝鮮人民を「人質」に援助を要請しようとする金正日指導部と同じ水準の非人道的な態度である。日本政府に即時無条件の援助を北朝鮮人民のためにおこなうように要求するべきである。(11月5日)



北朝鮮に拉致被害者五人を帰すべきだという意見について

                                滝山五郎

家族会の必死の闘いに水をさすもの

 拉致被害者家族会は「帰国した拉致被害者五人を北朝鮮に帰らさず、残された家族を日本に連れてきてほしい。今後については、家族全員で相談して決めたい」と日本政府に要望した。それを受けて日本政府はその意向をくんで、五人を日本に留めることにした。
 この処置をめぐって、「北朝鮮に残された被害者の子どもたちから見れば、親が日本に『拉致』されたようなものである。拉致被害者をこれ以上、国家の思惑の仲で翻弄させてはならない」(鈴木健二(成蹊大教授)「週刊金曜日」11月1日)という意見が述べられている。このような意見は新聞の投書や市民運動の中で講師を勤めるような人からも言われている。しかし、この一見もっともらしい「本人の意思の尊重」ということが、実は拉致被害家族会の金正日政府との必死の闘いに「水」をさすものであることに気づくべきである。

問題解決の核心はどこにあるか

 第一に、日本への永住を要求しているのは日本政府というよりも、被害者家族会である。当初、日本政府は十日間程度で北朝鮮に帰すという約束を金正日政府としていた。それを変えさせたのは被害者家族会の切実な要求であった。そもそも、拉致被害者との再会を北朝鮮ではなく、日本で行うというのも被害者家族会の強い要求によって実現したのである。いま、北朝鮮に残された被害者の家族を日本に呼び寄せることを強く要求しているのも家族会である。家族会が現在、拉致問題についての要求を主導している。
 問題は、犯罪を犯した金正日政府が即時に、被害者(家族)の原状を回復すべきということだ。金正日政府は被害者家族の要求にもとづき、北朝鮮にいる被害者家族が日本に来ることを認めるべきだ。その上で、被害者家族が日本に永住するのか、北朝鮮に戻るのかは、被害者・家族が決めることである。そして、仮に北朝鮮に戻るようなことがあった場合でも、両国政府は、無条件に自由往来を認めるべきである。
 金正日体制の犯罪の深さ、その時間的長さによって、ひとつのことを解決しようとすると大きな矛盾や問題がそのたびに出てくる。拉致問題についての解決の要求は、二十年以上もの間、運動を続けてきた家族会の判断をすべてに優先すべきである。
 金正日体制は、国家犯罪の拉致事件の解明をあいまいにして解決済みにしようとしている。拉致の経緯や死亡とされる事件の全面解明、さらに、他にもいる可能性のある被害者の説明、そして補償。拉致責任者の処罰についての解明など、誠実に応えなければならないことは山ほどある。
 第二に、被害者自身の「自由意思」という問題について。北朝鮮は完全に金日成・金正日唯一思想体制下にある。いかなる「自由」も存在しない。金日成・金正日唯一思想体制に従う者のみが生き残れる社会であるということは、多数の脱北者の証言によって明らかにされている。拉致被害者が生き残れたのは、ただ金日成・金正日唯一思想体制にしたがってきたからである。たぶん、死んだとされている被害者は、金日成・金正日唯一思想体制にしたがわなかったからだ。
 拉致被害者がいまでも、金正日バッジをはずさないのは金正日に対する忠誠を示していないと生き残れないことが分かっているからだ。
 さらに拉致被害者は、金正日体制による「遊撃隊国家の任務」を強制されてきた。彼らは「対日、対南工作」にあたらされてきたようである。彼ら・彼女らにとっての「自由」とはこうした任務を遂行させられることなのだ。
 第三に、すでに金正日体制は被害者家族をも含めて帰国を認めているとも報道されている。このことは、金正日は被害者五人の「任務」を解いたのである。解いたということは「いらない」ということである。拉致被害者がもし金正日体制のもとに帰ったら、「資本主義の悪を伝える者」「資本主義の悪で北朝鮮を汚染する者」として排除される以外にないだろう。
 第四に、国家と関係なく、拉致問題は解決しない。北朝鮮という国家が犯した犯罪、そしてそれを放置してきた日本政府。この責任を取るのは「国家」である。今後の被害者・家族のケアーは全面的に、政府・国家によってなされなければならない。「職場や就学あっせん」などのしっかりした「支援事業」がなければ、すなわち安心して永住帰国を選択できる社会的条件を政府や行政が責任を持って作り出さなければ、そもそも「自由な選択」など不可能だ。日本政府が家族の要求を受けて、被害者支援法を作ると報道されているが当然のことである。
 第五に、今回の問題を考える上で、オウムや統一教会から、信者を脱会させる場合が参考になる。マインドコントロールを解くには、そのカルト宗教団体から切り離してケアをするしか脱会の道はないのである。北朝鮮の場合は、単なる宗教団体ではなく、生死を左右することのできる国家体制の力によって、被害者を二十数年間も支配し続けてきたのであり、そこからの回復は時間がかかるのは当然だろう。

増元るみ子さんの弟照明さんの主張

 最後に、拉致被害者で死亡したとされる増元るみ子さんの弟の増元照明さん(「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局次長)の次の主張を重く受け止めるべきである。
 「家族は十九年間、悔しい、悲しい思いをした後、九七年の家族会結成でやっと金正日と闘う力を身につけた。一枚岩となり、現在は帰国した五人を北朝鮮に戻さないよう求めている。『子どもと話し合うため、いったん北朝鮮に戻したらどうか』という人もいる。しかし北朝鮮は金日成、正日父子を仰ぐ唯一の思想体系以外は認めない国だ。自分の意思で『日本に帰りたい』と言えるわけがない。五人とも『日本にとどまり家族と会いたい』と意思表明した。一度戻れば二度と出られなくなることは、彼ら自身が最もよく知っていると思われる。北朝鮮が謝罪したのだから、家族も日本に帰すのが当然だ。そうならないのは、謝罪が誠実なものでなかった証しではないか」(朝日新聞11月10日)。  


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