「青年戦線」最新号より

2000年9月20日・No.155より
|●沖縄・ 反治安出動闘争の成果を引き継ぎ、21世紀にむけて強力な青年の隊列を
|●反サミット沖縄現地闘争に参加して
| 国境を越えた連帯を実感………………………………………………………ふじいえいご
| 歴史の真ん中を歩いた4日間………………………………………………………大仲 恵
| 沖縄は熱かった(そして暑かった)………………………………………………板橋道雄
|●座談会 少年少女たちの事件をどうみるか
|●日本の農業と三里塚 加瀬 勉さんの提起
|●自治体現場から検証する防災訓練  …………………………………………川野わたる
|●学習ノート ローザ・ルクセンブルクの組織論(2)…………………………中野新一
|●過渡期経済論・労働者国家論(1)  …………………………………………早野 一
|●アジアと日本のいまを考える(2)  …………………………………………志村七蔵
|●映評「人狼(JIN―ROH)」     ………………………………………半田しのぶ
|●連帯を求めて(30) ………………………………………………………………萩原邦彦 

反サミット沖縄現地闘争に参加して

沖縄は熱かった(そして暑かった)

 板橋道雄


 羽田から飛行機で沖縄へ着いたのは十八日の夜遅く、羽田でも那覇でも公安の刑事がウロウロしている。しかし、なんであの人たちはあんなにも目つきが悪いんだろうか?。
 空港を出るとやはり外は暑い、もう遅いのですぐに宿舎へ。ところがどっこいすぐに寝る訳もなく、早速周辺を探索。空港からのバスの中からも見えたが、あちこちの電信柱などに「七・二〇あなたもわたしも嘉手納基地包囲に参加しよう」という平和市民連絡会の立て看板や、「家族そろって参加しましょう」というポスターなどがあるのを見つける。公安らしき人物はいない、なぜか豚骨ラーメンを食べ、宿舎へ。
 翌日からは結構忙しいスケジュールが始まる。十九日は南部戦跡ツアーの後、夜は平和市民連絡会の交流集会へ。
 二十日はメインの嘉手納基地包囲行動と平和市民連絡会の集会、そして二十一日、二十二日は沖縄サミット反対実主催の名護市内デモ、さらに二十一日の夕方にはジュビリー二〇〇〇のデモにも数人が参加。
 まあ、こんな日程だったわけだが一番印象に残っているのは南部戦跡ツアー、次が基地包囲、後半の名護デモはバテバテという感じ、やっぱり沖縄は暑かった。
 南部戦跡ツアーは平和の礎(いしじ)やひめゆり記念館といった定番のところ以外にも平和ガイドさんの案内で実際にガマの中に入ったりした。この日のツアーはオプションで、取りあえず行くとこもないし付き合うかという軽い気持ちで参加したが、結局、今回の沖縄ツアーの中で一番心に残るものになった。
 基地包囲は本当にポスターにあったように「家族そろって」参加している人たちも多く、沖縄の人々の基地をなくそうという思いの強さをあらためて感じたが、その歴史的に形成されてきた「反戦意識」の根拠の一端に触れる事が出来たのかも知れないと感じられただけでも、基地ツアーに参加した意味はあったかもしれない。
 名護基地包囲では、我々の担当したところは、なんだか大きな壁のところで中がどうなっているのか全く分からず、ちょっと残念。I君が来る時にコンビニで氷を大量に買って苦労して持ってきたのに、すぐ前が氷屋さんだったのには笑った。三回に渡って行った「人間の鎖」ではウェーブも行われ、解放的な雰囲気。過去二回の基地包囲を大きく上回る二万七千百人の結集に「やったぜ!」という雰囲気が夕方からの平和市民連絡会の集会でも伝わってくる。
 この日に我々「アジ連」が出していた「沖縄、日本、韓国から米軍基地を撤去しよう!」「資本のグローバリゼーション反対!」「軍事のグローバリゼーション反対!」という横断幕を見てジュビリ・サウスの仲間が感動して、二十一日のジュビリ二〇〇〇名護市内デモに何人かの仲間が参加し、夜にも交流を持つ事になった。
 名護市内のデモでは自分がバテていたせいもあるだろうが、まよなかしんやさんの元気さにビックリした、デモの最初から最後までギターをかき鳴らし、歌い続けである。
 結局最終日の二十二日もデモで自由時間がほとんどなかったのは、まあ、ハッキリいえばちょっと残念であった。
 懸念していた権力の弾圧は現地では思った程ではなかった、というのが正直な感想だ。ただし、どこへ行っても警察官がいる、大量に。しかしみんな一様に疲れ果てている様子。
 下手にデモ隊を逮捕でもすればサミットに味噌が付くとでも考えているのだろうか、守りをがっちり固めているという感じだ。現地で見たテレビで、海外の記者がインタビューを受け「日本政府はサミットが何ごともなく無事に終わる事を、成功と考えているようである。」と語っているのを見て笑ってしまった。
 ただし、いくつかの団体に対しての極めて不等な事前弾圧があった事は忘れてはならない。これらの被弾圧者がサミット後に軒並み釈放されていることを見れば、権力の意図がどこにあったのかは、明白である。
 今回の沖縄行きはお金もかかるし、仕事も休まねばならず、どうしようか考えたが、百聞は一見にしかず、やはり行って良かった。というのが正直な感想である。最後にカンパをくれた皆さんどうもありがとうございました。 

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