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|●沖縄・ 反治安出動闘争の成果を引き継ぎ、21世紀にむけて強力な青年の隊列を
|●反サミット沖縄現地闘争に参加して
| 国境を越えた連帯を実感………………………………………………………ふじいえいご
| 歴史の真ん中を歩いた4日間………………………………………………………大仲 恵
| 沖縄は熱かった(そして暑かった)………………………………………………板橋道雄
|●座談会 少年少女たちの事件をどうみるか
|●日本の農業と三里塚 加瀬 勉さんの提起
|●自治体現場から検証する防災訓練 …………………………………………川野わたる
|●学習ノート ローザ・ルクセンブルクの組織論(2)…………………………中野新一
|●過渡期経済論・労働者国家論(1) …………………………………………早野 一
|●アジアと日本のいまを考える(2) …………………………………………志村七蔵
|●映評「人狼(JIN―ROH)」 ………………………………………半田しのぶ
|●連帯を求めて(30) ………………………………………………………………萩原邦彦
この講演は、5・21「二期工事阻止・暫定滑走路建設を許すな! 加瀬勉さんとともに、木の根交流会」(主催 三里塚・暫定滑走路建設に反対する連絡会 場所 三里塚木の根ペンション)で行われたものです。(編)
我々が所有する木の根の土地は、三里塚闘争の政治的拠点であるばかりではなく、日本人民の階級的政治的財産であり拠点である。我々はその財産と拠点を等しく発展させる責任と義務を背負わなければならない。
日本の農業をどうみるか
みんなと話をするのは、おそらく十年ぶりだと思う。ここ一年、旗開きに出ましたし、この集まりにも出た。今まで黙っていたんですけれども、今日は特別だ。言いたいことはたくさんあるんですが、その百分の一ぐらいの話をしたい。
まず第一に、日本の農業全体について、どのような態度をとるか。これはきわめて重要だと思うんです。
簡単な例を挙げます。食糧の自給率は穀物で三〇%なんですね。それで日本は世界一の輸入国なんです。ストップしたらどのようになるか。カロリーでいうと千八百くらいに落ちるんです。だから戦後の飢餓状態と考えてもらえればいい。
政府が試算したのはゴルフ場。畑とか田んぼになる土地で全部穀物を作る。イモ、麦、米、それで千八百カロリーぐらいしか維持できない、今現在では日本の農地では自給率が確保できない。食糧がストップした場合に、だいたい日本人は二千万人ぐらい死ぬと言われている。
だから私たちは、農地を持って、空港反対闘争をして、「食糧自給」を言っているんですが、本質的にはそういう飢餓状態が、日本で進んでいる。
「食糧南北問題」というのは、アメリカ、ヨーロッパ、日本などの先進資本主義国に食糧がまわって、アジア、アフリカ、中南米にはまわらないこと。現在、四千万人ぐらいの人たちが餓死線上にいるわけです。それで日本は、世界一の食糧輸入国になっている。
三里塚で農地を守って、食物を作って自給率を上げていくことに対する責任がある。国際的にも国内的にもどうするか。これは百姓の命題でもあるし、同時に日本の人々の命題だと思うんですね。ここらの決意をちゃんとしなければならない。
感覚的に言えば、私は三度、腹一杯飯を食っているんです。その時にアフリカの人たちが、中南米の人たちが餓死する。難民の人たちの写真が出ますよね。新聞にも毎日出ています。それを見て私は、腹一杯食うことは、罪悪じゃないかと考えることがありますよ。私は百姓ですからね。やっぱり世界の人たちが腹八分でも六でも、食っていけるようなことを考えて農民運動や空港反対運動をやっているわけですから。「食糧自給」ということについてどうするかをきちっと考えていくことは、きわめて重要です。土地を守るという意味においてもです。
二番目は、農業経営の問題です。昭和二十八年から三十年代にかけて一〇アールあたり、米を作るのに一七〇時間かかった。それが現在は五〇時間だ。機械があまり装備されないものでも七〇時間。もっとも大型な機械で五〇時間。時間にして百時間近代化したわけです。
同時にそこで現われたのが「農薬の多投化」。百姓というのは、作物を作ることによって人間を含めたいろんな人たちの生命というものを維持したり、養ったりすることを生業としているわけです。それが職業の基本です。農産物を作って、自分を含めた人間なり、生命あるものを養っていく。
ところがですよ。百姓が作ったものに農薬が入って、生命を脅かされるという基本的な矛盾を日本農業は抱えってしまった。だから自分が作ることで人の生命を脅かす。この基本的な矛盾に対して、我々百姓が政治的にどう実践していくのか。
もう一つ、「地力問題」というのがあるんですよ。農薬に汚染されて、地力が落ちた。今は公害も発生している。
日本の農業というのは、「百貨店農業」と考えたほうがいいと思う。米や麦を中心にしてね、いろんなものを作っていたわけですよ。百貨店のように自給体制でなんでも品物を作っていた。だから油が採れるものとかね。大豆で味噌を作るとか。とにかく百貨店のように作れば、肉も鶏もみんな飼っていた。
ところが今は、牛は百頭とか、あるいは一千頭とか、一つの作物を、単一作物と、一つの畜産というふうに、農業が工業化の思想の中で展開されている。
牛とか、豚とか、鶏糞、堆肥なんかを作っていたものが、経営なり、土地に対して敵対する形になっている。豚・牛などの堆肥があふれてしまって汚染状態になり、農地や環境を破壊してしまう。だから牛・豚の数自体が自分の首を締めるように農地を破壊している。
皆さんが今日ここに来る前に、自分の食卓を日本で自給しないもので作ってきたと思う。パンもそうですね。だいたい百%が外国から来た小麦で作っている。
日本人は自国で取れないものを平気で食う国民になってしまった。電力・石油もです。イチゴを作ってクリスマスで売れば高くなる。スイカもそうですよ。今はスイカはどんどん出荷しています。これは石油バーナーで暖めているわけです。太陽の自然ではなくて。つまり、「科学エネルギー」というものを大量消費して作っている。冬にスイカやメロンを食べること。サクランボでも結構ですが、それが慣れて当り前になっている。国全体がね。
百姓もそれを一生懸命作っているわけですよ。だからスイカを冬に食うことが、ひとつも疑問にならない。メロンを食うことが、イチゴを食うことが、全然疑問にならない生活態度というのはいったい何なのか。自分の食卓の中に日本で取れないものが沢山ある。どっと入ってきたものを、何も感じずに、ただ外国から入ってきたものをパクパク食う。そういう「食構造」になっている。
今日のみんなの弁当を見たけどね。やっぱりコンビニで買ってるんだよ。日本の食文化が大混乱しているわけですよ。食構造・食文化が大混乱しているわけです。だいたいがコンビニ弁当ですよ。台所から持ってくる人は一人もいない。自分で作らないですよ。外食産業だ。食構造が大混乱している。
食文化というものが、民族固有の食文化というものが混乱していますから、これをどういうふうにするかということです。
もう一つは農地の問題です。
今、熱田さんは横堀で百姓をやっている。農地改革法が昭和二十四年に成立した。農地改革で生まれた自作農土地所有制度という制度なんですよ。だから家族で耕して、家族で経営して物を売っていく。そういう土地所有制度だ。この土地所有制度が根本から崩壊するような状態になったわけです。大企業とか、公共事業によって農家から土地を取りあげているわけです。住宅だ、空港だ、鉄道、新幹線だということで農地を限りなく奪っている。
問題は農業内部の中にある。昔、「寄生地主」と言った\今は普通の農民ですが\、何十町歩と経営している農民がたくさん現われた。反面、百姓を辞めた人もたくさんいたわけですよ。「寄生地主制度」というのがあったけど、今は借地農業による何十町歩農業というのが、農民の中で現われた。いろんな農業の経営とか、経済の議論で言うと、小規模的農業経営が日本で出現した。あるいは企業的経営が出現した。これはヨーロッパとかアメリカとは違うんですね。
だからここで一言で締めくくってしまえば、自作農土地所有に代わって、新しい土地制度が生まれるかどうか。これは重大な議論ですよ。そういう中で農地法改正をやられまして、日本の大企業が農地を取得する条件というのが法改正で成立した。百姓にまかせておいては、生産なんか上がらないと。だから企業のほうからオペレーターを送って、資材を送って、農地も企業が確保して。大企業の農業への参入の道が開けてきた。だから自作農の土地所有がますます衰退していく状況にある。
この農業の問題は、やはり自然とか、経済とか、そういうものに対して、その根源的なものに対して、我々がどういうふうに態度を決めていくかという問題です。単に目先で米を作れば良くなるとかね。熱田さんがスイカを作れば、来年から収入が二百万円多くなる、という問題ではないんです。だから自然をどうするか。自然と人間の根源的なかかわりの問題なんです。
こういう時代の中で、我々はもう一度、日本の農業の根本を、そしてそれはどういう国際的な位置を占めているのか、そういうことをちゃんと理解しつつ、三里塚で土地を守ったり、空港に反対していくことの意味をもう一度かみしめてほしいというのが、百姓としての私の気持です。
一坪共有化と民主主義
前書きが長くなったけど、次に一坪共有地の話に入ります。
三里塚の二十〜三十年間の運動のなかで「高揚期」というのがありますね。
そういう時期には、例えば、「今日交通違反でキップを切られたから石を投げてやる」とか、「熱田の親戚だけど心配だから石を投げに来た」とか、我々がつかみきれない人たちが石を投げていたわけですよ。あるいは今までは「対岸の火事」だったけど、「まわりが投げたから俺も投げた」とか。運動の高揚期の駒井野や木の根は、そうだったと思います。
だけど残念ながら運動というのは、高揚期もあれば谷底もあるんですよ。谷底の時に、どれぐらい頑張れるか。高揚期の時は、石投げるけれども、谷底が来るわけですよ。その時にどれだけ頑張れるのか。もっと言えば、自分の思想とは何か。あるいは信念、志。それから俺は、やっぱり百姓だし、労働者であるし、働く者と一緒に世界観、考え方を共にして、頑張っていきたい。人それぞれ生き方はあると思う。権力のほうの身を移して、出世してごまかしていく、というなら別なんですが。
やっぱり自分の信念とか、志とか、三十年闘った三里塚の決意は何であったのか。ここのところが私は、今問われていると思う。三里塚ばかりじゃないと思いますよ。日本全体がそうだと思います。このままいくと、我々はズルズルと土俵の外に押し出されてしまいそうで、心配でしょうがない。例えば、ファシズムの状態とか、あるいは有事立法で、ズルズルと後退してしまうのじゃないかという心配があるんですよ。
「日本の国は天皇陛下の神様の国」と言った内閣総理大臣がいる。石原都知事は「第三国人が暴動を起こす」と言ったけれど。大正の大震災の時に、私の村でも朝鮮人を刺し殺しましたよ。かがり火炊いて、村を守るといってね。石原の言ってるのと同じことをした。
そういう右の国家主義が台頭してきているわけですよ。それで平然としているわけ。我々の勢力が強かったら、そんなのは許しませんよ。彼らは口を閉ざしますよ、腹はどうあってもね。
ところがペラペラと喋るような状態を許してしまっている。我々のように、土俵ぎわで本当にふんばる何人かが。しかし彼らは我々を甘く見ている。我々の主体的条件が、それだけきちっとしていない。三里塚の状態みたいなことが、日本の各闘争の全戦線に現われていると思うんですよ。
だから私は、ここで自分の志というものとか、思想とか、あるいは「働く者と一緒に頑張ろうじゃないか」と。それぞれの運動の分野でイデオロギーとか、価値観とか色々とあるかもしれないけれど、「やっぱり俺はここまできたら絶対に譲らない」というものを確認したほうがいいと思います。
私が最大の危機感を抱いているのは、共産党も含めてどうも翼讃体制でゾロゾロ行っちゃうという心配がある。
一言で言えば、日本の民主主義の問題。私の「民主主義論」というのはこうです。
我々に敵対する政府を打倒するという力があったり、打倒するような勢いで野郎らを攻めていくとか、そういう攻勢があった時に、民主主義が発展するんですよ。話し合いをして「よろしゅうございました、空港を半分作ればいい」という話じゃ、私は民主主義は育たないと思う。
我々民衆が反抗し圧力をかけて、搾取するような政府は、いつだって打倒してやる、頭をすげかえてやると。こういう大衆の意志がはっきり存在した時、日本の民主主義は発展すると思う。ただ話し合いで、多数決で。少数派になったから、悪くなっちゃうというような発言が三里塚で多いんですよ。
思想の本質、物の本質というのは、数で決まるものではない。多いから、少ないから決まるものではないと思います。
なぜ一坪共有地をここでやったのか。三里塚反対同盟の闘争の歴史の中で「一坪共有地運動」というのは、性格が違うものが二つある。「第一次共有化運動」と「第二次共有化運動」というのは違う。
第一次共有化運動では、天神峰や東峰、木の根を含めて、その人たちが土地を売ったら空港が作られてしまう。騒音地区の人がいくら頑張ったって敷地内が売ってしまえばどうにもならない、という心配が芝山の反対同盟にはあった。
それでまず天神峰、東峰、木の根の人たちが白舛、辺田とかに援農に行く。生産の交流というのを盛んにやった。その生産の信頼の上に、芝山の人たちが天神峰、木の根の共有地を持つ。そういう形で第一次共有化運動をやった。
十年、二十年闘ってくると二つ問題が出てきた。
一つは相続問題。土地が共有化されると、相続できない。親父が死んだ場合、そこで家族で相続して。土地を元の農民に戻せない状況が出てきてしまう。戻すという約束なんだけれど、片方が死んだり、片方で相続問題が起きたり、大変な所有権の複雑性があって、ここらで整理してほしいという農民側の意見が出たんですよ。この相続問題は、なかなか反対同盟でも手が出ないですね。土地所有、財産という根源的な問題ですから。
さらに日常的には、車の車庫証明が取れないんですよ。それで困って解消手続きをやったんです。だから運動の側の要請でやったわけではない。これが第一次共有化運動です。
ただ今度の東峰の問題でいえば、あれは小川嘉吉さんの土地だった。それを堀越昭平だけが残って共有化していた。堀越があの土地を放棄しなかったら、暫定滑走路建設はできなかった。堀越の土地ならいいですよ。
ところが、自分の土地ではないのを公団に売っちゃった。だから私は怒っているんです。
普通ならば、放棄するなら反対同盟に戻すべきだ。今までの闘争の経過からいえば。私はそのことを堀越に言った。だけど、公団に売ってしまった。
「私は農民だからいいんだ」「今まで苦労してきたから一坪を売ったっていいんだ」とはいかないんですよ。それは権力の土俵に入ることだ。我々の側に入るのか、権力の側につくのか、踏み絵みたいなものですよ。一人が頑張ることによって、多くの人の運命とか、反対闘争がガラっと変わる緊迫した状況ですね。やはり私は、そのことの行為については堀越をきびしく批判せざるをえない。
次にここの土地の、木の根の共有化問題について言います。 私はなぜここを共有化したか。富里から八街・三里塚というのは、やはり日本の農民運動とか、百姓一揆とか、本を読んだり、実践をしてきますと、土地を守る闘い、年貢を下げる闘いなど、個別の農民闘争が何百年の歴史でたくさんあります。
ところが個別の闘争というのは、あるひとつの変化の中で権力が妥協したり、地主が妥協したり、いろんな課題の変化によって、今まで闘争をやっていた組織も解体して、雲散霧消してしまうわけです。
農民組織と政治団体
そういうことを考えて、八街・富里の闘争の歴史を考えてみる。
私は富里に住居を構えて、オルグをやって、反対同盟を五千人ぐらい組織したんですよ。電報電話局の職員で知っている人がいて、彼が成田市役所の電話工事にきた。なんと県庁に直通の電話を開設するとか。それで非常に緊張したわけです。その人によれば、三里塚に空港がいくという話らしい。そこで対策本部を成田市役所に作って、そのための電話工事にいってきたと言う。
三里塚は富里・八街の代替地だった。御料牧場一帯は県有林だからすぐにわかった。私は富里・八街反対同盟をそのままにして、三里塚の小川明治さんの家に入った。
それから私のところに一通の手紙が来た。「富里・八街連合空港反対同盟の解散式をやるから、加瀬さん来てよ」と。それで富里の町議会で解散式をやった。その時、初めて挨拶した。空港反対闘争の中で挨拶をしたことは、一回もない。全部オルグだった。
最後の解散式で一つだけ言った。「親の代から自民党を支持してきた。ところが空港を作って自分の村が消滅させられるから、村のすじすじに竹やりを建てて、竹やりの先を全部赤く塗って、県や国の野郎らが来たら、これでズボッとやっちゃうという状況になった。
そういうことで、二度と自民党を支持するようなことはあるまいと言った。俺はこれを信じる。だから解散するのも結構だけれど、今、政府と闘っているんだから、三里塚を応援してほしいと言った。個人でも応援してほしい」と。
そしたら半年もたたないうちに全部が、自民党の水野清の後援会に入ったりした。そして議長になったり、町長になったり、農協の組合長になったり、みんなそうなっちゃってさ、なんのために闘争になったのかわからない状態だった。
すなわち一つの政治課題が三里塚に来たおかげで、組織も意識もみんな解体する。そういうことは何回も経験してきた。そこでその経験を総括して、日本の百姓一揆とか、農民運動、大衆闘争の課題、組織の意義を考えているわけですよ。
私の考えですと、反対同盟が全くの少数派になった時、一番農民とって困るのは、政治団体の支援が一番困るんです。それがあると農民は身のなりふりがきかない。木の根の場合がそうだ。このペンションがあるから、最終的に農民は調印ができない。
それでペンションを移動したのだけれど、ここで反対闘争と農民と政治的に闘う理念の違いが出てくるんですよ。それはどういうことかというと、生活を良くする、三里塚では生活ができないという状態があるわけじゃないですか。環境的にも共同体的にも、生産的にも生活できない状態になっている。その時に、どうしても生産と生活を整えて百姓として、きちんとしたいという考え方があるじゃないですか。いい家を建てたいとか。車を買うことも含めて。みんなそう思っているじゃないですか。農民はそういうことを考えるんです。
それに対して農民を説得することはなかなか難しい。だからそういうことを考えて俺は、はっきりと決意した。木の根の土地は、政治的拠点である。反対闘争を支援する、共同行動をとるために徹底的に守り抜く政治的拠点である。これは絶対に妥協しない。
この政治的拠点は、俺一人だけの拠点では困るわけです。人間の決意というのは、俺が主観的にここで切腹するという話をしてもしようがない。公団が喜ぶだけだ。やはり外と中との連帯とか、運動とか、そういう中で人間の気持が変化し、固まるものだ。だから政治的に決意しなくては駄目だ。
二つ目。その政治拠点は、俺の拠点であるばかりではなく、闘う日本人民の拠点とする。政治拠点とする。政治的に共有してほしい。一坪を売って、なんか儲けるという話は困る。はっきりとこれは日本人民の政治拠点であり、政治財産である。三里塚は日本人民の政治財産である。だからそれを人民の意志として物質的にどのように発展させるのかと考えた。
それならば反対同盟に政治的に利用してもらうと同時に、一坪共有地運動を展開して、たとえ大衆運動で反対同盟が少数派になったとしても、政治的に反撃していく。
誤解してもらうと困るけれど、仮に反対同盟が一人もいなくなったとして、私も明日、公団に土地を売りに行くと言いますか。大衆運動としては、代替地をとって専業農家になるとか、生活を向上させるために柴山鉄道に就職するでは困るわけでしょう。でも政治的拠点としてそれが日本の財産だと言った場合、それを私自身が今度、政治闘争として発展させていかなければならない、権力との関係で。公団に売りにいくことはできない。
日本人民の財産として
皆さんも同じです。皆さんが持っている一坪共有地は、日本人民の財産を持っているということです。親しいから一坪をやるということではない。やはり三里塚闘争を共有するということは、本質的に、もっと言えば、インターナショナルの闘争というものを世界的に共有するということだと思います。
だからそこのところを私は決意してですね、「よし」と。この共有化運動を断固たる決意で進めた。日本の革命をめざす人々が多かった。北海道から沖縄まで「革命家」を知っていて名前をあげた。この人たちが公団に土地を売りたいと言ったら、そうしたら我々の前途は絶望ですよ。
私はえらい議論をしたのだけれど、ここの木の根の土地を大衆運動レベルで共有化することには反対したんです。日本の権力闘争として、政治的に対決していくという志があるものだけで責任を持とうじゃないか。人民の解放の拠点と考えているわけですから。
ところが反対同盟支援の多くは広くやろうという意見が多かった。大勢じゃないとできないという人がいる。ここの土地は、小川源さんの意志で残してきた。源の遺言で買ったんです。現状維持しか使えないわけですよ。悔しいですよ。
運動は離合集散の歴史ですから、あまりがっかりはしないのだけれど。ここから先の土地というのは、公団も入っているから工事差止で機動隊が入ってきちゃう。当然、闘争はおきるが感情的に悔しいと思う。
だから中核派にゲバをやられた党派がいますよ。権力以上の妨害を受けた。私も何回も胸ぐらをつかまれた。でも私は断固たる態度を貫き通した。電話なり、抗議なり来ましたよ。一坪共有運動という個別闘争のことで、「反対同盟、支援を分裂をさせるようなことを、加瀬さんはなんでしたんだ」とさかんに言われましたよ。でも私は、農民運動の総括からすれば進めざるを得ない。我々のことを「不動産屋」とすら言った。それが今は毎日、共有化運動を拝んでいる。「加瀬さん、一坪共有地の木の根を頑張ろう」と言ってきた。何を言っているんだ。彼らは自己批判するしかない。そういうことをきちっと自己批判しないと困る。それをしないで平気でいる。そういう政党では困る。
だからこの木の根土地共有化運動は、反対同盟、農民がやった第一次土地共有化とは形が異なる。内容が異なるということを理解してほしいです。政治拠点として微動だにしないで頑張っているから、東峰の石井さんたちは安心だよと言っている。熱田さんも横堀で頑張れるよと言っているんです。財産を増やすためにやっているのではない。だから躊躇する必要はない。三里塚と農民の関係と、我々と農民の関係は、対権力闘争、純粋な政治問題だ。階級闘争的連帯である。これは理屈ぬきで事実なんです。
ともかく木の根ペンションは、敷地の外に移転することは絶対にできない。ところが「危険性がある。違法建築だ」と必ずいちゃもんをつける。公団が「不法建築」で実力行使をやるとしたら、それを阻止する全国的主体的状況がありますか。残念ながら「ない」と判断した。後は権力が火をつけて燃やしてしまうということだってある。
結局、ここに移設することになった。公団は敷地の外へと言ってきたが、それは譲れないとした。
例えば、ベトナム戦争におけるパリ交渉があった。中国革命における重慶交渉があった。歴史の中にたくさんあった。でも革命における武力闘争は、放棄していないですよ。ベトナム闘争における民族解放戦線は、武力闘争を放棄していないですよ。
話し合いは、一つの戦術だ。でも戦略としてそれを選んだらどうしますか。話し合いで解決することを空港問題の戦略とたて、我々が全国的にも武装解除したら敗北だけじゃないですか。力の存在と、プラス、戦術としての話し合いの位置づけがあって、我々の要求が鮮明となるんですよ。
木の根の一坪共有地をわずかの人数であるが公団に売った者がいる。木の根の共有地の利用には我々も権利があるのだと公団は主張して、闘争拠点を作ろうものならば工事差止の訴訟をやると言っている。
だがやや、力の背景がないと思うし、話し合いが独り歩きしていっちゃう。それが一番心配しているところだ。
一方、政府・公団は闘いの原則を守っていると思いますよ。話し合いを高く掲げて、暫定だ、東峰をせんめつせよと。一つも実力行使をやめていませんよ。空港を決定してから今まで。敵のほうが原則を守っていますよ。話し合いをしましょうと言っていながら、鉄砲バリバリと撃って、囲い込み運動をやっているわけですよ。
ところが我々のほうは、違うんだよ。革命派が間違っているんだよ。そういう点でもう少し全国運動を考えてもらいたいのは、ここのところは政治拠点だから、物質的な力があるわけだ。行動なり、思想としての物質的条件だ。
相川勝重が俺のところに来た。そして、「木の根は闘争が終わったから、歴史的に障害物は終わり」と言った。何が障害物だ。俺の土地だ。百姓が土地を持って、それが障害物だと?
そういう認識がけしからん。親戚も動員して電話攻勢もあった。公団・芝山鉄道などの幹部も来た。なんか置いていったが、すぐに宅急便で送り返した。けしからんと怒ってやった。宅急便代を損した。
「政治嫌い」になった反権力闘争
一番頭にきたのは、権力を傘にきていることだよ。芝山町には、政府・空港公団が後ろにいるんだと言う。だから頭にきた。連中は、ほんとうに純粋にね、芝山はああだこうだと言うならいいが、野郎、うぬぼれているんだ。何を思い上がっているんだ。
石井新二も来た。公団と一緒になって色々と面倒をみてやったと自慢していた。公団職員よりひどいわけよ。
だけど彼らは、生まれた時から権力闘争をやっていた。日本でそういうのはなかなかいないよ。それが公団に尻尾をふっているんだよ。普通なら、こういう農民運動をやったなら政党に行くとか、農民組合を作ろうとかだった。六〇年安保ぐらいはそうだった。ところが政治嫌い、政党嫌いになってしまった。これは政治をやってきた我々の責任だ。基本的には、自己批判モノですね、私は。私一人の責任で負えることではないけれど。
やっぱりこれだけ権力闘争をやってきて、権力の正体はなんであるかということを見てきた。働く者と一緒に世界観を作ろうということを、共にできなかったという事実に対して、やはり大衆を組織するということは、どういうことなんだ。政治団体に対する信頼とは何であったのか。
今の政治状況に対して大衆に答えるだけの政治的な主体や力量や実績が、ほんとうにあるのか。五十五年体制が終わったと言っているけれど。自分まで解体されたというんだよな。そこについて、日本で一番長い階級闘争が、政党嫌いになったという事実は、政治嫌いになった事実は、農民がけしからんとか色々あるが、だけど我々はきちっと反省をして、これからの日本の歴史に生かしていかなければならない。
最後に。石毛博道が権力のほうのコメンテーターになっている。シンポジウムと円卓会議が終了した時点で、空港闘争の社会的意識と根拠は消えうせたと私は思っている、と石毛は言っていた。それから隅谷が出したシンポジウムの原則、社会正義と公正によって解決する。東峰なんか、ほんとうに平等になっているかね。社会正義になっているかね。
さらに暫定滑走路についても言っている。土地収用をやらないということをシンポジウムで言った。ところがその部分にあぐらを書いて二千五百メートルの滑走路を阻止できるという思い上がったことが、とどのつまり今、工事が再開される契機となった。自業自得だと言っている。そういう表現を使っている。だから自分で首を占めたと。そういう傲慢なことをやったから、権力が決意を固めて来たのだと。
こういうことを石毛が公文書で出している。こういうことに同意できますか。私は同意するつもりは、毛頭ありあません。
ベルリンの壁が崩壊した。これだと。世界は話し合いと和解の時代だ。三里塚もこれをやらなければならない。これが動機だ。だけどベルリンの壁、階級闘争…我々が検討もつかないことが起きているわけですよ。石毛は、話し合いの時代なんだと、彼は直感した。それで決意したと言っている。
私はいらだっている。ここが政治拠点になったからって、俺とすれば、やはり青行隊に夢をかけてきたわけですよ。青春をかけて、半生をかけてね。棺桶に入るまでですよね。それでも続くと思います。俺が死んだら、熱田さんの墓に埋めてもらう約束をしているんだ。そういうことを考えた時に、やはり青年行動隊というのは、俺にとって宝みたいなもんだ。
それがですね、その人たちがよってたかってビールを持ってきたり、土産を持ってくるんだよな。小川国彦成田市長などもそうだ。闘争やったやつがみんな行っちゃているんだよ、むこうへ。我々が青春をかけてきた遺産がぜんぜんない。石井新二等が売ってくれと言ってくるとね、理屈ぬきでこの野郎と感情的に言いたくなりますよ。
それは農民に対する階級的援助が足らなかった、加瀬さん自己批判だ。それはそうだよ。だけど俺も生身の人間だからね。正直言って悟りを開くわけにいかないんだよ。
一坪運動の強化のために
あらためてここの木の根土地は私の所有名義であります。この土地をどう扱うかについては、私の政治的思想で扱わせていただきます。これは反対同盟と了解事項です。反対同盟の物の考え方、大衆闘争の考え方でこの土地を売るとか、撤退するということは、私は了解できません。これは政治的な意味において、断固たる態度で処理をしていきます。日本人民の意志を総結集した政治的拠点であり、政治財産として、きちっとそれはけじめをつなければならない。
だから東峰石井さんは言う。加瀬さんが持っているから安心だと。政治的に持っているから安心なんですよ。それは皆さんにおいても同じなんですよ。これを公団に売るというのは、階級的な裏切りだ。思想的道義的な問題だ。私もあらためて決意をしています。
最後に、北海道から沖縄にかけて一坪共有者がいる。ぜひ顔合わせをやってくれ。各ブロックでお互いに再確認し、運動を強化してほしい。よろしくたのみます。
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