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|●沖縄・ 反治安出動闘争の成果を引き継ぎ、21世紀にむけて強力な青年の隊列を
|●反サミット沖縄現地闘争に参加して
| 国境を越えた連帯を実感………………………………………………………ふじいえいご
| 歴史の真ん中を歩いた4日間………………………………………………………大仲 恵
| 沖縄は熱かった(そして暑かった)………………………………………………板橋道雄
|●座談会 少年少女たちの事件をどうみるか
|●日本の農業と三里塚 加瀬 勉さんの提起
|●自治体現場から検証する防災訓練 …………………………………………川野わたる
|●学習ノート ローザ・ルクセンブルクの組織論(2)…………………………中野新一
|●過渡期経済論・労働者国家論(1) …………………………………………早野 一
|●アジアと日本のいまを考える(2) …………………………………………志村七蔵
|●映評「人狼(JIN―ROH)」 ………………………………………半田しのぶ
|●連帯を求めて(30) ………………………………………………………………萩原邦彦
大規模地震対策特別措置法が制定された翌年の七九年に、私は東京下町のK区役所に就職した。八一年九月一日、現在の都庁がある新宿の浄水場跡地で行われた第二回六都県市合同総合防災訓練反対運動に、都職労青年部運動の仲間たちと参加して、防災訓練の問題を考えるようになった。
K区は関東大震災で町の半分が焼失し、焼け残った地域では軍や警察、自警団による朝鮮人・中国人虐殺が行われた。地域ではこの問題に関する運動もあり、集会などには参加してきた。K区で自衛隊が参加する防災訓練が行われた際も、職場で反対のビラまきをした。しかし、「防災訓練反対」という主張は簡単ではなく、「自衛隊参加反対」は活動家の間では合意されても、一般の人には、「防災ならいいじゃないの」となかなか支持されなかった。みな同じような苦労をしているため、防災訓練反対運動を継続しているのは、立川など、一部となっている。
石原知事が四月に練馬駐屯地でいわゆる「三国人」発言をしたとき、私は内心喜んだ。「防災訓練は治安訓練だ」という内容を知事自身が公言したからだ。東京都の行政当局者は治安訓練ではないと言うが、石原の発言は向こう側から、長年の防災訓練の本質を明らかにしたものだと思う。だが、本質が多くの人に理解されたからといって喜んではいられない。今年九月三日の東京都総合防災訓練はこれまでの訓練とはまったく内容が異なり、自衛隊中心の訓練であるが、多くの人々はこれを容認し受け入れてしまっている。
私は防災担当者ではないが、自治体職員は災害時には役割があらかじめ決められており、毎年、何らかの防災訓練に参加している。勤務時間外に災害が発生したら、真っ先に避難所に駆けつけ、災害対策用物資の倉庫の鍵をあける役割を担当している同僚もいる。防災は自治体職員にとって逃れられない大切な課題である。住民を動員する大規模な訓練にも何度か参加をしてきた。その中で感じたことを述べていく。
防災とは
防災訓練といえば、地震に対する避難・救助というイメージである。しかし、災害とは、災害対策基本法によれば、暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火その他の異常な自然現象、大規模な火事もしくは爆発、放射性物質の大量の流失、多数の者の遭難を伴う船舶の沈没、その他の事故による生ずる被害のことと規定されている。最近は大雨が多いが、自治体の現場では台風や豪雨による被害にたいする警戒態勢をとることが現実にはほとんどだ。一九六〇年代前半までは、K区でも防災訓練は、台風による水害対策で、七月下旬に行われていた。堤防が決壊したとの想定で、避難し、校庭でボートを組み立て水面を逃げる訓練をしていたそうだ。
次に、防災とは「災害を未然に防止すること、災害が発生した場合にその拡大を防ぐこと、そして災害からの復旧をはかること」である。自治体には、住民の生命、身体、財産を災害から守るという責務があり、地域防災計画を立て、災害予防・災害応急対策・災害復旧を行う義務がある。本来の意味での防災対策は、災害が発生しても被害を最小限に抑えるためのまちづくりから、被災後の復興までをさす。ところが、防災訓練は、予知に基づく避難(予知ができるとは思えないが)や災害発生から、救助、復旧までの短い期間の対応である。そして、そこに自衛隊が登場する。
東京は過密で、災害に弱い。木造家屋の密集地を改善する再開発が長い年月をかけ行われている。今回の会場の一つである白髭西地区も防災拠点としての再開発、緑地・空地が設置されてきた。だが、住民の合意づくりから始まり、長い年月と費用がかかり、東京全体の改善は簡単ではない。被害を最小限に抑えるためには、過密の解消が基本だと思うが、現在の都政は「臨海副都心建設」「首都機能移転反対」で、都市の過密を推進している。
阪神淡路大震災の被害を受けた神戸では、復興事業が住民の意思に基づいて進められているとは言い難い。「復興ファシズム」とも呼ばれる強権的な区画整理が行われていると聞く。広い道路や空地があればよいのでなく、そこに暮らしていた人々の居住権を含む人権がまもられ、地域社会の復興こそが大切だ。災害イコール非常事態、多少の権利の制限はやむえないと発想されるが、災害時こそ、人権が尊重されるべきだ。
防災訓練の実際
首都圏での防災訓練は、関東大震災の九月一日を中心に行われている。主催は、区市町村、都や県、政府(国土庁)などさまざまで、昨年は五百七十二万人が参加したと報道されている。
K区の総合防災訓練は二つある。
一つは、九月一日に政府が発する警戒宣言を受け、職員の非常配備態勢確立や対策本部設置などを行う予知対応型訓練。住民にとっては、区内全域に防災無線でサイレンが鳴らされるだけだが、区役所は都庁や警察、消防等との通信訓練も行っている。
もう一つが、八月下旬の土日に住民数千人の参加で行われる発災対応型訓練。いわゆる防災訓練である。
阪神大震災後のある年の訓練に私も避難所の誘導担当として参加した。ブルーの防災服で無線機とシナリオを持って、住宅街の公園に役所の車で送られた。公園には私一人である。しばらくすると、消防署員数名と消火器業者がやってきた。あいさつをし時間を待つ。訓練に参加するのは数年ぶりと話すと消防署の人は不思議そうな顔をした。夕方、都内を震源とする大規模な地震が発生したとの想定の時間が来る。住民は家を出て、町会ごとに決められた集合場所に集まる。そして、集団で一時避難場所と呼ばれる私のいる公園に移動する。住民は町会・自治会ごとにやってくる。集団の先頭は災害協力隊の濃いグリーンの制服を着た役員たちである。リーダーが協力隊の小旗を持っている。災害協力隊は自主的な民間の防災組織だとされているが、実際は町会・自治会である。戦後すぐに作られ水害時に活躍したそうである。東海地震が騒がれた七四年に区は改めて結成式を行い、各隊十五名分の防災服ヘルメットを配布し、毎年、公費で無線機や機材の整備をしている。
公園には、十程度の町会、百から三百名程の住民が集まり、消防署員の指導で消火訓練や救護訓練が行われる。その間に私は、町会ごとの参加人数を確認し、本部へ無線で連絡する。回線が一つしかないので、他の会場からの連絡中は、こちらから本部へは通信ができない。そのうえ操作になれていないので大変苦労する。防災無線は一斉通報には便利だが、情報収集にはむかないと感じた。
数十分訓練をしたところで、区職員である私が「被害が大きくなったので広域避難場所に避難します」と指示し、いつのまにかやってきた若い警察官数名の誘導で一キロほど離れたメイン会場へ移動する。このころには日も落ち薄暗くなり始めていた。一緒にきた住民が会場に入ったので、次の集団の道案内をしていると、一人の女性が「鍋を火にかけたまま家を出てきてしまったので帰ってよいか」と尋ねてきた。当然、「帰ってください」と答えたが、この女性にとって役所や町会が行う訓練は途中で抜け出すことができないもののようだ。
運動会ができそうな大きな公園には千人を超える住民がすでテントの下に座っていた。住民も協力隊の防災服を着ている人が多いので、会場はいろいろな制服だらけだ。昼間の訓練なら応急給食訓練という炊き出しのご飯やソーメン、応急給水訓練という水の配布を受け、それらを口にしながら住民は各防災機関の訓練を見学する。都や区の道路障害物除去、消防レスキューによる救出救助、電力、ガス会社の復旧訓練、消防団の一斉放水などだ。医師会のトリアージや自衛隊の訓練もある。他の自治体の訓練では検死訓練というのもあるそうだ。私は、物資配布訓練という名目の非常食と記念品の配布を手伝う。一人づつ配布するのではなく、先ほど無線で連絡した数に基づいて、まとめて町会に渡すのだ。配布が終わる頃区長の講評で訓練は終わる。例年ならここで終わりだが、阪神大震災後は、避難所運営訓練が加わり、代表者が避難所である小学校の体育館に一泊する。
警戒宣言
一九七八年に制定された「大規模地震対策特別措置法」は警戒宣言が発令された際、自衛隊の出動や災害時と同様の私権の制限ができるよう定めている。現在予知が可能とされているのは東海地震だけであり、東海地震が発生した場合に震度六以上が推定される地域を対象に「地震防災対策強化地域」を指定している(静岡県を中心に六県一七〇市町村)。強化地域で震度六、M8以上の大規模な地震が予知された場合に内閣総理大臣が国民に知らせる予知情報が「警戒宣言」である。警戒宣言発令で地震災害警戒本部を設置(本部長は内閣総理大臣)、本部長は自衛隊派遣を要請できる。強化地域内住民は自動車利用等が制限され、防災応急対策に協力が強制される。交通規制や犯罪予防、私有地や建物の利用や除去もできるようになる。
東京二三区の東海地震での被害想定は 震度五弱が大半で一部五強及び四であり、大きな被害は予想されない。強化地域外であるが、首都であり、人口・都市機能が高度に集中しており、パニックの可能性があるとの理由で、都区は防災計画の付編として「警戒宣言に伴う対応措置」を策定している。具体的には、判定会招集の時点で災害対策本部の準備、社会的混乱防止措置が行われる。警戒宣言発令で災害対策本部設置、サイレン等で情報伝達。駅等に警察の警備部隊派遣や交通規制、鉄道の減速。劇場映画館等の営業中止、行事の中止、学校の授業打ち切り、児童の引取り、区役所・金融機関は通常業務、生活必需品の小売は原則営業継続、テレビ・ラジオは特別放送となる。唯一予知が可能とされている東海地震の警戒宣言でも東京は、被害は予想されないが、戒厳令的なことができるように、都区が自主的に決めている。
なぜ一箇所に集める
防災訓練と言えば、住民にとっては昔から避難訓練である。戦争中の防空演習、戦後の水防訓練の時代もそのようであった。規模が数千、万人となるのは六〇年代後半以降である。八〇年代の訓練では、住民を一つの公園に集めるため、観光バスなども利用した。実際の災害時には利用できないのにだ。このような訓練を繰り返すと地震即避難と思いこむようになる。都のパンフレットでも、「避難は最後の手段。まず身の安全確保、出火防止、初期消火、延焼等で危険になったら区市町村長の避難勧告・指示で避難」と、「避難は最後の手段」と言いきっている。逃げる前にやる事はたくさんある。自分が助かれば次は近隣の救助もするべきで、阪神大震災でも、自衛隊よりも近所の人に救われた人が多いと聞いている。東京北区では住民を一箇所に集めるより、それぞれの地域での訓練の方が現実的であるとして、多数の住民を集める訓練をやめてしまったところもある。
訓練に参加する住民は何の抵抗もなく、素直に避難するが、現実の災害では避難は大問題である。避難するか否か。するとしても避難のタイミングや避難先は難しい。火山の噴火では避難が長期になるので、避難勧告や指示に従わない人が出ている。生活や仕事のことを考えれば当然である。その上、たとえ自宅が無事であっても許可が無ければ近づけない。(有珠山噴火での強制的な「救出」批判については井上澄夫さん「技術と人間」二〇〇〇年八・九月合併号に詳しい記事あり)また、二ヶ月に及ぶ三宅島の噴火では、多くの住民が自主的に島外に避難している。噴火の可能性少ないと予想されているので避難勧告もなく、島外に親類のない人や資金の無い人は、不安だけれども、避難したくてもできない。(八月二六日、小中高生の避難は決まった)避難勧告や指示は、住民の生活のことも考えて出されているのだろうか。
なぜ町会単位
次の疑問は、防災訓練は個人としての参加は想定されていないことである。町会が基本である。町会・自治会に加入していない人も都市では多数いる。阪神大震災でも町会ごとに避難したわけではなかった。民族で集まった人たちもいた。九月三日の訓練でも生活支援として自衛隊が風呂を沸かすが、入れるのはあらかじめ決められた近隣の町会からの参加者に限られるそうだ。
なぜ全国一斉
防災訓練はさまざま機関が実施しているが、その基本シナリオは同じである。政府の発する警戒宣言や南関東直下地震を想定し、一斉に行われる。多少の時間差はあっても政府の号令のもと数百万人が動くのである。住民は民間防災組織を通じて区市町村と緊密につながっている。区市町村は都県のほか今では自衛隊としっかりと連絡を取り合っている。都道府県は「首相官邸危機管理センター」とつながり、今回の訓練では自衛隊の中央指揮所とも連絡をとりあう。防災訓練では、首相の号令のもと自衛隊や住民が一斉に動く仕組みが作り上げられている。
関東大震災時の虐殺
七七年前の関東大震災では十五万人の死者行方不明者がでた。震源は相模湾沖であり、神奈川県や伊豆での被害が大きかった。東京でも地盤の弱い隅田川流域の下町で家屋倒壊や火災の被害が拡大した。
当時の墨田・江東の東部(南葛飾郡)は工場が多く労働者の町だった。小さな町工場や荒川開削工事など多くの朝鮮人が働いていた。幸いなことに火災の被害は免れたが、全域が焼失した本所・深川の住民たちが避難してきた。避難者であふれかえる亀戸や荒川土手近くで、軍や警察、自警団に動員された住民によって朝鮮人虐殺がおこなわれた。朝鮮人虐殺は関東各地で行われ、被害者は推定で六千人といわれている。また、江東区大島や横浜では中国人も虐殺されており、その数は五百人。
一九二三年九月一日正午少し前に地震が発生し、その日の夕方には朝鮮人の殺害が始まっている。本格的に虐殺が行われるのは翌二日から。「朝鮮人が集団で襲ってくる」「井戸に毒を入れた」「爆弾を持っている」といったデマが広がり、各地で自警団が通行人を呼び止め、朝鮮人と思われる者にリンチを加え、殺害した。デマの出所は明らかではないが、かろうじて残った通信手段を持っていた軍や警察がデマを広げ、また軍・警察の行動がデマを人々に真実と確信させ、虐殺が拡大された。
地震発生前の八月二六日には首相が病死し、九月一日は組閣作業の最中であり、二日には皇居での認証式にあわせ、警察は要注意・視察人の予防検束を行った。
一日夕方には、軍に非常警備命令が下り、二日夕方に戒厳令が発令された。治安責任者である水野内相や赤池警視総監は、朝鮮独立運動弾圧の当事者であり、また米騒動の経験から、民衆の怒りが政府に向かうのを恐れていた。「朝鮮人や社会主義者が騒擾をおこす」とのデマを利用(あるいは自作自演)し、戒厳令を施行した。警察だけで混乱防止や罹災者の救援が不可能なので、軍の力をかりる、行政戒厳であった。しかし、出動した軍隊は臨戦戒厳の様相で、武器を持ち、警告にしたがわないものには、武器を使用してよい、との命令が出された。
習志野騎兵連隊は二日午後二時頃、亀戸に到着している。二日分の食料と予備蹄鉄のほか、実弾六十発うち、五発を銃に込め、将校は日本刀を持ち、戦争に行く気分で出動したと当時の兵士の手記にある。
罹災者であふれる亀戸駅に到着した軍は、列車改めを行い、機関車の石炭の上から一人の朝鮮人を引きすりおろし、数千人の避難者前で、日本刀で後ろから切りかかった。これを見ていた避難者たちは、嵐のような万歳で歓迎したそうである。これに自信を得た軍は、この夜を中心に多くの朝鮮人を虐殺した。荒川土手近くでは、機関銃を使用し大勢を虐殺したとの証言もある。
三日には、大島町(現在の江東区)で中国人労働者が寄宿舎から駆り出され、空き地に集められ、軍、住民によって殺害された。中国人労働者たちは「共済会」と呼ばれる労働組合を組織し、ピンハネを許さなかった。そのため、日本人労働ブロカーたちの恨みを買っていた。虐殺に加担した住民とは主にそうしたブローカー(手配師の親方のような者か?)やその配下の者たちと思われる。
亀戸警察署は、「保護」収容された数百名であふれかえっていた。所内で軍によって朝鮮人が殺され、四日には警官に逆らったとされる自警団員四名が殺害され、翌日にかけて、川合義虎ら労働組合員・社会主義者ら十名が殺された(亀戸事件)。さらに、十五日には大杉栄らが憲兵によって殺害される事件も起こる。
朝鮮人・中国人は習志野へ「保護」収容されるが、後手に縛られ、護送のようであった。中国人は帰国させられたが、朝鮮人は地元に「払い下げ」られ、そこで虐殺された。
七日には緊急勅令「治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」が出され、言論が統制され、虐殺事件の報道が禁止されてしまう。それでも大杉事件、亀戸事件は比較的早く報道が解禁されるが、朝鮮人虐殺はいまでも十分明らかになっていない。この勅令は前年に廃案になった「過激社会運動取締法案」を、議会の承認なしに実質的に適用したもので、後の治安維持法へとつながって行く。
関東大震災では、朝鮮人の騒擾などまったく無かった。あったのは、権力者による虐殺と弾圧だった。救援のため派遣されたはずの軍隊は、朝鮮人中国人そして権力に抵抗する日本人を殺害した。
日本人の嫌がる底辺の仕事を支える外国人労働者の存在、その労働者の権利を認めず使い捨てようとする支配層の存在、さらに公然と外国人労働者を敵視する発言を繰り返す石原都知事や森首相が行政のトップにいる。今、大災害が起きたら当時と同じようなことが起きるのではと、私はとても心配である。
震災予防条例改正の問題点
東京都は全国に先駆け震災予防条例を七一年に制定し、防災拠点づくりなど予防対策を行ってきた。いま、石原知事のもとで、改正が検討されている。その内容は、行政の責任を回避し個人や事業者に負担を強いるものであり、防災拠点となる私有地や復興計画で私権を制限しようとするものである。こうした動きにも注意する必要がある。
自衛隊と防災
今回の東京都総合防災訓練は自衛隊が前面に出るものであるが、当事者の自衛隊は防災についてどのように考えているのだろう。公式の出版物では、自衛隊の大きな任務であるとされている。しかし、元自衛隊幹部が最近出版した本では、あまりあてにするなと書いてある。
元統幕議長の栗栖弘臣は「災害派遣は従たる任務、あるいは自衛隊の持つ能力の応用だと考えるべきであろう。もし、主たる任務だとすると、そのための訓練を積まなければならず、防衛のための訓練時間を割くことになるのである。」(『日本国防軍創設せよ』二〇〇〇年四月)と、「災害派遣は本来の任務でない」と言いきっていいる。
阪神大震災時の災害派遣部隊指揮官であった松島悠佐元陸自中部方面総監が著者の一人である『震災自衛マニュアル 大震災が教えてくれた生死の分かれ目』(九九年四月)には、「自衛隊は本来、防衛事態に対処することが第一義の任務であり、部隊の編成・装備もその目的に合うように作られている。災害派遣は平時においては大変重要な任務であり、各地の災害に出動しているが、災害対処専門の部隊があるわけではなく、防衛出動のために準備した部隊編成・装備を利用して災害事態に対応している」「都市型震災における激甚地区の救援活動については、自衛隊の災害派遣に関する諸制約をよく認識しておくことが必要であり、過度の期待は禁物である」とある。あまり期待せず、自分で身を守ることを考えよ。しかし、本書は警察、消防、自衛隊が重複することを行うのは無駄であり、連携が重要で、今回のような訓練が必要だという結論になってる。
では、なぜ自衛隊は防災訓練に出たがるのだろうか。私は原文を読んではいないが研究者によれば、一九六〇年に陸上幕僚監部が編集した『関東大震災から得た教訓』では、第一に治安立法の平素からの準備。第二に国、地方公共機関の統制をあげ、有事、震災時には「警察、各都道府県知事、市町村長の統制が必要」であり、「平時から逐次整備する必要がある」としているそうである。
また、六二年に自衛隊と警視庁が作成した『大震災対策研究資料』では「従来経験されている大規模な災害警備は、主として台風による水害が対象であるため、とくに治安上の大きな問題に直面」しない。しかし、「大震災の発生の場合は、関東大震災の事例からみても、治安確保の問題が大きな比重をしめる」、だから地震対策が重要なのだ。さらに、請願や陳情を「群集犯罪」とし、大衆的な要求行動を「集団的不法行為」としているそうだ。そして、七八年日米防衛協力指針ができ、日米共同作戦研究が始まる。有事法制研究も堂々と始まり、民間防衛組織の研究も始まる。その一方で大規模地震対策特別措置法ができる。
つまり、自衛隊にとって防災訓練は、治安警備体制づくりの平時の施策であり、総動員体制の準備であると内部では考えているようだ。
都は八月十八日「ビッグレスキュー東京二〇〇〇〜首都を救え〜」の詳細を発表した。自衛隊員の参加規模は、七千百人で当初の四千人を大幅に上回る。昨年臨海副都心有明で行われた七都県市総合防災訓練の五百四十五人と比べ十三倍だ。東京都、警察、消防、海上保安庁等百機関で一万六百人、一般住民は七千人で、参加機関の中でも、自衛隊が最大だ。主役が住民から自衛隊に変わった。自治体が行う防災訓練としては異常な形態だ。
パラシュート降下は行わないが、自衛隊機が羽田空港を利用する。また、なぜか自衛隊の音楽隊も会場に来る。ヘリで都内九会場を回る石原都知事を迎えるためなのか。
現在伊豆諸島の地震は二ヶ月も続き、三宅島はいつ噴火するかわからない状態だ。災害が起きた場合や予想される場合、通常は防災訓練は中止されるはずだ。三億円の経費を被害対策に回せとの声も上がっている。なのに、石原知事は訓練を行おうとしている。住民の生活より、自衛隊の訓練の方が大切だというのだろうか。
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