「青年戦線」最新号より

2000年9月20日・No.155より

|●沖縄・ 反治安出動闘争の成果を引き継ぎ、21世紀にむけて強力な青年の隊列を
|●反サミット沖縄現地闘争に参加して
| 国境を越えた連帯を実感………………………………………………………ふじいえいご
| 歴史の真ん中を歩いた4日間………………………………………………………大仲 恵
| 沖縄は熱かった(そして暑かった)………………………………………………板橋道雄
|●座談会 少年少女たちの事件をどうみるか
|●日本の農業と三里塚 加瀬 勉さんの提起
|●自治体現場から検証する防災訓練  …………………………………………川野わたる
|●学習ノート ローザ・ルクセンブルクの組織論(2)…………………………中野新一
|●過渡期経済論・労働者国家論(1)  …………………………………………早野 一
|●アジアと日本のいまを考える(2)  …………………………………………志村七蔵
|●映評「人狼(JIN―ROH)」     ………………………………………半田しのぶ
|●連帯を求めて(30) ………………………………………………………………萩原邦彦 


中国の階級規定をめぐる論争にたどり着くために

過渡期経済論・労働者国家論(1)

早野 一


 なんでいまどき?

 最近、理論的に一度スッキリさせておかなければならないと思っていることに、「過渡期経済論」「労働者国家論」がある。
 「なにをいまさら……」「いまどき?」と思う人もいるかとは思うが、これが結構僕にとっては重要なことなのだ。というのも、香港や台湾の友人たちと交流・討論を重ねるなかで、現在の中国の社会体制をどうみるのかということにしばしば議論が展開するからだ。というか僕が議論を吹っかけているのだが。
 香港には二つのトロツキスト組織があるのだが、かたや「中国ではまだ資本主義は復活していない」という主張、かたや「いやすでに復活している」という主張だ。台湾の友人は「復活論」に傾きつつある。僕はと言うと、「完全」に復活したかどうかということが問題ではなく(というのも「まだ完全に復活していない」という主張で「復活論」に対峙する主張が見られるので)、中国が社会主義へ向かうベクトルはほぼ消滅したと考えており、また「労働者国家無条件擁護」というスローガンも全世界的な階級闘争の停滞状況の中では、あまり積極的な意義を見出すことができないと考えている。
 まあ、しかし労働者国家とはなんであるか、またはなんでないのかをしっかり整理した上で、具体的な経済状況と世界的な階級闘争の情勢とセットで理論展開をしたほうがより説得力があるのではないかと、つくづく感じている。
 ということで、これから何回かにわたって、労働者国家や過渡期経済をめぐるノートを連載する。香港トロツキストたちの主張もそのなかでもう少し詳しく紹介していくつもりだ。

 いま、第四インターナショナル第十五回世界大会決議草案を読んでいるが、おおよそ労働者国家や過渡期社会についての理論を把握していなくても、現実の闘争にはあまり大きな影響はないように感じる。おそらくそれはその通りなのだろう。事実、自分のかかわる運動でもほとんど関係ない。しかし、それは現在必要ないように見えるからといって、理論的枠組を継承しなくてもいいということではないだろうし、またこういう時期\ソ連東欧の歪曲化された労働者国家崩壊から十年、中国の資本主義化の加速など\だからこそ腰を据えてかつ具体的事例を見ながら理論的枠組を再把握できるのではないかと思っている。それを引き継いで行くのも懲りない革命派の役割なのだから。

 共通の認識を深めるための文献紹介

 現在の中国をどう見るかという具体的なところにたどり着くまでに、いくつかの共通認識を確立しておかなければならないだろうと思う。そのために必要な作業はトロツキーやマンデル、あるいはいくつかの論争など、いくつかの文献を学習するというだろうか。
 ということで、現在身の回りにある関連文献等をかき集めてみた。次回以降はこのうちのいくつかを読みながら学習して行きたいと思う。テーマ設定上、どうしても「官僚論」や「第四インターナショナル結成の意義」なんてところにも触れないと行けなくなるなぁ。えー、そうすると「反帝反スタ」論にも触れないといけないんだろうな。

 実践のなかで――ネップ期における過渡期経済理論

 さて、気を取りなおして文献の紹介といこう(第一回目はそれでお茶を濁そうって魂胆)。
 資本主義から社会主義へ向けた過渡的国家の中で、実際に経済の舵取りを行なった経験は貴重だろう。一九二二年三月の第十回党大会で、ソ連邦は厳しい統制を前提とした戦時共産主義から、一定の市場を認めつつ意識的に社会主義へ向けた政策を実施していくという新経済政策(ネップ=New Economic Policy)に転換する。そこで提起された様々な理論は、残念ながらその後のスターリニズムの支配によって、ソ連邦だけでなく、戦後誕生した多くの労働者国家でも全面的に実践されることはなかった。僕はこの当時の経済理論が、いわゆるいま流行りの「オルタナティブ」の一要素としてもっと注目されてもいいと思っているが、現実の「オルタナティブ派」はこういった可能性をあらかじめ排除してしまっているような気がする。もったいない。ということで「ソヴィエト・ロシアの新経済政策と世界革命の展望」、「社会主義革命の視点から見たソヴィエト・ロシアの経済状態」(ともに『社会主義と市場経済』大村書店)を挙げよう。
 また、過渡期経済における世界市場との結びつきの重要性や、「経済建設の基準としての世界市場」という視点を提起した『社会主義へか資本主義へか』(大村書店)は、世界革命派としての経済的立脚点として、ぜひとも読んでおきたい一冊。
 関連する資料として森田成也さんの「トロツキーと一国社会主義批判の政治経済学」(『思想』No.八六二岩波書店)、酒井与七の「過渡期と商品市場――トロツキーのソヴィエト過渡期経済論」(JRCL九七年 夏季理論合宿資料)、ミッシェル・パブロの「トロツキーの経済観」(『トロツキー研究nO ネップと社会主義建設』トロツキー研究所)がある。
 森田論文は、一九二五―二六年のいわゆる「幕間」といわれる時期に、世界市場との結合発展の必要性とそれを補完する世界革命との結合発展の思想を形成したトロツキーの歩みを描き出す秀作。酒井論文はトロツキーの過渡期経済論をほぼすべて網羅したノート。「だったら、それだけ読めばいいんじゃないの?」という声も聞こえてきそうだが(実は自分自身の声だったりして……)、やっぱり原典に触れることで得られるものは多いと思うので、ぜひ原典にも挑戦を。
 なお、パブロ論文はコンパクトにトロツキーの資本主義から社会主義への過渡期における経済観をまとめているので、はじめにこれを読んでおくと、原典を読む際の道標になる。

 いわゆる「堕落した労働者国家論」と「ソ連邦の防衛」について

 「労働者国家論」といえばやはりトロツキーの『裏切られた革命』(岩波文庫)かな。トロツキーはこの著作で「労働者国家論」「ソ連論」を完成させた。それはまた「官僚論」「スターリニズム論」の入門書でもある。全編にわたってマルクス主義のエッセンスがちりばめられている作品。第四章「ソ連とは何か?」ではソヴィエト体制の崩壊についても述べられている所が興味深い。なお、『裏革』の解説として上島武さんの「『裏切られた革命』六〇年」(「トロツキー研究」二〇・二十一合併号)がある。
 トロツキーがソ連共産党やコミンテルンの改革ではなく、スターリニスト党の打倒を呼びかけ第四インターナショナルの結成を決意するまでには、一連の経過があるが、ここでは政治革命を訴えはじめた頃のトロツキーの論文を紹介しよう。「スターリニズム的官僚制度とキーロフ暗殺」(『トロツキー著作集 一九三四\一九三五 上』柘植書房)、「労働者国家、テルミドール、ボナパルチズム」、「再びボナパルチズムの問題について」(ともに『トロツキー著作集 一九三四\一九三五 下』柘植書房)、「ソヴィエト国家の階級的性格」、「今日のソヴィエト連邦」(ともに『ソヴィエト国家論 トロツキー選集九』現代思潮社)は、それまでのトロツキーの立場(ソ連におけるテルミドールはブルジョア反革命であり、それはまだ起きてはいない。コミンテルンやソ連の体制内改革は可能等々)からの転換を示した。『トロツキー著作集 一九三四\一九三五 下』の宮本明による解説もわかりやすい。
 第二次世界大戦が始まり、スターリンとヒトラーの独ソ不可侵条約が締結され、スターリニズムの反動性がますます明らかになりだしたとき、第四インターナショナルの隊列において、ソ連邦を防衛しないという傾向を代表したジェームズ・バーナムとマックス・シャハトマンが登場する。トロツキーはソ連邦の社会的性格と「帝国主義戦争における堕落した労働者国家としてのソ連邦防衛」をめぐるイデオロギー闘争を展開する。「戦争におけるソ連邦」、「ふたたび、さらにふたたびソ連邦の性格について」(ともに『トロツキー著作集 一九三九\一九四〇 上』柘植書房)も、労働者国家を防衛するということはどういうことなのかを学ぶ上で貴重なテキストである。なお高島義一の「ソ連論入門」(「第四インターナショナル」No.四十二)は両論文を解説している。

 第四インターナショナルの立場
         ――批判的にその功績を継承するために

 歪曲化された労働者国家や過渡期経済に関する戦後の第四インターナショナルの立場を知っておく必要もあるだろう。エルネスト・マンデルの『マルクス主義と現代革命』(柘植書房)は労働者国家、過渡期経済、ソ連経済などについて分かりやすく解説をしている(一三八ページ〜二一四ページ)。ソ連経済については『現代マルクス経済学W』(東洋経済新報社)でさらに詳しく知ることができる。また第四インターナショナルの公式文献「スターリニズムの台頭と衰退 第四インターナショナル第四回世界大会テーゼ」、「スターリニズムの衰退と没落 第四インターナショナル第五回世界大会テーゼ」(ともに「スターリニズム」国際革命文庫 九 新時代社)でもスターリニズムと労働者国家について社会的的診断を下している。酒井与七による「第四インターナショナル第十二回世界大会の報告」(『第四インターナショナル 五十一号』新時代社)では、一九七七年のニカラグア・サンディニスタ革命の階級的評価を具体的な例として労働者国家論・永続革命論を展開している。
 戦後の第四インターナショナルを一時期代表したパブロは、前述の「トロツキーの経済観」でも、過渡期経済においては、市場、計画、社会主義的民主主義が複合的に作用しあわなければならないと強調した。それは当然トロツキーの立場であったのだが、戦後の第四インターナショナルは市場の作用についてあまり強調しなくなっていく。
 エルネスト・マンデルは、ソ連をはじめとするいくつかの歪曲化された労働者国家経済の「処方箋」として、民主主義を対置することで、様々なゆがみが克服できると主張した。もちろんこれは当時高まりつつあった世界規模での階級闘争とセットでの労働者国家における民主化闘争$ュ治革命という具体的な方針としての一面が強調されたことには違いない。しかしその一方であまりにも市場の役割が軽視されたといわざるを得ない。「資本主義と社会主義の間の過渡期社会を支配する社会経済的法則に関する一〇のテーゼ」(『官僚論・疎外論』柘植書房)では、計画の論理と市場の論理は対立する二つの階級(労働者階級と資本家階級)の利害に結びついていることを強調し、過渡期社会はこの二つの異質な組み合わせであると主張している。それ自体は誤りではないが、力点の置き方からしてもやはりトロツキーの立場とは異なっているのではないか。
 ということで、やや硬直した過渡期経済論を見なおす作業が九〇年代半ごろから行なわれている。カトリーヌ・サマリは「マンデルと社会主義への過渡期論」(『世界資本主義と二十世紀社会主義 エルネスト・マンデル』柘植書房新社)で、マンデルの理論的功績を継承する一方、過渡期社会における市場の役割についての再把握を行なっている。日本のトロツキストも「過渡期の経済問題と第四インターナショナル」(JRCL 九七年夏季理論合宿資料)や「ソ連邦の崩壊とトロツキズム」(『ソ連崩壊と新しい社会主義像』時潮社)で過渡期社会論のヴァージョンアップを模索している。

 労働者国家崩壊をめぐる論争

 「論争物」は具体的事例などが示されていて、すこし集中して読めば考えるきっかけを与えてくれる。
 平井純一の「東欧における官僚専制支配の崩壊と『資本主義の復活』」(「世界革命」一九九〇年七月二十三日号)論文に対して、高島義一が「ソ連共産党第二十八回大会の結果と展望」(『第四インターナショナル lワ十五号』)で批判を加えて論争が展開されて行く。史上初めての労働者国家崩壊に際して、いくつかの主張が出てくるのは当然である。こういう現実の情勢に合致した論争は、これからも多いにやってもらいたいね、消耗しない程度に(ソ連・東欧崩壊について良い文献があれば教えてください)。
 もう一つ。トロツキー研究所の湯川順夫さんによる「現代版『ソ連=国家資本主義』説の迷走」(「トロツキー研究」二〇・二十一合併号) これは『ソ連の「社会主義」とはなんだったのか』(大月書店)の書評という形を取ったものだが具体的で面白い。「書評の書評」になるので連載のなかでも触れることはないと思うが、ぜひご一読あれ。「頑固な革命派は頑張るゾ」という心意気に満ちている。

 「改革・開放」をどう見るのか

 本題の中国問題を取り扱った文献はそう多いわけでもない。
 中国革命に対する評価としては王凡西の『中国トロツキスト回想録』(柘植書房)の第十三章「寂漠のなかで思索する」と、酒井与七による解題、彭述之の「中国情勢についての報告」、「中国第三次革命とその前途」(ともに『失われた中国革命』新評論)を挙げよう。酒井与七の「中国革命におけるトロツキズム」(『トロツキー著作集 一九三七−一九三八 下』柘植書房)も一連の経過を知る上で必読だろう。
 毛沢東式「社会主義」への厳しい批判として、くどうひろしの「中国経済改革の諸前提」(『第四インターナショナルNo.41』新時代社)がある。小平のいわゆる「改革・開放」路線への批判として香港トロツキストグループ・先駆社の劉宇凡「中国共産党は中国を民営化した」(『香港・中国はどこへ』柘植書房新社)を挙げよう。また、小平路線をめぐる論争としては、くどうひろしの「中国の経済建設と地球改造計画」(「かけはし」一九九六年八月五日号)と、それに対する批判が「かけはし」紙上で展開された。この論争については、連載のなかで少し詳しく取り上げ、自分の考えをまとめてみるつもりである。経済学者の小島麗逸の『現代中国の経済』(岩波新書)は、中国革命から九〇年代中ごろまでの中国経済を丹念に分析している。この本の紹介は連載の中で行ないたいと思うが、小島は著書の最後で一九九七年現在の中国経済を「官僚金融産業資本主義」と規定している。

 五年前の日本共産党の立場

 そうそう、もうひとつ小平路線の厳しい批判の書として『経済』(新日本出版社)一九九五年十二月号を挙げておこう。
 ご存知の通り、この雑誌は日本共産党の経済理論誌である。面白いのは「『改革・開放』とはなにか」という菊池敏也・日本共産党中央委員会国際部(当時)の論文である。
 菊池は「改革・開放」が経済成長をもたらしたとする一方で、歪みも生み出したと主張する。インフレ、官僚の汚職、国有企業の赤字、犯罪の増加などが歪みとして現れていると主張。また政治の面では「人権・民主主義抑圧の継続」「対外政策における覇権主義と実利主義」とまで言いきっている。そして最後に「改革・開放」路線の評価として「(毛沢東時代と小平時代という)この二つの対照的な時期をつうじて共通するのは、国内での専制支配の継続と、対外政策における覇権主義の立場であり、科学的社会主義からの逸脱である。中国共産党が指摘するように、『改革・開放』路線がマルクス主義の『発展』などとは、およそいえないことは明らかである」とまで言っている。
 九八年に日本共産党と中国共産党は三十二年ぶりに関係を修復したが、少なくとも中国共産党はこの雑誌が出版されて以降(九五年)も公式路線は変更していない。しかし日本共産党はそのことについてはなにも言わない。ということは変わったのは日本共産党の見解なのかな。まあ、「内政には干渉しません」っていうことなんだろうな。でも台湾への武力威嚇は人権に反しないのかな? うーん、やっぱりスターリニストって自分勝手だ。
 愚痴はさておいて、菊池論文には過渡期に関すると思われる個所があるので少し長いが紹介しよう。
 「社会主義の経済制度をめざし、国の主要な生産手段を社会化し、生産力を効果的に活用する計画経済を進めるさい、市場の役割を重視し、計画と市場の結合など弾力的で効率的な経済運営が求められるのは当然である。資本主義制度のもとで発展させられた諸制度を、社会主義のもとで創造的に発展させ、活用することも、一般的には必要なことである。しかし中国が進めているのは資本主義諸国との政治面での相互信頼関係や、経済面での相互補完関係をうたい、反動的な政権をも美化しながら、実利主義の立場で資本主義経済の諸制度を導入することである」。「その国の条件に応じて基本的な生産手段を社会化し、市場経済をはじめ資本主義制度のもとで発展させられた諸制度とも結合させながら、国民の利益にとって最も適切な生産関係を構築する自主的探求は後景に退けられた」(同書一〇一ページ〜一〇二ページ)。
 「社会主義の経済制度を目指し」というくらいだから「過渡期」のことを想定しているのだろう。しかし中国共産党は現体制を「社会主義」と規定している。そのことについての批判は見られない。また一国社会主義への批判も見られない(というか前提は一国社会主義のようだ)。同じように世界的な階級闘争の発展による前進という世界革命の観点もない。やはりスターリニズム的理論基盤は完全には払拭はできていないが、一応「過渡期」という概念はあるようだ。この点の批判も連載の中で随時行なっていく予定。

 中国の評価をめぐる混乱した台湾の論争

 中国国家の階級規定については高島義一の「『反官僚政治革命』の時代の終焉と中国における新たな社会主義革命」(「かけはし」一九九七年十一月二十四日/十二月一日号)がある。なお、最初にも触れた中国トロツキストの見解については、日本語に翻訳されているものは少ないので、この連載のなかで未翻訳のものも含めて紹介していくことになる。これは前述のくどう\高島論争にもかかわるので、まとめて紹介することになる。
 最近台湾から届いた『左翼』という雑誌がある。四〇代を中心とした左翼活動家が出版しているのだが、『左翼』自体に特にまとまった見解があるというわけではなく、様々な問題について討論を重ねることによって新しい左翼の隊列を作り出すことをその目標としている。
 その雑誌に「二十年来の台湾政策は検討しなければならない」という大陸からの投稿が掲載された。簡単に言ってしまえば、「毛沢東時代のころは台湾統一を真剣に目指していたが、小平時代になって、台湾民衆の中国への思い入れはますます減少していった。それは中国が大衆路線を取り入れなかったからだ。二十年来の台湾政策は失敗であった」というもの。それに対して中国派の人間が「台湾の様々な社会闘争は階級的観点に立ったものではない」として反論している。また「中国の特色ある社会主義とはなにか」と論争を展開し、文革の擁護、毛沢東の新民主主義と現政権のいう「社会主義の初級段階」が同じであり、それは「豊かな社会主義ではないが、資本主義の諸制度をして社会主義を補完するものである」という、ちょっとトホホな主張をしている(ちなみにこの人間が所属する左翼グループは、中台問題を「中国への統一と台湾の高度の自治」によって解決できるという現中国政権の方針を完全に支持している)。
 この論文に対して「中国の特色ある社会主義か? それとも中国の特色ある資本主義か?」と題するこれまたトホホな反論が掲載された。
 要約すると「小平は、毛沢東時代に築き上げた国有企業、人民公社、労働者の権利などを破壊した」というもの。読むだけで疲れるよな、こういう議論は。しかし「これが左翼なんだ」と台湾の青年達に思われないためも、台湾の友人たちにはこういう議論に(消耗しない程度に)積極的に参加してもらいたいと思っている。それにはやっぱり自分でも少しは整理しないといけないと思っている(うーん、改めて毛沢東思想とかを勉強するのも面倒くさいな…)。
 まあ、このようなトホホな論争というのも、革命中国と、毛沢東主義、その後の資本主義化という状況に規定されているので、出るべくして出た議論であり、「トホホ」といっているよりも、もう少し積極的にとらえた方がいいと思っている。論争を通じて台湾の友人たちもレベルアップをしていくだろうしね。この論争については、もし台湾の友人たちの介入などによって討論が発展すれば、この連載でも詳しく紹介するつもり。
 ということで、けっして私個人の自己満足というレベルの連載ではない(はずな)ので、しばらくお付き合い下さい。
 文献については、手持ちのものを思いつくだけ挙げてみたのですが、これ以外にもお薦めのものがあれば教えてください。

 連載は年代順に原典を中心に、それにまつわる関連資料なども逐次紹介していく予定。次回はネップ期を中心に過渡期経済論について考える。
  レーニンも一国社会主義者?

         ――懲りない一国社会主義者・不破哲三

少し話がずれるが、共産党の経済誌『経済』九月号に、不破哲三による「レーニンと『資本論』」という長期連載が掲載されており、今号は「転換点――一九二〇年十一月」と題して、戦時共産主義時期末期のレーニンの国際情勢への認識について述べられている。原稿がほぼ書き終わった時点で、この論文を読んだので「付録」という形で言及する。
 不破は、レーニンが一九一八年には「一国だけでは社会主義革命の完全な勝利は不可能であり、そのためには、少なくとも、いくつかの先進国のもっとも積極的な協力が必要」と主張していたが、二〇年には「われわれは、われわれにとって唯一の確固たる勝利である国際的な勝利こそ獲得しなかったが、資本主義諸国と並存できるような条件をたたかいとったという状態にある。いまでは、これらの資本主義諸国は、われわれと通商関係を結ばざるをえなくなっている。この闘争の経過で、われわれは自立して存立する権利をたたかいとったのである」と情勢認識を転換し、結局レーニンは一国社会主義を提唱したと結論づける。

 「一国で社会主義建設ができる」と
     「一国で社会主義建設をしなければならない」は違う

ロシア革命に続くヨーロッパ革命が敗北し、ボリシェビキの当初の望み――ヨーロッパの生産力とロシアの資源の結合――による社会主義建設の展望が転換を迫られるなかで、情勢に合致した新経済政策を展開していく。だが、それは「やむを得ない後退」としての新経済政策ではなく、過渡期経済の理論と実践のより一層のレベルアップとしての新経済政策として僕はとらえている。もちろん、ヨーロッパ革命の敗北という「やむを得ない」事情を受けてということではあるが。
当時ソ連邦以外に社会主義的政策を実施できる国がない中で、かつ包囲され、軍事的な脅威にさらされている中で、一国内における社会主義へ向けた政策を実施していくことは当たり前である。具体的実践の中で経験的に、かつそれらを理論化していく作業は、様々な経済活動を一国内のなかで全て消化してしまうような、それだけで社会主義建設が可能であるかのようなイデオロギーとはまったく無縁のものである。また「過渡期社会」という概念をまったく排除してしまい、社会主義革命即社会主義(これは二段階革命論と表裏一体と考えている)という短絡的な考えとも無縁である。
「一国で社会主義建設ができる」と「一国で社会主義建設をしなければならない」ということはまったく違うことである。不破は前者と後者をごちゃ混ぜにして、レーニンが一国社会主義者であったと結論づける。

 一国で完全に勝利した社会主義は存在しない

また、不破はレーニンの「唯一の確固たる勝利」「完全な勝利」という重要な一語を読み飛ばしている。レーニンの言う「唯一の確固たる勝利」「完全な勝利」とは「国際的な勝利」であり社会主義の建設を意味する。
「確固たる勝利である国際的な勝利」が最終的な目標であり、その目標を達成できなかったからといって直ちに敗北――帝国主義によるソ連邦の軍事的解体ではないし、そうならないだけの成果をソ連邦は勝ち取ったということを示しているだけなのであり、不破が言うような「同じ世界のなかで、社会主義をめざすソビエト政権が、資本主義、なかんずく帝国主義諸国と共存できる」ということではない。現在の日本共産党の「総路線」である「民主党との連合政権」と、この「帝国主義とも共存できる」という論理は合致している。事実、ソ連邦だけでなく、中国やキューバ、ユーゴスラビアなど、何十年にもわたり「帝国主義諸国と共存」してきたし、幾つかの国は現在も共存している。しかしそれは今後とも共存が可能ということではない。いくつかの過渡期体制は崩壊したし、のこる幾つかの過渡期体制も転換・崩壊の危機にある。「共存している」という事実と「共存できる」という理論も、まったく異なるものである。
 残念ながら、「自称」を除いて、一国で社会主義を建設できた例を僕は知らない。もちろんこれら「自称」社会主義国家は、生産力の面だけを取っても、資本主義の生産力を凌駕したものではないし、独自の社会主義的生産様式を持ったものではない。人権をはじめとするさまざまな権利も、遠く帝国主義諸国に及ばないどころか、それについては開き直ってさえいるのである。このような社会体制は社会主義ではない。

 すべてを官僚の利益に従属させる一国社会主義

この論文の最後の章は「後日談・スターリンとトロツキーの一国社会主義論争」というもので、不破によると「スターリンとトロツキーが、レーニン自身の理論的、政治的見地をふりかえるとき…“方法論”としては、共通の誤りを犯していることに気づきます。…それまで一国での社会主義建設に否定的態度をとってきたレーニンが、ソビエト権力が国際的存立をかちとった新しい情勢のもとで、ロシア一国での社会主義建設という新しい目標を提起する態度に転換し、電化を中心に共産主義建設のプログラムまで示しはじめたことの意味を、スターリンも、トロツキーも、それぞれ反対の立場からではあるが、共通して見落としていた」という見解である。
不破は、トロツキーがスターリンを批判する際に、一九二〇年十一月以降のレーニンの世界情勢認識の転換をという点をまったく無視しており、さも一九二四年に突然スターリンによって一国社会主義が宣言されたと言っているから問題だ、とトロツキーを非難している。
しかし、トロツキーは「もしも帝国主義者が武力干渉によって、ソビエト政権を転覆さえしなかったら、社会主義の建設は、その他の人類の進化とは独立して、ソビエト連邦の境界内において完全に実現することができるということが、この時(一九二四年)はじめて宣言された」(『ロシア革命史』)といっているのである。トロツキーの強調点は「社会主義の建設は、その他の人類の進化とは独立して、ソビエト連邦の境界内において完全に実現することができる」という個所なのである。そして一国社会主義=ソビエト官僚の自己防衛のために、帝国主義による武力干渉を極力回避するために、ドイツ、中国、フランス、スペインその他の階級闘争を裏切りつづけてきたスターリニズムが問題になっているのである。
 トロツキーをはじめとする一国社会主義への批判は、一国で社会主義建設をすることにあるのではなく、階級闘争をはじめ全てをその為に従属させるというところにあるのだ。また、経済建設の観点からも、全く世界市場を無視した形での鎖国経済がもたらしてきた混乱と低開発は、民衆にとって全く魅力のないものでしかなかった。それはソ連・東欧崩壊の大きな一因にもなった。この事実から学ぼうという姿勢が、不破論文には見られない。付け加えて言えば、トロツキーも余剰農産物の強制挑発を廃止し、食料税に転換するという、レーニンによるネップ提案と同じ政策を二〇年三月の第九回党大会の直前に提案していた。(「食料政策と土地政策の根本問題」を参照。『トロツキー研究』nOに収録)この点について不破論文は全く触れられていない。次号はネップを論じるそうなので、トロツキーの提案とその後のスターリンの政策をどのように紹介するのか、注目しよう。
不破は一九五九年に執筆した「現代トロツキズム批判」で「トロツキーによって寸断され偽造されたレーニンを読むのでなく『レーニン全集』の完全な翻訳も出ている今日、直接、系統的にレーニンを読もうとする努力を惜しまなければ、一国における社会主義の勝利の展望についての理論が、革命の進展の中で、特に三ヶ年の国内戦をたたかいぬく過程に、レーニン自身の手で形成され完成していった姿が、容易に理解されるだろう」と述べている。
不破には「スターリンによって寸断され偽造されたトロツキーを読むのではなく『トロツキー著作集』や『トロツキー研究』も出ている今日、直接、系統的にトロツキーを読もうとする努力を惜しまなければ、一国社会主義の敗北の展望についての理論が、革命の進展のなかで、とくにネップ期からスターリニズムの一国社会主義との闘争をたたかいぬくその後の全生涯に、トロツキー自身の手で形成され完成していった姿が、容易に理解されるだろう」という言葉を贈ろう。

 不破の的外れなスターリンへの批判

「この論争そのものについて言えば、スターリンのだした結論――ロシア一国でも社会主義の建設は可能だという立場が道理をもっており、それは、レーニンが最後の時期に立っていた見地とも合致していたと考えます」と一国社会主義者として自らを位置づけている不破だが、スターリンに対する批判も忘れてはいない。しかし、一国社会主義を擁護する立場からのスターリン批判はまったく的外れなものにしかならない。
 批判内容を簡単に紹介してしまえば、@スターリンはレーニンが第一次大戦中から一貫して一国社会主義者だと主張している。Aスターリンは「戦争がなければ革命は起きない」と主張するが、レーニンはそんな事は言っていない。つまり、スターリンの誤りはレーニンの引用に関する技術的な問題に矮小化されている。
 @について不破は、一九一七年三月にレーニンが執筆した「ヨーロッパ合衆国のスローガンについて」という論文では、少数や一国での社会主義の勝利について語ったてはいるが、それは社会主義への条件が成熟している先進資本主義国を指しており、ロシアについては二〇年になってはじめて一国社会主義革命を勝利のうちにやり遂げることができると主張、スターリンは故意に自分に有利なようレーニンを引用している、しかしそれはトロツキーも同じである、というように巧妙にスターリンの歴史の偽造とトロツキーによる「歴史の偽造」を結び付けようとしている。
 Aについては、日本共産党がソフト路線を推し進めてきた延長線上にあるのではないかとも思える。「社会主義革命は戦争がなくても、社会の生産力の発展によって、歴史の必然でなされるもんです。まあ、それもはるかに遠いことですよ。とりあえずは資本主義の枠内における改革です。えっ? 国外の階級闘争ですか。それは関係ないですね。中国の江沢民さんに二十一世紀の世界共産主義運動について聞かれてびっくりしてしまいました。そりゃそうですよ、二一世紀といったらあと百年間もあるんですよ、そんな短期間で革命が起きますか、といいたいですね。東南アジアを歴訪したときも内政には干渉しないということをはっきりさせてきましたし、アメリカとの関係も日本が自立して友好条約をむすべばいいんです。その際在日米軍にはお引き取り願って。有事の際には自衛隊が対応することはもちろん必要なことです」って声が聞こえてくるのは気のせいか……。

結局不破はこれまでの一国社会主義をまったく放棄していないし、その理論が歴史的にどのようにテストを受けてきたのかということを振り返ろうともしていない。「民主党との連合政権」の幻想に引きずられ、資本主義の枠内での改革をはじめとするさまざまな右傾化のなかで、この「帝国主義と共存できる」一国社会主義にますますしがみついていくだろう。日本共産党が一国社会主義を放棄するために社会主義そのものを放棄することのないように願っている。
 なお、不破は次号でネップについて自らの理論を展開する。一国社会主義者がどのようにネップを取り上げるのか、楽しみである。

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