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    かけはし2012.年2月6日号

米中の競争的北韓抱き込み策
韓国の選択は対決か協力か

激浪の時期、変化は必然



 1月13日、台湾で総統選挙が行われる。3月4日にはロシアの大統領選だ。10月にはフー・チンタオ国家主席を筆頭とした中国の第4世代の指導部が引退し、シー・チンピン国家副主席が率いる第5世代の指導部が登場する。11月には米国の大統領選と連邦議会選挙が待っている。「前哨戦」格の総選挙を4月11日に行う韓国では、12月19日に大統領選を行うことになる。

北・中関係の「ラチェット効果」


 2011年8月末に発足した野田佳彦日本総理の政府が2013年9月に予定される衆議院選挙の時まで「生存」するものと見ている専門家は多くはない。クォン・ヒョッテ聖公会大教授(日本学)は「消費税引き上げ問題をめぐって12月28日、執権民主党の議員9人が集団脱党した事態がその前兆」だと語った。結局、2012年には東北アジアのすべての国家が激動の1年を送らざるをえないように見える。その激動の扉を開いたのがキム・ジョンイル国防委員長の死亡に触発された北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)の権力交代だ。
 「東北4省」という言葉がある。リャオニン(遼寧)省、チーリン(吉林)省、ヘイルンジャン(黒龍江)省の東北3省と共に中国が北韓を事実上、自国の1部に編入させうるという主張だ。全く根拠のない主張ではない。南北、北・米関係の断絶の中で、この数年間における北韓の対中国依存度は急激に上昇した。キム・ジョンイル委員長の死亡以降、韓(朝鮮)半島専門家らの間で、「中国の対北影響力が一層大きくなるだろう」という心配まじりの展望が沸騰しているのも、このためだ。そうだろうか。
 「前にいる敵よりも後ろにいる敵が、より恐ろしい」という言葉がある。ある北韓専門家が、「対中関係を論じるたびに、北側の人々がそれとなく口にする言葉」だと紹介した。「前の敵」は南韓(大韓民国)と駐韓米軍だ。「後ろの敵」は中国だという。韓国(朝鮮)戦争と分断の歳月を考えれば南側と駐韓米軍を敵とするのも無理はないと思う。けれども「血盟」であり、ソ連の解体以降は事実上、唯一の「後見国」である中国が北韓の「敵」だというのだ。なぜそのような言い方をするのだろうか。耳慣れないことではあるが、突拍子もないことではない。生前のキム・イルソン主席は、中国の文化革命によって両国間の葛藤が深まっていた1968年、東独代表団との対話で、以下のような胸の内を明かしたことがある。「中国と非常に大きな見解の差があるけれども、我々は同盟の維持を望んでいる。我々は百万を超える敵軍と真正面対決している。そのために我々は中国との同盟を終わらせることを望んではいない。それは背後にもう1つの敵を置くことを意味するからだ」。東北アジアをめぐる地政学は複雑だ。
 南のように、北も中国に負担感があるのだという。南北は政治的理由によって葛藤が生じれば、「合意の破棄」も珍しくもなく起きる。だが冷却期を経て葛藤の要素が取り除かれれば再び出会う。敵対と共生の二重奏だ。北・中関係は違う。北・中関係史において合意の破棄はタブー事項だ。合意すれば実行しなければならない。いわゆる「ラチェット(ratchet)効果」だ。歯車がかみ合ってひとたびある方向に回り始めれば、これを後に回すのは不可能だ。北が改革・開放に関連して中国側との合意に慎重にならざるをえない訳でもある。中国専門家であるイ・ヒオク成均館大教授(政治外交学)は「北韓経済の対中依存度が深まれば深まるほどラチェット効果に対する憂慮が大きくならざるをえない」し「北側が対中政策を樹立する際、常々慎重な態度を示すのも、このため」だと指摘した。

互いを負担に感じる北・中


 最近の4年間、南北関係は膠着状態だった。バラク・オバマ米国行政府の、いわゆる「戦略的忍耐」の中で、北・米の対話もはかばかしくなかった。南北、北・米関係以外には突破口を見いだせなかった北側としては、内外にほかに持ちこたえる道がなかったのだろう。鴨緑江流域の開発やら、羅津・先鋒特区やらという対中経済協力にすがらざるをえない状況だった。南北、北・米関係の悪化に押された北側の不可避な選択というに近い。
 これに関連して2009年8月のキム・デジュン元大統領逝去の際、キム・ジョンイル国防委員長の特使弔問団としてソウルを訪れたキム・ギナム労働党秘書とキム・ヤンゴン統一戦線部長が韓国の元・高位級の人士に語ったという「胸の内」は反すうするに値する。「米国と南朝鮮が我々と協力しようとしないならば、我々は中国への依存度を高めざるを得ない。他に選択の余地がない。中国への依存度が高まることは我々も望んではいない。南朝鮮もそれを望みはしないだろうと思う。(北南協力を)しっかりやろう」。
 北・中関係もスムーズだったばかりではない。2006年には破裂音さえ飛び出した。その年7月、北が「長距離ロケット」(テポドン・ミサイル)の発射実験を行った際、中国は日本が主導した対北制裁決議案に賛成票を投じた。同年10月、北が第2次核実験をした時は「北韓が勝手に核実験を行った」とし、異例の激しい非難声明を放った。北側の軍事的挑発は、東北アジアの平和と安定を中国の平和的浮上の核心的前提と考えている中国指導部にとって頭痛のタネであり深刻な危険要因だ。「管理」が不可避だ。
 この時期の北・中関係の現実を端的に示す1冊の本がある。2008年12月、北韓の科学百科辞典出版社が刊行した〈中国の東北解放戦争を手助けして〉という題名の本だ。1945年8月15日の解放以降もキム・イルソン主席がソ連・ハバロフスクの北の野営地域にいたという事実を極めて異例なことに明らかにして書かれたこの本の序文を読んでみると、その「発行の意図」を容易にうかがい知ることができる。
 「その時(1945年8月)わが国は解放されたけれども、中国の共産主義者たちは人民の国を樹立するために実に困難な闘争を展開していた時期だった。その困難な時に(キム・イルソン主席が)新しい朝鮮建設のために不眠不休のせわしい日々を送りながらも、中国革命をどれほど手助けしてやったかを知る人は、そう多いとは言えない」。
 これについてク・ガプス北韓大学院大学教授は「葛藤の続いている中で北側が中国に向かって『我々も君らを手助けしてやった歴史がある』という点を本を通じて強く主張した計算だ」とし、「北・中関係の『特殊性』をうかがわせる興味深い本」だと語った。本の効果なのかは分かりようがないが、翌年の2009年、北・中関係は再び元のありように戻った。
 その年5月、北側が2次核実験を断行したとき、中国は国連安保理の対北制裁案に賛成票を投じたはしたものの、北・中貿易は揺らぐことなく続けられた。きっかけは何だったのだろうか。イ・ヒオク教授は「中国内部で北の後継体制をめぐる論争が終わったためだろう」として、こう語った。「キム・ジョンイル委員長は2009年以降、中国を3回訪問した。特に2010年8月のフー・チンタオ主席との首脳会談において重要な話が出ている。(中国側の会談発表文に)「両党(北の労働党と中国共産党)間で執政の経験を共有し」という表現が登場するが、これは北・中間の制度的関係を復元し、体制・制度を緊密に連携させていくという意味に解釈できる」。

北韓をめぐる米国と中国の争闘


 その年の9月に北側は代表者会を44年ぶりに招集し、キム・ジョンイル委員長の3男キム・ジョンウンを党中央軍事委員会副委員長に選出した。ひと月余り後に開かれた中国共産党第17期中央委員会5次全体会議(5中全会)で次世代中国指導部を率いるシー・チンピンも党中央軍事委副主席の座に昇る。これについてイ・ヒオク教授は「次の世代を率いる両国の後継者が同じ職責を担う時期がかみ合ったのは今後、代を継いで北・中権力間に共に接触し、感じ、協力することのできる認識と制度の枠組みを備えるためのものと見ることができる」と分析した。キム・ジョンイル委員長の死亡当日に示された中国の素早い対応は、このような「熟慮期間」があったから可能だったのだ。
 北・中関係が弾力を帯びると、米国はあせり始めている。中国が積極的に北韓をだきかかえながら韓半島で政治的影響力を強化しようとするありようを示すと、米国も北側が中国と一方的に密着できないように方向を変えているのだ。内なる同盟は強化し、他の同盟はひき下ろすという、いわゆる「同盟転移」の典型的な姿だ。
 キム・ジョンイル委員長の死亡直前、核活動(ウラニウム濃縮)の中断と食糧援助(いわゆる「栄養支援」)をバーターすることで北側と暫定合意した米国は、死亡発表直後にヒラリー・クリントン国務長官が直接乗り出して「北韓の新指導部が、北韓が合意した内容を順守し、近隣国家との関係を改善し、住民らの権利を尊重することによって、平和の道へと導いていくことを希望する」と強調した。事実上、キム・ジョンウン体制を認める発言だ。
 キム委員長の永訣式(葬儀)が執り行われた12月28日にも「対話再開」の可能性をうかがわせる発言があった。この日、マーク・トナー国務部副代弁人は定例のブリーフィングで「北韓は哀悼期間中であり、いつごろその期間が明けるのは分からない」としつつ「北韓からの何らかのシグナルを待っている」と語った。1994年7月、キム・イルソン主席が亡くなった時、北・米は1カ月余り後に対話を再開し、その年の10月に第1次北核危機を締めくくる「北・米ジュネーブ基本合意」を導き出した経緯がある。リアン・シーゴル社会科学院・東北アジア安保協力局長は12月21日、〈ナショナル・インタレスト〉に寄稿した文章で、こう指摘した。
 「これまで北韓の『レジーム・チェンジ』を熱望してきた人々は、(キム委員長の死後)ピョンヤンで権力闘争が繰り広げられるか、政局の不安定が長期化する可能性を論じている。性急な推測は禍を招きかねない。最も慎重な接近法は、進められてきていた(北・米)の対話を再開することだ。対話を通じてキム・ジョンウン体制が核のプログラムを中断できるのかを見極めることができるからだ」。

ロシアと日本は「大勢」に従う


 「キム・ジョンウン体制」は今、出発したばかりだ。これが、あたらえられた現実だ。好悪を言いつのる段階ではない。その体制の不安定性を考慮するならば、これまでとは「異なった行動」を選択することのできる環境を作り出すことが重要だ。中国と米国は同時に北側に近寄っている。ロシアと日本は「大勢」に従うだろう。残るのは韓国の選択だ。任期最後の年を迎え、イ・ミョンバク大統領は年初に発表する新年辞に南北関係についての意見を盛り込むであろう、と予告した。キム・グンシク慶南大教授(政治外交学)は新年辞に盛り込むべき内容として大きく3つの点を注文した。
 「北韓の新たな変化を期待するという意思表示がなければならない。我々も南北関係を新しく始めたいというメッセージも必要だ。過去に恋々としないという言葉も欠かしてはならない。何よりも重要なのは、君らがこうするなら我々もこうしますというやり方ではなく、我々がまずこうするつもりだから君たちもこうせよ、という形にやり方を変えなければならないという点だ。南北関係がなければ、わが政府は韓半島情勢に介入する手段がない」。
 2012年の東北アジアは激浪にさらされるはずだ。2011年末のキム・ジョンイル委員長の死亡によって触発された北の「権力交代」で始まったその大長征は、2012年12月に南で行われる大統領選によって締めくくられるだろう。激動の時期、変化は必然だ。変化の「内容」は、我々の選択にかかっている。「対決」にせよ、「協力」にせよ、だ。(「ハンギョレ21」第893号、12年1月9日付、チョン・インファン記者)

 


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