かけはし重要記事

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映像と性暴力と人権を考える報告会に参加して      かけはし2001.6.25より

暴力AVと女性への人権侵害のない社会をめざすために

F・Y


 五月二十日、青山ウィメンズプラザにおいて、ポルノ・買春問題研究会(APP)&日本女性学会幹事会の共同企画「映像と暴力―アダルト・ビデオと人権をめぐって」が行われた。この企画は、ポルノ・買春問題研究会が昨年度東京女性財団から支援を得て行った「暴力ポルノにおける女性の人権侵害の調査・研究」の報告会を兼ねたものであった。基本的には当日販売された報告書の内容に沿って順次執筆者が報告を行うという形式であった。
 報告者は森田成也さん(東京都立短期大学非常勤講師)、浅野千恵さん(広島県立女子大学助教授)、杉田聡さん(帯広畜産大学教授)、中里見博さん(福島大学助教授)、宇野朗子さん(福島県立医科大学看護学部学生)、角田由紀子さん(弁護士)(順不同)で、司会は報告書の執筆者でもある池橋みどりさん(東京都立大学大学院博士課程)であった。
 報告は二部に分かれ、間に休憩と暴力AVの実際の視聴が折り込まれた(ビデオ視聴の問題に関しては後で再び考える)。報告の論点としては、暴力ポルノ批判のための人権思想、暴力ビデオを分析する上での困難、分析対象(バクシーシ山下の「女犯」と平野勝之の「水戸拷問」)の選択理由、分析の内容、暴力AVを容認・賞賛するメディアの状況、被害者の法的救済・加害者の法的処罰の可能性などであった。
 ここで「暴力AV」と呼ぶものに関して多少説明をしておく。それは強かんを実写したとしか思えないアダルト・ビデオのことである。もちろん非合法のいわゆる裏ビデオには、強かんビデオ、殺人の現場を写したスナッフ・ビデオなど、恐るべき犯罪、人権侵害として告発されるべきものが少なからず存在するとされてきた。しかし今回問題とされたのはれっきとした合法的商品である。つまり、そのほとんどが業界の自主規制団体である日本ビデオ倫理協会の審査を通ったものであり、そうでないものもインディーズものとして、いずれも通常のビデオ販売店・レンタルビデオ店で入手可能なものである。
 すでに一九九二年には市民団体「AV人権ネットワーク」がそういった暴力AVの社会問題化の先鞭をつけていたが、その運動は長くは続かなかったという。私自身これまで数回視聴する機会はありながら広く問題化することはなかった。今回の企画は研究者が中心となって暴力AVを再度問題化する試みであり、大いに注目に値する。
 当日の報告なかで私の印象に残ったこととしては、暴力ビデオを分析すること自体がはらむ困難がある。分析するには暴力AVを視聴せねばならない。しかしそれは多大な苦しみを伴う。複数の仲間で身構えて視聴することで一時的にはショックは和らいでも、その後ふいに残虐なシーンがフラッシュバックする。そういった経験が語られた。
 暴力を批判するには被害者の痛みを感じる能力が不可欠である。しかしそれだけでは打ちのめされてしまう。暴力批判はある種の強さを要求する。その要求自体が暴力的だ。またその負担も皆同じではない。初め男女混合で行っていた視聴の方法は女性により大きな負担を生んでいたことが分かり、ジェンダー別の視聴を行うようになったという。
 当日も研究会の男性メンバーにはどこまで信頼できる男たちなのか、という厳しい視線がフロアの女性たちから一定浴びせられているような気が私はしたが(私自身男としてフロアで居心地の悪さを感じていた)、この点に関しては森田成也さんがビデオ視聴直後の報告を、リアルタイムの辛い思いを率直に語ることから始めたのは良かったと思う。
 特に印象的な報告は法的処罰に関するものだった。報告者は先頃『性差別と暴力』(有斐閣選書)を出されたばかりの角田由紀子さんであった。彼女はまず、ポルノの問題はこれまで常に「表現の自由」という「錦の御旗」によって問題化を阻まれてきたこと、しかしこのような暴力AVを前にしてそういった抽象論に取り込まれてはならず、それを具体的な人権侵害として見る・見させることの必要性を述べた。私は強かん罪として訴えるには当事者の申告が必要という不利な点が以前から気になっていたが、彼女はその点にはほとんど触れなかった。むしろ、ビデオの映像だけを証拠にして、ビデオ出演契約の不成立、その上での暴力行為としてビデオ製作者の犯罪を立証できるように述べているように聞こえた。
 しかしそれが可能になるには、この社会が暴力AVを見る枠組みが変わらないと無理であり、その変化を起こす努力の重要性が強調された。社会の見方の変化さえあれば現行法でも犯罪になりうるという主張を法律の専門家から聞くのは少なくとも私は初めてであり、非常に画期的な報告に思われた。
 では今後、社会の見方をどう変えてゆけばよいのか。それには、暴力AVへの批判的視点を提供した上で実際に視聴してもらう機会を多くの市民を対象に設けることが考えられる。まさに今回がそのような試みであったわけだ。しかし、その試みを行うには注意すべき点が多々あるように思われる。
 まずは視聴する出席者の負担への配慮である。覚悟の上で調査・研究をしている研究会のメンバーですら視聴の後遺症に苦しんでいることを考えればこの配慮は当然であろう。出席者は視聴する上での注意点を事前に知ってから出席することが望ましいであろう。簡単な広報を見ただけで会場に来ていきなり視聴させられるという形は避けねばなるまい。
 視聴の直前には、映像をまともに取り込まないよう分析的に見る視点を提供する必要があろう。また、視聴に耐えられなくなったらいつでも遠慮なく退席してよいなどのメッセージを出席者に伝える必要もあろう。こういった配慮は今回はかなり周到になされていたように私には見えたが、簡単な広報を見ただけで参加されて驚いた方も一定はいたようである。
 次にあげたい注意点はビデオで被写体になっている女性の現時点での人権の問題、つまり、見られたくないであろう姿を公にしてしまうことの問題である。この点に関しては少なくとも映像を技術的に処理して顔を識別できないようにする必要があると思うが、今回は残念ながらそれは果たされていなかった。
 しかしこういった技術的処理だけではなんともしようがない根本的困難が実はある。暴力AVを社会問題化すること自体が、どこかでひっそりと生き延びている被害者に対する直接間接の抑圧となる可能性である。これは深刻なジレンマである。もちろん研究会のメンバーもこの点は十分意識しているようであった。
 今後、社会問題化していく上では、俳優名はもちろん、具体的な「作品」や監督の名前も不用意に強調することは避けるべきではないか。そういった点の強調は、こういった問題を扱うセンシティビティをまったく欠いていると思われるマスメディアによって一時的にセンセーショナルに取り上げられることにもつながりうる。もちろんそれは避けるべきだ。極めて慎重な戦略・戦術が求められる問題である。
 私自身も暴力AVを問題化する運動に連なりたいとは思うが、それは必ずしも表立った言論の舞台で力を持つことでなくてもよいだろう。むしろそれは間違えば負の作用となる可能性は今述べた。とりあえず心ある人にまずできることは信頼できる身近な人とビデオを視聴し、問題を共有することである。そのような草の根の静かな取り組みの広がりによって、私は暴力AV製作者の包囲網を準備したい。
 最後に。当日司会を務めた池橋みどりさんの一見淡々とした姿はとても良い印象を残している。扱う問題が深刻なだけに、主催者の冷静で淡々とした姿は一般参加者に安心感を与える。扇動的なばかりで一般参加者に疎外感を与えかねない集会などにはない良さがあった。また、そのような能力、センシティビティがなければこのような性暴力批判をうまく行うこともできないであろう。

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