かけはし重要記事

frame01b.html

もどる

ジェノバ・サミット反対運動              かけはし2001.8.13より

支配体制と対決する青年の巨大な反乱が始まった

イタリアの革命的青年運動指導者に聞く

 ジェノバサミット反対闘争の巨大な高揚とベルルスコーニ政権の大弾圧は、多国籍企業にやりたい放題を保障する新自由主義とグローバリズムが破綻しつつあること、そして新しい闘いの時代が始まっていることをはっきりと刻印した。以下は、ジェノバ・サミット反対闘争を主導したイタリアの共産主義再建党(PRC)の青年組織・共産主義青年(GC)の指導的同志に対する「ルージュ」紙のインタビューである。




 ジェノバでの警察の暴力と挑発にいかに反撃すべきか。ジェノバ社会フォーラムの中心的組織者の一人であり、イタリア共産主義再建党(PRC)の青年組織、ジオヴァニ・コムニスティ(共産主義青年)の指導的メンバーであるフラヴィア・ダンジェリに聞いてみた。

警察の激しい弾圧と大衆的反撃

――警察の暴力と挑発をどのように解釈していますか。

 イエーテボリの後であり、ジェノバには多くの人が結集する可能性があったので、弾圧の水準がある程度強まると予測していたが、これほど暴力的で激しい弾圧はまったく想像していなかった。この二十五年来、イタリアでは警察がデモ参加者を一人も殺害したことはなかった。イタリア政府と内務大臣は、警察、ならびにカルロ・ジュリアーニ君を殺害した警官を擁護している。このことは、「ブラック・ブロック」と警察との結びつきを示す映像が流されたばかりであったので、民主的体制ではなく、むしろ警察的体制を想起させることになった。警察は、開催されていたジェノバ社会フォーラムを包囲攻撃したのだ。

――これらの暴力に対してどのような反撃が組織されているのでしょうか。

 反撃は信じられないほど大衆的なものであった。この運動の大部分の担い手が警察との対決をまったく経験したことのない青年なので、恐怖の反応が起こるものとも予測することもできたが、実際に起こったのはそれとは正反対のことだった。
 すぐにデモが行われ、ジェノバ社会フォーラム調整委員会が七月二十四日(火曜日)の大衆行動日を呼びかけた。それらのデモの参加者は、とりわけ一年の中でこの時期としては珍しく巨大な規模になった。ミラノで二万人、二十三日(月曜日)のボローニャで五千人、小さな町や村でも数千人が集まった。二十三日の夜、ローマでの翌日のデモを準備する会議が設定され、それに七百人が集まった。ジェノバ社会フォーラムはFAO(国連食糧農業機関)の会議が開催される十一月九日に全国デモを呼びかけている。
 ジェノバ社会フォーラムは八百団体を結集している。その最も重要な担い手は、この運動に参加しているイタリアの唯一の政党である共産主義再建党であり、その青年組織であるジオヴァニ・コムニスティであり、左派労働組合――それには、ナショナルセンターの壁を越えて横断的結合を目指すCobasや、CGIL=イタリア労働総同盟内の左派潮流や、組合の金属産別組織=Fiomなどが含まれる――であり、さらには、多くのイタリアのNGO、社会センター、「無視された人々」などの団体も含まれている。

新自由主義への巨大な反乱の始まり

――ジェノバ社会フォーラムをどのように総括しますか。

 総括は二重である。われわれは警察の暴力に襲われたが、同時にジェノバ社会フォーラムの成功にも感動している。ひとつの巨大な運動が発展しつつある。二十一日(土曜日)のような大規模なデモは、何年か前であれば、イタリア共産党かCGIL(イタリア労働総同盟)しか組織できなかっただろう。ジェノバ社会フォーラムはイタリア社会フォーラムに変わりつつある。それは、来るべき一月のブラジルのポルト・アレグレの社会フォーラムの組織化だけでなく、今秋にもイタリアで大衆動員を組織していくだろう。
 青年の参加は、この運動の基本的特徴のひとつである。湾岸戦争以降、青年がこれほど大衆運動に動員されることは見られなかった。七月十九日から、カルリーニ・スタジアムには、一万人の青年がいた。そして、これらすべての青年が警察の攻撃を受けたが、デモをするためにそこにとどまった。
 これらの青年は、グローバリゼーションに対する、さらにまた職場で受けている職の不安定化に対する巨大な反乱を表明している。その反乱は非常に自然発生的であるが、一貫してきわめて政治的である。「トゥテ・ビアンケ」(白い作業服)のような運動は、青年を動員しているが、そこには資本主義に対する急進的な批判とときとしてかなり改良主義的な発言とが混ざり合っている。その急進性は、その内容というよりもむしろ闘争形態の中に表現されている。だが、いずれにしても、そしてたとえ彼らが社会について異なる解釈をもっているとしても、青年が置かれている社会的諸条件のゆえに存在しているこの運動の中に深く入っていかなければならない。

――警察の激しい暴力は、ベルルスコーニ政府の最初の行為として現れました。政治情勢をどのように評価していますか。

 運動が非常に強力なので、それは政治機関という地平を超えてしまった。それはイタリアの政治、中道左派、および左翼を動転させている。七月二十日、左翼民主党(旧イタリア共産党の多数派が結集している党)は、運動への参加の意向を表明していたが、暴力を非難して参加しなかった。
 しかしながら、G8を組織したのは実は彼ら中道左派政権なのである。なぜなら、つい今年の五月まで政権に就いていたのは彼らであるからだ。中道左派は運動から隔てられてしまっているが、その中に入りたいと思っている。中道左派は、運動の中の最も遅れた層からも信頼されていない。右翼に関しては、経営者や政治家などは運動の根深さを恐れ始めているように思われる。国会では現在、予算が審議されている。もしこの運動が秋に新自由主義的なこの予算に異議を申し立てることになれば、それは右翼にとって大きな問題となるだろう。したがって、彼らはむしろ弾圧という策を選んでいるのだ。(『ルージュ』7月26日)



ジェノバ┃大弾圧と虐殺はデモの大爆発を阻止できなかった!

次の闘いへ、さらに広大な統一戦線を



 「あなたたちG8、われわれは六十億」というスローガンを先頭に、七月十九日に移民を防衛して五万人のデモ、二十日にはレッド・ゾーン(特別警戒地区)を包囲する数万人のデモ、二十一日には資本主義的グローバリゼーションに反対する三十万人のデモのかつてない大衆動員が行われた。
 だが、暴利をむさぼる多国籍企業の八人の代弁者は同時に、人殺しでもあることを証明した。イタリア警察のかつてない野蛮で無差別な弾圧のために、一人が死亡し、数百人の負傷者と逮捕が生み出された。フランス社会党は例によって、こうしたデモにはまったく登場せず、警官隊に守られたG8の陣営にいることを文字通り示した。同じくジョスパン政府の側にいる共産党と緑の党もほんの形ばかりの参加にとどまった。
 「LO(労働者の闘争派)」はそもそもジェノバにまったく登場しなかった。だが、選挙がすべてであるこの党は、この巨大な闘争をちゃっかりと来るべき大統領選挙の選挙宣伝のために利用することだけは忘れなかった。ラギエは(LOの大統領候補)は、資本主義的グローバリゼーションに反対する国際的闘いに対するこの党のこれまでの非難を忘れたかのように、ジェノバの弾圧に抗議するパリのイタリア大使館に対する抗議行動に現れてマスコミのインタビューに答えてみせた。(「かけはし」編集部)

 ジェノバの町は戒厳令下にある。四メートルの高い柵がいわゆるレッドゾーン(特別警戒地区)への侵入を阻止している。大部分の商人は十八日から店を閉めている。そして、信号や通りに大量の警官隊がいるのを見ることができる。これらの警官隊はただデモ参加者を威嚇する役目だけのためにそこにいるのだ。
 毎朝九時に、ジェノバ社会フォーラムに参加している諸団体が集まり、さまざまなイニシアティブを準備する。そこに参加している諸潮流の政治的、地理的多様性には驚かされる。イタリアの主要な市民的不服従運動である「トゥテ・ビアンケ」(白い作業服)、それと重なり合っているATTAC、平和団体、共産主義再建党の青年組織、フランスのLCRとJCR、イギリスのSWP(社会主義労働者党)のような革命派の諸組織、特にイギリスとギリシャのグローバリゼーションと闘う連合組織。すべての団体が、ひとつの原則を出発点にともに活動している。
 その原則とは、すべての点について合意に達しようとせず、G8の会議が立てこもらなければならなかったレッド・ゾーンの包囲を目指した七月二十日のイニシアティブのときに見られたように、それぞれの団体がしたいと望む点に従って共通点にもとづいて結集するということである。
 七月十九日の午後遅くの移民労働者やサンパピエ(滞在許可書を持たない移民)の権利を防衛するためのデモは、巨大な成功をおさめた。大部分がごく若い人々から成る五万人のデモが数時間にわたって少しの事故もなく行進した。それは、多くの移民防衛団体が参加した戦闘的、大衆的なデモであった。
 二十日、レッド・ゾーンを包囲するためにさまざまな措置がとられた。いくつかの結集軸が形成された。ATTACとグローバライズ・レジスタンスの隊列、およびCobas(ナショナルセンターの壁を超えたイタリアの横断的な労働組合組織の連合)の隊列、ならびにPinkとAarrg(グローバルな抵抗ネットワークのための宣伝見習い)の隊列といったようにである。LCRとJCRは「トゥテ・ビアンケ」(「白い作業服」)や共産主義再建党とともにデモを行うことを決定した。この隊列の目的は、レッド・ゾーンに平和的に入り込むことである。
 だが、ジェノバ社会フォーラムに参加するこれらの結集軸だけがデモを行ったわけではなかった。同時に、いかなる犠牲を払っても警官隊と激しく衝突することを決意していたブラック・ブロックのさまざまなグループも現場にいて、十一時から、ジェノバ社会フォーラムのさまざまな隊列をその意に反して自分たちの側に巻き込もうとして最初の衝突を引き起こした。
 これらのグループの行動を口実に、警官隊が激しい暴力的な攻撃に移り、かつてないような暴力的行為に訴えた。至近距離からの催涙弾やゴム弾の発射、装甲車を使った攻撃、大々的な殴打などによって数百人が負傷し、数十人が逮捕され、ついに二三歳のカルロ・ジュリアーニ君が、頭に二発の弾丸を受けた後で、警察車にひかれ押しつぶされて虐殺された。すべての隊列が、リリパットの隊列のような最も平和的な隊列さえ例外なく、この無差別な弾圧の対象となった。
 だが、弾圧は組織者やデモ参加者の決意を動揺させることはできなかった。二十一日のデモを可能なかぎり最大規模にしようというアピールが出された。そして、午後の始めにストゥルラ広場に結集したのは三十万人であった。厳粛なデモであった。すべての人が、二十日の出来事とカルロ君の死に衝撃を受けていたが、同時にきわめて断固とした決意を固めていた。
 警官隊はひどく暴力的に介入し、何カ所かで隊列を寸断した。この四半世紀の長きにわたって、西ヨーロッパ諸国ではこのような弾圧がなされたことはなかった。警官隊は金曜日の夜、捜査令状もなく、弁護士と上院議員が入るのを妨げながら、メディア・センターとディアツ校を捜索した。現場にいた大部分の人々は、警棒で殴られ、暴行され、逮捕された。
 教材は台無しになり、コンピュータのハードディスクが押収された。「もはや法治国家は存在しない」とジェノバ社会フォーラムのスポークスパーソンが叫んだ。警察のこの介入の理由は、公式に指摘されているような武器の捜索ではなく、ブラック・ブロックの一部グループへの警官の内部潜入を立証する写真とビデオを探し出すためであったようである。
 二十一日の午後、記者会見にはジェノバ社会フォーラムのすべての参加団体が招集された。記者会見の目的は、警官隊の態度を説明し、それを弾劾し、反撃を組織することであった。
 弾圧は、スカヨーラ内相によって綿密に準備されてきた。警官隊の最も厳しく、最も激しい行為は、暴走の結果ではなく、意識的な意図の産物である。それは、運動を犯罪的なものであると一方的に仕立て上げ、資本主義的グローバリゼーションに反対する人々がデモをすることを恐れるようにさせるという共同の目的をもってなされたのである。
 「ブラック・ブロック」の強迫観念に陥ることを避けなければならない。われわれはこれらのグループの政治的戦略を、運動に参加している人々の意に反してそのイニシアティブを一貫して麻痺させようとするこのグループの意向を、警察によるこれらグループへの内部浸透とこれらのグループの操作を批判しなければならない。
 この仮借なき批判は、だれが唯最も許し難い存在なのかということをわれわれに忘れさせようとするものであってはならない。それは、警官隊であり、内務大臣であり、ベルルスコーニ政府なのだ。Cobasのスポークスパーソンは、ピエロ・ベルノッキが、記者会見のときにつぎのように宣言したのは正しい。「イエーテボリの後、全世界の当局は手先を利用することを決定した。……だから、ブラック・ブロックについて語るよりもむしろ、黒い(ブラック)政府について語ろうではないか」。
 必要な結論は、政府の政治的弾圧に反対する大衆動員を行い、十一月のブリュッセルと来年一月のポルト・アレグレをはじめとする来るべき時期を準備するために、ジェノバで実現されたグローバリゼーション反対の広範な統一戦線を今後も維持しなければならないということである。(『ルージュ』、7月26日)


もどる

Back